彼の歴史小説の主人公は,江戸時代の後半・末期,そして明治初期が多い。 今回の作品は,題名から明らかな通り,江戸時代の末期である。やはり激動の時代には傑出した人物が多く輩出しているが,一般的に歴史の表舞台の人物しか私たちは知らない。 彼の作品には,今の時代からすると偉大なことをなしとげたにもかかわらず評価されずにいた人がいつものように登場している。 「落日の宴」の主人公勘定奉行川路聖謨がロシアの外交使節プチャーチンとの外交交渉ぶりを描いた時代と全く同じである。 やはり激動時代の人物は,本当に打たれ強いし,社会も一度失敗した人材であっても優秀であればかならずやチャンスが巡ってくるということだ。さらに,驚くことは30代の初めまで名家の通詞として順調に階段を昇りながら,思わぬ罪に問われて4年という歳月を牢屋で過ごした。 その後,請われて1年8カ月で日本で初めての本格的な英和辞書の編纂をするのであるが,登用した人物も大したものだが,牢屋生活の苦しい過去を振り返らず,ひたすら辞書の作成に向けての集中力にはすさまじいものがある。 彼の作品には途中途中,主人公の内面の気持ちを表現したフレーズがあるが,たぶんこんな感じだったのだろう,いやこのとおりだったのだろうと読み終わった後にはそんな気持ちにされてしまう。オランダ語の読み書きと会話,英語の読み書きには他者寄せつけない素晴らしい才能を発揮しながら,アメリカからのペリー来航で時代は,英会話力に移ったために,後輩に出世を先に越され,さらに自ら編纂した辞書を勝手に増補されてしまうなど,報われないシーンが出てくる。 人生の前半は長崎,後半は江戸でのペリー来航での通詞役から4年の牢屋生活,そして江戸での辞書編纂,函館で10年ぶりの通訳で会話ができず不遇の扱いの後,素晴らしい出会いで二度目の結婚,安定したかに見えたが,突然の妻の死と後輩の出世からやる気を失い,辞職,そして長崎の息子夫婦のもとへ。 この時代でいつも思うことだが,養子縁組みを日常的にしていることだ。人間を育成するには,他人のめしを食べて他人の教育を受けることが一番だと思える。ただ,今の時代のように少なく生んで大切に育てる時代でなく,生まれるものを拒まない時代だからできたのかもしれない。 小説のスタートから主人公が没するまでのタイムテーブル,スタートをどこにおくのかが一番難しいと思われる。佳境に入るまでの助走となるが,いつもながら感心してしまう。佳境に入ってしまうと読みきってしまわないと感動が薄くなってしまうと思ってしまうからだ。 |
歴史小説の場合,どうしても長編になる,長編になるととにかくその時代にワープしている間に一気に読みたくなり,他のことが手につかなくなる。 だから,最近はできるだけ上下巻で済むようなものをと,もっぱら吉村昭作品を読んでいた。 司馬作品は,ストーリー途中で得意の時代考証が始まる。この辺に興味がある人はたまらない魅力がある。 しかしながら,小説の虚構やストーリーの展開に興味がある人は,地団駄を踏みたくなるところがあるかもしれない。 今回は,ある先輩に勧められて読み始めた。まずいと思いながらものめり込んでいく自分がある。 第一巻は,貧家で生れた主人公高田屋嘉兵衛が,自分の生れた以外の村で成人し,若衆宿から盗っ人扱いと村の女に手をつけたという濡れ衣から村八分に合う。その女に恋し,駆け落ちを約し,淡路島から村抜けして兵庫へ。 彼が成長する過程で,船乗りとしての天賦の才とずっと持ち続ける好奇心も素晴らしいが,その才能をさらに伸ばしていく人物が次から次へと出てくる。 この一巻では,漁師の弥右衛門,瓦船船頭の佐平,廻船問屋堺屋喜兵衛,船大工の伝兵衛,宝喜丸船頭重右衛門。 この人物は,好奇心を持ったことは徹底的に追求しながら,師と仰ぐ人からいいものをどんどん吸収していく。 教える側も知らぬ間に彼の魅力に引かれ,さらにその成長を願う。島抜けまでは周囲から嫌われていた人物とは思えない。人の声に耳を傾け現場主義に徹し,金に欲目はなくその性格は純朴であるからかだろうか。 |
この巻も,第一巻と同じように,主人公の将来を決め,松前への夢が着実に実現されていく過程でのいろいろな人との出会いがある。 さらに航海を通して船乗りとしての貴重な体験,兄弟や取り巻きを船頭として育てていく主人公,入港した地の産物情報の入手,廻船問屋高田屋開店に向けてストーリーが展開していく。 兵庫一の廻船問屋北風荘右衛門との出会い,水主あがりの松右衛門との出会い,北前船を作るための資金作りとして鰹節輸送計画の思案,檜の大丸太を筏にして新宮から江戸への運搬,荘右衛門の斡旋による初めての持船薬師丸,那珂湊の廻船問屋の若当主浜屋清右衛門との出会い, 荒れた天候での舵取りの貴重な体験,最後のチャプタでは主人公が島抜け後,初めて故郷都志の浦へ。 特に荒れた天候での舵取り体験は,かなり気がもめ,どうなることかと・・・・。この体験のチャプタは,荘右衛門から「秋田に行って材木を積んで戻ってくれ」と頼まれたところから始まり,その往路で日和見の判断違いから漂流状態になったがやっとの思いで隠岐の島へ,次に若狭湾・敦賀湾・酒田湊そして最終目的地秋田の土崎湊へ,秋田での船大工の棟梁与茂平との出会いと自前の船の注文へと展開していく。 このチャプタが特にいいのは,上陸する前の湊湊の風景の描写やいままで積み重ねてきた千石船を作るための情報を船大工棟梁与茂平とやりとりをしながら設計図を作っていくところの描写に,筆者の綿密な情報収集があることが容易に推測でき感心してしまう。 |
世の多くの日本人男性は,ハゲで悩み,8割の人に有効というはげに効く薬◯アップが,爆発的に売れたのは昨年のことである。密かなブームは今も続いている。 「これでやっと思う存分ハゲについて語ることができます。いま私は喜びにうち震えています。ハゲに目標を定めて6年,この6年間,ハゲという字を目にするたびに武者震いしてきましたが・・・」 これは本の書き初めのフレーズである。このフレーズを冗談でいっているのか,笑いを誘うために言っているのかは,読むに従いだれもが理解できるだろう。 読んだ人がまず感ずることは,世の若き女性がハゲに厳しいことと,ハゲの二文字が1ページに最低10個以上,ページ数の337で単純に計算すると3千個以上にのぼることだろう。 さらに,ハゲは遠くはアリストテレスの時代から,ハゲの原因説は数あれどいまだ解明されていないことに気付く。 さらに,「ハゲはスケベ」というちまたに流布されているフレーズも根拠のないことに気付くだろう。 さらに,さらに,このエッセイを書くのに過去の多くの毛やハゲに関して書かれた本を参考文献にしていることに,筆者のなみなみならぬ努力を知るだろう。 ただ,気になるのは,これで筆者が考察する「禿頭考」の求めるべき難題−ハゲはすけべ−の答えはそれなりには見いだされているが,それに満足されているのだろうか。それを考えると気になってハゲテきそうだ。 いやすでに私は禿げているから「つるっぱげ」になりそうだ。アーメン。 といいながら,各チャプタの見出しの美事な表現に感心し,結婚も終えて老いのハゲでもう第三者的な私は,最初から最後まで興味津々,クスックスッと笑い,ただ回りに気づかれないように読み続けたのだ。 詳細は気になるフレーズに任せるとして,多くの面白い,いや深刻なフレーズがあるが,えウッソーというような話を少し抜粋してみよう。 「ルイ13世は,若ハゲで23才から全頭のカツラをかぶり,ゴマスリ貴族が真似をしてやがて全ヨーロッパに広がった」「バッハさんのあの肖像画はカツラをかぶってるんだ」 「戦前の教育のことですから,道鏡はきっと称徳天皇をたらし込んだすけべ坊主,エロハゲとして,子どもたちに教育され続けたに違いありません」 「愛はハゲに勝つのですね」 不思議なことですが,この本を読み終えてふと他人から「ハゲ」という言葉を聞くとなぜか心地よく聞こえてくるから不思議です。 |
これは,彼が将来目指すところ夢のスタートに過ぎないことが,読み進めるとわかる。 廻船問屋堺屋が,嘉兵衛に屋号「高田屋」の旗揚げと自分の息子たちの将来を預けるところから始まる。 早速,嘉兵衛は,全員を集め,それぞれの得意とするところへ配置を決定する。いよいよ高田屋のスタートである。 その初仕事は,持ち船を従えて,羽州土崎に完成間近の「辰悦丸」を引き取りに,そして船大工与茂平との再会。 小さい頃からの夢,松前に着き,その浜でしみじみ感慨に耽る。千石船「辰悦丸」での寄港は,いやがうえでも「嘉兵衛」の名を世間に知らせる事になるのだ。 やがて,次のステップに踏み出す出会い,それは意外にも公儀の人たち「高橋三平」「最上徳内」「三橋藤右衛門」であった。 武士として偉ぶらない,対等に話ができる彼らに引かれ,彼らは船頭としての嘉兵衛に信頼をおき,やがて彼は,松前藩の領地・東蝦夷アッケシへの官米輸送を引き受ける。 公儀の彼らとの出会いは,嘉兵衛にとって自分が考えていた将来構想が見えてくる事になる。「箱館に根をおろす,支店をもち,造船場をつくり,箱館仕立の船で長崎,兵庫,大阪・・・」 2月まだ荒れる日本海を経由・酒田湊で米を積み,再度の箱館へ無事到着高橋三平の出迎えを受けるところで,この編は終る。 「官米を輸送する,なぜ,あまり儲けにならない仕事を引き受けるのか」という弟・金兵衛の問いに嘉兵衛は自分の生き方を率直に話す。 「わしは金を儲けようと思ったことがない。と嘉兵衛はいった。船頭になったのは未知の世界のなかに自分をころがしてみたかったからだ・・・」そんな彼の話ぶりは,高田屋全員が彼を慕い,信頼するゆえんだろう。このあたりが,ますます高田屋の名を高めていく要因だったのだろう。 |
だから,本屋で散策する目はすぐ違う本へ移っていたことを覚えている。 であしのフレーズから,そうでないことがわかる。ただ,老いとは死と隣り合わせであることと思いながら,「死は諦念をもって受け入れても,老いが現実のものとなったときはるかに多くの人が,きのうきょうのことと思わなかったと狼狽して迎えるのではあるまいか」 と筆者がいうように,それでは自分の老いていく姿を観察してみようかという,第三者的なエッセイのようである。 筆者はブラックユーモアが極めて好きなようで,まだ全く読んだことはないが,筆者の作品には,「人間臨終図鑑」「半身棺桶」「死言状」と死をテーマにしたものが多いようだ。この手のことを得手としない人・死を遠ざけていたい人にとっては,読み始めから本を投げ出してしまうかもしれない。 痴呆,排泄,老い,病,死に方,葬式だと終末期に向けて経験する言葉のオンパレードは,もちろんきれい好きで若作りのおじさんおばさんも敬遠すること間違いなしなのだ。さらに筆者は老いや死を考えるとき,地球死滅・人類滅亡をあわせて考えるらしい。 これは,ひとりで死ぬのがいやという以外のなにものでもないような気がする。 これは私でも全く同じである。あの有名なノストラダムスの大予言を夢中でずっと読んできて結局何も起こらず,安心しているのか,さらなる大予言を探索している自分がいた,その背景には死ぬなら今生きている人間一緒にというのがあるらしいと気付いている。 といっても,平成6年から8年に朝日新聞に発表されたエッセイだから,知らぬ間に読まれた人は多いのかもしれない。 四部構成で「あと千回の晩飯」以外のチャプタには,同じようなフレーズが出てくるので余り新鮮味はない。 筆者の随筆には,ブラックユーモア的要素が多分にあり,また無神論で無宗教であちらの世界はないという考えが基本にある。 一方で「死は無だ,そう信じないわけにはゆかない。ところがふしぎなことに,そう断定しても心事晴朗でない何かが残るのである。そう断定した口の下からヒョイとまた来世があるようなせりふがもれるし,またどこか来世を思考の中にいれているのを感じる」といったフレーズや散骨ではなく墓が必要とか,ところどころに「愛」という言葉が出てくる。 頭に浮かんでくることを素直に表現しすぎてよくわからない。まあどちらでもいいか。 |
この随筆には,7つの言葉をキーワードに書かれているが,特に最後の「はなし」にはいいはなしがふんだんにある。 ご本人がいうように,「しゃべくり芸」この道40年,探求心とたゆまない商売としてのしゃべくりの積み重ねがあるから,つい引き込まれてしまうのだ。 この「はなし」の話をする前に,この本を読んでなつかしく思うことが2つある。 昭和ひとけたのよき時代,時間がゆっくりと動いていた時代である。 ひとつは,「げい」の中に出てくる「見せ物・縁日・大道芸」の話なのだが,もう日本にはない。アジアを訪問して少年のような気持ちでいろいろな見せ物を見てまわる姿。 筆者のこんなフレーズが印象的である。「僕らは文化の面でも思い上がりをもっちゃいけない。たかだかここんとこちょっと金回りがいいぐらいのことで偉そうな面して,よそさまを開発途上国なんていってみたりするけど,よほどてめえの方が文化的に開発途上で」文化,日本人がかつて大事にし,いまではアメリカナイズの合理主義で完全に過去に置き去ったものなのだ。 もう一つは,筆者と私は20年も年の差がある。しかしここに描かれている少年時代の遊びはほとんど同じだということだ。 それは「少年クラブ」というHPを毎週更新しているが,その内容のほとんどが変わらないことでもわかるのである。 鎮守の森の遊び場,駄菓子屋の思い出,ビー玉,ベーゴマ,メンコ,ラムネ,おはじき,石けり・・・,懐かしい,おんわかとした心持ち,なんだろ。日本人はいつからこんなに忙しくなったのだろうか。 特に違っているのは遊ぶための貨幣価値,筆者の時代は1銭,20年後の私たちの時代は10円だったということである。 本題の「はなし」についてである。へへーと感心し,面白い,ためしてみようと思うところが多い。 そのキーワード「人間というものは,みんな面白い」「地肌を見せる」「言葉にもメロディーがある」「人を笑わせること」「一番簡単な笑いは失敗談」 いかがだろう,何かピントくるところはないだろうか。もっとくわしく知りたい人は一読をおすすめする。 余談だが,いま50代を過ぎ,過去を懐かしむ自分がある。この本の「あとがき」にこんなフレーズが・・・。 「敗戦から今日までの年月は学校を出て,俳優を志して・・・いっぱい仕事を頂けて・・・あっというまでした。しかし,それ以前の15年は,生れて物心がついて,学校へ行ったり遊んだりしていただけですが,これはとても長かったように思います」不思議なのだが,少年時代の遊びや風俗はいくらでも思い出せるし,おんわかと時間が止まっているようなのだ。 |
順風満帆,やることなすことすべて順調なのである。 主人公嘉兵衛がいままで身につけてきた,船頭としての航海技術,各地で得た商品知識,商人としての商品を見る目,人とのコミュニケーション技術が遺憾なく発揮されている。 といっても,凡人と違うのは,人のやらないことをやっている。特に過去の船頭では考えられない冬に航海することで,船の有効活用を図っていることが目を引く。 この編には,主人公が大きな決断をするシーンがある。それは船頭・商人として生きてきた嘉兵衛が,北風荘右衛門や松右衛門にたえず言われていた「公儀に深入りするな」という言葉,さらに自分を拾ってくれた堺屋喜兵衛が鳥取藩の仕事を請負ったがために衰退していく姿。 にもかかわらず,その世界に入ってしまう。その決断の裏には何があったのだろうか。 私は,彼には現代人にはほとんどない開拓精神があったということと,虐げられていた人間として自然を相手に生きる純粋な心を持つ蝦夷人を救いたいという強い願望があったのではないだろうか。 もちろん,彼は彼を決断に導いた人の出会いも大きい。 公儀の人間として働く,運命的な下級武士高橋三平との出会い,最上徳内,近藤重蔵,そして吟味役の三橋藤右衛門。 階級制度の厳しい時代に,そのいずれもが,対等に話をしてくれ,そして蝦夷地の航路確立と蝦夷人の保護という点という共通する課題を達成するというところだったのだろう。 箱館の築港作り,エトロフに魚油,肥料,毛皮,海苔等の生産拠点を置く工場作りと蝦夷人の生活基盤作り,商品輸送のための官船作りと一大事業は着実に進んでいく。 余談だが,この編には伊能忠敬との出会いがあるが,ほとんど彼の生涯には影響なかったようである。もう一つ,北方領土(千島列島)について,かなりのページ(50ページ以上)がさかれている。ロシアと日本の境界線は,国後か択捉かそれともウルップか・・・・。筆者得意の歴史的思考がうかがえて,読んでみると面白い。 |
そして,順調に推移してきた嘉兵衛の蝦夷・箱館での10年間。その嘉兵衛にとって最終第6巻は,ロシア艦船デイアナ号に囚われの身になる災厄から始まる。 そんな災厄にもかかわらず,物事を前向きにとらえる嘉兵衛は,「人質になった以上は,両国の和平のために,なんとかよき方向に持ってゆきたいのが心底です」と,封建制度という上下関係の厳しい身分制度の中で,町人でありながら,日本を代表する外交官のごとき考えを持っている。 こういった考えを持っていたから,ペトロパヴロフスクで幽閉の身になっても,ロシア人のリコルド艦長・水兵,現地のロシア人にも信頼を得ていったのであろう。 この巻では,リコルド艦長の「手記」や嘉兵衛の手紙と口述「遭厄自記」などの生の文章が併記され,実にリアリティがある。 特に,リコルドの「手記」は,嘉兵衛がどんなに素晴らしい人物であったかが,十分すぎるほどわかるものである。 日本で人質になっているロシア人ゴローニン前艦長と水兵が,生きているということを信じて,すべて行動する嘉兵衛を信頼するリコルドとの親密な関係は,文化や言葉が違ってもお互いが人間としてわかりあえるものだと確信できるものである。 そういった意味からすれば,現代のロシアと日本の関係は,いまだに北方領土という問題を棚上げにしたまま,平和条約もないままの実に冷めた関係なのだ。嘉兵衛からみれば,自分たちが生きていた江戸時代以上に進展していない状態にほぞを噛みはしないだろうか。 最終巻は,実に劇的なシーンばかりが出てきて,一字一句見逃さずに,時には,目を少し潤ませ,少し鼻水をたらしながら読んでしまった私です。本当に歴史小説って面白いですね。 物悲しさを覚えたのは,高田屋が,嘉兵衛の死後数年で取り潰しになるという運命をたどったことである。 |
筆者が異見というぐらいだから,わたしのような頭の回転の悪い,きれの悪い人間にはむつかしい時評が多い。 特に第三部の中にある「個性とは何か」は,何度も読み返したが結局よくわからずため息が出てしまった。 第一部は,時事問題だから,結構面白いのだが,ある項で「真面目だからだまされる。私の文章をまったく本気だと思う人も真面目な人に属する。この欄は「異見あり」なのに私が正論を書いていると思ってしまう人もあると聞く」と言ってるように,違った視点からの意見なのだ。 こういったところは日本人は実に弱い。物事を多面的に見ることは得てないのだ。私の場合,さらに輪をかけて弱い。 ただ読むにはとても面白い。ほーっと感心させられてしまう。最近起こった時事問題についてのテーマ設定が,筆者の言いたいことを短くまとめているのだ。日本の社会に対する筆者の痛烈な批判のように聞こえてくる。 第二部・第三部は,平和な時代の日本人の誤解を上手に解きほぐしている。 なんだか今回は感想にならない感想になってしまった。まあ筆者も言ってるのだから,真面目に考えなくてもいいか。 視点を変えた見方で面白い異見をとにかく,フレーズの中へどんどん書き込んでみたら,いままでで一番多くなってしまった。 |