• 吉村昭作:彦九郎山河
帯にある三奇士のうち知っている人といえば、林子平だけで、この小説の主人公の名前は全く知らなかった。
時代は田沼意次の腐敗した政治に対して、清新な政治家が求められようとしていた。
そこに登場してきたのが、江戸の三代改革を実行した老中松平定信である。
200年足らず続いた江戸時代に、大きな時代の潮流を感じ取り、武家政治から天皇制に戻し、外国からの脅威を知らしめるため、尊王攘夷論を広めるべく日本全国を旅していた男がいた。
まず、いつものごとく歴史の中の裏舞台で活躍した重要な人物を探してくる筆者の探査能力に感心する。
高山彦九郎の場合、解体新書を著した杉田玄白と前野良澤のことを調べているうちに、前野家にたびたび出入りするこの人物に行き当たり、さらにこの人物が綿密な旅日記を残していたことから、小説を書くことになったらしい。
この小説を読んでいたら、とにかくよく歩く健脚ぶり(一日十里)といずこの宿場町、城下町にも酒を飲む儒学関係の友人ネットワークがあることに驚く。もちろんこれだけ歩いていたら酒はおいしかっただろうし、加えて心の許せる友人だから余計かもしれない。
ほとんどのシーンが主人公が書いた日記をたどりながら、描かれたものだろうから、学問を志す人たちが酒肴の場で大いに議論しあい、自分たちの考えを固めていたことがよくわかる。
物語は、主人公の父が殺され、仇討ちをして自らも死ぬことを覚悟したうえで、儒学の師細井平洲に決心をうちわけるところから始まる。
師から仇討ちを止められ、次の目標を探す主人公。蝦夷の地を自ら見分して、外夷の脅威を書物に著そうと江戸を旅立つが結極蝦夷の地へ渡れなかったのである。
しかしながら、道中宿泊先で接した人たちから天明の大飢饉で多くの人が餓死したことや、人間が人間まで食べて生き抜いた話等を聞きながら、「人間の生活を見つめることこそ学問である」という師の言葉を思い出す主人公。
そして、次に自分の最大のテーマである王政復古に向けて、京都へと旅を続け、革新的な公家たちと尊王攘夷論を議論し、そこから支援を得るべく鹿児島の島津を訪ねるが、彼の夢は失敗に終わる。
挫折にさまよう主人公は、自ら命を絶つ。
学問馬鹿といってしまえばそれまでだが、彼の考えが次の世代を動かしていったことは歴史の事実でわかる。
旅を続けながらテーマを見つける姿は素晴らしいが、目標とすることが挫折しまうと人間は実に脆い。もう50年後に生まれていれば維新の主役であったろう事はまちがいない。
時代の先駆者の結末は、ハピーエンドでもなく表舞台に登場することもない。興味を持つ歴史家が出てきて、新しい視点で調査し直したとき、その人が大きな潮流の源流であったことを知る。こんなものなのだろう。


  • 篠原佳年作:生死同源
聞き慣れない言葉が出てくる。「トラウマ(心の傷)」「オブトメトリスト」「アイドロジスト」「トマティスメソッド」。
さらに,少しいかがわしい言葉も出てくる。「サイババ」「輪廻転生」「霊能者」「気流測定器」。
この先生は,私の住んでいる近くの倉敷で難病の診療所を開設してるらしい。どうも全国的にはかなり有名らしい。
人は己の技術で,ある程度衣食住に困らなくなれば新しいことにチャレンジすることはあまりしなくなる。
私を含めた日本人の多くはきわめて保守的である。
しかし,この先生のライフワークは違う「目に見えないもの」に目を向けて,難病と闘い,常に新しい治療法を探すため全国行脚をし,そしていい治療法があれば早速取り入れるのである。
平和な時代,高齢化の時代,事故や大きな病でないと簡単に死ねない時代,必然人は「健康」を求める。
肉体的な「健康」を求めて少しおかしいと思えば医者に薬を処方してもらい,精神的な「健康」を求めて死を死とも認めぬわけのわからない新興宗教に走る。
健康が気になりかけた人,死について考え始めた人にとっていろいろなヒントがある。
そう思って気楽に読んでみればいい。
私は腰痛もちである。そんな人はこんな点検を,座る姿勢,歩く姿勢,仕事中の姿勢の癖,たぶん思い当たるところがかならず出てくるはずである。
でも,それが直せないのである。単なる怠け者なのだ。
こんな話もある。感情の度合いが内臓の状態を左右する。「くよくよすると胃が悪くなる」「恐れると腎臓が悪くなる」「悲しむと肺を傷める」「喜びすぎたり笑いすぎたりすると心臓を傷める」「怒りすぎると肝臓を傷める」
これは東洋医学の養生訓,思い当たるところがある人は,変えてみたいと思えば変えてみればいい。
老いるに従い,気が弱くなり人に頼る,改善しないなら医者に頼る。そんなとき 「病院は病気の症状の改善は可能でも,病気そのものはなおらない」
病院に多くのものは期待してはいけないのである。自分の意識を病から引き離すことが大切とこの先生はおっしゃる。
それにはさらに「病気や時間を忘れるほど楽しいことに熱中したとき痛みを伴う症状は驚くほど軽減します」というように,日ごろから人に邪魔されず楽しめる自分のものを見つけておく必要があるようだ。
加えてさらに、「立てば芍薬・・・」は漢方処方マニュアルという話、感情の度合いが内臓状態を左右するという話、浅い呼吸が生活のテンポをせわしくさせている話、そして虹彩分析コンピュータを購入したが技師が使用してくれないのその後はどうなったのかと、 いろいろ興味をそそられる。


  • 梅原猛作:世界と人間
テーマには「世界と人間」とある。副題には思うままにとある。帯には古代×現代=未来とある。
61の話のテーマはそれぞれ違うが,地球環境・自然と人間,歴史と人間等が筆者の大きなライフワークのようである。
現代文明を過去から遡り,その根源をときあかす。自然の中での人間とは何か,宗教・神仏と日本人等その生き方について考えていく。
物事をつきつめながら,そして新しい仮説をたてて,古い仮説に敢然と挑んでいく勇ましい思想家としての筆者の姿がある。
社会主義の崩壊とおかしくなってきた自由主義・資本主義,日本経済のバブル,ブッシュの湾岸戦争と選挙の敗北,アメリカ経済の低迷の話は,7・8年前のエッセイだから,少し様相が変わっている。
筆者は現代を第二の室町時代と考えている。この意味は次の時代に動乱期がくることを予想し,ライフスタイルを変える必要性も説いている。
多くのエッセイの中で,筆者の考え方のエキスが出ているのは「近代文明の反省」「ロス暴動と近代主義」にある。
特に次のフレーズに明確に述べられている。
「近代思想は基本的に間違っていると思う。それは自由を絶対化し,人間の自然に対する支配を善と考え,その支配によって限りなく人間の欲望を満足させようとする文明なのである」
「そのような文明は決して人間を永続きさせるものではなく,ひとときの富の時代の代償として人類を破滅に導くものである」
といった話は,私にとってはどうも大きすぎる。ただ,賢人たちはこんなことを考えているのかと思うだけで,残念ながら,理解の域には達しない。
むしろ私がこの本を読んで面白いと思ったのは,「隠岐の流人伝説」の中で柿本人麿の話が出てくることである。筆者はいろいろな書物をひもとき,推理を巡らせて新しい仮説を立てていく。
もうひとつは,いま現在は過去の積み重ね,人間も遺伝子の積み重ねである。だから,歴史をひもとけば未来がみえてくるということのようだ。
とかく凡人は目先のことしか見えない,特に時間に追われる現代人,たまには地球とは人間とはという大きな視点で物事を考えてみなさい。ということらしい。
 


  • 梅原猛作:自然と人生
 前週の「世界と人間」思うままにの第二段「自然と人生」,梅原猛先生のエッセイである。
このエッセイは7年前にすでに発表されたものである。
私も思うままに面白かったエッセイを紹介したい。
哲学者による時代の有名人の人間性の分析は実に面白い。筆者に言わせれば,ビートたけし,小沢一郎,貴乃花は,まだ大人になりきれていないそうである。
もっとも筆者でさえ49歳から大人になるためのステップに入ったということだから,大人にはなかなかなれないものらしいのだ。
儒学者高山彦九郎がなぜ東北地方の飢饉に興味をもったのかという話は,吉村昭著「彦九郎山河」で高山彦九郎を主人公にした作品を読んでいたので,ひとり頷きながら読ませてもらった。
リーダーの7つの条件については,いつの時代にもいろいろな人が本のテーマとして取り上げ,やれ家康型だ,秀吉型だ,信長型だと話題になるのであるが,気になるフレーズの中にあるように,怨霊を作らないとか,私にこだわらないという条件は実にユニークで面白い。
小沢一郎の人間性を分析しながら,「はっきり自分の意見と意思と道徳をもって人生を生きる日本人は,福沢諭吉の当時よりむしろ少なくなった」というように,小沢一郎が日本人はいくら自立しなければとか,二大政党論を声高にいってみても,日本人自体がついていけないのだと私は思ったのであるが,みなさんはいかがだろうか。
おわりに特に参考になったのは,「老齢を生きるにはどうすればよいか。それはあたかも人生が永遠に続くかのように生きるのではなく,人生が今日一日で終わるとすれば,この最後の一日をすばらしい一日にしなければならない。それは密のようにおいしい人生なのである。今日一日を精一杯生き,その一日をよく味わい,そして死が訪れても何の後悔もしないように人生を送れ。」というフレーズである。


  • 今東光作:仏教入門
20年以上前,男性週刊誌として名をはせていたのが,「平凡パンチ」と「プレイボーイ」であった。
独身時代には結構お世話になった雑誌である。この文庫本は,そのプレイボーイで「極道辻説法」を書いていた毒舌大僧正「今東光」氏が,東南寺で5日間にわたって行った戸津説法とその当時のプレイボーイ編集員による大僧正・遊戯三昧事件簿を載せた本である。
その年ごろに読んでいたら,漫談みたいな戸津説法と八方破れな大僧正の行動を描いた遊戯三昧で大笑いをしただけで,おもろいエロジジイで終わっていただろう。
私自身東南寺での戸津説法とかを全く知らない。天台宗の僧が,ステップを上がっていくため,一般大衆を相手に日本仏教の原点である天台宗の教えを説く場であるらしい。
天台宗と言えば,空海と並ぶ有名な僧「最澄」さんであるが,最近では瀬戸内寂聴ということになる。
仏教が大いに布教されたのは,桓武天皇の時代まで遡ることになる。仏教には,顕教と密教があり,当時は神秘的なセレモニーが魅力的である密教が流行し,顕教である天台学は学問的にもむつかしく一歩出遅れたとある。
出遅れた天台の教えには,自利自他,自分を高め他を救う考えや,一乗相即,善悪はひとつ・苦楽もひとつ・幸不幸もひとつ,美醜もひとつという考えがある。
そういった考えを実例を交えながら,面白可笑しく説法する大僧正の話は,浅いように見えて実に深く知らぬ間に天台の教えを言ってのけているのである。
表面の面白さだけでもよいが,あとからなんであんなことを言っているのかを考えたとき,その含蓄の深さに驚いてしまう。
助平な私にいちばんわかりやすかったのは,「銀座に行くと,君は美人ばっかり気ィ取られているみたいやな。まだまだ子どもや。
オレぐらいになると老若美醜にこだわることはない。そうならんと本物の曼陀羅は見えてきまへんのやで,今度,女と寝るとき,ちゃんと目を開いて観察してみい,美人はな,あの瞬間,顔がゆがんで般若面になる。けど醜女は反対にあのときに一瞬,観音様みたいに美しゅうなるもんや。」である。
人間だれしも何かにこだわって生きている。そのこだわったものが,あるときはきれいに見えていても,あるときは醜く見えたり,他の人からは全く違ったものに見えるものである。だからこだわる必要はないのである。「色即是空,空即是色」と同じなのである。
とはいうものの,だれしもそのこだわりを捨てる勇気が,またいくつになっても捨てられないのが,凡人なのだと思うがいかがだろうか。


  • 吉村昭作:冬の鷹
「冬の鷹」題名からは描かれている人物は何も想像できない。カバーに書かれている解説を読んで初めて時代や人物がわかる。
吉村昭作品は,いつものようにあまり歴史の表舞台で活躍した人ではなく,縁の下の力持ちの人物にスポットをあて描いていく。
そういった筆者の意図からすれば,この作品は,少し様相が違う。名声を博した杉田玄白と解体新書の実質的な訳者前野良沢を対比させ,さらに平賀源内や高山彦九郎を登場させ,あなたはどの人生を生きますかと問いかけているようである。
筆者はやはり縁の下の力持ち,前野良沢という人物をメインにしているのだろうか。
生まれた時代が早すぎた高山彦九郎,お上と結びつきすぎていろいろなものを追いすぎた平賀源内,いずれも非業の最期をとげる。筆者は,前野良沢の口から言わせているように平賀源内の生き方には間違いなく賛成していないようである。
ただ,人の生き方はさまざまである,「人の死は,その人間がどのように生きたかをしめす結果だ。どのように死をむかえたかをみれば,その人間の生き方もわかる」
これがまさしく筆者の死生観なのだろう。
物語の前半の主人公は,前野良沢がどういうきっかけでオランダ書の翻訳に取り組むことになったのか,外国語を学ぼうにも先生も,本も,資金もない良沢がいかに情熱を持ち続けたか,なぜ最初の翻訳本が人体解剖図のあるターヘル・アナトミアとなったのか,なぜ杉田玄白と一緒にやることになったのか。
そして,翻訳メンバーがそろい,まったく意味不明の文書,困難であった翻訳作業が,着実に進んでいき,内容が明らかになっていく様子と,そのたびに素直に感動していくメンバーに,単純なのか読み手の私も思わず「よくやった」と拍手を送っていたのである。
一応の翻訳作業終了後から主人公は,杉田玄白へと移り,「解体新書」として世に出すまで,そして塾を開き優秀な人材を集めていく話が展開されていく。
物語の途中でお互いのいやな部分を告白するような内面の言葉は,事実は闇の中だが,これこそ筆者が想像力をたくましくして描いてこそ物語を面白くさせる手法であり,対比された二人の人生が見事に描かれているように思う。
また,外見の姿の対比は,玄白60才・良沢70才,玄白70才・良沢80才のタイミングで,二人並んだ宴席で,実に見事に描かれている。私からすれば,良沢は応じなくてもと思うのだが・・・
後半は,学究肌でひたすら翻訳だけの人生を生き,妻と息子に先立たれ養子にも恵まれず,さびしい最期「通夜にも葬儀にも焼香客はほとんどなかった」をむかえた前野良沢。
一方,病弱で41才で結婚,長男は体も弱く11歳で他界,「解体新書」の発刊と漢方医から厳しい批判に耐えながら,45才を過ぎて弟子にも恵まれ,養子にも恵まれ,江戸屈指の漢方医として隆盛を極めていく杉田玄白,その最期は「多くの門下生がつめかけていて,その死が処々方々につたえられ,漢方医家らが続々集まってきた」
死んでしまえば,どんな葬式になっているかは本人は確認できない。ただ二人ともこうなるだろうという前提でそれぞれの人生を生きてきたのである。あなたなら,どちらを選択できればと思うだろうか。たぶん玄白だろう。
この小説から学んだことが4つある。自分が生きてきた人生,こうなるだろうと思った結果がその人の死でわかるということ,ただ本人はわからない。勉学は情熱さえあればいくつからでもスタートできる。また,やり遂げたいと思う仲間には年齢は関係ない。人生それぞれに幸不幸が交互にやってきて,最期がどうなるかは自分がやってきた通りになる。葬式を盛大にしてもらおうと思えば,後輩を育成することである。
終わりに,この本は是非娘に読ませたい本であり,今回の感想はいままでの中で一番長くなってしまった。  


  • 上岡龍太郎(弟子吉治郎)
副題の「嫌われ者の美学」という言葉や、本の帯にある「醜く好かれるよりは美しく嫌われたい」といった言葉から、私たち団塊世代の人間は嫌悪感を覚えるだろう。
また、「苦より楽を選ぶ」というフレーズから、地道にひたすらコツコツと家族のために働いてきた団塊世代は、さらに本を手にとることさえやめるかもしれない。
目次の各チャプタのフレーズ紹介の中には、「若いときには苦労するな」「難しくて分からないから面白い」「人に迷惑をかけるべし」といったこの人何を考えとんやろかと思いたくなるものがある。
一方で、「勉強したいときが就学年齢」「悩んでいるのではなく迷っているだけ」「偶然の出会いは一生の出会い」「やったことは後悔しない。やらないことを後悔する」といった噛み締めればいい味の出るフレーズもあるのだ。
ではなぜ私がこの本を求めたかというと、引退SENGENという題名だけで買ってみたのである。かねてから、この主人公がテレビで引退宣言をし、本当なのかと思いながら、偶然にも書店でこの本を見たからなのだ。
この本自体は、弟子の人が日頃から上岡氏が言っていたことをまとめたものである。途中( )で注書きの弟子による説明がたくさんある。このあたりはほとんど漫談の世界である。お笑い芸、読むというよりかけあい漫才を聞いているという感じで、その笑いはその時大きな声で笑っているが、頭の中にはほとんど残らない。
読んでいて繰り返し出てくる言葉、それは上岡氏の父の言葉・物事の判断基準「苦労をするな」「楽な方を選べ」だけが、妙に頭の中に残った。
われわれ凡人は悩んでいるのではない。迷っているのである。だから、その判断基準さえあればいいのだ。というへ理屈論はとても面白い。
悩んでいる人からすれば馬鹿にするなとなるかもしれないが、何に価値をおくか、それがいくつになっても見つからないから余計に悩んでいるのではと私は思うのだが、あなたはいかがだろうか。
そんなことを考えているうちに一生を終わってしまうのだろう。
いずれにしても今年3月20日上岡氏は引退し、2年間ほどゴルフ三昧そして、日本往還マラソンと30キロごとの市町村で地方を見学して、2003年の11月大坂市長選挙に出馬するかもしれないのである。本当かどうかそのころには忘れてしまってだれも確かめる人はいないかも知れないが・・・。4月1日のエイプリルフールにやってくれれば、すぐ嘘だと分かるのだが。
最近は嘘つくやつばかりだから、しゃれで本当にやって欲しい者だと逆に思ってしまうのである。  


  • 吉村昭作:白い航跡(上)
今回も吉村昭の小説の主人公は,歴史の裏舞台で明治時代に活躍した医者・高木兼寛という人物の話である。
明治という時代を背景にした歴史小説の大半は、明治維新という大きなうねりの政治舞台や海・陸軍や経済界で活躍した人が中心であり、私が読んだ本もほとんどがそういった本である。
明治新政府は、列強に伍していくため、新しい国作りを急いでいた。そして、かつての身分制度にとらわれずに積極的に人材登用をしてきたが、医学面にはほとんどスポットはあてられていなかった。
私自身、明治という時代に西洋医学が一気に入ったことを初めて知った次第。
この作者の作品が面白いのは、小説の始まりを主人公のどの時期からにするかという、助走の部分である。読者にまずその時代の情景をイメージさせる。主人公が20才にして、薩摩軍の医者として従軍し、その戦闘の激しさに多くのページをさいている。
そういった状況の中で、銃弾で負傷した多くの兵士を目の当たりにしながら,治療することができない。蘭方医でありながら助けられない自分にもどかしさを感じていた主人公。
ところが、医者仲間からの情報やある病院で主人公が見たもの、それは銃弾をうけた多くの負傷者に、外科手術を施して助ける西洋医学に、医学の新しい方向性を感じとっていく。
この上巻は、主人公が20才に医者として1年間従軍してから、イギリス留学を終えるまでの12年間で構成されている。彼の医学への志は、大工の父と百姓の娘の母の間に生まれながら、8才にして読み書きを覚えたいと思う倅に、母が中村塾へ通わせるため夫をくどくところからスタートする。
父について大工見習いをしながらの中村塾通いと、師中村敬助との出会い、鹿児島の蘭方医石神良策とイギリス医師ウイリスとの出会い、イギリス医師アンダーソンとの出会い。そして5年間のイギリス留学。
その間父の死、恩師石神良策の死、母の死、義父の死、わが娘の死、多くの不幸を乗り越えながら、運とか縁とかの不思議さとこの時代に生まれ出るべき人物の小説の面白さを感じ取っている。
時代の大きなうねりに傑出した人物は、突然に出来上がるのではない、その能力を認め育てる人物がかならず周囲に存在する。そして、不思議に集まってくるのである。
少し残念に思ったのが、イギリス留学の話しである。ひたすら勉学の話しであり、街の風景とかが出ていないことであった。
そして、考えさせられた言葉は、いまではごく当たり前になった海外留学、この時代は「遊学」という言葉で、今では御手本があれば簡単にコピーできるが、この時代は勉強するためにはまず「筆写」から始まるということだ。
  • 吉村昭作:白い航跡(下)
下巻は,主人公が5年間の海外留学から帰国,本題の脚気への取り組みから,没するまでの6つのチャプタで構成されている。
とにかく最後まで目が離せない,どういった展開になるのか,興味が尽きない構成である。
吉村昭の作品に最近のめり込んでしまっているが,いままでの作品の中で私は一番だと思っている。
ときには涙をにじませ,鳥肌までたてて感動している自分がそこにはいた。
一方で,臨床医学を認めない陸軍・東大医学部そして森林太郎という人物には,はなはだ失望した。文学の世界では素晴らしい作品を残しているが,執拗なまでの「細菌説」への偏向と「白米食説」批判。
これは,薬害エイズの時の厚生省と薬品業界と医学界の対応の関係によく似ている。
薬害エイズも多くの死ななくてもいい人たちが犠牲になった。それ以上に脚気で,陸軍では死ななくてもいい人が桁違い(日露戦争での戦死者47,000名に対して,脚気で死んだもの27,800名) になくなっている。原因がわからないのなら,まず効果が出ている米麦混合食を取り入れてからできなかったのか,腹立たしさを覚えてしまう。
そして,海外や海軍や一般大衆には認められても,医学界では認められずに他界した主人公。脚気の原因はビタミン不足という決着をみるまで,後年のものが検証しない限り,白米食説の正しさは歴史が証明するのみなのである。
また,この小説の面白さは,大きな壁に挑む主人公の熱意ある姿と,壁の大きさや不幸に見舞われ一転沈み込みうつ状態になる主人公,「細菌説」と「白米食説」,海軍と陸軍の組織体質の違い,海外医学界と日本の医学界の対比があるから面白さが増しているのだと思う。
さらに驚くことは,海軍が日清日露戦争の勝利の影にあったのは意外にも脚気を撲滅したことにあるということや,看護婦制度の創設,貧窮者への無料診療,保険制度への参画と明治という時代に現代医療制度の基礎を築いた人物と言っても過言ではないのではなかろうか。
おわりになるが,人はだれしもやはり人に認められたいという欲望があり,年を重ねるに従い,名誉ある爵位に憧れるのはいたしかたないことなのだろうか。



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