宮部みゆき
平成お徒歩日記


宮部ワールドにはまっている人は結構いるのではなろうか。
残念ながら、一冊も読んだことはない。
なんのことはない、お徒歩(かちと読む)という、散歩風の軽いもの、 中身をめくると歴史を訪ねて歩くいわゆる「歴史散歩道」風、 しかもエッセイで文庫、時代を語る趣のあるカバー装画にもひかれ、 軽い気持ちで買うことができた。

読んでいても、江戸の街の芝居小屋で講談師が楽しく物語に導いていく、そんな感じでございました。
エッセイという感じはあまり致しません。
編集者と作家の慰安旅行、それも歴史好きなもの同志、事件の起きた時代にタイムスリップ しているような感じ、歴史の主人公たちはどんな感じで、 どの道を歩いたのかを想像しながらたどって行く。
そこで繰り広げられる作家と編集者との会話、時には漫談風でもあり、歴史をひもとく先生でもある。

旅をするのが好きな人、歴史が好きな人には、こんな形、ある事件をテーマに訪ね歩く旅行になんとも たまらないものを感じるのではなかろうか。
ただ、読者は作家のような歴史案内人という贅沢な取り巻きはいないだろうから、 街の観光案内とかに頼る以外にはないようだ。
筆者が言うには、文庫本になったので、江戸の旅の御伴に是非と、おすすめしているのでございます。

歴史を訪ね歩くにふさわしく、ひとつの話のおわりには、参考文献を載せ、さらに親切にも、 意味ある文に傍線を入れて解説まで、さらに「筆者たちが確かに現地へ言ったぞ」という証拠写真、 さらに回ったコースの地図まで載せているのですからとても親切なのでございます。
さらにさらに楽しいものにするために、小説の登場人物風に、筆者を主人公に、編集者にも コードネームを付けて登場させているのですから、楽しくないはずがないのでございます。
なぜ、「ございます」調で書くのか、それは筆者の表現形式に合せただけなのでございますよ。

いささか気になるのは、後半の散歩コースでは、ビールを飲んで旅館に泊まって、温泉に入ったり、 おいしい食べ物を食べる、グルメ旅行風になっているのが気になりますですが。
まあ肩のこらない本ということでお許しあれ。
今度は、本物の「宮部みゆき」ワールドへ入ってみようかな、 なんて思っていますでございますだ。気軽に「風」をお感じくだされ。ではまた。



R・ブロディ作、大地舜訳
夢をかなえる一番よい方法


ノウハウ本である。気分転換にぴったりの斎藤茂太先生のノウハウ作品をよく読んできた。
そして、特にいつも感心して読んでしまう、アメリカ人が書いたノウハウ本が大好きである。
アメリカという自由競争社会の中で生き抜くためには、自分の経験を積み重ねて作った、 ノウハウこそ勝負なのだ。

だから、日本のような談合・護送船団方式の似非資本主義社会の競争におけるノウハウとは違い、 売れるのである。
筆者は、ビル・ゲイツと創業時の仲間で、パソコンソフト「Word」の開発者という 成功を収めながら、・・・仕事に忙殺され、もうこれ以上耐えられないと感じ、 会社を辞めた。
三年間の空白期間。
そして、あるワークショップに参加して、「人生をもっと楽しく、意味あるものにできる」 という考えを持つ。
やがて、「私にとって最も意味のあることはなにか?」を追求し始めるのだ。
冒頭には、こんなフレーズがある。「もしあなたが、人生を驚くほど素晴らしく変えたいなら、 この本は、まさしくあなたのためにある」。要は読む人の心掛け次第のような気がする。

ベストセラーになっているということは、このノウハウは使えると思った人が多いと言うことなのだ。
ノウハウというのは、役立つかどうかは、ひとそれぞれだから、すぐにオススメとはいかないが、 「人生の目的」を見失い、ちょっとした羅針盤を探している人には、結構いいと思う。
第一部は「人生」、読者が「どう生きているか?」について著者が語り、第二部は「自由」で、 最高の人生を送るための障害になっているものを取り除く方法、第三部は「幸福の追求」で、 充実した価値ある人生を送る方法の三部構成になっている。

自分の生きてきた人生について、やや満足しているというか、それなりに満足している人が 多数を占めているのではなかろうか。
その半面、自分は何のために生れ、「人生の目的は?」と問われても、頭の中にはおぼろげに あるのだが、具象化されたものはない。
そんなところに不安を感じ始めている人、最高の人生を送りたい人には、 はっきりおすすめの本である。

各部の小見出しのすべてに、格言を入れ、そして筆者の過去の失敗事例も織り交ぜ、 それに対する処世術も書き加えて、読み手の状況を分析してもらう。
途中途中にその小見出しのポイントを入れ、終わりに、「夢をかなえる一番よい方法」 のために何をするかを掲げ、それをするためのポイントをまとめているのだ。
そして、いよいよあなたの無意識層にある自分の求めているものを探すために、 「人生の目的」を引き出すために、その具体的な作業となる。

「成功チェックリスト」なるものを作っていくのだ。
自分自身に本質的な問いかけをして、あるがままを書いていく。
その問いかけは、まず、「あなたは何を求めているか」に始まり、 「あなたのお気に入りのペットから見た、あなたの人生はどんなものだろうか」の9つ の問いかけで終わる。

次にこのチェックリストから、共通項を見つけるため、二度以上登場する言葉や文章を取り出す。
特に、「行動」の「本質」に焦点をあてる。
そして、取り出したものを「求めているもの」「手段」「システム」三種類に分類する。

最後に、「本当にあなた自身が求めているもの」を探すのだ。
さてさて、まだ私自身が、チェックリストへの書き出しもやっていないので...。
ただ、ぼんやりしている「人生の目的」なるものが見えてくれば幸いである。いや是非見つけたいものだ。



佐橋慶女作
おじいさんの台所


筆者の作品は、中高年における知識・知恵、趣味、友人・仲間、健康、お金の五つを取り上げた 「四十代から楽しむ五つの貯え」、読者から一般公募した遺言エッセイをまとめた「最期は 思いのままに」を読んだ。
筆者、日本で初めて女性だけの会社「アイデアバンク」設立し、 中高年に対していろいろと情報を発信している。
今回のこの本は1984年に発行されたもので、主役のおじいさんはすでに亡くなられているようだ。

この題名で本が出ていることは、相当前から知っていた。
だが、おじいさんという言葉ににためらいがあったのだ。
いまなぜ読むのか、それは「台所」という言葉に目が引かれたからである。
いまも単身赴任生活をしてそれなりに適当に食事を取っている。
でもそれは仕事があるから、適当に済ませているが、じゃあ定年後はどうするのかと 考えた時、全くのお寒い話であることに気づいたのだ。

読みながら、これは父と娘との闘いのドラマである。
また、男はとかく妻より自分が先に死ぬと思っているフシがある。 その男どもに、妻が先に死んで自分が生き残ったらどうするのかという問題を投げかけている。
そして、生きるためには、一日三食という食事は絶対に欠かせないことなのだ。

その食事で特に問題になるのは、おかずをどうするかなのだ。
さらに、その他の家事・雑事についても、男たちは妻にほとんど任せきりだろう。
その時の男たちの苦労を考えると、筆者は自分自身の親を叱咤激励しながら、 自立を促しているのだ。
親と子の壮絶な闘いのドラマ、やがて、娘は父から”鬼軍曹”と呼ばれるまで になりながらも、さらに叱咤激励は続くのだ。確かに読みながら、80歳を超えた老人にここまで やらなくてもと思うのだが、殴り合いの喧嘩をしながらも続くのだ。

主人公のように、うるさく言ってくれる娘たちが居てくれればまだなんとかなるかもしれないが。
少子化時代、子供に頼ることもできない時代、まだまだ家事労働は、女の物と思っている 男たちへの警告の書でもある。
妻に先立たれ、楽しく力強く生きるための多くのヒントが、この本の中にはある。

私と同世代の五十代の男たちには是非読んでもらいたい、作品である。
私がもらったヒントを書き出してみよう。
まず、一つ目は、近所・町内会の行事にはできるだけ早い機会に、妻にまかせっきりでなく、 自分から出てゆき、近所の奥さんに顔を売っておくこと。

二つ目は、趣味を楽しむのはよいが、相手があり、褒めてくれる人を見つけておくこと。
三つ目に、独居生活に抑揚をつけ、彩りをもたらすには、人や自然との交わりを大切にすること。
そして、日々を新たにするために日記帳をつけるということ。
自然との交わりなんて、最近は食べ物にしても旬の物が分からなくなっている。
だから、ただ妻から出された物をなんとなく食べるのではなく、意識して食べることのようだ。



中野孝次作
自分を活かす”気”の思想


筆者の作品、「風の良寛」「老年の愉しみ」を読んだことがある。
消費する文化と若さばかりを強調する現代思想を痛烈に批判する筆者には、「清貧の思想」 なんて作品もある。
戦前、いわゆる一昔前の生き方にスポットをあてながら、欲望の限りをつくす現代人に いろいろな忘れ物があることを警告しているのだが・・・。

欲望を満たすことに終始してきた現代人にとって、「少欲知足」への舵取りはむつかしい。
今回の作品は、明治の作家幸田露伴の「努力論」にスポットをあて、21世紀を生きぬくための、 知恵とヒントを「気」をキーワードにして展開している。
露伴が言うには、気にもいろいろと種類があるという。

凡人が思いつくのは、やる気、元気、弱気、強気、病気、一気なんてところだが どうも違うようだ。
張る気、弛む気、逸る気、縮む気、散る気、凝る気、澄む気、亢る気、冴ゆる気なのだ。
残念ながら聞いたことがない。

理想の気のパターンは、張る気が持続して、澄む気になり、「澄む気を長く養っていられれば、 ついにはそれは『冴ゆる気』にまで至る」というのだが、張る気さえ読んでいてよく わからないし、体験したことのない我にとって難問といえるようだ。
だから、興味がある方は、読んでいただく以外にはない。
私のようなよく分からない人のために、筆者は、いくつかの人物のその行動等を 事例として出している。

それは、秀吉の「中国大返し」、日本新聞を発行していた陸羯南(くがかつなん)、画家熊谷守一、 画家池大雅、明治の初めに住友を再興させた功労者伊庭貞剛の実話を披露しているのだ。
さらに、理解できない私のような人のために、10章では「本当の自分を養う」という意味で、 作者自身が若者に向けてその生き方を示している。
それは、「これが自分だという自分を養っておけ」の小見出しで。

「何年か、何十年か、同じことを繰り返すうち、君はそれに慣れてくる。 名刺に記された身分がすなわち自分であるかのように思い込むようになる。 ・・・特に地位が・・・自分の力であるかのように錯覚する、こわいのはそのことだ」 ということなのだ。
そして、特に筆者が強調するのは、「どんな人生にあっても必ずいつかはまた元の裸の 人に戻るのだ。・・・一個の人に戻って、なおかつこれこそ自分だという自分 を持っているかどうかが問題なのだ」ということなのだ。
とは言うものの、地位・名誉・権力は、組織にぶらさがっている限り、「凡人に捨てろ」 というのはむつかしいようだ。

ただ思うに、「人の中には、たえず自己の生命力を 活発にさせておきたい要求があり、同一事の繰り返しによってそれの衰えさせられるのを 忌む傾きがある、・・・そう言いながら露伴は、いきものには不変と安定を よろこぶ性情もあることを認めて、それも生物の本性であると注意しておくことを 忘れない」という。
要は、松尾芭蕉が言うところの「不易流行」のパランスを その時代その時代の状況にあわせて、考えることのように思える。
そう言った意味からすれば、日本人は戦後復興の時代から、高度成長時代へとそして、 長期低迷の低成長時代のこの時代に、そのバランス加減をだれも示さず 分からなくなってしまっているような気がする、いかがだろう。

でも本当に変化を求めるなら、「やる気」という意志を 表に出さないことには、何も変わらないし、まず動かないことにはどうにもならな いのではなかろうか。
余談だが、冒頭言ったように、いまの世の中、できるだけ人より楽をしたい、3Kは避けたい、 生ある間にできるだけ欲望を満足させたい人間ばかり、 努力とか根性という言う言葉に励まされた団塊世代の私たちならともかくも、 若者からは「努力論」という努力という言葉を 見ただけでも、敬遠されてしまうような気がするのだが。

哲学的な11章の「露伴が語る東洋思想の真髄」での天の数や最終章の「宇宙の中の『気』の動き」 での宇宙論になるともう頭がついていかない。筆者でさえ難解と言ってるのだ。
おわりに、私自身が思うことは「継続する気は力なり」でそのことにより、澄む気までは いかなくても、時々気まぐれに張る気が出てくるなんてのが、 凡人のなせるところかと思う次第・・・。


**********一休み***********************

おわりになんて書いたが、そういうわけにはいかない。
いままで書いていることは、 この本の後半部分の「気」をキーワードにした元気を出す話しか書いていないのだった。
前半部分には、まず「努力」とはなんぞや、そして古い嫌な自分を変えるには、 さらに幸福を掴むためにはと続き。
次に、手に入れた福を人はどうすべきかを「幸福三説」で説くのである。

いつも自分には幸せは、なぜ来ないのだろうかと思っている人は、十分に読む価値がある。
読んでかならず納得できるだろう。「好運は七度人を訪(おとの)う」なんてのも面白いし、
三説による幸福の消費の仕方と言うか、これには思わず頷けるぐらい当たっているのだ。

次への展開も面白い。
じゃあ「幸福」は待っていても棚ボタでやってくるかというとそうではない。
だから、「業をみがき、知識を獲得し、ことの成就を妨げる習慣や癖や悪徳があるなら、 ただちに自己革新を行え」というわけである。

まあ自己革新というのはむつかしい。
なぜなら、たいていの人は自分にやさしく人には厳しいからだ...。
そして次のチャプタでじゃあ何のために「努力」するのかという、的を定める規準について、 露伴の発想は「正」「大」「精」「深」をキーワードにして説明するのである。
そして、メインの「気」のチャプタに移る前に、「日常を生きる知恵」というのがある。

これは、我のような凡人に向けて、やさしい言葉をかけてくれている。
凡庸の資質でも卓絶の功をあげうるのだという、それには「何をしてもいい、ただやりたいこと、 そのことに一意専念すれば、一流の人たりうるであろう、尊いのはそのことだ」なのだ。
とは言え、一意専心するものがないといけないがね....。

さらに続く、「物に接するはよろしく厚きに従うべし」、「四季のリズムに従って生きよ」、 「医療機関や薬にたよることではなく、みずからの注意と努力によって健康たるべくつとめよ」、なのだ。


この本の「かってに感想」は過去最高の実に長いものになってしまった。
やはり「努力」という言葉が好きなからだろうか。今度はこれで本当に終わりです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。



遠藤周作作
心の航海図


10年前、産経新聞に掲載されたエッセイ集である。
いつものようにどれから読んでも全く問題ない。
遠藤周作には、二つの顔がある。
ひとつは、キリスト教に殉教した歴史上の人物を主人公にしたシリアスな小説を描く顔。

もうひとつは、孤狸庵先生としてのユーモアあるおどけた顔。
その二つの顔に比べると、「す」の顔というか、少し違った一面が出ているエッセイ集である。
世相に物申すというか、怒っているおじさんというのがいいだろうか。

孤狸庵先生のようなピリッとしたところがないから、読んでいてはっきり言えば面白くなかった。
「心の航海図」という題名に、心が動いて買ったのだが・・・。
それは、殉教を描いたシリアスな小説の部分を期待していたからかもしれない。

まあ世相切っているわけだから、笑ってもらうために書いているわけではないのだ。
ただ、10年前のエッセイだから、当時どんなことが問題になっていたかがよくわかる。
特に当時のおじさんが怒っていたものには二つあるようだ。

ひとつは、ロシアのエリツィン大統領の訪日中止である。
それは「外交の作法」に始まり、「阪神とロシア」、「ロシアとのつきあい方」、「無神経な国」、
そして、「苛められっ子、日本」の5編にその話が出てくる。

もともと外交がへたな日本人、人のいい日本人が十分に出ている話である。
まあロシアという国は、のんびりした国だと思えばいい、北方四島なんて返還して もらおうなんて考えるからいけないのだ。返還を前提とした経済援助なんてもってのほかなのだ。
鈴木宗男は、こんかぎり政府のカネ(税金)を北方四島につぎ込ませられて、御用になったわけ だから、ほんとに馬鹿な政治家だと思う。この話を知ったら周作先生は激怒したのではなかろうか。 まあいまは、墓の下だから、なんともいいようがないが。

まあ騙すより騙されるほうが人間としていいのではなかろうか。そう思っておけばいいのだが、 周作先生は怒り心頭に達しているほど怒っておられるのだ。
もうひとつの話題はエイズである。
例の血液製剤の話は出てこないから、まだ後だったのだろうか。

「エイズ対策を」に始まり、「エイズへの偏見」「エイズの危機管理」そして、「理屈より効果」 の4編である。
もし、血液製剤の話が出ていたら、周作先生は、怒り心頭に達しているどころではなかったろうに と思うのだが。
もともと熱しやすく冷めやすい日本人、最近ではとんとエイズの話がでてこなくなった。

海外で買春をしたり、踊り子として多くの外国人女性が来日している日本、 静かに進行しているのだろうと思うが、調べる術はない。
私が興味深く読んだテーマは、「死に方論」と「老い」についての話である。
周作先生は、クリスチャンでありながら、死について普通のおばさんと同じように「コロリと死にたい」なんて 言ってみたり、安楽死を言ってるのが大好きだ。

この死に方論は、「一県一ホスピス」に始まり、「安楽死、もっと討議を」、「楽に死にたい」、 そして、「尊厳死の実現」の4編である。
尊厳死については、尊厳死協会というのがあるからそれなりに実現しているのだろうか。
ホスピスは、実現されたのだろうか。知る術を知らない。

老いについては、「老いて立派に生きる」に始まり「病者を慰める研究」、「老人のストレス」の3編である。
特に次のフレーズがいい。「自分の祖父が小言ばかり言っているのを聞いて『何が面白くて生きているのかなあ』 とひそかに思っていた。できるだけ顔を合わせるのを避けた。歳月が流れ、今度は私が年寄りになる時がやってきた。 そして、ある日ふと気づくと、自分もまた小言幸兵衛になっていた」。
要はだれしも年を取るのだが、若い時にはいくら言っても老いの気持ちは分からないということだ。
先を考えろと言ってもできない、その立場、その年にならなければ無理ということのようである。




日野佳恵子作
クチコミュニテイ・マーケティング


最近、仕事柄、「マーケティング」という言葉が気になっている。
この筆者は、広島で「HER STORY」 (HISTORYという言葉がHIS STORY(男の人生)が語源であるという説から HER STORY・・・つまり女性の人生という意味でつけた) というマーケッティング会社を経営し、 いわゆるインターネット関係のベンチャー企業として、いま注目の会社である。
インターネットの「JNEWS.COM」という、 企業経営・独立起業・SOHO副業の成功ノウハウを徹底研究するサイトに取り上げられていたこと から知っていたのだ。

最初は、広島にあるということで驚き、女性だけのマーケティング会社であるということで二度 驚かされたが、あれから半年以上は経っただろうか。
暑い中、ここのところあまり書店に出かけていなかった。少し、朝晩涼しくなったころを見計らって、 出かけたその日に「クチコミ」という文字から見つけだした本なのだ。
立ち読みをしていて、インターネットでのなにげない出会いが、 この本屋での出会いとなったわけである。

本の構成が実にうまいのだ。
まずは、「クチコミュニティ・マーケティング」とはどんなもので、なぜいまそれが大切なのか、 である。
どんなものかが分かれば、ではその手法は実際のところどうなのか、 それを、次の「論より証拠」で、筆者自身の会社の成長過程から説明を試み 、そのキーワードを紹介している。

そして、次のステップでは、 ケース・スタディにより、この手法をコンサルティングした会社の実例を紹介している。
その中には、釣り具メーカー、造園業者、農協、ビルメンテナンス、地域新聞社、薬膳カフェ、 クスリ小売り、子供古着店、清掃業がある。
どの店をとっても、特段新しい商売というわけではない。

ただ、その商売の仕方に、 「クチコミ」という筆者が説くマーケティング手法や、インターネット上のツールをうまく 利用しているということなのだ。
この本は、IT、ITと言われながら、その活用がなかなかうまくいっていない 会社にとっては、いろいろなヒントがある。

ただ、クチコミで会社を伸ばす基本には、 「ポリシーや理念から始まる」ということがあるからして、つまみ食いをしても、 「そのポリシーが貫かれた商品づくり、商品構成、販売方法を確立しなければ 何の意味もない」ということなのだ。
この本で頂いたことが四つある。

ひとつは、夢が具体的な形でイメージされていれば、その夢はいつか かならず実現されるということ。
二つ目は、インターネット社会では、
小さな会社でも大きな組織を動かすことができるということ。
三つ目は、商売をするターゲット・支持されたいお客さま層をしっかりした形で持ってない といけないということ。
四つ目は、情報発信上手になるということ。

終わりに、商売をする上では、副題にあるように、 商品購入決定権を持つ女性の感性を味方につけることにあるようだ。



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