主人公は,俳人尾崎秀雄,雅号放哉,私はこの人物を知らない。 彼の作品のなかには,歴史上裏方で活躍した人物を主人公にした物と死とか死生観をテーマにしたものがある。 この作品は,職を失い,妻とも別れ,俳人のネットワークを頼って,流浪の旅から小豆島に移り,肺結核に倒れて最期を迎えるまでの主人公の8カ月間を描いている。 なぜこの人物を描いたのか,筆者自身も20才のころ肺結核を患い,病床で彼の俳句作品に出会って共感し,「死への傾斜に怯えつづけていた自分自身を見つめ直したかった」とあとがきにあるように,特に死への激しい恐れ,それによって生じる乱れた言動を描写したかったのだという。 読み手にとって実に重いテーマであり,描かれる主人公に少しでも明るい兆しがあれば違うのだろうが,ひたすら死を迎える人物の恐怖する心をするどく繊細に描きつづけてようとしているのである。 病状を自分で分析しながら,生きたいと思う一方,もう助からないと思い,東大を出て一流会社に就職しながら流浪し,酒を飲んで乱れる自分に情けなさを感じながら,生活費,医療費も稼げないため俳句のネットワークを頼って金を請い。 金がないため,寝たきりになっても,他人にできるだけ頼らず,庵主としてお遍路さんが落としていく賽銭で暮せる日を楽しみにしていた主人公。 便を催しても死の間近まで這って行き,金がかかるからと友人に結核の注射器を送ってもらい自ら直前まで打っている姿,家族にその姿を知らせることもなく看病を頼むことすらしない。 気の弱い私のような人間には,とてもマネができない。 少し気が休まるのは,話の展開の途中途中に体調の良し悪しにかかわらず,自然とかその時の心境を描いた俳句の作品と俳句仲間の訪問と金銭面の支援,やっと得た南郷庵という終の住み処で,西光寺住職と近所のおばあさんシゲとのやりとりにとても暖かいものが感じられることである。 また,家族に捨てられた彼にも,死後,便りのなかった妻が主人公の死に直面し激しくなく姿に少し救われるものがあったような気がする。 そして,主人公の生まれ育った地が鳥取であり,小説の舞台が小豆島,自分が少し住んだことがあるというだけで,なんとなく身近に感じられるから不思議でもある。 おわりに彼の最期の句と西光寺南郷庵のよこにある句碑に,「はるの山のうしろからけむりが出だした」「いれものがない両手でうける」がある。主人公の壮絶な死にざまをイメージしながら,私の心の中に,かならずこの寺・庵を訪問してみたいという気持ちが湧いてきた。 |
少し気になるチャプタ「わが世わが仕事,常ならむ」っていうのを自分にあてはめてみると,わが仕事,本当に職場を転々としてきたと思う。 それでいて自分の仕事は何だったのかというと,常ならぬゆえに何もないのだ。これはこの本とは関係ない話である。 一番印象的なのは,筆者がとにかくパワフルでバイタリティーの塊のような女性であるということだ。それでいて私より年上ということなのだ。 その源は,筆者のこんな考えからきているのではないだろうか。「明日の命も定かでないわれら人間は,明日のことを知らないからこそ生きていられるわけだ。誰もが同じ条件で今日を生きているのだから,誰も知らない明日のことなどくよくよしなくていいのだ,と浮き草のような悟りを開くことになる」 英語も満足にしゃべれないのに,よりによってなぜニューヨークまでいって,トイレ改装をするのか。スポンサー探しも自分でしないといけないのになぜ,日本の官公庁と一緒で手続きが面倒なのになぜ。 となぜなぜ,よりによってとこんな疑問がわいてくる。多分読み手は誰しも同じ気持ちになるだろう。 まずはトイレの歴史を分析しながら,日本では排泄物を便所に溜めて,肥料として土に還元したという,日常生活の知恵からトイレ文化が生まれたという。 このトイレ考の中には,筆者自身がいまだ結論を得ていない「トイレの壁と人間の関係」,便所へ行くことを厳しい修業のひとつと捉えた禅宗(如法威儀),茶会のもてなしに「雪隠拝見」なるものが組み込まれていたという話,便所には神様がいて厠神の信仰が広く伝えられている話などはとても面白く読ませてもらった。 「排泄物を忌み嫌うのではなく臭い便所と同居し,むしろ積極的に付き合おう」と筆者はいうが,残念ながら日本でも水洗便所・下水道が普及するにつれ,異常に清潔好き人間が多くなり,「臭い物に蓋」式考えが横行し始めていることが気になる。 とはいえ,ニューヨークトイレ再建計画なるものの実行計画には,気の長くなるような継続した調査と説得,そしていざ実行という段階でもいくつもの困難を乗り越えて,筆者がイメージしていた完成時の感動とセレモニーを美事達成しているのである。 そして筆者が何よりも喜ばしたのは,一緒に制作した仲間からの「先日,水族館に行ってきましたら,壁画トイレはもう大変な騒ぎでした。アメリカ人がトイレでキャアキャア楽しんでいて・・・私もうれしかったわ」の言葉であろう。たぶん筆者は,こんな情景をすでに想像しながら取り組んでいたに違いない。 この実行計画を読めばだれでも勇気づけられることは間違いなしである。 やはりこれは,やればなんとかなるという筆者の楽観主義がからくるのだろう。 |
「バイアグラ」が影のヒット商品として売れているのがよくわかる。エレクトしなくなったら,男性としての価値はなくなるのではと強迫観念に怯える男の弱さがある。 男優位の社会で地位,金,権力,所有,名声と欲望のままに得ていた男たちは,それらを女性たちに奪われつつある。 奪われた男たち,はみだされた男たちは,脱力感のあまり生きる場をなくしたように見える。 そんな男たちに「男の性」の基礎知識をあたえてくれ,いい男とはなんぞやとささやかなアドバイスをしてくれる。 悩み多き下半身,もっとも50年以上生きた私にとっては,多き悩みの80%ぐらいはすでに経験済のことなのだが。 断種,前立腺ガン,男性美,老いるの各チャプタは,じっくり読ませてもらった。 特に,自信を喪失しつつある男性の状態を受けて,「男性美」の中にある興味深いフレーズがある。社会的地位,権力,金を獲得しつつある女性たちに対して,「社会的経済的な威信を追い求めることに埋没している今日の男性たちとまったくおなじ罠にね」 という,男性の過去の誤りを,また女性も「罠」にはまりつつあるいう警告である。 それにしても,みんな言わないけどいろいろ悩みを持っているんだな・・・と思うことしきりである。 未経験で初めて知るワード等がある,ペニスが折れること(陰茎折症というらしい),血圧降下剤・睡眠剤・精神安定剤が勃起力を弱める,ペニスの義足,ペニスが消えてなくなってしまうパニック−コロ・シンドローム,男の愛液,ペニスは使用しなければ弾力性がなくなるということ,曲がったペニス。 もっとも日本人は外国人のように性に関して言えば後進国なので,決してオープンにとはいかないから,みんなどんな悩みを持っているかわかりませんということである。 たぶんこの本は,影のベストセラーになること間違いなしと思うのだがどうだろう。 |
自分の中に,もう少しいい絵を描きたいという気持ちがあったのだ。 しかし,その時はもっと興味のあること,インターネットでホームページを開設することであった。 ホームページを開設してから3年以上過ぎ,そのネタの中には,キャラクタ・動画・少年時代の遊びの絵,いずれもアニメーションという世界である。ふと自分の好きなことはとよく考えてみると,やはり絵なのだ。 ところが,色づけには全く自信がない。赤緑色弱というのがハンディキャプだとず〜っと思っていた。 でもやっぱり描きたい。そんな時,よく通う書店でこの本に再会したのである。 何か筆者を他人のような感じがしない。読み始めると,次は次はとワクワクしてくる。ひさしぶりに感性がぴくぴく動いているのを感じた。 筆者のスケッチが盛りだくさんなのもとてもうれしい。多くのフレーズに勇気づけられ,早速スケッチ道具を買いに文房具店に出向いた。 早く描きたい,ワクワクだ。 刺激フレーズが多くある。いつものごとくそれは気になるフレーズに譲りたいが,特に刺激的だったのは,デッサン力や遠近法や構図や下描きなど意識しないで「どんどんいたずら描きの精神ですすめ」ということ。 筆者自身,絵というものを正式なものとして学んでいないが,「ひたすら実物を描きなさい」と言うことであり,その実物のスケッチに迫力を感じながら加えて感心しながらうずうずとしている自分がいるのだ。 刺激的だったワードをとりあげてみよう。 「透明人間」「線」「実物」「直感」「絵ごころ」「ほんとの自由」「透明水彩」「ペン」「光と影」。 その言葉に「うれしいなうれしいな」という少年のような気持ちで感じている自分がいるのだ。 思わず本に頭をさげてしまった。 「私のアニメのひとりだけファン」である,猫(SORA)の絵を描き続けているメールフレンドのことを思い出している。 |
この本を読んでまずわかったことは,知らない情報が沢山あるということだ。知らないのが悪いのか,知ろうとしないから情報が入らないのか。 マスメディアの中に事実を事実として情報提供しないで,思考的に偏向した情報に変えて視聴・読者に提供されているのではと思わざるを得ない。 アメリカとの国家間のやりとりの中には,表で言っている部分とは別にその意図していることがかならず別にあるということなのだ。 それはアメリカという国が,常に国家戦略に基づいて動いているということにほかならない。 そういう面からいうと日本という国は,行き当たりバッタリで,言うべきことも言わない・言えないでということなのだろう。 筆者に言わせればいつまでたっても自立しない国家とはいえない国ということなのだろう。 この中には,中国・アメリカからの日本を子供扱いした刺激的なメッセージが多く含まれている。 強烈なナショナリズムを持てということではなく,国家なくして国民はない,その国家に対して公然と侮辱されているなら,毅然とした態度を取るのは当たり前のことなのだ。 平和ボケし,すべてアメリカが守ってくれるという幻想を捨て,自分たちの国は自分たちで守れということなのだ。 自身の持てない日本人への叱咤の見出しをあげてみよう「日本再生を可能にする複眼的戦略」「知恵をつむぎだす『精神』の崩壊を立て直せ」「日本文化の完全崩壊を阻止せよ」「日本はじつは自然資源大国だという逆転発想」。 そして第一章から第四章までは現場における日本のふがいなさにかつをいれることにほとんどページがさかれている。 特に面白いと思ったのは,そんな日本でもまだ力はある,だからいまこそ「世界へ向けて発信しよう」という第五章には,日本が優位に立っている先端技術の話が出てくる。 日本型IT,GPSを利用したカーナビシステム,ヒトゲノム,IT自動車,無段変速ギアなしエンジン,そしてさらに筆者が期待するのは,部品だけを提供するのではなく航空機産業への参入である。 いずれも世界の先端を行き他をよせつけない,これは日本の繊細で精緻な技術力によるものである。 だから「とにかく性根というものに自信が据わらない限り日本と日本人の輝かしい未来への土台はできはしないと思う」自信を持てるだけのものは十分ある,だから自信を持てという励ましのメッセージなのだ。 一方で,外交問題に対する過去の問題に対して,かなり物議を醸し出しそうな対応,さらにタブー視されている自主防衛論議・改憲論・核論議・・・。 さらに,筆者が一番感じている日本国に不足していること,それは政治にリーダーが不足しているということなのだろうが,それは,東京都知事としての筆者が,日本の政治の起爆剤になりつつある。 |
主に平成10年から12年に「オール読物」等に発表された随筆である。 いつもながら,随筆は肩が凝らず,どこから読んでも飛ばしても全く支障がないからいい。 あとがきに「エッセイは,小説を書く私の素顔である。読んだ方から,あのエッセイは創作ではないか,と時に言われることがある。・・・そんな操作は少しもしていません,すべて事実です,と私は答える」と書かれているように,今流に言えば,筆者の自分史というところだろうか。 筆者の随筆を読むうちに,いつも出てくるのは,取材のために旅に出てその地域の図書館に寄る。 そして宿泊先に行く前の夕食に,かならず小料理店に立ち寄る,それも中年族がゆったりと飲んでいる店を選んでいるのでる。 ほんとに史実と旅と酒肴が好きなのだなあと思う,小説家としてではなくごく普通の一見客として立ち寄るその姿に微笑ましさを感じる。 興味を持った随筆を取り上げてみると,まず「二村定一と丸山定夫」の中に丸山の死について書かれている部分が気になったのである。 「かれは桜隊という移動演劇隊に加わって地方巡業中,広島に投下された原子爆弾で死亡したのである」というフレーズを読んで筆者を身近に感じることができた。 というのは,広島市内の慰霊碑や橋や柳を散策したとき,その移動演劇隊の慰霊碑を見ていたからである。 そして,男としてせつなさを覚えたのが,「隠居というもの」の中に筆者の家内と友人が茶を飲みながらの会話がある。 「目ざわりなのよ。一日中家にいて居間に座ったりしている人ですから」「なにかしているのならまだいいわ。なんにもしないで私の前を歩いていたりするのよ」「面倒よぉ。毎食,食べさせなくちゃならないんだから」 いかがだろう,50代でまだ現役の男なら,怒り心頭かもしれない。しかしよく考えて欲しい,定年退職後の自分の姿かもわからないのだ。 そうならないために早めに仕事以外の自分のしたいことを見つけるいがいにないのではなかろうか。 第二の人生で大切なのは趣味ということになるが,そこのところを言ってるところがある。 それは,「『私の好きな・・・』もの(寄席,芝居見物,ボクシング,大相撲,マラソン)は,かくの如く或る時に突然,急速に自分からはなれてゆき,再びもどってくることはない。・・・あえて『私の好きな・・・』ものとはなにかと考えてみると旅かも知れぬ,と思う。」 これは実に面白い,世の中の面白いものにも「旬」というものがあるような気がする。筆者はマラソンまでいっている,高橋選手が金メダルをとったからそろそろ「旬」を過ぎたかもしれない。次はサッカーかな? 好きなものは世の中の波に合わせて変わってもいいのだと思う,でも「あえて『好きなもの・・・』に旅」とあげているようにこれが大切なのである。あえてもくそもない何もないと言う方は,上記の家内の友人が申すところの主人公になるかもしれない。 もう一点にしぼって言うと「『日本医家伝』と岩本さん」である。 「医家の一人ずつの伝記を書き,ようやく連載を終えることができた。私には,苦しみにみちた連載だったが,その後,それは思わぬ開花をみた。・・・医家を主人公(冬の鷹,白い航跡,北天の星,ふぉん・しいほるとの娘)に,さらに調査をかさね,長編小説を発表するようになったのである」 ここでは人の出会いの大切さを感じたのである。求めて得られるものではない。 芥川龍之介が侏儒の言葉の中で書いていた,人間は「遺伝,運命,環境」による。という言葉を思い出した。 これを自分に照らしながら,人は自分の一生を思い出したとき,かならず一人か二人の「大切な出会い」があるものだと・・・。 |
でも,最近は頭をとんと使わなくなった。受け身で仕事をしているほうが楽で,いわゆるなすがままなのだ。だからこの手の本はご無沙汰であった。 仕事は本質的に面白くない。面白くないなら,楽にできてさらに楽しくできればといつも思っていた。 いわゆる楽々であればいいと,でもなかなかそんな考えで仕事をしている人はいない。 楽にやっていると怠けていると思われる。 何で買ったのか,インターネットという情報技術が,何か大きな変化をもたらそうとしている。そんな中,仕事の発想の方法にも変化があるのではと買ってみたのだ。 ヴィジュアルという言葉も深く理解できてないまま,とにかく読んで見たのたが・・・。 読み初めから,刺激的な言葉が出てくる「私はテレビを見ない」「この本を作るのには一週間で十分だ」「インターネットをしない」「情報は整理してはダメ」「クチコミで情報を作る」で,「ヴィジュアル時代の発想法」とやらができるのだろうかと,読み手はなんとなく不安になる。 読み進めていくうちに刺激的な言葉がなぜ使われていたのかがわかってくると,なるほどとかならず頷けるだろう。 ただ,すべてのチャプタが頷けるかというと,私の場合,「偶然の一致」というチャプタは,入り口の部分は面白いのだが,だんだんといろいろな学者の理論が出てくるともうわからない。ただ筆者は,かなりユングに傾倒していることだけはわかる。 また,チャプタ6「映画の発想と情報の未来」も映像の世界であり,読んでいても全くわからないので飛ばした。 特に,情報整理の話とイメージからのアイデア発想法は面白かった。 さて,この情報整理の仕方は,古いところでは立花隆著「知のソフトウェア」,野口悠紀雄著「超整理法」いずれもベストセラーになり,いかにみんな情報整理に苦労しているかがよくわかったものだ。しかし,最近のベストセラーでは「捨てる技術」なるものが出て,時代は変わったのかと思っていたら,立花隆氏が猛烈に反論していたようなのである。 今度は「情報は整理しない」ときたもんだ。あなたはどうするかと読み手にボールが投げられたようなもので,実に面白くなってきた。ようはどれでもいいのだ。自分のやり方でそれなりに工夫できるのなら。 イメージからのアイデア発想法は新鮮で面白かった。 話の展開で,自分のイメージを掴む,興味をカミングアウトする,キーワードを持つ,心の中のイメージ,・・・・イメージのスケッチ,イメージの出会い,イメージを言葉にする,アイデアを話す,アイデアの吟味と続く。 アイデア捻出に苦しんでいる人は一度試してみてはいかが,ただこれは即効薬ではなく,「能力は使わなければ役に立たないものです。常日頃からそれをよく使っていれば,そうしたアタマの使い方にも慣れ,経験値も上がり,ますます発想しやすくなることも事実です」ということなのだ。いかがだろう。 |
95年の阪神淡路・神戸大震災では,5千人以上の死者を出した。今年の鳥取西部地震はいまだに余震があるが,家屋等の倒壊はあったものの人身被害はほとんどなく済んだのである。 それに比較し,関東大震災被害の凄まじさには,ただただ驚くばかりである。 死者20万人余,そして,東京市内の43.5%,約1049万坪が焼き払われたのである。 この書は,大正4年の大地震の予兆から始まるが, 小説というより史実と生き残った人たちの生々しい証言を,できるかぎり収録しようとしたものである。 痛ましい被災者の状況を知ることもできるが,本来死ぬ必要がなかった人たちの痛ましい死(朝鮮人・社会主義者)も多くあったということを知る。 特に流言を信じてしまい,片っ端から朝鮮人2631名も殺害した行為は,同じ日本人としてはずべきことであり,決して忘れてはならないことである。 大災害時の統率のむつかしさを感じるが,日頃からの危機管理が国・県・市町村・個人のそれぞれのレベルで大切であることもわかる。 被災者の不安をいかに早く解消するかも大切であり,そのためには起きている事実を正しく迅速に伝達する報道機関の果たす役割が大きいこともわかる。 一方,地震予知という学問がいつのタイミングで一般大衆に情報を流すかもキーになるのだ。 窮地に立たされた人間たちの行動に公徳心はなく,いつの世も混乱に乗じて盗みや略奪,暴行・殺人もするという無謀な自警団となって現れてくるということ。 印象的なことは,治安が報道機関の誤報により維持ができなくなり,それを理由に新聞の検閲が行われ始めたことと,軍人による社会主義者等の殺人裁判に軽い刑の判決が下ったことである。 この震災から軍部独走の予兆が始まったのではないかと思える。 特に印象深かったのは,いずれだれしもが死を迎えるとはいえ,その命のはかなさを感じる「各収容所からは死体を焼く煙が死臭とともに立ちのぼった。黒煙は上空をおおい,日没後も炎が夜空を赤々と染めていた」というところだ。 その遺体の数,なんと4万8千131体,多くの名も知れず・名も言えず死んだ人々のご冥福をお祈りしたい。 |
歴史小説の舞台は,鎖国令の続く江戸幕府の封建体制の中,学問を修める人間たちにとって,唯一,海外情報が得られていた長崎である。 港に入ってくるオランダ船,その船でやってくる商館員たちは,妻とも恋人とも一緒に住むこともできず商館のある出島からも一歩も出られない。 そのため,日本行き・唐人行き・オランダ行きに分けられた遊女がその慰めとしてあてがわれていたのだ。 上巻は家の破産で遊女になったお滝(其扇)とシーボルトの出会いから, 主人公のシーボルトとお滝の娘・お稲が,学問を修めたいと母のもとを離れ,シーボルト事件で長崎を追われて,四国宇和島に住むシーボルトのかつての弟子,医家二宮敬作を訪ねるところまでである。 吉村昭の歴史小説の面白さは,歴史の裏側で活躍した主人公を,一番活躍した時代からではなく,活躍の芽が出そうな種のころから始まることである。 最初はなぜこんなところから始まるのだろうと思いながら,読み進めるにしたがいなるほどと思い,そしてどうなるのだろうかもっと先を早く読みたいとこうなるのだ。 筆者の長編作品は,いつもこうなってあっというまに読んでしまう。 人間・人間の一生とはと考えたとき,いつも芥川龍之介の言葉を思い出す。日本で初めての女医お稲という主人公は,女として学問も医者もだめな時代に「運命」「遺伝」「環境」から医者になるべくしてなったのだと。 それはシーボルトとお滝の子供として生まれ,お滝が5才からお稲を寺子屋に行かせたこと,オンランダ語の先生として近所に通詞松村直之助がいたこと,混血でも生きられる時代になっていたこと,お滝再婚後は時次郎の子として14才まで暖かく育てられたこと。 筆者のこの時代の作品として面白いのは,旅立ちから目的地までの行程を描いたところである。上巻ではシーボルトが出島を出て江戸へ着くまで,そしてお稲が長崎から宇和島の二宮宅に着くまでである。 特に宿場の風景や人の出会いの描写は読んでいてあたかも自分もそこにいるような気持ちになれるから不思議である。 そして,読んでいて痛ましかったのはシーボルトの国禁事件である。自分の成果を執拗に求め,その犠牲となった人たちに冷徹なシーボルト,学問上最新情報を得たい学者たちの報われない悲しい終末がそこにはある。 |
敬作に師事しながら,オランダ語を学びそれから先については考えがおよんでいなかったお稲は,敬作から産科医という将来の方向性を示され,難産で苦しむ女たちを救うという志を立てる。 いつも思うのだが,吉村作品は,最後まで息をつかせぬストーリーの展開,時代の大きなうねりの中での社会情勢の細かい描写は,読み手を一気にその時代に引き込んでいき,次はどうなるのかとわくわくさせてくれるのだ。 それにしても,たたかれてもたたかれても立ち上がる主人公のバイタリティーとこの時代に通常もち得ない自立心には驚嘆せざるを得ない。 それは,父から譲り受けた向学心と母お滝から譲り受けた強烈な自立心に違いない。 それにしても,めまぐるしい,父との別れ,義父と母からの旅立ち,二宮敬作に師事,弟の死,石井宗謙に師事,宗謙に犯され娘タダを出産,オランダ語の師村田蔵六との出会い,シーボルトとの再会,シーボルトと召し使い「しお」の関係が許せぬお稲,娘タダの許婚の投獄,伊達宗城との出会い,シーボルトの死・・・とまだまだ続くが。 26のチャプタの中でお稲の生き方を支えた出会いは,師二宮敬作との出会いであろう。 人生の方向転換をせざるを得なかった出会いは,石井宗謙であり,一人の医者として円熟期を迎えることができたのは石井宗謙が妾に生ませた息子石井信義との出会いということになる。 最悪の出会いは,父シーボルトとの再会であったのだ。60才を過ぎても権威欲と名声欲に性欲の塊である父に愕然とするお稲がそこには描かれている。 運命というか因縁というもの感じてしまうところがある。それは手籠めにされて生んだ娘高子(タダ)は,医学の発展にこれから貢献しようとしていた三瀬周三をコレラで失い,子もなかった高子は,再起を図るために石井信義の命を受けて迎えにきた男に,皮肉にも江戸に向かう船の中で犯されてしまうのだ。 お稲とタダとその子の生活において,支えになったのは,宇和島藩主である伊達宗城,そして二宮敬作の甥三瀬周三,異母弟石井信義,異母弟アレキサンデル・シーボルトである。 不思議を感じるのは異母弟たちとの縁である。 交通の便の極めて悪い時代に,女の身でありながら仕事の地,宇和島・岡山・長崎・東京と転々としながらも,それぞれの環境で生き抜いた70才までの生涯にその力強さを感じないものはだれもいないだろう。 吉村昭作品の歴史小説ではいつも,主人公が生れる親の世代から始まり,主人公が死ぬまでが描かれ,おわりに主人公の子たちがどうなったかも終りに書かれているのだが,今回の作品にはない。 ただ,伊篤(お稲)の臨終に医者の卵として立ち会った孫の周三は,東京慈恵医院医学校で学んでいたからたぶん医者になったのだろう。この医学校は脚気の原因をつきとめ海軍を救った男・高木兼寛が作ったばかりの医学校なのだ。 出世と栄誉にはあまり恵まれなかったこの高木を主人公に描いた「白い航路」(上)(下)をいま思い出している。ひょっとしてその中に周三が登場しているかもしれない。 |