• 山田風太郎作:半身棺桶
「あと千回の晩飯」という筆者の作品を読み,もう少し他の作品も読んでみたいといろいろな書店で探索していた。
この本は,新しくできた近所の書店で見つけたものである。
初版の発刊も1990年とかなり古く,収められている作品も一番古いもので40年前,新しいもので10年前に発表された随筆の集大成である。
「あと千回の晩飯」と重複する作品もある。まあ収録された随筆だから好きなところから,読み出して面白くないと思えば飛ばせばいい。
この書店には,「人間臨終図鑑」全3巻というのもあったが,まだ少し早いかと買うのをためらった。まあ身体半分ぐらいならいいかと,「半身棺桶」という題名のこの本にしたのである。
特に面白かったのは,結局「女が長生きするわけ」「人間臨終愚感」「臨終徒然草」で,やはり臨終に関するものであった。
筆者は,「死の意味の考察や死への心構えなど,とうてい私の力の及ぶところではないのだ」といい,伝記的あるいは医学的な興味から,有名人千人足らずを選んで,死亡年代別に分類して,図鑑を作ったらしい。
もし,自分の死に方が見つかるならという気持ちもあったが,結局,自分自身が死んでみなけりゃわからないということらしいのだが・・・。
人間だれしも死に方が気になるが,臨終図鑑には死の直前まで金と排泄物のことが気になって死んでいく有名人が結構多いのだ。そういえば,交通事故など突然死んでも恥ずかしくないようにパンツをはいいおいてと妻が言うが・・・関係ないか。
人間ボケてオムツもはずして,糞をほうりなげたり,壁に塗りつけたりするのは,あれは長年の糞に対する恨みからだろうか。


  • 西村公朝作:極楽の観光案内
題名が「極楽観光案内」とかなり入りやすいものとなっている。
といっても,この観光の意味は,仏像さんを見て考えなさいということらしい
とかくこの手の本はむつかしい話になってしまうきらいがあり,仏教の経本を読んでも漢字ばかりである。やはり現代人にはむつかしい。
小さいころから,諳んじていたから,60代以上の人は,盆とか法要の時には,お勤めに来た住職に合わせて教を読んでいる。
では,その意味とか,なぜ読むのか,は全くと言っていいほど知らない。有名な般若心経でさえそうである。
世代も変わり,家が属する宗教はあっても,兄弟の多い団塊世代で,家を継がないものは家から離れほとんどが特定の宗教を持っていないのだ。
いまその世代がなんとなく死を意識し始め,死んだ後をどうするか(献体・臓器提供)?尊厳死?戒名は必要なのか?お墓がないお墓はどうするのか?散骨は?都会で葬式するには?葬式代が高い?
この中でも特に気にしている人が多いのは,死んでまで迷惑をかけたくないということなのだ。
現存の仏教による供養は,その名のもとに,葬式代,戒名,その後の法要(盆・彼岸・年末,周期法要)と,とにかく金ばかりいるのである。
といったように,この本のテーマである極楽があるという前提で「極楽へ行くには」というのとは若干違った悩みを持つようになっている。
読みながら,仏教全盛のころならば売れたであろう書物に属するのではなかろうかと思った。
特に「宗派別にあの世はどう迎えてくれる」というチャプタは,仏教全盛のころの現世の宗教家が宗派独特のアイデアを出したにすぎないものとしか思いようがない。
筆者は,死者の処置を簡単にしようとすることは,「わびしいとか淋しい」という言葉で表現している。これはあくまでも現世に残されているものの心境にすぎない。 いずれにしても私は宗教というのは心の持ち方だと思っている。
この本を読むには,まず極楽とか地獄ががあると思っている人とか,あるいは人間は死後どうなるのかを考えている人であることが必要のようだ。
私を含めそんな人にとっては,極楽行きの切符,現世にいながら極楽を,曼陀羅,三途の川,賽の河原,草葉の陰とか言葉を知っていても意味を知らない言葉がわかりやくす解説されている。
ただ,極楽へいくのも「観音量寿経」によれば,十三の観想(イメージ)段階を踏んで,現世の行いにより十四〜十六で極楽の入り口が分かれる「十六観想」により順次段階を踏んでいく方法でないとだめなのだ。
だから浄土真宗でいうただ念仏「南無阿弥陀仏」を唱えることにより極楽へ行けるというのはなかなかのアイデアだと思うのだが。

  • 米山公啓作:「健康」という病
「衣食住足りて礼節を忘れた」平和ボケの日本人、世の中でいま老若男女に関係なくもっとも関心があるのは「健康」であろう。
このテーマでいうようにほとんど健康に関して病気状態ではないだろうか。
フィットネスクラブ、健康グッズ、健康ランド、健康食品、健康診断、人間ドックなどはいまではほとんど年齢に関係なく受診しているのではないだろうか。
この本で言うように「健康」を定義すると結構不明確なのだ。さらに人間の体を調べる技術−遺伝子による罹病がわかる、MRI−はどんどん進む、一方で、ではどこまでが正常なのかという基準作りが追いついていないということらしい。
この基準設定によっては、製薬会社の売上げ高や病院経営にも大きく影響することになるのである。
この本の趣旨は、健康の名のもとに、悪者扱いにされている塩分を含む食事やたばこや酒などの危険因子、ストレス、逆に健康維持のためには必要だとされるスポーツ、ダイエット、人間ドック、薬をそれぞれ逆の切り口で分析しいるのである。
筆者の理論展開の中には、結局、健康に関することはいろいろあるが、QOL(生活の質=クオリティー・オブ・ライフ)はどうなのかということにつきる。
そして、医者も決められない健康基準は「自分の満足する健康論を自分で見出さなければならないということだ。健康であるということの答えはどこにもなく、あるのはその人の生き方のなかにあるのではないだろうか」ということらしい。
とはいうものの、何かに依存して生きてきた私たちにとって、また死生観に乏しい現代人・日本人にとって、自分の健康感をもつことはかなりむつかしいことといえるのではないだろうか。
おわりになるが、この本には健康に関し、いままで誤解していたことをあらためて教えてくれるフレーズが多くある。「気になるフレーズ」にたくさん載せたが、さらに気になる人はこの本を買って読んでもいいのではと思うがどうだろうか


  • 清水ちなみ作:仮定の医学
頭に関するもの15題,顔に関するもの14題,上半身に関するもの8題,下半身等に関するもの14題
全部で51題,よくもまあ探し出したものだ。日頃からなんでだろうと思ったことを蓄積してないと出るものではない。
各表題を見ただけで,プスと失笑してしまうものが沢山ある。
とにかく笑いたい,つまらないことだが体のことでいつも気になっている人。
何が面白いかというと,仮定の体の話を真面目に専門の医者に答えてもらっていることだ。
聞いている内に体の意外な働きについて知ることができる。
一方で,誰しもが体のことで実にくだらないことが気になっていながら,スッキリしていなかったことがなんとなく解消できるのだ。
女性からみた,「ああすればこうなる体の動き」がほとんどだが,中には男性の睾丸の話も出てくる。ハゲの話も出てくる。
実は,コノ本を買ったのも筆者作の「禿頭考」を読んだからである。この本にも「ハゲはスケベエ」という話が出てくる。
とにかく面白くて最後まで目が離せない。???
妻が本の各題名を見ただけでばか笑いしていたから,最近おもいっきり笑いを忘れた人は気分転換に是非読むべし・・・・

  • 徳永進作:心のくすり箱
筆者の作品は,「やさしさ病棟」に続いて2冊目である。「やさしさ病棟」は,メールフレンドにすすめられ読んだ作品である。
いい贈り物をもらったという気持ちで,少し涙が出てしまった。今回の作品は,岩波フェアで見つけた作品,心という文字に目が行き,作者を見ると鳥取赤十字のあの先生だとすぐ買い求めた。
本当に短い随筆が,110編,毎日新聞に連載されたものの単行本化されたものである。どこから読んでもいいのがいい。
終末医療を続ける医師が,日常的に体験する多くの人の死,みんな違う死の迎え方をしているのに,なぜか生に対する執着心が見えない。来るべものが来ているのだという迎え方。
この先生の表現の仕方がうまいのかもしれないが,実にさっぱりとした死の迎え方なのだ。前回の作品の中には年若くして死を迎える人が描かれていた分だけ涙を誘われたのだろうか。
自分の心の中では,身構えていたが,何も起こらなかった。途中途中にある少年時代の話や,自然との対話が実に印象深い。
自然は人間を大きく包んでくれるが,傲慢な現代人はそれを切り刻んでいる,そんな人間たちもやっと気づき始めてきたようだ。もう遅いかもしれないが・・・。
気になるワードを羅列しみると,ハマゴウの実,お茶,餅つき,豆まき,たんぽぽ,雪,昔話,雲,春一番,ホタル,星,さくら,よもぎ。
本から湯気が出てるみたいに本当に温かい本である。
少し心が痛んでいるとき,どのページのどの作品でもいい,ガマの油売りではないが,読めばたちどころに快復すること間違いなしである。

  • 斎藤茂太作:楽しみながら年を重ねる簡単な工夫
年を重ねる,そこにはすべてに劣っていく人間の姿があるが,好奇心のかたまり茂太先生には無縁といえよう。
老いていくうえでの多くのノウハウ・ヒントが詰まっている。
筆者の作品は,老いていく中で壁にあたったとき,ちょっと開いて見るのにとてもいいかもしれない。
そして,いつもながら,軽く読め,これ早速いただきというものが出てくるから不思議だ。
死に向かって老いることの恐怖心はだれしもあることなのだ。だからいくら考えてもしかたがないことなのだ。
だから、いつも前向きに、「第三者から見れば実につまらなく、一文にもならないことでも、本人がよろこんでいればそれで十分なのだ」趣味や好きなことを楽しめばいいのだ。
老いを生き抜くためのキーワードは、ユーモア・好奇心・工夫・パートナー、そして元気なこころと体であるという。
この最後のキーワード、「元気な体とこころ」では、老いて出てくる病気やそれに影響を与えるうつ・ボケ・ガン・高血圧・酒量・喫煙・太りすぎについて、それぞれの超えてはならないポイントが述べられている。
やはり若くはないのだ、それなりにセーブが必要ということである。
私自身がそのセーブポイントをかせぐには、趣味(釣り・野菜作り・パソコン)を楽しむことであり、夫婦で旅行をし、ウォーキングをして適度な飲酒をすることであろうか。
さて、みなさんならこの本を読んでどのようにされるのかな。

  • 谷沢永一作:人間通と世間通
読書,あらためてその目的を聞かれると「うっ」と考え込んでしまう。
生きる上で,仕事をする上で,何かのヒントを見つけられないかと本屋を探索するのが,好きになったのはごく最近だ。
読む本も年を重ねるごとに変化する。40代までは,仕事に関すること,世相に関することがほとんどであった。
最近は,もっぱら老いと病,生き方,趣味とかに移っている。
この本は,ずばり本を読んで,それも古典を読んで,生き方とか知恵蓄積術を得たい人にと明記されているのだ。
つまり,「何かを読むのに貴重な手間をかけた以上は,必ず効果をとらねばという欲深い人のために」と書かれている。
誠に親切なまえがきであるとともに,辛辣なフレーズでもある。改めて自分の読書の目的にそうかと納得させられたものだ。
この本には,知恵とか生き方の参考になる本が11冊紹介されているが,私はいずれも読んだことはない。
それぞれ,そのエキスを紹介すると,上手な生き方,人情と世間,社会のメカニズム,説得の技術,人間の評価基準,大義名分・実力・誠実,人間の仮面を剥ぐ,セックスの到達点にあるもの,人間性の真実,男の性の記録である。
人間の本質を知るには,性は切り放せない課題のようだ。
私が得たヒントは沢山あるがそれもいつものようにフレーズで紹介するとして,特に私自身が「うっと」思ったヒントをいくつか簡単にまとめて羅列したい。 人間関係に特効薬はない,過去の有効な成分をソシャクして変質させれば独創つまり最初はマネからということ,人間性洞察の達人はその人間の反省力にある,楽しむものが現在自分にある人間は感謝すべき,そして,読書に一般論は無意味である。読書は自己流であり,我流である。
最後の言葉で,本当にほっとした。我流でいいのだ。

  • 大野芳作:河童よ,きみは誰なのだ
今回の本読みは少し趣向が変わっているかもしれない。
書店で探索しながら,河童に目が行く。軽い気持ちで購入してみた。
カッパで思いうかぶこと,愛らしい部分と人をばかす架空の生き物,孫悟空の相方沙悟浄,どこやらの企業のキャラクター,最近の話題ではシドニーオリンピックでの「カッパファッション」などだろうか。
この本は,第一章で目撃談,第二章は古文書からひもとく河童の履歴書,そして第三章は河童を愛した人たちの文学・絵画作品。
まず,北海道から沖縄までの河童の愛称が紹介されているが,188というその多さに驚く。特に多い地方が九州で67もある。
その中の名前で気付いたことは「猿猴」(エンコー)という名である。字の意味から猿とばかり思っていたが,カッパだったのだ。
広島には,猿猴川というのがあるが,まさに河童が住んでいた川ということになる。
そして,話は柳田国男の「遠野物語」にある,河童の子を身ごもった女性の話へと移り,筆者は現地取材を試み,実在するとの確信を得ていくのである。
この目撃談から古文書による捕獲話まで,探索する筆者の心は少年の頃のように純粋で目が輝いているように思える。
昭和49年,発起人3名からスタートし,まず村民憲章作り,そしてかっぱ村作りが始まる。
第二章は,筆者が河童の起源を調査するにつれ,戦いに敗れた敗者たちや被差別部落の人たちのことを差別するために使用されていたことを知る。
時代とともに河童の対象を変えていく世の中を見つめながら,筆者の次のフレーズが出てくる「ひとはいつもだれかを河童にしようと虎視眈々と狙っている。競争社会では,時代がどう変わって,いつなんどき自分が<河童>にされるかわかったものではない」 と言う。
そして,子供たちへのメッセージともいえる「だからわたしは,こころから自分を愛するように他人を愛し,こころから自分を慈しむように他人を慈しんでほしいと願うのだ」へと。
おわりに河童をこよなく愛した人たちの画家と作品・喜多川歌麿の「なみまくら」や文人画家小川芋銭の「水虎と其眷属」「若葉に蒸さるる不精」。
さらに,作家とその作品,芥川龍之介の「河童」,火野葦平「河童会議」が紹介されている。
今の世の中,夢のある話題は乏しく,カッパの話などはとんと出てこない。さて,あなたは河童の存在信じますか?
信じるか信じないかは別として,常に少年のような探求心を持ち続けることは,こころをいい状態に保つために,年を重ねても大切なことのように思えてくる。河童にはそんな力があるようなのだが。

  • 塩野七生作:男たちへ
1983年〜88年までに発表された作品、54のチャプタからなる文庫本化である。
筆者の作品は、全く初めてであり、古代ローマの人間たちや世相を分析した作品が、経営者に受けていたような気がする。
先進国では、男女の性差が、社会的地位とか職業において、なくなりつつある2千年。もっとも日本ではまだ男が優位な男社会が少し崩れつつあるというところであるが。
男らしさ、女らしさというものは何か、そういったものを逆に考える時ではないだろうか。
女から見れば、私を含め不甲斐ない男、男らしくない男、リーダーシップがとれない、目標が見えない男が増えつつあるのも事実である。
その男はどうあるべきかについて、ヨーロッパ生活の長い筆者がヨーロッパ的というか、イタリア的ジェントルマン論を展開しているのである。
一言で言えば、かっこいい男、単純に外見だけでなくいわゆる中身も含めての話、ただそれは筆者的かっこいい男ではあるが。
私から見れば、上流社会的要素が強いが女からみた男としての哲学はこうあるべきだというところか。
読み手の男たちからすれば、実に辛辣であり、独特のユーモアを交えたところのセンスは私の低レベルでは理解しがたい。
気に食わないチャプタは飛ばせばいい。
都会人になれないいわゆる洗練されていない田舎のおじさんには、結局のところ最終章にあるように「男にとっての勝負は、人間味に落ち着くということなのであろうか」このフレーズの「人間味」という言葉にほっとする。
「いい加減な」私が一番なるほどと思ったのは、不幸な男の3つのチャプタで、原則主義者と完全主義者と四十代でも生き方に迷う男についての話である。

  • 海老坂武作:新シングルライフ
独身とか独身者に比べ,「シングル」というのはひびきがいい。
国の統計では,法律上の非婚でかつひとり暮らしのものが対象となるらしい。
筆者は,これをand条件ではなくor条件として少しふくらみを持たせて考えている。
となるととなると,単身赴任者であるわたしも筆者が言うところのシングルになるのである。
喜んでいいのか,よくわからないがそれなりに納得している自分がいる。
日本人独特のものかもしれないが,この結婚していないしないできないシングルに対する風当たりはかなりきつい。単身赴任者でも同じである。「なぜ奥さんを呼ばないのか?」「そろそろ奥さん呼んだら」とか。
こういった「いじめ」と同じ話も,昨年男女雇用機会均等法の一部改正がされてから,人権を考える話題の中で,やっととりあげられるようになった。
筆者の表現を借りれば「家庭を持てないで部下の指導ができるか」「彼女(彼氏)いないの?」「結婚はまだかい」と言ったフレーズを飛ばす上司は,まだまだ残っているようだ。
さらに,「こうした言葉を発する人間に決定的に欠けているのは,相手の想像力,人間関係についての感受性である」ということになるのだ。
結婚するしない,単身赴任するしないはあくまでも個人の問題なのである。
昔は,職場や地域に世話焼きがいてそれとなく縁談の話が舞い込む形であったが,昨今は自分で恋愛するか,ブライダル業者が段取りをしたものに参加する形になってしまっている。
U部を読みながら,シングルライフというけれど,老いとか孤独とかのチャプタは結婚していようがしてまいが全く同じなのだ。確かに単身赴任生活をし始めてから,家族と離れて生活し始めてから,老いとか孤独とかをよく考えるようになった。
いい話を読まさせていただいていると感じながら,人生って結局なんだろう,モンテーニュ「わたしは,わたしにとって楽しかった行為から害を受けたことがけっしてない」と筆者が紹介し,「すべてモンテーニュにならう必要はない。各人が自分の悦楽を発見し,発明すればよいのだ」
というように,人生, 自分が楽しいことを見つければよいのである。それは個人としてどう生きるかという問いかけでもあるのだ。

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