• 日下公人作:コ゛ールド熟年マーケット
アルビントフラーが20年ほど前に表わした本に「第三の波」というのがある。2千年になってやっと日本でも,情報化革命の大きな波・第三の波が既存の考え方を飲み込もうとしている。
平和な時代,情報化革命は老いの力でも十分に役立つ。そして,古い時代の人間と新しい時代の人間との闘いでもあり,一大ビジネスチャンスの到来でもある。
あとがきには,「現在は古典的な老人観が,180度パラダイムシフトしている時代である」とあり,私たち団塊世代はまさにその中心になろうとしているのである。
この本は,来るべき少子高齢化社会にITを駆使してビジネスを展開しようと考えている人には多くのヒントがある。
ただどっぷりと企業の中に埋没し,できれば平穏無事に定年を迎えたい人には,読んでも閃くものはないだろう。
私は,ちょうどその中間あたり,できれば定年後の勤めは会社の延長ではなく,ネットを介して何かができればと思っている。そういった観点からは面白そうなものがあるが,いくらITが発達しても地方ではビジネスに結びつくまではまだまだ。
3つのチャプタの中には,15の課題とそのビジネスポイント,そして課題の姿として「これまで」と「これから」が書かれ,その課題のおわりにビジネスのための3つの法則が書かれている。
さらに,この中に読後の事業化閃き度テストでも入れていただければ,おのれの事業家としての才能もわかろうというものだが・・・
私なりに閃きが湧いたものを3つ紹介すると
@老の尊厳・・・「ひとりを演出」する生活サポートサービス,(これまで)ひとり暮らしの老人は孤独,(これから)ひとり楽しむ老人は素敵
A社会を支える元気な老働力・・・(これまで)隠居して消費するだけの社会のお荷物,(これから)生涯現役で社会を支え,必要とされる存在
B老人ベンチャー・・・人生これから,まだ夢は終わらない(これまで)定年後一人寂しく余生を過ごす,(これまで)定年後企業家を目指す
読み終わって,いままでの「きずな」を大切にしたネットワークを創り,小さなネット居酒屋をオープンするそんな夢を見ている自分がいた。


  • 宗左近作:小林一茶
ホームページ作成の材料として動画がある。その動画を作る時,私は「思わずクスッと笑えるもの」をひとつのテーマとしている。
そんなことを考えながら,書店で次に読む本を散策している時,「小林一茶」という本に少し閃くものがあった。
俳句は,5・7・5という言葉の中に,季語を折り交ぜながら,筆者が描いている情景が,読んだものにイメージできるものであれば印象として強烈に残り,すぐ覚えてしまうものである。
小林一茶といえば「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」「痩蛙まけるな一茶これにあり」「目出度さもちう位也おらが春」「やれ打な蠅が手をすり足をする」
現代人に実にわかりやすく,ユーモアがあり,一茶がどういった情景をみながら詠んでいるかが俳句に縁のない私でも想像できる,まさに私の動画作りにぴったりなのだ。
一茶は,俳句を商売にして生活していたのだろうか,「春立や四十三年人の飯」「春立や菰かぶらず五十年」の句からすれば,貧乏ではあったが時間に縛られない自由人であったことには間違いない。
しかし,生まれて64年間の創作俳句の数約2万句に驚く,さらに「我と来てあそぶ親のない雀」の句は幼名弥太郎6才の時というが,筆者は後年一茶が手を入れたものと解説している。
この数からすると,1年で5百句,普通は1月に5句というから,また驚いてしまうが,いい句にのんびりとしたものやユーモラスなものがあることから考えてしまうと,一茶という人物像が変わってくる。
筆者が選定した330句はどの句も読みやすく意味も分かりやすい。文語大嫌いの私にとってとても親しみやすいのである。
こんな文人がと意表を突かれてしまうのは,屎や小便の句もたくさんあるということだ。さらに親しみを感じてしまう。
特に生き物をテーマに詠まれた句が気になる。雀・蛙・蠅・蛍・蝶・・・。
同じ季語等使って多く詠まれたもの,桜が721句,梅の花が394句,蝶が240句,蛙が217句・・・だそうであるが,動画作成者としてはいろいろな状態の蝶と蛙の句,すべてに出会いたいと思っている。


  • 石原慎太郎監修:国家意志のある「円」
実に硬いテーマである。しかしながら,実に刺激的でもある。
といっても,最初から最後まで情報関係用語と同じようにカタカナ用語の経済用語がふんだんに出てくるため,読んでなるほどと思う部分と,結極何度読んでも意味が分からない部分がある。総括するとよく分からなかったということか。
でも刺激的であることには間違いない。そこでよくわからないなりにわかったことを書いてみると,経済の動向はアメリカのシナリオにより大きく変わっているということである。「金融ビッグバン」「ゼロ金利政策」「会計ビッグバン」は ,現実の話すべてアメリカの外圧よる。ただ時代はその方向にあることは間違いないが,私たちが新聞等の情報で見る限り,日本の自主性と独自性は実に希薄であると思わざるを得ない。それをするどく指摘している。読むに従い,アメリカのパワーでものをいわせようとする恐ろしさと,日本のふがいなさを感じてしまう。
さらに気になるのはこれからやってくるだろう「防衛産業ビッグバン」である。被爆国・軍隊を持たない国・武器輸出三原則に対して,アメリカがどのような戦略をたて攻撃してくるのか,それに対してどう対応していくのか。マーケットを「市場」と見る日本と,「戦場」と見て国を挙げて攻めてくるアメリカを含めた諸外国の違いではないかと,解説されているところに,なるほどと思わされる。
この提言の中心は,「官」に対して,バランスシート作成,市場原理の導入(PFI(官公庁の仕事を民間の資金と経営ノウハウでやる)),バーチャル州制度等により,小さな政府を作ろうとするねらいがある。
あわせて,日本には全体を引っ張っていこうという強力なリーダーが政治家にも官僚にもいない。いないなら国民で政治を動かす集団を作ってみよう。まずインターネット上でシンクタンク機能を作る。
そして,プロの政治家の知的空白を埋める役割を果たしながら,次第に影響力を強め,政党結成に行き着く。このあたりの発想は実に面白いが,日本人は政治的にそんなに成熟した人種とは思えない。現状の政治を打破したい人たちが少しでも出てくれば,最初は小さな波でもやがて大きな変化の波になることは可能であろうが。
世代が変わり人前に出たがる人たちが多くなっていることは確かだが,やはり団塊世代が中心の日本人は,口コミとか草の根とかいわれるように,小さな輪からスタートするのが得意なのではと思うのだが。
もっといえば,アメリカや隣の韓国と同じように大統領を国民の直接選挙で選出する方策の方が手っ取り早いような気がする。
最後のまとめで「私たちはアメリカのように勝者至上主義ではない。アメリカがつぶれてしまってよいとは思っていない。もちろんアメリカを凌駕する軍事大国になって世界制覇を考えているわけでもない。競い合うこと,そして,共栄することが私たちの願いである」としめくくられている。
ただ私は,競争しながらの共栄というが,諸外国にその考えはない。競争にはかならず勝者・敗者がでる。私の能力不足からか読破したかぎりでは,「共栄」の部分がよくわからなかった。資本主義社会は,やはり人間としてのとめどない欲望をいかに押さえられるかという「心の問題」がキーワードのような気がする。  


  • 野末陳平作:定年前後の自分革命
定年をテーマにした本は,自分なりに意識してかなり読んできた。「定年で男は終わりなのか」「定年百景」「定年後」等々
何かしら上手に第二の人生に軟着陸した人たちの話や上手に軟着陸しようとする話ばかりであった。
この本は,筆者野末陳平氏の周囲にいらっしゃる人々の生々しい笑うに笑えない話である。
「うつ」「家族との関係」「会社人間後遺症」を克服しなければ,テーマのなかにある「自分革命」は困難ということだ。
たぶん多くのサラリーマンは,なんとかなるという気持ちが強い。そういった気持ちはこの本を読めば大きな間違いであることは明らかである。
特に専業主婦に依存してきた体質を当たり前と思っておられる方,会社で地位が高く身の回りの世話をすべて部下にしてもらっていた方の落ち込みようは激しいようである。
ただその人たち以外なら大丈夫かというとそうではない,なにかしら会社へ出れば一日がすぐに終わっていた人たちも,長年の会社依存型から脱却することは困難を極めるらしいのだ。
もちろん,早めに助走・準備を始めることを筆者は進めているのである。
読んでそれぞれが自分革命をしなければと思うかどうかは別として,何か思い当たるところはかならすあるはずだ。
ちなみに陳平氏の言う,きたるべき人生を快適に暮らすための三大法則と5カ条を紹介しよう。
まず,三大法則「ひとりで遊べるクセをつける」「会社を離れていける自分を作る」「ヘソクリを貯める」
そして,自立人間5カ条,「妻に内緒で秘密の金を持つこと」「妻とは別室で寝るクセをつけること」「自分のめしは自分でつくれること」「主夫業を楽しくこなせる男になること」「主役の座をおり,家庭内の脇役に徹すること」
自分に照らしてみると,ヘソクリは少しはあるが陳平氏によれば,5百万円持てとあるから目標はほど遠いので内緒で頑張ってみたい。今は単身赴任だからめしをつくるとか別室で寝るはそれなりにできるだろう。
「主夫業を楽しく」は,毎日のことだからかなりむつかしい。「家庭内の脇役」自分の深層意識には自分が稼いでいるという意識はある(飲むとついえらそうに言ってしまう)が,かなり脇役になりつつある。


  • 内橋克人作:浪費なき成長
これは,世界における日本経済の位置づけを再確認しながら,日本国政府の経済政策に関する提言本であり,また,一人一人が市民としてどう行動するかも指し示している。
地球環境問題が声高に叫ばれる中,21世紀を迎えるに当たり,筆者の長年の考え方をさらに具体的に述べ,いまこそ新しい発想で行動を起こすべきであると熱っぽく語られている。
この本は,国の舵取りをする人たちへの提言が主であるためか,内容的には,経済用語がかなり出てきて,難解である。
とはいえ,はじめになぜ現在の経済政策があんな形で行われているのか,「三つの問いかけ」から入って,少しでもわかりやすくしている。
さらに,この国の施策が間違った方向にいっている事例として,阪神大震災の復興策を具体的に分析している部分は実にわかりやすい。
これは,「衣食足りて礼節を知る」ではないが,「生存基盤」が確立していないのに,「生産基盤」のみを国費でまかなっている。2軒分までの家のローンに追われている被災者は,かつての事業主であることを忘れてはならない。いくら生産基盤を早くに立ちあげてみても,生存基盤の安定が見込めないと,事業再開の見通しなどが立つわけがないのだ。
震災前のような消費行動ができないから,街は活性化しない,活性化しないから商店も再開できないのだと・・・。
テーマである「浪費なき成長」で大切なことは,仏教でいう「少欲知足」ではなかろうか,そして本来の消費とは使いきることではないだろうかと私は思う。
ところが,資本主義経済のもとでは利潤をあげるためには,コストを安くする必要がある,さらにそのためには大量生産をする。さらに次の消費を起こさせるためには,短サイクル・マーケッティングにより毎年モデルチェンジをする。そして多くのムダなものができあがる。消費されなかったものは廃棄されゴミとなる。この悪循環が地球環境を破壊し大切な資源を食い潰し,さらに先進国・発展途上国との所得格差を拡大させ,先進国のアメリカでさえ貧富の差がさらに拡大しているのだという。
筆者が強調する浪費なき成長とは「質素,倹約そのものをいうのではない,自然な消費の姿としての節約と消費が両立する経済」ということなのだ。企業側からすれば,21世紀だ,それ理念型経済だと,すぐに切り替えるられるものではない。国の施策としてその方向性が打ち出されないとむつかしいだろうという声が聞こえてくる。しかしながら,すでにその方向に向かっている国・企業があるのである。
勉強のために少し経済用語を列挙してみると,ゼロエミッション,アウタルキーの形成,アワニーの原則,MAI(多国間投資協定),エシカルマーケッティング等々となる。残念ながら何度読んでも意味がよくわからない。
終わりに,筆者の考えをまとめると,自給圏を形成すべき三大要素(フーズ,エナジー,ケア)」を自分たちの手の中に再び取り戻す,つまり「生きる」「働く」「暮らす」の統合をめざすことにも通じる,自給自足圏を形成し,経済の成長を浪費(消費の拡大)によって求めるのではなく,経済構造の矛盾の解決に向けて社会参加型経済を築くべきであると。



  • 佐藤愛子作:老残のたしなみ
この作品は、1996年8月〜99年9月に日経新聞等に掲載されたエッセイである。
書店に出向いたとき、筆者の作品を一度は読んでみたいと思いながら、手にとることはなかった。
筆者が年をとったのか、それとも私が年をとったのか「題名」が気になり、そして短文エッセイということもあって、今回はためらいなく買っていた。
第一章の「老薬は口に苦し」では、現代という世の中で役割がなくなった老人、仏教とか、あるいは本当の偉人について、そして「考える葦」でなくなった人間の話しが印象に残る。
第二章の「可哀そうなおばあさん」では、ある漁村の不倫話、サッチーの話、そしてマスコミの浅慮の横行に怒り、とにかく元気のいいおばさんという感じである。
第三章の「日々是上機嫌」では幸福論、老後、霊魂に関する死後の世界、そして今の世の中でたらないものと必殺仕置きばあさんの実力を遺憾無く発揮している。
読み終わってまず思ったことは、女性と言っても、男より肝の坐った人であると。それは、亭主の会社倒産で亭主は逃亡したが、その借金を何も言わずに自分で払ったこと、強盗に入られ塀を乗り越え隣の家に行き、隣人が腰を抜かしたため、ご本人が警察に通報した話しで十分に分かる。
筆者の話には、すでに現代の私たちが忘れたり、なくしている、大切なキーワードが多くある。
「本能や欲望を制御する生き方」「謙虚さ」「老人くささ」「感性」「人の情」「考えること」「精神的な価値」。
そして老後とは「これまでの生き方がものをいう」ものらしい。
さらに、今の世の中の狂いを総括すると「信念も恥もなく、ただ自分の暮しさえよければいいと日本人が考えるようになったことに源があるかもしれません。個人の思想が頽廃すると、社会も国も頽廃するということが今、まざまざと見えてきましてね」ということらしい。
一番印象に残った話は、本当の偉人、松本サリン事件の被害者「河野義行」さんの「突然ふりかかってきた災難をじっと受け止め、愚痴らず怒らずノイローゼにもならず、静かな忍耐の日々を重ねた。・・・・まことの偉人とは不幸を受け止めることによって己れを磨く人だ」という話しである。さて、あなたはどの話しに耳を傾け考えてみるようになるのだろうか。
さらに、「私は他人にどう思われかということを気にしないんです。」とても好きな言葉である。多くの人は他人の目を意識したり、隣が友達がどうしているからと他人に流されてしまうのである。


  • 弘兼憲史作:俺たちの老いじたく
「サラリーマン島耕作」かっこよすぎてほとんど私には縁がない。
といいながら,その漫画はいまだ,読んだことはないのだ。
同世代の筆者が書いたということ,題名の中に「老い」という言葉があることから読むことにしたのである。
最近よく読む本のキーワードとしては,老いとか,死生観とか,人間とか,定年等であるが,定年予備軍自身が「老い」について書いた本は,まだ書店にはほとんど並んでいない。
まだ,若いという意識と死を考える年でもないからと思いつつも,ダンディな部長島耕作が老いを考えるのだから,読んでみようかと手にとる団塊世代が多いかもしれない。
筆者のこの作品は「老いじたく」とあるように,当分まだ生きているという前提であるから,過去読んだ一世代・二世代違う筆者と違い,平和な時代を生きてきた世代はこういった考え方からしか入れないのだろうと思う。
きっかけ作りとなるフレーズが多すぎて,結局どうすればいいのか,著者本人はダメでもともといいながら,失敗した話は全然ないのである。
団塊世代は,終身雇用企業の中で,組織の目標にひたすら尽くしたきたサラリーマンだから,部長島耕作に理想を描きながらも,それはほんの一握りに過ぎないと思っているのだ。失敗をいつも恐れて,ひたすらまじめに生きてきた世代なのである。
気になる三つの一語がある。「素」「今」「粋」であるが,この言葉を含むフレーズ「肝心なことは,どんな面白い『今』も,いつか過去になっていくということだ。そう考えると,人生で大切なのは,50代なら50代の『今』・・・が一番面白くなるように生きることだ」
「老いの心構えは身一つの強靭さ,生きる上での素に戻ることから始まる」には,地域社会へ出てもどうも企業戦士の延長でその中心にならないとだめという思想や,常に勝ちを意識したものが見え隠れしてしかたがない。
組織の中で金太郎アメみたいに生きてきて,さらに人のやることを気にして生きてきた世代にとって,定年後は企業戦士の鎧をはずし,人生に勝ち負けはないのだから,百人いれば百人の定年後があっていいのだとわりきることだと私は思うのだが。

 


  • 木村政雄作:笑い経済学
「笑い」をキーワードにしたこの本は,長期にわたる経済不況にあえぐ時代に,違った視点から「ものを見てみよう」というヒントが含まれているようだ。
私自身,笑いはとても好きだ,吉本新喜劇の笑いはさらに好きだが,家庭はそれなりに「笑い」があるが,職場となると残念ながら,「明るい職場を作ろう」と言われながらも,なぜか笑いは馬鹿にされている部分がある。
特にユーモアある会話ができる日本人はなかなか見つからない。ましてや会社人間の中には皆無に等しい。
自分の中では,くだけたアイデア的発想が見つからないかと,読んでみたが,内容はかなりハイレベルである。
長期化した経済不況の中で,モノをひたすら求め続け,際限のない欲望を満たすことを続けてきた今人が,何か精神的に満たされない自分たちに気づき始めている。
その原因分析と企業としてどう生き抜いていくかの方向性があり,もちろん欠かせないのは「笑い」であると・・・。
4つのキーワードがあるようだ。「成長軸より楽しさを軸に」「ナンバーワンから,オンリーワンへ」「ハードからソフトへ」「やらないリスクよりやるリスクを」
この4つをキーワードに会社を方向転換するには,それこそスクラップアンドビルド的な発想で年齢に関係なく人材を登用するか,吉本新喜劇のように思いきって全員解雇し,会社の新人事方針にそうものから雇用契約をしていかないとむつかしい。
特に既成の仕事のやり方に執着する保守的な考え方からの脱皮には相当の抵抗感があるからだ。ただ,変わらないといけないという気持ちはあっても急激な変化は望まないのが常だし,大企業ほどパラサイト的人材がかなりのウェイトを占めているからだ。
変化を好み・改革思考の人間にとっては,勇気づけられるフレーズが多くある。「市場では今,こういうものが求められているから,こんなものを出そうという体制はわが社にはありません。まず思いが優先しないとだめなんです。やらないとわからないこともたくさんありますから」「新しい挑戦にはリスクがともないますが,やるリスクよりも,やらないリスクのほうがずっと大きいと思います」
そして,特に勇気づけられるのは,「条件が変化するということは,新しい可能性が拓けるということである。自らを信じ,絶えずマインドの刷新を図っていけば,必ず明日は明るい日となるはずである」



  • 有吉佐和子作:恍惚の人
介護保険制度が2千年から始まって,急速な高齢化社会の21世紀が待ち受けている。その時代に65歳以上となるのが,われわれ団塊の世代なのだ。
本を探索しながら,最近のキーワードは,老いとか死生観の本に目がいってしまう.さらに加えて単行本ではなくできれば安い文庫本,介護とかについて昔はどうだったのか気になりはじめ,そういえばと思い出したのがこの本だ。
少なくともこの時代のこの本の話題は,めずらしくかなり衝撃的でテレビドラマにもなったと記憶している。
介護は女性がそれも自宅でひたすら耐えてという時代だったのだ。さらに赤軍派による浅間山荘事件でテレビに釘付けになっていた年でもあった。
最近では,介護だ,介護ビジネスだと社会全体が騒がしいから,このジャンルの本には事欠かないが,あらためて,自分たちの親がぼけたらどうなるか,どうするかを考えるいい本である。
同じ敷地に夫の両親と生活をともにする共働き夫婦,日頃全く死とか,老いとかに無縁だった家族が,突然の姑の死と舅のぼけの始まりで,次から次へと起こってくるさまざま出来事にどう対応しようかと戸惑うシーンがいくつも出てくる。
特に介護の問題を単なる家族の問題としてではなく社会の問題として鋭く描いている。30年前にこのような問題作が出ていながら,介護の問題はやっとちょについたところなのである。団塊世代が自分たちの問題としてやっと意識するようになったからだろうか。
いろいろなシーンについて書いてみると,毎夜,庭での小水,被害妄想による毎夜の泥棒騒ぎ,街への徘徊,風呂で体が洗えない,入れ歯を自分の歯だと思っている,日頃接することのなかった夫やその妹がわからない,鎮静剤と失禁,大人のオムツ,骨壺から姑の骨を取り出す,浴槽で溺れる,急性肺炎,便所への閉じこもり。
こんなシーンが毎夜中かちょっと目を離したスキに起こるのだ。読みながら,自分に照らしてみて,まずは恍惚になるまで生きたくない,寝込まずに死にたくないとだれしも思うだろう。しかし,現実はそううまくいくものでもない。
トラブルもなく病人もいない平和な家族生活の中では気付かないが,老いとか死は,かならずや家族の世話になるものなである。そして,なぜ自分たちだけがこんなにも不幸なことが重なるのかと思っている人がほとんどだろうが,まちがいなく「死」「老い」に関する経験は,いずこの家も変わりがないのだ。
30年前に比べたら,貪欲なぐらいに生に対する人間の執着心は,さらなる医学の発達から望んでいない延命治療での,寝たきり老人をごろごろ作り,豊かな食事と金銭的な豊かさはそれなりに長生きは当たり前なのである。
衣食住足りて礼節を忘れ物にし,こころに対する豊かさを忘れ物にしているために,貧しい終幕を迎える時代なのである。
この本は,あらためて老いとか死がすべての人間に共通の問題であり,社会の問題であることはもちろん家族の問題であることを考えさせてくれるのだ。
ただ漫然と老いを迎えるのではなく,自分の死生観をどうもつか,いいきっかけになる作品である。


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