今週のおすすめ本


ブック名 修養

著者 新渡戸稲造
発行元 たちばな出版 価格 1365円
チャプタ
(総説)修養とは
@青年の特性
A青年の立志
B職業の選択
C決心の継続
D勇気の修養
E克己の工夫
F名誉に対する心がけ
G貯蓄
H余が実験せる読書法
I逆境にある時の心得
J順境にある時の心得
K世渡りの標準
L道
M黙思
N暑中の修養
O暑中休暇後の修養
P迎年の準備

キーワード 心がけ、品性、職業、嗜好、志、名誉、克己、勇気、継続、順境、逆境、沈黙
本の帯(またはカバー裏)
百年前、「武士道」で日本人の精神文化を世界に知らしめた国際人・新渡戸稲造の、
世紀を越えて、読み継がれてきた実践的人生論。百年後、いまだに日本人に勇気を与えてくれる。

気になるワード
・フレーズ

・人はややもすれば職業とかあるいは言語だとかを見て非凡と平凡を区別するが、しかし実際は、平生の 心がけと品性とを標準として決するが至当であろう。
・凡夫と聖人とはその立てる志の内容においてこそ、高低多少の相違あれ、志を立てるというだけに 至っては、二者あえて異なることはあるまい。ただ、立てた志をいよいよ遂行する時に、凡と非凡の 差が明らかに現れて来る。凡夫は志は立っても、なお絶えずぐらついて動く。 非凡の人は何事に会しても動かぬ。
・自分では嗜好に適するように思って選択した職業でも、実際に当ると性質に適せずして、成功 せぬ者が少なしとせぬ。

・重荷を負うたまま遠きに行くはすこぶる苦しい。それを繰り返し繰り返しやるのが継続であって 難儀はここにあると思う。
・人によって違うが、僕は継続心を修養するには、ことさらに偉いこと、むずかしきことを 選んで継続するのは、良くないことであろうと思う。ただ少し嫌と思うくらいのことを選んで、 例えば飲食のこと、冷水を浴びる、毎日日記をつける、散歩する、一定の時間にかならず起床する ・・・ただ少しやりにくいところがあるくらいのことを、毎日繰り返し繰り返し行うがよい。
・決心の継続を妨げる三外因 @そんな窮屈なことはよしてしまえというような反対説 A今までの生活状態が一変し、継続して来たことを中断されること B人に嘲笑されること

・年限を設けたにもせよ、ともかくいったん決心したことを、その年限の間継続したなら、 継続の習慣が養成され、その後も引き続き継続されるであろう。 ・・・3年5年は短いけれども、それによって、養成された習慣は第二の天性となり、 ついに一生の間継続するに至るものである。
・事足れば足るに任せて事足らず足らで事足る身こそ安けれ
・とかく知識のみの人は人に対して威張り、ツンとし、傲慢である。ここにおいて知識の 貯蓄よりもさらにいっそう大切な徳の貯蓄が必要となる。

・日本人はどうも書物と親しみがない。
・書物にばかりよらずに、も少し耳の学問もして欲しい。こうすれば書物を読んでも面白くなる。 ・・・趣味をもって面白く読まなければ役に立たぬ。面白く読むことができれば、 その進歩もまた著しい。
・他人からうらやましいと思っておることが、その人には苦痛となることが多い。 ゆえに、いかなる人でも、必ずそれぞれ相当した逆境がある。

・苦しみはいつまでも続くものではない。ゆえに、逆境にある人は常に「もう少しだ、 もう少しだ」と思うて進むがよい。いずれの日か、必ず前途に光明を望む。
・元来、人は他人が己のためにしてくれたことを安く値打ちし、人のためにしたことは、 過大に計算したがるものである。
・大伸の前には大屈がある。大いに発心する前には、大いに沈黙する必要がある。

・奮闘的生活から一歩退いて静かに自分の身の上を心のうちに反省し、自分の 態度を正すのが一種の坐禅ではあるまいか。
・坐禅・・・邪念が起っても継続せよ。
・日に五分間ずつでもよい。こうして世事に超然たる境遇に遊ぶことができれば、 その五分間だけでも、ぎょう舜のごとき聖人となるのである。

・幾たびか思いを定めて変るらん頼むまじきは我心なり(西明寺時頼)
・怠らず行かば千里の外も見ん牛の歩のよし遅くとも(古歌)
・心をば心の仇と心得て心のなきを心とは知れ(一遍)

・克己の工夫一呼吸の間にあり(佐藤一斎)
・善事はいかに小事なりとも、活力が潜んでいる。

かってに感想
この本は、百年前、「実業之日本」の余白に毎月2回随感随想として掲載され、 単行本化されたものを、読みやすく復刊したものである。
めずらしく、駅前の書店に出向いて、探し出した。
あまり聞いたことのない出版社だから、この書店に出向かないかぎり出会いはなかったのだ。
「読み継がれてきた実践的人生論」とはいえ、私にとっては出会うのがかなり遅いようでもある。

第1章「青年の特性」から始まり、青年の立志、職業の選択へと続くように、 また、序にもあるように「僕もおいおいと知らぬ間に年をとり、まさに50の坂を越えんとする。 かつて見聞きしたことを青年に分かつに及ばずして、早くすでに忘却先生の轍を踏むかと思えば、 遺憾いかばかりであろう」、明らかに教育者として、学生たちへの遺訓なのだ。
だから、筆者と同じ年齢の私には、心新たにするために読ませてもらっている。
多いに参考になる、さてさて新渡戸稲造なる人とは、そう5千円札の肖像画の人なのである。
この方、思い出せば、新しい5千札の顔として決った時、誰だろうと思った程度でしか私は知らない。

このお札の話も、もう20年も前の話なのである。
随感とは言え、教育者として学生に説いて聞かすような実に読みやすい本なのだ。
さらに、ただ理路整然と述べるのではなく、まずは言葉の解釈その裏に隠されたものを解き明かす。

そして、自分の失敗談や経験談、先人の教訓を交えてより具体的に行動が起こしやすい、 平生の心がけや品性へと結び付けるようにされているのである。
先人の教訓、古歌にはどのような人物が出てくるかというと。
佐藤一斎、孔子、孟子、南洲翁、藤樹、クラーク博士・・・である。特に頻繁に出て来るのが、 江戸大儒学者佐藤一斎の「言志四録」からの引用である。

読み進めながら、途中途中に散りばめられている教訓、句を読むのは実に面白い。
筆者の具体的ないろいろな人物からの相談事へのアドバイスは、人生相談そのものでこれも面白い。
加えて、当時の日本人論がうかがわれてこれも面白い。ちょっとこれは書き出してみよう。

「若者はあまりに老人ぶる」「老年者を尊敬する風がある」「15,6才になれば、志を立てる」 「元来物にあきやすい」「金銭の貯蓄をけなしたがる」「読書力が少ない」、いかがだろう、 妙に可笑しさが出てこないだろうか。
今の時代に、新渡戸さんがいたら、どんなことを嘆くのだろうか。

もうひとつ面白いことに気付いた。
何かを変えてもらいたい時のアドバイスとして、 「もすこし」「もう少し」「も少し」「ちょっと」「少ない」「少しも」「小さな」「短」「小事」。
なんて、言葉を多用しているのである。ほんの少し心がけを変えれば、自分を変えることが できるんですよということなのだ。

17チャプタある中で、筆者が特に力を入れているかは、書かれた枚数で歴然としている。
それは、「逆境にある時の心得」なのだ。
世の人々、人の不幸は笑って見ていられるが、いざ自分が逆境の立場になった時、 その人間の脆さが露呈するのである。
だから、反対の「順境にある時の心得」も重ねて読みなさいというわけである。
さてさて忘却というより、人の名が思い出せない「ボケ」壮年の私に 大いに役立つもの、いまさら立志したり、職業を 変えるわけにいかない。
あります、あります。
それは、「決心の継続」であり、「黙思」である。

ということで、セカンドライフに向け、ちょっと「心がけ」を変えてみようと思う。
「起した発心をたびたび省みる」 「朝出かける前に5分間の静思沈黙」
さてさてどうなるでしょうか。

<読み感記録>
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