夫とふたりきり 私の場合、タレント本は誰が書いたか分からないという先入観から、まずそのコーナーに 行くことがない。 行くことがないから、買うことがない。 たまたま、家人と一緒に本屋へ寄り道した。 家人が面白いというので、買ってみた。 夫とふたりきり!という題の!が気にかかる。副題の「これはもう恐怖です」はさらに気にかかる。 思うに、まんまと家人の術中にはまったかもしれない。 密かに、「夫育て」を目論んでいるのかもしれない。 まあ、夏にはいい恐怖の世界だと思って、入ってみようかな・・・。 まずは、主人公の夫、ここでいう神津ダンナの場合、家事を何もしないで過ごしてきたようだ。 いささかこのあたりは、私と事情が違うが、すこし比較してみよう。 冷蔵庫の収納、私の場合、それなりに単身寮で使用している。もっとも量が極端に少ない。 だから、帰宅して、我が家の量の多い冷蔵庫を開いてもどこに何があるのか、すぐ取り出せない。 すると「さっさと出して、早く閉めて」なんて声が飛ぶ。 「電子レンジが使えるように」、私の場合、寮では電子レンジもなしで、6年間過ごしたから、 えらそうなことはいえない。 我が家の電子レンジもあまり使わなかったので、そのたびに家人にご指導いただいたものだ。 この本には、老いた夫婦の暮らし方のヒントというか、どんなポイントについて考えて おいた方がいいかというものがいくつかある。 気になるところは、寝室をどうするかということ、日中のそれぞれの居場所、旅での同一行動、三度の食事。 よく考えて見ると、若い頃、元気な頃はさほどなんでもなかったことが、老いとともに負担に 感じてくるのはいたしかたがない。夫には定年はあっても家事に定年はないのである。 ここに夫婦のギャップが生じ、老後は妻にとって苦痛とならないように、夫として考えたいものである。 ということで、見事に家人の術中にはまったようである。 第5章「老後はカーテンコール」の見出しには、いろいろ気になる世代の言葉が多い。 「女房より先に死ぬ」願望、夫はどうして自分の城にこだわるのか、気がついたら手遅れでありたい、 なんてのがある、いかがだろう。 前半は、いままでの夫婦生活での、不安、不満、怒り、寂しさ、切なさを、夫をネタにうまく 吐露している。 後半は、孫が老いていく夫婦の緩和材であるということ、そしてどうみても旦那とのお惚気のように思える。 だから、読み物としては、「夫はかわいくない」「夫育てもラクじゃない」の辛口表現のチャプタ のほうが面白い。 |
あきらめない人生 いつものごとく、どこから読んでもいいのだ。 寂聴さんの本は3冊目である。 何百冊とある作品のほんの一部である。 過去読んだ「孤独を生ききる」というのが、いまだ印象深い。 その本を読んでから、幾久しい。 題名から、別に人生をあきらめているわけでもないのだが、書店で触手が動いた。 筆者は、50代で得度し、仏に仕える身から、寂庵を訪れる悩みを抱える人たちに 多くのアドバイスをしてきた。 ご本人自身も許されない恋の経験から、恋に悩む女性からのものが多いということは、 メディアからの情報からもよく知られている。 そんな筆者だから、「人間の生は性によって育ち、性によって終焉を遂げるのです。 人生から性を差し引いて、なんの生きがいがあろうかと思います」、実に意味深い 言葉であり、とても気になるフレーズだ。 ただ、読みながら、何かしら遠過ぎて、身近に感じられないものがあるのだろうかと考えてみた。 それは、どうも己自身の未熟さから来る、「すぐラインを引いて、これ以上はわからない」としてしまうものだと理解できた。 つまり、わかりやすいものは受け入れられて、むつかしいとおっぽり出す性格くるもののようだ。 だから、宮沢りえのふんどしの写真集の話や、「男だって性的に不能になってからも、精神的性欲は ますます強くなっているのです」なんていう性の話になると、とたんに目が輝き出すのだから。 今回の著書で生きるヒントを三つもらえたようだ。 ひとつは、生きている限りチャレンジすること。 二つ目は、老い、病、死は過去の行動の善し悪しに関わらず平等にやってくるということ。 そして、老いても、ダイエットによる自分なりの体型を保ちたいということ。 もう少しくわしく言うならば、まずは、チャレンジだが、だれしも秘められた才能を持っている。 だが、それを自分の引出しから、引き出せていないのだ、だから、いくつになってもいろいろ チャレンジしてそれを求め続けていたいということ。ただ、筆者の場合、その才能を 人を喜ばせることに使いたいということ、「自分が楽しみたい」という私と、ここが多いに違うのだが。 二つ目は、「華やかな老い」のチャプタにある6つの話を読みながら、 いくら素晴らしい業績を残した人でも、己に課せられた老いと死の病の苦しみから、「自分が どうしてこんな目に遭うのか」という言葉を漏らすことである。 ちまちま、ちょこちょこ、世や社会にも企業にも地域にもなんの貢献もせずしても、死とか、 老いとか、病とかは平等なのだというなんともいえぬ安心感がもらえたのだ。 三つ目は、ほんとにつまらないことなのかもしれないが、寂聴さんも極めて俗世間の流行 ものダイエットをやっていたことである。 別に男だから関係ないと言われそうだが、どうも今の年に思うことは、下腹部のせせり出た 姿だけは願い下げたいという自分がいるのだ。 まあ、もともと血圧が高いから、薬を飲めと医者に言われた時から、始めてみたら、結構、 散歩道から花鳥風月のいろいろな贈り物をもらえ、さらにせせりだしていたお腹も へこみ、血圧もそれなりに安定しているのだ。 寂聴さんの「私が減量した理由」を読みながら、妙に笑えてしまったのだ。 |
心のウサが晴れる本 久しぶりに茂太先生の本を読んだ。 ちょっとしたノウハウを知りたい時、ヒントを得たい時に読む。 筆者の作品は、過去何冊も読んできた。 今回の本は、92年第1刷で、01年4月で46刷目だから、よく読まれていることに間違いない。 というか、「憂さ」をおためになられている方がいかに多いかということだろう。 なんとなく頭に残っているフレーズが出てくるから、ひょっして読んだかもしれない。 でも「藤佐(とうすけ)文庫」の中にはないから、たまたま同じフレーズだったのかもしれない。 なぜ読みたくなるか、それはいつもそうなのだが、気軽に相談にのって欲しい時に、 その問いかけに応えてくれるようなものなのだ。 「ウサ」「憂さ」ならまだいいが、この憂さが晴らせないまま、「うつ」へと移行する人が 結構多いのではなかろうか。 世の中には、このノウハウ本を嫌う人は、結構いる。 私の場合は、全部が使えるノウハウとは限らない。せこいかもしれないが、 もらえるノウハウはもらってしまおうというのが、私の考えなのだ。 どちらかいうとチャッカリ屋なのである。 具体的には、仕事、人付き合い、夫婦、人生、親子についての、「うさ」の晴らし方。 基本的には、「憂さ」があればためずに解消することであり、前向きにものを考えることであり、 とにかく動いてみることであり、本人次第のようである。 いつものことなのだが、ノウハウ本は、自分がいま一番気になっているところから、 読めばいいのである。 私の場合、「人生」である。 人間を50年もやってくれば、いい加減には、いままでの自分の人生はなんだったのか、 考えてみたいというのが人情というものである。 と言って、簡単に答えなんか見つかるものではないが、まあぼちぼち行こうかというところかなあ。 今回は、気になるフレーズより、気になる表題の気になるキーワードがあれば、それからヒントを得て自分で 実行してみたいのをとにかく見つけたかった。さてさて、どうなったかは、後の楽しみというもの。 |
「勝海舟」第六巻 やっと慶喜の処置が、駿府70万石と決り、転封のための大移動。 舞台は、江戸、駿府。 ストーリーは、恭順の敗軍の処理を終えた麟太郎に、護衛の役割を担う ため勝邸を訪れた若侍二人と益満休之助のやりとりから始まる。 やっと恭順の姿勢を朝廷に示すことができた幕府。 そんな折り、麟太郎のところに、「榎本海軍副総裁が旧海軍7隻を率いて、 不穏な動きを始めている」という情報が入ってくる。 江戸幕府に奉公していればそれなりに食べられた時代から、大リストラに加え、 駿府への転封という。武士という特権階級から、明日をどうやって食べていくか。 麟太郎に関わる人たちそれぞれが、それぞれに悩み、やがて新しい道を見つけて 生きていく姿や大きな渦に呑み込まれてあえなく死んでいく姿を描いていく。 いくつか紹介しよう。 西郷と共に生きようとした益満は、上野の彰義隊との戦いに鉄砲に当たり討死。 麟太郎と咸臨丸に同乗して、アメリカに渡った伴鉄太郎は、麟太郎に「次郎長の世話になれ」 と言われるが、踏ん切りがつかず、 やがて、徳川の新しい地、沼津での「陸軍兵学校」の「一等教授」として出向いて行く。 榎本副総裁は、江戸を出帆して、やがて蝦夷地に赴き、占領してたてこもる。 村上俊五郎は、麟太郎の推挙により、駿府の市中取り締まりとして、やがて、 佐久間象山の妻だった妹となさぬ仲へと。 そして、徳川封建時代からの仲間とのしがらみに苦しむ吉岡艮太夫。 彼の話がこの巻では、一番出てくるのだ。結局体制側にいた人間は、麟太郎のように、 乞食でも百姓にでも、なんでもいいわという切り替えができないのである。 これは、現代におけるサラリーマンたちが、長年勤めてきた企業にリストラされ、 すぐに新しい仕事を見つけよと言われても、できない。特に管理職はむつかしいのと同じなのだ。 この黒船渡来から始まり、咸臨丸渡米、長州征伐、大政奉還、江戸開城そして、明治新政まで、 怒涛のごとく押し寄せる大きな波を受けながら、この間を生き抜いた人たちは、 「人間死ぬまで分からぬ」という言葉をしみじみと、かみしみていたのではなかろうか。 このことは、21世紀に入ってもいまだに改革がもたついている現代日本、リーダー 不足の日本政府に勝海舟のような人材の登場を期待するのは私だけではないだろう。 |
「勝海舟」第五巻 第五巻の時代背景は、江戸城無血開城前後、脆くも崩れさった慶喜幕藩体制。 ひたすら恭順・謹慎の姿勢を貫く慶喜だが、朝廷へその意思がなかなか伝わらないのだ。 舞台は、江戸。 ストーリーは、陸軍総裁を命じられ、元氷川に帰ってきた麟太郎。 夫人とその話を終えて、久しぶりに母と会話する。 母から「今、何御役を勤めておりますか」と問われ、「陸軍総裁」と答える麟太郎。 さらに、「御役高は?」と問われ、「七千石です」 その答えに、驚きの余りうつ伏したまま大きな声で泣く母。 そんなシーンから始まる。 小説を読むこと、ほんの1か月たらずで、四十俵から七千石だから、その苦労をはかることはできない。 麟太郎の頭の中には、常に海軍畑から日本国を考え、諸外国という列強の意識を忘れずに、 さらに、身辺警護もおかず、元氷川の屋敷を訪れる人は拒まないことでやってきた。 生活も実に質素を旨としてやってきた主人公だから、読み人もこの人が本当に偉くなった のか、さっぱりわからない。 言葉使いも江戸弁から変わらず、だれかれ身分に関係なく、気さくに話すから余計に分からないのだ。 その気さくさは、この巻を読んでも変わらない。 咸臨丸での帰路で立寄ったハワイでのワンシーン、「アメリカ人が土着民を奴隷として使用 している光景に胸が詰ってならなかった」麟太郎の心の中には、こういった人は皆平等という思想を 貫き通しているからだろう。 この巻での主な登場人物は、西郷吉之助であり、高橋泥舟であり、益満休之助であり、 山岡鉄太郎であり、イギリス公使パークスであり、そして、江戸の火消し始め、長年に渡って作り上げられた元氷川の人たちの麟太郎ネットワークなのだ。 江戸無血開城に向けた麟太郎のシナリオが、麟太郎のプロデュースにより着々と進められ、無事終わりを迎える。 麟太郎のだれかれ身分に関係なく築いてきた人のネットワークが、見事に江戸の町、日本を 救ったのである。 圧巻は、麟太郎が慶喜恭順の密書を託す人物鉄太郎との出会いから始まり、 益満による鉄太郎と西郷への引き合わせ、鉄太郎による西郷との駆け引き、麟太郎による江戸町の火付けの準備、 パークスとの駆け引き、そして、西郷との最終交渉と江戸城引き渡しへと続くところ、ほんとに息をつかせぬ面白さがある。 |
「勝海舟」第四巻 第四巻の時代背景は、大政奉還前後、脆くも崩れ行く慶喜幕藩体制、 薩摩・長州等官軍が錦の旗を持って京から攻めてくる。 舞台は、広島、大阪、京都、江戸。 ストーリーは、長州征伐の後始末後、宮島からの船に乗った麟太郎が風雨の中、やっと無事兵庫の高砂港 の浅瀬に乗り上げ、水主、船頭たちを慰労しているところから始まる。 勅書を請けた慶喜公から後始末を下命され、宮島での交渉の顛末を報告すべく大阪城に赴くが、 結果を妬むか気に入らない、重役連はその報告を聞こうとしないのだ。 ただ聞いてもその後をだれがどうするのか、堕落していく組織には、そういった人材がいないのである。 麟太郎は、軍艦奉行辞職願いを認め、その場を去ったのである。 この巻には、麟太郎の回りに、また新しい、人のネットワークが生まれてくる。 それは、新選組の土方であり、清水の次郎長であり、薩摩藩の益満休之助であり、 新徴組山口三郎である。 その一方で、別れや自分より若く優秀な人材の死を惜しみながら嘆く麟太郎の姿もある。 それは、竜馬の死であり、わが子次男四郎13歳の病死、そして、長男小鹿のアメリカ出帆である。 人一人の人生とはいえ、麟太郎ほど開けっぴろげで、来るものは拒まず、開国、公武、薩摩、土佐等々 思想の違う者たちをおおらかに包み込む度量は、東に麟太郎、西に西郷ありと言われた時代だったのだ。 世間の評価とは裏腹に相変わらず、幕藩体制での軍艦奉行麟太郎は、蚊帳の外であり、 気まずくなった問題や敗戦処理ばかりにお呼びがかかるのだった。 それは、薩摩屋敷の奇襲の後処理であり、海軍伝習でのイギリスとオランダでの事務行き違い処理であり、 やがて、大政奉還後、鳥羽伏見の戦いに敗れ、大阪城から逃げ帰った慶喜公から陸軍総裁として、 その後処理を任せられる麟太郎の最大の役目へと移っていくのだ。 「時代は人を作る」というが、大きなうねりが起ころうとしている時代に 生まれるべくして生まれてきた人物であることは容易に知れるのだ。 ただ、いつも主人公麟太郎の頭にあったのは、赤誠という言葉と日本国ためにという三文字だったのだ。 はや4巻まで読んでしまった。 読みながら、ついついその時代に頭がすっぽりと入ってしまう。 ストーリーの展開が面白いといつもこうなってしまう。 この小説での主人公は、しゃきしゃきの江戸っ子麟太郎である。 その使う小気味よい江戸弁に親しんでしまい、つい日常の口調がそれを真似ている自分がいるのだ。 昔、東京へ修学旅行に言った後、東京弁にかぶれていた自分を思い出していた。 でも、なぜこんな気持のいい言葉をなくしてしまったのだろうか、もったいない話しである。 つい根強く残る大阪弁(関西弁)を思い出しながら。 |
「勝海舟」第三巻 第三巻の時代背景は、蛤御門の変後、ますます右往左往している頃の幕藩政治体制である。 舞台は、江戸、大阪、広島。 ストーリーは、生麦事件の後処理に不満を隠さない麟太郎の日常から始まる。 将軍家茂の許しを得て、大阪に海軍塾の建設を始める麟太郎だが、開国派と見られてしまう 彼にとって情勢は悪化の一途であった。 やがて、各藩を飛び出した連中を門人として育成する麟太郎は、御役御免の沙汰を受ける。 いまでいうリストラなのだ。 その後、一年半閑職の麟太郎、その間新しい二つの出会いがある。 それは、西郷との出会いであり、江戸町火消頭新門の辰五郎との出会いである。 こういった出会いは、裏表の無い、来る者を拒まない麟太郎の長年の人のネットワーク 作りから、もたらされたものである事に間違いない。 歴史はいつも、シナリオ通りに人を結び付けるものだとつくづく思う。 この結びつきは、次に起こる出来事の出会いであることは、歴史を後で経験する 人間が知りうる事であり、当事者にはわからないものなのだ。 それにしても勝という人物は、敗軍の後始末、一番辛い仕事ばかりをやらされているように思う。 まずは、「長州出兵拒絶の書付交渉」そして、 第三巻の圧巻は、やはり御軍艦奉行に復職した後、将軍家茂の後見役慶喜公の命(朝廷)を 受けて、幕府と長州との和解交渉に一人で向う麟太郎の姿とその交渉である。 腹蔵なく、日本国のためにと長州と広島の宮島で交渉を進める麟太郎は、 実にざっくばらんで一点の曇りもないのだ。 「幕府は兵を引く、長州はこれを追わない」という事で、交渉も無事に終わる。 その足ですぐに報告のため、船で大坂へと向かうのだが・・・。 この巻にも、麟太郎の身分に関係なく、ざっくばらんな暖かみのある人との付き合いが、 大きな歴史のうねりとは別に、親しみのある身近な麟太郎の人物像として、浮き上がってくるのだ。 それは、船上で助けた母娘であり、宮島の旅篭での小娘であり、宮島からの帰り船での船頭たちである。 とかく偉くなると高慢になるのだが、そういった態度は麟太郎には全くない、年相応以上に 気難しくはなっているようには見えるが・・・。 加えて、次のような話、小さい頃に睾丸を犬にかまれて以来、 犬から逃げるところや、一杯の酒ですぐ赤くなり飲めないところや、 下手な似顔絵をすぐ描くところが、麟太郎をさらに身近な人物へとさせているように思う。 これは筆者の意図するところなのだろうが。 |
「勝海舟」第二巻 第二巻の時代背景は、安政の大獄、桜田門外の変、前後の混沌とした頃である。 舞台は、長崎から江戸へそして太平洋上からサンフランシスコ、そしてまた江戸、京、大阪である。 ストーリーは、麟太郎が若者を引き連れて、長崎伝習所においてオランダ人から航海術を 学んでいる中、阿部筆頭老中の死の知らせが届いたところから始まる。 やがて、後の咸臨丸となる日本丸がオランダで建造され、長崎に曳航されてくる。 ここでも面倒見のいい麟太郎の姿が見えてくる。 高額を取りながら、講師として高慢不遜な態度のオランダ人に不満を抱く塾生。 麟太郎には、そんな塾生を、「今、おれ達が、こうした苦しいくじを引いて我慢をしてやらなくちゃあ、 おいらの子や子孫が可哀そうだ。世界に立ち遅れてこの日本国、この神国が亡びて終う」 という危機意識から説得するのである。 一日も早く、列強から学び、海軍を創設することに麟太郎の夢はあるのだが、攘夷だ開国だと 両論が激突する中、幕府自体の体制が急速に弱まりつつあり、なかなかその志達成は見えて こないのだ。 250年続いて来た、幕府の古い慣習がそれを許さないのである。 機会ある毎に進言する麟太郎の周りにはやがて、そのシンパができ、着々と実を結んでくる。 伝習所での5年間の研修を終え、江戸に帰った麟太郎に朗報がもたらせるのだ。 この巻でも、少し目がうるうると来るシーンがある。 それは、莫大な金を取られながら、古木で作られた咸臨丸で太平洋上の航海、往路37日、 ほとんどが時化の状況で無事にサンフランシスコに到着し、見事に礼砲を打ち鳴らした時である。 そして、アメリカの好意により、修理をしてもらった咸臨丸で、復路45日、無事に富士を 見るところである。 帰国後の麟太郎は、とんとん拍子で出世をしていくと同時に、開国論者?として常に命をねらわれる 立場となっていく。 一方で、土佐の坂本竜馬との出会いが、各藩からくる若い力との結びつきへと展開していくのだ。 ただ、麟太郎の夢は、海軍を作り、アジア諸国との連合にあるのだ。 とにかく海が好きで、海軍を作るという海防論なのである。 一巻同様、それぞれの舞台で、小気味のいい勝裁きやなんとも憎らしい勝配慮が出てくる。 伝習所で武士魂を高慢不遜なオランダ人に見せるため、剣術大会をしたり。 咸臨丸乗組員の人選と説得。出発前におたみに長崎のおんな、お久のことを頼んだり。 水主で病いの船頭富蔵乗り組みの骨折り。便乗組みのアメリカ水主の一人が飲み水を洗濯に使用した事件裁き。 礼砲のやり方をそれとなく便乗組の大尉に頼み。笑い絵の草紙事件裁き・・・・・。 この本にはまた、別の楽しみもあった。 それは、サンフランシスコに上陸したときの、咸臨丸乗組員のいろいろな体験である。 ピアノ、馬車、豚の子の丸焼き、靴、女天下。 そして、極めつけは、ホテルでしびんを枕にして寝たという話と、「それからその辺にかまどを築いて三度三度 日本の飯にしよう。油っこい四つ脚の肉なんぞよりあ、お茶漬けで沢庵でやるが余っ程いいや」なのだ。 特に最後のこの台詞なんてのは、最近まで海外旅行を経験した者がはく台詞と何ら変わりはないのである。 さあ次を読まなけりゃと書店を探すが、まだ出版されていない。 5店目でやっと見つけました。 3〜6巻まで買ってしまったのだ。 |
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