この本は、日経新聞に広告掲載され、早速購入した。 「ユーモア」は私の好きなキーワードの一つである。私は実に軽い人間であると思っている。 だから、家人と話していても、軽い話しが好きである。職場でも軽い話が好きなのだが。 第二の会社に移りいささかためらっている。笑いが実に少ないのだ。 みんな何を楽しみに生きているのだろうと思ってしまうことがある。 仕事柄いたしかたない部分もあろうが、一日の内の三分の一以上を過ごす職場なのにと思ってしまう こともある。 とはいえ、ユーモアだ、ウイットだ、ジョークだを仕事中に論じ合うほどの余裕もないようだ。 イレギュラーを排除し、いかに標準化をして、いかに効率的に、いかに無駄無く、システム化をする ことが仕事なのだから。 余談はこのぐらいにして、ユーモアを解することは日本人にとってあまり得意とは言えない。 ましてや、ウィットだジョークになるとなおさらに不得手である。 この本の最後には、参考文献が70冊あまり紹介されており、筆者の力の入れようがよくわかる。 ただ読み手からすると力を入れられれば、難しく論じられればられるほど、「ユーモア」が重たく なってしまうからいただけない。 そのあたりをできるだけ避けるように、筆者は具体的事例を沢山おりまぜ、文献から引用したり している。特に筆者は向田邦子のエッセイが好きなようである。 確かにユーモアに類するものを上手に導く出すための手法は、この本のチャプタ等の キーワードとして用いられている。 列挙してみよう「目的を追う途中の思いがけないもの」「水平思考」「視点の変換」「もう一つの理屈」 「森羅万象」「人間・人生・花鳥風月をユニークに」「誇張表現」「比喩的表現」等々と続く。 こういったことに思い当たるものがあれば、すでにあなたはユーモアを解する人になっていると思われる。 私思うに、この本のテーマには、革命というのが付いているが、最後まで読んでみて、決してユーモア のある表現をするための革命的な手法はなく、また手短な手法も決してないということである。 自分をユーモアのある人間に変えたいのであれば、筆者がしめすものをどんどん自分の話題に取り入 れ表現してみることではなかろうか。積み重ねでしかない。 もう一つは心にゆとりを持たせ、いかに感性を磨くかではなかろうか。 そして、私の鈍感な感性(鈍感も感が付くから感性であることには間違いないが)でなるほどと思ったフレーズ を少しだけあげてみるならば、「私たちを囲む森羅万象の中に、おかしさがあるのだ。捉え方がうまけ ればそのまま取り出しても、おかしいわけである」 「ユーモアは心の作用であり人間を、人生をこの世の巾を広く、やさしく、おおらかに捉えることと関わっている」。 そのためには、いろんなものに興味を示し、特に本から吸収するのが得策だと筆者は言っているのである。 ただ「ヴィジュアル時代」という直感・即時的な感性へ移行しつつある時代、字を追うことの苦手な世代には、むつかしい話のようだ。 さらに言うならば、科学的な時代でもあり、森羅万象とか花鳥風月に疎くなっているから、五感は確実に鈍くなっているように思える。 |
筆者の作品としては、前作の「ツチヤの軽はずみ」より前のもの。 前作を読んでツチヤ的笑えるエッセイ手法にはまったかもしれない。 書店で二冊の文庫本を買ってしまった。 この本にある「浮かれている場合か」の中で、事実かどうかは知らぬが、筆者が自作品の売れ行き を見るため、書店に赴き、読み手の本の衝動買い行動をつぶさに張り込むというか、 監視しているエッセイがある。 ひょっとして帰郷時に、私の行動を見ていたら、同県人(岡山)として誉めちぎってちぎりすぎてくれるのではなかろうか。思わずそんな 衝動買いをしてしまった。もっとも3年以上前の話だから、それにベストセラーの見込がないからもう監視していないかも知れない。 前週の「読み感」で「ユーモア革命」(阿刀田高著)なるものを読んだが、この本の内容は 「ユーモア・ジョーク・ウィット」で分類するなら、どこに入るのであろうかと思ってしまう。 考えても笑えないので、考えないことにした。 でも少なくとも、私の固い頭で理解できなかった「ユーモア革命」理論も、ツチヤ的実践的 笑い文はあれよあれよと一気に最後まで読んでしまった。でも何も残っていない。 気持ちが軽くなったのだから「いいか−」と思っている。 でもこれで「読み感」が終わりというわけにはいかないので、いつものように ちょっとまじめに書かれているように見えるフレーズから、以下を書いてみたのだが。 37もエッセイがあると、どれにいいフレーズがなんて思うと迷ってしまう。 だからいつものように、えいやあで探そうとしたが、今回は難しい。 なぜかというと、ツチヤ的笑いのエッセイ手法には、かならず終わりにオチがあり、 私がかってに決めている聖域なき基準からは、いいフレーズが見つからないのだ。 そこで今回は少し聖域を変えてみた。 @最後までオチがないフレーズであることA日本語であることB笑えないこと、 厳正のうえ厳正を超えたいい加減さに絞ってみたのだ。 特に、秀逸だったのは、「首相になれといわれたら」である。 その中には、橋本首相がマスコミを小馬鹿にしたような言動がいくつも出てくる。 土屋センセイはポマードが大嫌いのようだ。それは1200円鰻丼をポマードの臭いで 台無しにされたことがあり、食い物の恨みは大きいはずだからだ。 選びだした決定的なフレーズはこれだ。「それにしても、一度に決意できることの数には限度が あるのではないか。演説で列挙されているものを全部一度に決意できるものなのだろうか」 完全なる風刺エッセイ、これはジョークに入るのかなあ。 この中には、レーガン元大統領のユーモアも紹介されているが、わが日本の首相の遊びのない 発言はなんなんだろうと思えてしまう。 どうしても、もう一つ選ぶとしたら、「人間はなぜ笑うのか」である。 笑いについて「笑いの本質を論じても可笑しくも何ともない。これは料理の本質がおいしくないのと 同じである」「笑いの需要は大きい半面、笑いは軽視され、低俗とされる傾向がある。笑いはたんなる 気晴らしだ、風呂場で鼻歌を歌うのと同程度の意味しかもたないと考えられている」 と書かれているフレーズが筆者の笑いに対する考え方の本質なのだ。 でもこれで終わるのもさみしいので、ついでにもうひとつ。 「若者でなくてよかった」だ。いつの時代も、おやじになりそれなりに老いを迎えると、かならず 「今の若いものの考えがわからない。行動がわからない」という声が。 それをもじったものなのだが、すでにさとりを開いているようなフレーズがいいのだ。 「年をとるとこれらの錯覚から脱却し、自分は特別でなく、つまらない人間だという真実に目覚める ようになる」 ここに行き着くまで、40年もついやす人、それでも到達できない人は結構多いような気がする。 それが分からないために、鬱になったり、間違って自殺したりしてしまっているのが現代人であり、ほんとに笑えない事実である。 |
筆者の作品は2冊目である。前作品は「大往生の島」というもの。 3年前である。高齢比率日本一の島、50%以上が65歳以上という、 周防大島の属島沖家室島(おきかむろじま)の人たちを紹介したもの。その中にあるキーワードは、 長生きだが現役であるということ、死生観がしっかりしていて死は日常の中に 溶け込んでいるということだった。 そして、周防大島は、筆者が尊敬してやまない民俗学者宮本常一(4千日の旅、16万キロ、 地球4周、10万点の記録写真)の生まれ育ったところ でもある。 その時は私、釣りもできるということで筆者が泊まったという民宿に是非いきたいと思ったものだ。 さらに宮本常一を題材にした「旅する巨人」をすぐに 読みたいと思い、書店に出向いたのだが、かなり前の作品なのか書店にはなかった。 そして、しばらくして見つけた時、単行本は分厚く値段が高いため、敬遠してしまった。 やがて、文庫本が出た時も、その分厚さに少しためらってしまい、また買わなかった。 月日が流れるうち、筆者の作品「東電OL殺人事件」 が発刊されたのだが、それも買わずに見過ごしていた。 そして、この本との出会いということになったのである。 私は「ノウハウ」ものが好きである。特に長年培って苦労して貯められてきた ものがオープンにされる、そういったものが好きである。 そして、ホームページを開設し、ヘタな文章を書くようになってからというもの、 まがりなりにも何かネタを探すノウハウはないものかといつも思っていたのだ。 かつて、吉村昭著「史実を歩く」を読んで、歴史小説を書くまでのノウハウに 感激したものだ。 この本を見つけた時も、捜し求めていたものがあったという喜びがあった。 一気に読み進めて、筆者がノンフィクションを書き上げるまでの集中力と 粘着力、ひたすら事実だけを追い求める熱意、主人公を知る生き証人を探し 取材する。これらは、歴史小説家の吉村昭と全く同じである。 主人公の謎の部分に仮説をたて、取材し構成、執筆、疑問から推理へと。 ここには、ノンフィクション読み物に、うまくつながったことしか 書かれていないが、読み物になるまでの情報収集には各地を「歩き」、現場を「見」、 そして多くの人から「聞き」、という膨大な作業があったことは明らかである。 捜し求めていた以上に新しい事実が出たことが書かれている部分を読んでいると、 こころにぞくぞくとくるもが感じられる。 この本の中には、筆者独自のノウハウがたくさんつまっている。 だからといって、同じことをすれば、かならず同じようにいい作品が生れるというものでもない。 だが、何かを書きたい人にとって、ネタを求めたり、どんな手法で書けば いいのかと思っている人にとっては、かならず参考となる一冊である。 筆者が言うようにやはり、「事実は小説より奇なり」ということなのだとつくづく思えるのだ。 キーワードにあるように、筆者は「過剰」、「闇」、「謎」を持つ人間にスポットをあてているのである。 確かに、読み手側からすれば、こういった部分に興味を示し、 もっとその部分・事実を知りたいということに間違いはない。 それがまさにノンフィクションの醍醐味でもあるようだ。 私がこの本から得たヒントは、何か面白い情報を得ようとするなら、 人のネットワークというか人づてに情報をたどることが大切なのだということである。 そして、もう一つは現場主義に徹しない新聞、絵という華々しいことばかりに 目を向けている新聞情報は、やがて人離れ現象がでてくるではないかと思える。 終わりに、この本の中に紹介されている読みたいと思った筆者の作品を羅列しておこう。 「性の王国」「旅する巨人」「巨怪伝」「渋沢家三代」「凡宰伝」「東電OL殺人事件」「遠い『山びこ』」 |
ベストセラーになるノウハウ本をいつも書く筆者である。 テーマは「ホームページ」、かなりの人が関心を持っているものだから、またよく売れるだろう。 ホームページとオフィスを結び付けているところが、新しい視点だ。 わたしがパソコンを買って、やってきたことを振り返ってみると。 まず最初にやったことはいろいろなホームページにアクセスすることだった。 男の場合、その結果行き着くところは、アダルトのページかもしれない。このレベルからなかなか抜け出せなかった。 次にそれから3カ月、とにかくコンテンツは気にせず、自分のホームページを作り公開することにした。 やがて、コンテンツを充実するため、イラストを描く、動画を作る、介護記録、読書記録、旅、釣り、野菜畑、 庭の花等々とチャレンジしてきた。そしてずっと維持してきたのは週一回更新することだった。 ある程度、ホームページの内容が充実した段階で考えたことは、いかにアクセスしてもらうかだった。 でもそれはいまでは、世界中に3億のホームページがあるということだから、どだい無理な話だったのだが。 当初は、アクセス数を高めるために、まず検索エンジンのあるYAHOOに登録、そしてCSJに登録した。 次にNTTのホームページに登録したが、結局、個人のホームページなんてもののアクセスを高めようというのは、 無理ということを知ることになる。 途中、「アクセスを向上するためのホームページ」なんてのにもアクセスして、 内容を充実し、更新を維持することだとわかったものの、いかんせんさしたるアイディアもなかったのだ。 ただひたすら自分情報を累積してきた、この4年間の自分の軌跡箱になってしまったようだ。 結果として、それなりによかったのだと自己満足している。 そして、いまではHP内情報は画像・イラストを含めて30MBをはるか超えている。 めずらしく、導入部での自分の話が長くなってしまった。 では、これはノウハウ本だから、自分がいいと思うところ・エキス、やってみようと思うところだけを ちょうだいすればいいのである。といつも私は思っている。 ただ、前段が長くなったように私の場合、すでに自分で個人のホームページを開設してるので、 その部分については、自分がやってきたことが間違いでなかったことが確認できたことである。 それは、「自分のためのホームページである」「更新を続ける」「内容を充実する」である。 この本で特に参考になったのは、自分のバーチャルオフィスを作るためのノウハウというか アイディアなのだ。 それを羅列してみよう。 「メールサポートシステム」「メールニュース」「インターネット情報源」「マイ情報源」 「検索エンジンの自HPへの取り込み」である。これらは、「自分が使って便利なホームページ は他の人が使っても便利だ」というところから生まれたものなのだ。 そして、そのキーワードは情報共有化のためのデータペース作りということ。 さらに、これからのビジネスとしての情報、それは「大量電子データの加工と分析による新し い情報の生産」と「eラーニング」である。 終わりに言いたいことは、読んでみただけではだめである。自分のホームページに取り込んで どんどんやってみる・情報発信してみることにつきるような気がする。 |
この文庫を買って、いまごろ気づいたのだが、ネームバリューと分厚さから言えば、 700円以上はするはずなのに、なぜこんなに安いのだろうかと思う。 読み手側からすると、面白いのだから余計うれしくなってしまう。 上巻から読み進んで感じることは、石原慎太郎という政治家がめざすものは、 特に過去発生したことがなかった、危機管理に関する大所高所にたったトップ としての即断力であり、「湾岸戦争以前にアメリカに最新技術の 供与についての独断的な判断」「三原山大爆発での独断で自衛隊の派遣判断」をした 中曾根元総理を尊敬しているようである。 そういった意味からすると一番嫌っている政治家は、ちまちまと姑息な 宮沢元総理であり、海部元首相と宮沢元首相をあごでつかった小沢自由党党首なのだ。 上巻同様、政治の表舞台に隠されている真実というのは、実に面白い。 ただ、実際に事件が起きていた時、諸外国・外圧に躍らされ、国民は事実をうっすぺら にしか取材しない、読み手へのインパクトばかり気にする昨今のメディア・新聞に躍ら されていたことが、よくわかる。 そのあたりも、いまではメディアを視聴する国民が利口になり、したたかに真実を求めるように なっているのではなかろうか、特にメディア比較ができるインターネットの誕生は面白い方向に 向いつつあるようだ。 運輸大臣を辞任し、福田改造内閣が発足した頃から、平成7年1月議員在職25年表彰、 と同時に議員辞職演説で国会を去るまでの政治活動等が集約されている。 石原慎太郎という政治家が、ただ単に文筆家であり、石原裕次郎の兄ということではなく、 いつまでも次期総理候補政治家として国民に最も人気があるのは、諸外国に対して、官僚に対して、マスメディアに対して 言いにくいことをずばり口に出して言うことであり、それはいずこの場所での発言にも 変わりがないと言うことである。だから、物議を醸しすぐに新聞ネタにもなるし、 同僚の政治家に敵も多かったであろう。まさに「青嵐」を巻き起こし続けてきた 政治家なのだ。 国家観のしっかりした彼には横やりがあっても 信念を曲げることはないようだ。それは中西輝政の解説にもあるように、 21世紀小泉純一郎が8月15日の靖国神社参拝を繰り上げ、やや人気が落ちたが、 「あの日、石原慎太郎は本当に輝いて見えた。少なくとも私の目には、かつてなく 輝いて見えたものだ」で十分すぎるほどわかる。 この本の中で、読みながらぞくぞくとした事件の裏側というのがいくつかある。 それは、@ロッキード事件で田中角栄元総理失脚、A大韓航空の撃墜事件、 B 湾岸戦争での対米援助、C社会党村山総理誕生である。 前二つの事件は、アメリカの空恐ろしさを感じる。 そして次は、日本の政治家のひ弱いことと、アメリカが日本を子供扱いし小馬鹿にし、 自慢している様は奢り以外の何者でもない。 4つ目は、策士石原慎太郎の真骨頂と先見の明というところだろうか。 この四つについてその要旨を書き出してみよう。 @原子力発電において、アメリカの支配から脱しようと、ウランの独自の購入ルートを 開拓しようと乗り出した時、たちまちアメリカの逆鱗に触れ、ロッキード事件を利用されて、 失脚させられたというもの。 A大韓航空が撃墜されていたその日、その区域では、ソビエトがICBM実験をまさにしていた、 その警備体制を確かめるために民間航空機を利用したというもの。 B40億ドルの日本からの援助を取り付けたブレィディ財務長官の弁「俺はこの交渉に2、3日はかかる と覚悟していたが、やつらは一喝したらいとも簡単にOKした。こんなことなら最初からもっと ふっかけりゃ良かった」というもの。 C自民党が下野したとき、青嵐会の中尾栄一氏と同伴で村山党首を訪ね、『社会党の首班候補、 つまりあなたを自民党は推す・・・村山氏は目を白黒させて「いきなり何を言い出すのかね、私ごとき 者がとてもとても」』というもの。 そして、『この日本という国家の国外国内の情報に関する収集能力、分析力あるいは それらを踏まえてのこと「情報」に対する意識と、それにのっとった姿勢はかなり 深刻な問題があると言わざるを得ない』というフレーズには、21世紀に入った現在でも、 全くその通りだと思う事件が発生している、それは狂牛病対応であり、アーミテージ米国務副長官 発言の真意とアフガンへの自衛隊派遣である。 国という立場で動かなかったいろいろなことを今都知事という立場で、国を動かそうとしている 石原慎太郎氏のこれからの政治行動も目が離せないし、ずばりと物申し実行力を備え、いつまでも 男気のある人物でいて欲しいと思うのは私だけではなかろう。 そして、筆者がよく使ういつも気になるキーワードは「下意識」であり、「自立」である。 |
先日、筆者の「私の体験的ノンフィクション術」を読んだ。 長年培ってきた取材のノウハウを披露したものである。 その中に筆者の過去の作品が多く紹介されていた。 読みたいと思い、本屋を探し回って買い求めた。 「性の王国」「渋沢家三代」とこの本である。 ただ、民俗学者、宮本常一を描いた「旅する巨人」は、 6書店を回ったが見つからなかった。 この本の最後を見ると、1996年5月10日印刷とある。 ページを開くと、古本の臭いがした。 よくぞだれにも買われずに残っていたものだと、私に買われるのを待っていたものだと。 私は、時々気に入った作家は集中的に本を買い漁る傾向がある。 吉村昭著「史実を歩く」を読んだ後も、筆者の歴史小説・随筆作品をさらに買い求め、集中的に読んだものだ。 前置きが長くなった。 この本は、戦後まもなく教師として田舎の中学校に赴任した、無着成恭と最初に受け持った 生徒43人の生きた軌跡を追ったルポルタージュである。 団塊世代の私が生まれた頃という、時代背景がかなり古いため、貧しい生活と言われてもピンと来ない。 主人公の先生について、もう少し言うなら、昭和39年にスタートしたTBSのラジオ番組「子ども電話相談室」 にカウンセラーとして出ていた、山形弁の先生と言えば、たいていの人は「あ〜あの」と思い出すだろう。 私が物心着いた頃には、戦後復興というより、高度成長時代に向けて確実に豊かになっていたからだ。 43人の主人公たちのうち、6人兄弟以上が29人いる。 さらに、父親を戦死や病死で失った者も8人。 そういった状況から考えても貧しいだから、中学校で教育を受けるよりも、家族を含めた 自分たちが食べていくための生活をどうするか、生きるために毎日働き、金を稼ぎ出さなければならない時代だったのだ。 この本に興味が湧いたのは、筆者が40年もたった主人公をどのようにして追跡調査し、ルポルタージュ としてどのようにまとめたのかを知りたかった。そして、どの部分をメインにするのかも興味があった。 特にチャプタとして面白かったのは、追跡調査が壁にあたり、徒労感を覚えていた筆者が、偶然入った 喫茶店で、最初の「山びこ学校」卒業生へとつながる情報を得たこと。 この最初の出会いが43人へと結びつき、やがて筆者が求めていた文集「きかんしゃ」全16巻を発掘することになったところだ。 この時、筆者はノンフィクションを書いている喜びを覚えたのではなかろうかと思われる。 その追跡調査の中でさらに面白かったのは、「山びこ学校」という本の巻末で無着が作者紹介として 載せている「プロフィール」と40年を経過した生徒たち本人とのご対面でも、変わることなく年を重ねているところである。 次に、江口江一の綴り方、「母の死その後」が昭和25年11月文部大臣賞を受賞、 文集「きかんしゃ」をベースにした「山びこ学校」の発刊、 やがてその本がベストセラーとなり、マスコミが山間の村に、洪水のように押し寄せてくるという、昔も今も変わりはしない、 日本のマスメディアの滑稽な動きが読み取れる「谷間の英雄」チャプタ。 もう一つは、地元に今も暮す級長の佐藤藤三郎と無着成恭との確執を描いた「藤三郎の闘い」のチャプタであり、 無着が教育界からも去り、結局僧侶におさまった最後のチャプタ「明星の無着成恭」である。 最後のチャプタでしみじみ感じたことは、人生紆余曲折・人間万事塞翁が馬・いいことばかりは続かないで あるが、振り返ってみれば大した事はない。 いろいろとあがきながらも、行き着くべきところ、落ち着くべきところへ落ち着くということのようである。 そして、最後に、戦後復興から始まった40年という年月で日本人を ひとことで評するならば「衣食住足りて礼節を知る」ではなく「衣食住足りて礼節を忘れた日本人」ということのようだ。 |
佐野眞一の作品を精力的に書店で買い求めた。その一冊である。 渋沢栄一に続く三代の話。 世の中では、いくら栄えていても、三代で没落するということが言われている。 その典型的な家系である。 また、それは、企業の栄枯盛衰にも似ている。 しかし、渋沢家三代、それぞれの歩み方、生き方は極端に違う。 不倒王渋沢栄一、渋沢家初代が、子孫に残そうとしたもの、継承しようとしたものはなんだったのか。 二代目篤二の放蕩三昧、財なき財閥解体をし、その後民俗学者としてパトロネージュ精神で 多くの人材を支援していた三代目敬三。 本文にはやたらと親戚関係の名称が出てきて、結局だれがどういう関係になるのかは、最後にまとめられた 渋沢家関係略系図「東ノ家」「中ノ家」を見ないとわからない。 ルーツを求め、整理したい人には、その探索の仕方として大いに参考になる本である。 電話帳からの探索や日記帳からの探索、現存する人からの話。 この本の中で、筆者が渋沢家三代の歴史をそれぞれ一言で表せばというところがある。 「家父長制、放蕩、そして学問への没頭」という表現なのだが、さらに、エピローグには同じように、 「栄一は近代的企業の創設に命を燃やした。篤二は廃嫡すら覚悟して放蕩の世界に耽溺した。そして、 敬三は学問発展に尽瘁して、ついに家までつぶした」 このフレーズを読んで、人間の一生なんて、どんなに活躍した人でもこんなものなのかと思い、 さらに、みんな生まれ出でたときから、やることやれることは「遺伝、環境、運命」によって 左右されるという、芥川龍之介の侏儒の言葉にあったフレーズを思い出させるものでもあった。 もう一言いうならば、それなりにみんな悩みを抱えて生きているのだということだろうか。 ただ、凡人からしてみれば、三人三様の偉大さがある。少し書き出してみよう。 初代栄一は、傑出した人物であることに間違いない。 時代の大きなうねりの中で、見事に転身を続けても、自分のやるべきことを見失わない不撓不屈の精神、 多くの事業を起業し、1909年身を引いた時には、東京瓦斯、帝国ホテル、東京海上火災保険等々、59社を数えた。 将軍の座を潔く去った主君徳川慶喜を敬慕し、「徳川慶喜公伝8巻」を編纂した。 さらに、家法・家訓なるものもあったのだから。 二代篤二は、初代と三代の間に完全に埋もれ、歴史上からは抹殺されていたが、筆者がおもてに ひきだしたということになろうか。 放蕩三昧とはいえ、世が世なら、芸能界で活躍できた人材のようである。 義太夫、常盤津、清元、小唄、謡曲、写真、記録映画等々多趣味ぶり、それも玄人はだしというのだから・・・。 三代目は、初代生前まではその言いつけを守ってきたが、戦後に自分がやるべきことは、民俗学と 決めてからのパトロンとしての人材育成は、その残された七千通の書簡と人物−柳田国男、宮本常一、金田一京助、 梅棹忠夫等々−からしてもすごいのだ。 ただ、読みながら、これは小説にすればきっとさらに面白いのだろうと思ってしまった。 終わりに、この作品を書く立場からすれば、見落としてならないのは、栄一の娘、歌子が 残した「穂積歌子日記」ではなかろうか。これがあったからこそ、この作品が生まれたのである。 だからといって、素人が日記を残したとしても後代に文芸作品が生まれるとは限らないことは、言うまでもないことである。 |
(ここをクリックしてください)