蔵前仁一著
スローな旅にしてくれ


「スローな旅」、この言葉に引かれて本を求めてみた。
7年前に「沈没日記」という題で出版され、このたび文庫本化されたものである。
いろいろな国へ旅した話も収められているから、ひとつひとつの話の 終わりには、現在のその国の状況が加筆されている。
読み進めながら、仕事は何のためにするのかと改めて考えさせられる。
ほとんど仕事主体で生きてきた人生、それで得たものは何だったのか。

いまその生き方を変え始めて、5年以上すぎたにもかかわらず、なぜかまだ後ろめたさが残る。
それは、何だろうかといつも思っていた。
この本を読んでやっとわかった。

間違いなく、人生はただ働くためにあるのではなく、遊び心で楽しむためにあるこの一言に尽きるのだ。
気に沿わない仕事や、煩わしいい人間関係なんて、もう十分満腹だ。
仕事は適当に処理して、自分が気の合う人たちや自分が好きなこと、楽しいことを始めてもいい年頃なのだと思う。

さてさて、本題にもどろう。
旅、たび、筆者の旅行パターンは、最近まで1・2年仕事をしては、1・2年旅に出る。
旅先でイラストと紀行文を書きながら、日本に帰って自分の出版社から自分の本を発行しているのだ。

第一のチャプタでは、安宿の話が出てくる。
長旅をするにはやはり宿が問題である。ようはその宿に何を求めるかなのだ。
文明社会の快適とは何かを考えさせてくれる。

さらにこのチャプタでは、たびの本質を知る。
なぜ、危険なカンボジアに行くのか。
「そこにカンボジアがあるから行くのだ」どこかで聞いたフレーズだが、同じなのである。

だから、たびについて書いたり読んだりするより、自分が旅するのが一番なのである。
この本の構成は、「旅行するのにおすすめの場所?」等、筆者に対する質問にも答える形式にも なっている。
ただ、それは、質問者が求めていたものとはいささかずれたものになっているかもしれない。

第二のチャプタには、旅人としては意外な筆者の実像がある。
それは方向音痴であり、海外に何年も行ってるにもかかわらず、海外の言葉に無頓着でもあり、 放浪の旅人などでもないということなのだ。
旅慣れしてない人、方向音痴で旅に躊躇している人、これから海外旅行を始めたい人にとっては、 とても勇気付けられる本なのである。

第三のチャプタには、いろいろな人との出会いがある。
と言っても、積極的に人を求めての出会いではない。これが筆者のポイントなのである。
旅のお師匠さんであるインドのウチュウジン、さすらいの宝探し人で古美術を探すHさん、 地図好きの富永さん等々、極めつけはいまでは行方不明の「愛と光のコメットさん」、 この方には、約20ページも割いているから、 いい出会いとかとは別にいろいろなエピソードがあり、当事者ははなはだ迷惑だったろうが、 読んでいて実に面白い。これは旅も人の縁そのもののような気がする。

第四のチャプタには、旅をめぐって、現代人の生き方にもふれている。
それは、このフレーズで十分わかる。
「金勘定と世間付き合いに明け暮れ、世間体ばっかり気にしてせこせこ生きるから世の中 悪くなる一方だ。子どもはぐれるし、いじめは起こるし、 オウムはサリンをばらまくし。こんな常識なんか屁だ!と『私』は言いたいのである」、 いかがだろう。
いつも忙しく生きてる我らにとって、 少し耳が痛さを感じるに十分なフレーズなのだ。

終わりに、新しくであったワードと旅に関する質問を書いて、さてさて我も大いに旅に出たいと 思うのでありました。
まず、ワードから、バックパッカー、旅先のホテルの情報ノート、疲れたら沈没(=長逗留)等々。 質問からは、「旅行するのにおすすめの場所は?」「地元の人と交わるには どうしたらいいんですか?」「観光地なんて行かないんでしょう」 「地元の人間の家に泊まったりするんでしょう?」等々
さあみなさん春です、楽しい旅にお出かけください。



梅原猛著
梅原猛の授業「仏教」


洛南高校附属中学校(真言宗設立)で行われた宗教の授業である。
話し言葉だから実に読みやすく、中学生を対象にしたものだからさらにわかりやすい 内容になっている。
生れて50年以上過ぎたが、宗教について具体的に習ったこともなく、必要性も感じず生きてきた。

宗教について、あえて言うなら冠婚葬祭用宗教であり、オウム真理教などどうしても 胡散臭いものしか感じてこなかったのだ。
読み進めながら、それは間違いだったことがわかる。
科学万能の現代、閉塞感の強い現代、心の豊かさを持つためには、宗教は必要不可欠なものなのである。

読み終えて、何かしら清々しいもの感じさせてもらい、もう一度ゆっくり読みたくなる。
とてもいい本に出会えたようだ。
筆者の声で直接聞けば、さらに心が落ち着くのかもしれない。

まず第1時限では、「科学技術文明は人間を堕落させた、という反省が、いま起っている」 そんな中で、宗教を見直す必要性について論じ、ドストエフスキーの「カラマーゾフ兄弟」 の3兄弟の宗教に対する考え方を引用しながら、有神論でなければ文明も道徳も存在しないと 説いていく。
第2時限では、、 サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」を取り上げて、 世界の文明と宗教の歩みから、現代起っている一神教の キリスト教とイスラム教の対立を浮き彫りにする。
そこに、新しくて古い宗教の必要性を説くのだ。
それは、神道と混合した日本独自の仏教なのだと。
そして、人間と生きとし生けるものが共存しなければ、やがて人類は滅びると

第3時限では、具体的に仏教の始祖、釈迦の人生と思想を考える。
その思想の中心であり、「般若心経」にも出てくる「苦集滅道」の四諦について、 このむつかしい言葉を実にわかりやすく説いているのだ。
この時限には、釈迦のいい言葉が載っているので、2つ抜粋してみたい。
「人は生れによって聖者(しょうじゃ)たるにあらず」
「自己のよりどころは自己のみである
自己のほかにいかなるよりどころがあろうか
自己のよく調御(じょうご)せられたとき
人は得がたいよりどころを得るのである」

第4時限では、釈迦入滅5百年後、山から下り、町へ出て悩んでいる人を救うため、 大乗仏教をはじめた龍樹の話と「般若経」が要約された「般若心経」のエッセンスを紹介して、 釈迦の教え−平等、知恵から自由に、慈悲 −を説いている。
第5時限は、仏教と道徳の関係そして、第6時限で学生による「人生に宗教は必要か」の討論。
第6時限から10時限では、仏教の歴史へと入る。
そこには、聖徳太子、行基、最澄、空海、法然と親鸞、日蓮と禅が出てくる。

歴史は分かったが、それでは現代の仏教はどうなのかを、第11時限で。
ここでは、明治以降天皇教になり、仏教が排除された。
わずかに、文学者、作家が宗教の大切さを語ったと。
特にここでは、筆者が好きだという宮沢賢治を取り上げ、「現代の宗教は疲れている」 と言う賢治と同感の筆者、そして 筆者自らが無神論からの変節を語っているのだ。
最終時限は、ちょうどアメリカで同時多発テロに行われた授業で、「いまこそ仏教が求められている」 と語り、仏教国日本は平和運動の先頭に立つべきだとも。

終わりに、この授業は、中学生を対象に行われたものだが、平和ボケし、今の今まで真剣に 「生き方」について、考えて来なかった私を含めた戦後世代にとって、 死も決して遠くなくなった世代にとって、 改めて宗教とは何ぞやと考えてみるいい機会を与えてくれると思う。
是非読んでもらいたい一冊である。

いよいよ最後に「この本の教え」を忘れないためにも、 自利利他の精神、四弘誓願(しぐぜいがん)を書いておきたい。
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
煩悩無数誓願断(ぼんのうむしゅせいがんだん)
法門無尽誓願学(ほうもんむじんせいがんがく)
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)



ロルフ・デーゲン著
フロイト先生のうそ


長年本当だと信じてきたことが、ことごとく「うそ」だったと思い知らされる。
えーこれも「うそ」だったのか。
口から「うそー」とコギャル言葉が出てきそうである。

特に、フロイトの深層意識の話、無意識の話はかなり衝撃的であった。
心理学の迷信・俗説の一刀両断は、四部に分けて、「影響力」「心」 「意識」「脳」のウソを暴いていくのだ。
話の展開は、まずは俗説・迷信を掲げ、現在までの数々の実証的研究結果をどんどん引用 してその「ウソ」をひも解いていくから、なるほどとなっていく。
読者は、「実証的研究」を調べる手段もないから、信じる以外にない。

「はじめに」を読み始めて、「心理学は最も重要な学問であり、同時に最もどうでも いい学問である」というこの書き出しにまずはガツーンとやられてしまう。
そして、迷信を信じる人たちをその迷信から解き放つのも至難のことであるとも言っている。
人間は一旦信じてしまうとその呪縛から逃れられないということなのか。

では、俗説・迷信の暴かれ方を一部紹介してみよう。
「心理療法で精神障害やノイローゼを治せるか?」これは、現在うつの仲間を抱えるものとして かなり衝撃的なものであった。
「心理療法は精神障害に対して恐ろしいほど(おそらく完全に)無力であるだけでなく、 最悪の場合には、治療するどころか精神障害を引き起こす場合さえある」

さらに「熟練した専門家など存在しない。自分を治すベスト・エキスパートは自分自身なのだ」
そして「人間の精神には、外部から助けを受けなくてもたいていの精神的不調を治してしまう自然 治癒力が備わっている。セラピストの助けがなければ先へ進めない、という固定観念こそが 悪循環を生み出しているのである。くよくよしてないで外の世界へと一歩踏み出して、 アクティブに行動することのほうがよほど大事である」
まさに一刀両断なのだ。

これだけではない。
私が信じてきた迷信・俗説?だったことはまだ沢山あったのだ。
「知能や理解力を飛躍的に高める特別な方法が存在するか?」

「無意識の領域が人間の行動を操っている?」
「親の離婚は子どもにとってトラウマになる?」
「瞑想は理想的なリラックス法である?」

「瞑想中に特別な脳波が現れる?」
「臨死体験は来世の存在の証明である?」
「人間は脳の10パーセントしか活用していない?」
「左脳は論理的、右脳は直感的?」
いずれの迷信・俗説?をどう一刀両断しているかは、読んでみてのお楽しみに...。



ジャック・フォスター著
アイデアのヒント


わたくしの大好きな言葉である。
これを楽しみに仕事をやってきたようなものだ。
この「アイデア」のノウハウに関し「ズバリ」と書かれた本は、長年、 書店回りをしてきたが、いままでなかった。
なぜか、筆者が言うように、「この本のアイデアを思いついたのは、1993年で、このような 形になるまでに3年もかかった」で理解できた。言うは易く行うは難しなのである。
だからこそ、やっと見つけたという、うれしさがあるのだ。

装丁が赤で電球というのもなかなかいける。
読み進めながら、読んでいる場合ではないのだと思い、早速動くことにした。
とはいえ、感想を書かないわけにはいかない。

「はじめに」の中で、「なぜアイデアが武器になるのだろうか」
@新しいアイデアは進歩を生む推進力だからだ。これがなければ人間は行き詰ってしまう。
Aクリエイティブな作業に、より一層の力を注ぐことが求められている。
B情報化時代に生まれているからである。
こんな内容を見つけ、アイデア好きの私は、意を強くし、一気に読みたくなった。

まずは、アイデアとは何ぞや「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」 で、頭をガツンとやられたのだ。な〜んだとなる。
次に心の準備として「楽しむこと」なんて読むと、最近、仕事を楽しんでいない自分に 気付く。だから、いいアイデアがでない、納得である。
さらに「アイデアが浮かばない人はアイデアが存在することが『わかって』おらず、 自分がアイデアを見つけられることが『わかって』いない。」で完全にノックダウンである。

読み進めながら、何かしらワクワクしてしまうのはなぜだろう。
それは、それこそふんだんにアイデアを出すためのヒントが実例を交えながら書かれているからなのだ。
この本は、アイデアが枯渇した時に、すぐに取り出せるように、私の座右の書となりそうである。

終わりに、特に気になったフレーズを羅列してみよう。
「『すでにアイデアが手に入った』状態をイメージするのだ」「前例はどうか、なんて 忘れてしまう」「アイデアの出し過ぎで批判された人はいない」「型にはまった生活から抜け出そう」 「すべての問題の答えは、前もって存在している」「アイデアを 生み出す過程全体をうまく動かすには、どんなアイデアでもいいからとにかく アイデアをいっぱい出していくことが一番だということだ」「とにかく何かをやることだ」 「いま始めよう」
どう、読みたくなりませんか。



小川俊一著
人生の後半を面白く働くための本


「人生の後半」と「面白く」の二つの言葉に動かされて買い求めた。
もちろん好きなハウツウ本から、ヒントをもらうためである。
とかく、ハウツウ本は近道を追う横着者が選択するように思われているが、決してそうではない。

確かに、何々をすればこうなる(その人が欲しいものが得られる)と書かれている。
しかし、そのノウハウをやったとしても、短期間で成果が出るものではない。
また、筆者は成果が出ても、読者のすべてに成果が出るとはかぎらないのだ。

なぜ、私がハウツウ本が好きなのかと言えば、筆者の長年の積み重ねから導き出された 手法だからである。
この積み重ねが好きなのである。
だから、生きる多くのヒントをもらうわけである。

この本は、「はじめに」で「人は何のために働くのか」・・・この本はそれに 真正面から取り組むものではない、・・・ 「では面白く働くためにはどうするか」・・・こんな書き出しである。
私の仕事での長年のテーマは、まさに「この楽しい・面白い」だった。
読み進めるに従い、さらに今まさに探しているもの、 ライフワーク、第二の人生への目標が見えてくる。

読み終えて、一番感激したのは、33年間のサラリーマン生活で5つの会社勤めの 結果、大いに「あがき」ながら、自分は「独立して」事業を立ち上げるという第二章である。
そこまでの道のり、自分の道を見つけるまで、好きなことを仕事にするまでの過程が とても納得できたのだ。
もうひとつ、書かれている手法・考え方の中に私と同じものがあった。

それは、「自分の向き・方向性」を探す一方法である。
「子供時代の原体験を思い出す」をひとつの手がかりとして、自分の内部を 掘り下げていくものだ。
そして、もうひとつなるほどと思うものがある。
それは、この不況の中、大いに苦しんでいる我ら団塊世代・ 組織に埋没してきた退職前のサラリーマンの的を得た分析である。

この正確な分析の上に立ってのノウハウ編み出しだから、面白いのだ。
長いフレーズは、「気になるフレーズ」に譲るとして、ショートフレーズでとにかく ピンピンきたものをあげて見よう。

「『はたらくは』とは『他人のために奔走する』」「職業は『他人本位』のもの、 道楽は『自分本位』のもの」
「とにかく好きは下手は上手にする」「心ここにあらざれば見れども見えず」
「好きは出来るの始めなり」。
要は、自分のものを見つけるには、好きなものを探す、それにのめり込んでみることなのだ。



吉村明著
夜明けの雷鳴


またまた読んでしまった吉村作品。
読み終えた吉村作品には、医師を主人公にしたものが結構ある。
冬の鷹、白い航跡(上)(下)、 ふぉん・しいほると娘(上)(下)。

冬の鷹では名声を博した杉田玄白と解体新書の実質的な訳者前野良沢を対比させ、 白い航跡では,脚気の原因説で主人公高木兼寛の「白米食説」と 森林太郎(鴎外)の「細菌説」を対比させ,ふぉん・しいほるとの娘では、 数奇な生まれのオランダお稲が日本で初めての女医にになるまでの苦闘の人生を描いている。
いつもながら、読み手を小説の中に引き込む手法はかわらない。

この小説は、明治維新前、徳川慶喜の弟、昭武にフランスで開催される万国博覧会出席の命が下る。
その随行員として、主人公の一橋家奥詰医師高松凌雲(31歳)が任じられたところから始まるのだ。
2カ月を要する船旅、フランスに到着後、いろいろな難題に遭遇しながらも、博覧会を終え、 ヨーロッパ各国巡歴も終えた昭武一行は、フランスに帰り、それぞれの勉学に勤しむことになる。

ようやく西洋医学を学ぶこととなった凌雲だが、日本を離れて1年が経ち、 年明けに届いた書状で、前年の大政奉還の報を知ることになる。
その後,3カ月余りの医学校を兼ねた市民病院オテル・デュウ(神の館)での講義と 実際の外科手術を体験、そして、この病院の 設立の趣旨が彼の病院・医者のあり方、方向性を決めたのだ。
それは、一切の経費が寄付によってまかなわれ、国の援助をこばんだ民間人の病院だった。

彼の医者としての方向性・目標は決っても、時代はまだ彼に大きな試練をあたえるのである。
それは、徳川幕府の崩壊と共に帰国命令が下り、帰国後は賊軍榎本艦隊の医師として蝦夷へ渡り、 箱館病院の頭取として傷病兵の治療にあたる。
この小説のメインでもある、蝦夷での医師としての 苦闘に9つのチャプタがさかれていることからもわかる。
ここで施した外科治療が、彼のその後の人生を大きく左右する。彼の考えは傷病兵に 敵も味方もないという一点だけなのだ。

この試練を乗り越え、水戸藩に籍を置き自由の身となった凌雲。
ここからは、順境の中で、養母・兄嫁とその妹を東京に呼寄せ、彼の医者として進むべき道を 市井に身を置いて、突き進んで行く。
そして、貧民のために救療社員と慈恵社員からなる同愛社を設立するのである。

読み進めながら、この人物の人生の岐路はフランス留学に選考されたことからである。
その選考決定は、優秀であったことはもちろんだが、 坊主頭(当時医者は坊主にしていた)でなかったことにもあったようだ。
芥川の「遺伝」「環境」「運命」を思い出してしまった。

この時、自分を選んでくれた慶喜に生涯恩義を感じ、新政府に仕官することもなく 市井の人を貫いて、社会に貢献するこの頑固なまでの芯の強さは、やはり 箱館病院での敵味方なく1300人以上の傷病兵を加療し、官軍が病院に攻めこんだ時も、 一歩も引かず抗弁したことからもわかるのだ。
そして、この時の抗弁を受け止めた官軍のリ−ダーとの再開と喜寿の激励会を 主催する凌雲の姿勢に、まさしく「義」の人を感じざるを得ない。
ここら当たりにくると、吉村マジックの完全な虜になってしまう。

早くまた次の作品を読みたくなるのである。

余談であるが、この時代に生きた人たちに学ぶべきものが多くあることを気付かされるのだ。
それは、主人公の凌雲自身の「博愛」と「義」。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という格言があるように、 史談会なるものが存在し、箱館戦争を凌雲に語ってもらうべく要請を出す世の中の人の謙虚さ。
そして、箱館病院で凌雲の 「日本の良きところは守るとともに、西洋の良きしきたりも積極的に採り入れ」というフレーズ、 大切なものは守るという揺るぎ無い姿勢。
戦争後の勝者敗者の関係のむなしさ。

これらのフレーズを読みながら、平和にだらけ、自由化にかこつけてすべてを 取り入れてしまう今の政治姿勢に、日本人としての「芯」はみあたらないように思われるのだが、 いかがだろう。



竹内久美子著
シンメトリーな男


筆者の作品は3冊目である。
「男と女の進化論」「小さな悪魔の背中の窪み」いずれも、まず仮説ありきで、それが 新しく出た学説で正しいかどうかを解き明かしていく。
もちろん今回も同様な手法で進めているが、大きく違うのは、サンプルが動物ではなく 人間の男と女である。

大きなテーマは、シンメトリー(体が相似形)な男は、女をよく「いか」せる。
この「いか」せるのほかにも、うわきの相手としてご指名がかかる、顔がいい、臭くない・・・。
と、いいことずくめなのだ。
まあ、表紙に出ている「べッカム」からして、 もてない・ぶ男、ほとんどの男にとっては、どうでもいい話なのである。

やはり、お国柄が違えば何とかで、性に関する問にも堂々と答えるから、成果があがるというもの。
とても、日本では考えられない。
その仮説から最もらしい学説になるまでを日本の女性科学者が取り上げているというわけだ。
日本の男から見れば興味(時にはスケベエ)本意にとってしまうが、海外の研究者は、 いたってまじめである。

その研究項目のひとつを興味本意にとりあげてみると。
「彼(彼女)との何らかの性的接触の際にあなた(彼女)がオルガスムスに達した割合は?」
「性交中にあなた(彼女)が達したとしたら、その割合について。それは彼(あなた) の射精より前でしたか、同時でしたか、後でしたか。それらの割合についてもうかがいます」

さらに「あなた(彼女)は「いっ」たふりをしますか。それはどのくらいの割合ですか」
どう読んでも赤面してしまいます。
まあ私なんぞは、お呼びではございませんがね。

このアンケートは、心理学コースの学生たち104組が参加して実施されたものである。
「どんな男が女をよく『いか』せるか」という仮説の結論を導き出すためのものなのだ。
このアンケートを基に、一人ずつ身体測定もされる。
それも普通ではない。足、足首、手、手首、肘、耳の長さと幅。

さらに、顔写真まで撮られる。
導きだされた結論は「シンメトリーな男は女をよく『いか』せる」とこうなるわけです。

シンメトリーな男は、さらにいいことだらけ。
IQが高い。けんかが強い。スポーツが得意....と続き、精子の数が多く・質もよい、 睾丸が大きい、睾丸が発達している、に至っては、もうシンメトリーな 男以外は男を否定されたような、まさにそう、それは「帯」の通りなのだ。あきらめたほうがいいようだ。
でもねえ、所詮結婚できるのは一人ですから。これは単なる持てない男の負け惜しみですが。 ついでながら、言わせてもらうなら、身体測定に睾丸の大きさも計れば良かったのにと思う。

持てない男でも、1つ救いがありました。
「ハゲこそ人間の王道、ハゲに胃がんなし」これである。救われました。
でもねえ、よく読むと「ハゲとは、裏を返せば、子の面倒はちゃんと見ますよという 決意、あるいは浮気はしません。・・・誠実な現れだ。彼は極めて真面目な男なのである」と、 要は人畜無害いうことかいな。
いやいやまだ救われるフレーズが、「ハゲのオジさんというのは意外や意外、若い頃には 物凄くカッコいいことが多いのである。彼は若い頃モテまくるのだ」、ほうやっと これで落ち着きました。



新渡戸稲造著
修養


この本は、百年前、「実業之日本」の余白に毎月2回随感随想として掲載され、 単行本化されたものを、読みやすく復刊したものである。
めずらしく、駅前の書店に出向いて、探し出した。
あまり聞いたことのない出版社だから、この書店に出向かないかぎり出会いはなかったのだ。
「読み継がれてきた実践的人生論」とはいえ、私にとっては出会うのがかなり遅いようでもある。

第1章「青年の特性」から始まり、青年の立志、職業の選択へと続くように、 また、序にもあるように「僕もおいおいと知らぬ間に年をとり、まさに50の坂を越えんとする。 かつて見聞きしたことを青年に分かつに及ばずして、早くすでに忘却先生の轍を踏むかと思えば、 遺憾いかばかりであろう」、明らかに教育者として、学生たちへの遺訓なのだ。
だから、筆者と同じ年齢の私には、心新たにするために読ませてもらっている。
多いに参考になる、さてさて新渡戸稲造なる人とは、そう5千円札の肖像画の人なのである。
この方、思い出せば、新しい5千札の顔として決った時、誰だろうと思った程度でしか私は知らない。

このお札の話も、もう20年も前の話なのである。
随感とは言え、教育者として学生に説いて聞かすような実に読みやすい本なのだ。
さらに、ただ理路整然と述べるのではなく、まずは言葉の解釈その裏に隠されたものを解き明かす。

そして、自分の失敗談や経験談、先人の教訓を交えてより具体的に行動が起こしやすい、 平生の心がけや品性へと結び付けるようにされているのである。
先人の教訓、古歌にはどのような人物が出てくるかというと。
佐藤一斎、孔子、孟子、南洲翁、藤樹、クラーク博士・・・である。特に頻繁に出て来るのが、 江戸大儒学者佐藤一斎の「言志四録」からの引用である。

読み進めながら、途中途中に散りばめられている教訓、句を読むのは実に面白い。
筆者の具体的ないろいろな人物からの相談事へのアドバイスは、人生相談そのものでこれも面白い。
加えて、当時の日本人論がうかがわれてこれも面白い。ちょっとこれは書き出してみよう。

「若者はあまりに老人ぶる」「老年者を尊敬する風がある」「15,6才になれば、志を立てる」 「元来物にあきやすい」「金銭の貯蓄をけなしたがる」「読書力が少ない」、いかがだろう、 妙に可笑しさが出てこないだろうか。
今の時代に、新渡戸さんがいたら、どんなことを嘆くのだろうか。

もうひとつ面白いことに気付いた。
何かを変えてもらいたい時のアドバイスとして、 「もすこし」「もう少し」「も少し」「ちょっと」「少ない」「少しも」「小さな」「短」「小事」。
なんて、言葉を多用しているのである。ほんの少し心がけを変えれば、自分を変えることが できるんですよということなのだ。

17チャプタある中で、筆者が特に力を入れているかは、書かれた枚数で歴然としている。
それは、「逆境にある時の心得」なのだ。
世の人々、人の不幸は笑って見ていられるが、いざ自分が逆境の立場になった時、 その人間の脆さが露呈するのである。
だから、反対の「順境にある時の心得」も重ねて読みなさいというわけである。
さてさて忘却というより、人の名が思い出せない「ボケ」壮年の私に 大いに役立つもの、いまさら立志したり、職業を 変えるわけにいかない。
あります、あります。
それは、「決心の継続」であり、「黙思」である。

ということで、セカンドライフに向け、ちょっと「心がけ」を変えてみようと思う。
「起した発心をたびたび省みる」 「朝出かける前に5分間の静思沈黙」
さてさてどうなるでしょうか。



瀬戸内寂聴著
寂聴生きいき帖


毎日新聞、京都新聞、東京新聞、文藝春秋等に掲載された随筆である。
「自分らしさ」が15編、「日本の恥と危機」が18編、「日々の感動」が16編、
「老いもたのし」が6編、そして「死ぬしあわせ」が9編である。
わがままを言わせていただくなら、「老い」「死」に関するものが、もっと読みたかった。

いつものごとく、随筆だから、どこから読んでも問題ないから、肩が凝らなくていい。
ありがたいのは、「老い」向けなのか、字が大きいのが助かるのだ。
気になった編は、お年のせいか、老いと死である。

意外なのは、出家してもいろいろ欲が出るし、なくならないということ。
特に最高だったのは、「捨ててこそ」で、「『捨てる...』技術」の本から、 「なかを見ないで捨てる」という捨てるノウハウを取り出すまでの過程がとても面白い。
「出家するには、それまで自分の暮らしにいつの間にか垢のようにくっついてしまった 数々の品や物や、心にかかえこんだ執着の心までも捨てなければならない。 出家とは捨てることなりと言っていいのかもしれない」なんて言いながらというのが、 最高なのだ。

そんなところを素直に表現されているところが、とても好きである。
老いてますます自分らしさを出して生きている人たちの言葉や、 自分らしさを全面にだして死を迎えた人々の紹介は、著名な方々とはいえ、 年を重ねてきた自分に大いに参考になる。

生きるヒントがあちこちに散らばっているのがとてもいい。ちょっとあげてみよう。
まずは、「居は気を移す」では、部屋の机の向きを替えて、気分を刷新なんてのを早速、もうすぐ 8年目を迎える単身寮でやってみることにした。
「日々新しい女になる」では、男に読み替えればいい。「捨ててこそ」では大いに捨てたいもの。

さらに「インチキ宗教の判別」では、金もうけをしてるかどうかだそうである。
さらにさらに「上手な老い方」では、五持つ(健康、目的、趣味、友、お金)なのだ。
さらにさらにさらに、「老いの戒め」での、健康法などにこだわらぬことだそうである。

おわりに、江戸時代の戯作者仙涯義梵の「老人六歌仙人」の言葉の一部を書き、老いてますます自重したいものであるかな。

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聞きたがる、死にとむながる淋がる
くどくなる気短になる愚痴になる
出しゃばりたがる世話やきたがる
又しても同じ話に子を誉める
達者自慢に人は嫌がる。



井形慶子著
仕事と年齢にとらわれないイギリスの豊かな常識


本の帯、「スローライフ」確かに日本人は急ぎすぎているように思う。
とは言っても、一日24時間は、イギリスでも日本でも同じである。
では、何が違うのか....、とにかく読んでみたい、そんな気持ちになったのだ。

読み終えて、何が違うのかと考えてみた。
大きな1つのポイントは、人として成熟した社会であるということ。
それは、人が何々しているから自分も、という一律を好むというか、同じでないと 落ち着かない日本人。

例えば、いい大学に入り、いい会社に入る。
その前には、いい幼稚園、小中高ときりがないのだ。
何かがずれているような気がする。
その点、イギリス流はとにかく自分流、自分にあった仕事、自分にあった住むところ、 自分にあった人との関わり、それを一生かけてそれこそ楽しみながら作りあげていくのだ。

だから、仕事、学歴、年齢は全く関係ないのである。
日本人は、まずは組織に属すこと、そこから始まる。
そして、その組織の枠から、決して抜けられないのである。
まずは、協調性の名の下に、自分を殺すこと。
組織内での仕事も転々と変わるから、自分の仕事はと聞かれると何もないのである。

でも、江戸時代の日本人は違ってたような気がする。
他国の影響を受けない鎖国が、日本人のよさを十分に引き出したのだ。
それは、他者を気にしなくてすんだからだと思うのだがどうだろう。

もうひとつのポイントは、「コミュ二ティ」を形成し、見知らぬ人と共に生きられること。
これは、個人主義を利己主義とはきちがえている今の日本人には、一番苦手なことではなかろうか。
本の中に出てくるが、「コミュ二ティ」形成能力がない日本人が、ヨーロッパ人のマネをして、 新タウンを形成して失敗している例や、外国に快適な生活を求めて言葉の壁で躓いた例で 十分すぎるほどわかる。

一方で、この本からいくらヒントをもらってもどうにもならないものがある。
それは、クィーンマザーとか、政治とか社会慣習である。
こんなものは、はなからあきらめてしまえばいい。どうみても5年や10年で変わるとは 思えないからである。

さてさて、では、自分にもいただけそうなもの。
それは、今でも遅くはない、そしてゆっくりと続けられること。
仕事を離れた仲間を作ることであり、続けられる「自分の楽しみ」を見つけることのようだ。

そして、自分の中で変えていきたいこと、言い聞かせたいこと。
遊びや趣味を仕事に変えることができないかとか、
今就いている仕事がずっとあると思わないことである。

終わりに、ちょと今の日本は、おかしいなあと思ってる人なら、 この本から、自分を変えてみようと思うことが必ず出てくるはずだ。
そのぐらい刺激が受けられる本なのである。
さらに、付け加えるなら、定年ですべてが終わると思っている人には、 是非読んでもらいたい本である。

「若さがなくても、学歴や誇れる仕事がなくても、歩き続けた人生を振り返った時、 そこには他の誰のものでもない、その人だけの道のりができあがっている。それこそが、 誰もが作り出せるかけがえのない実績なのだ」こんな言葉を言えるようになりたいもんだ。




ひろさちや著
ゆうゆう人生論


忙しい世の中である。
さらに、自分たちの生き方を他人に振り回される世の中でもある。
そして、ふと立ち止まった時、自分は何を今までしてきたのだろうと思うのだ。

思った時が、この本が読まれる時かもしれない。
あるいは、頑張ってきたのに突然病に倒れる。
挫折したと思い、自分の生き方について考えてみる時に読まれるかもしれない。

私のように、第二の人生を考えようとしている人も読むかもしれない。
逆に、「ゆうゆう」なんて字をみると、リストラだ賃金カットだという 場面に直面している人にとっては、何だと青筋を立てられるかもしれない。
要は、人それぞれなのだ、人に左右されることなく自分らしく自分が 満足できる生き方をすればいいわけである。

この本には37の生き方のヒントがある。
筆者は「あとがき」で格言等を都合よく解釈し、一度の人生であることを強調する、 その根底にある考えは、「こだわらない」「少欲知足」ということだろうか。
読みながら、ある「ことわざ」をとりあげ、その解釈をする。
次に、全く反対のことを言ってる「ことわざ」をとりあげる、「あ、な〜んだそうか」と思うのだ。

「今日できる仕事を明日に延ばすな」に対して「明日できることを今日するな、 他人ができることをじぶんがするな」
さらに「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし」に対して「人の一生は曲がり角だらけだ」 なんてなるわけであります。

読みながら、好きな言葉が多く出てくる。
今日を楽しめ、あなたはあなた・わたしはわたし、...あとは省略。
人生50年を振り返って思うこと、それはやはり「人間万事塞翁が馬」である。

この意味、わたしは誤解していた。
「人間」は、「ジンカン」と読み、世間という意味。
「この世間にあって禍と福は容易には決め難い」ということなのだ。

日頃何気なく使っている「ことわざ」も私のように、誤解して使っている方が あるかもしれない。
生き方や人間関係に悩んでいる、 あろいは自分を変えたい、そんなところにちょとしたヒントを得たい人にお勧めの本である。



新田次郎著
アラスカ物語


小説の最初のチャプタは「北極光」である。
北極光とは幻想的な空の饗宴オーロラのこと。
そして、書き出しは、「フランク安田は、それを見まいとした。
眼を氷原の上に落してひたすら歩き続けようと した。だがそうすることはすこぶる危険なことであった。方向を失ったときは死であり、 彼の死は同時にベアー号の死でもあった」で始まる。

主人公フランク安田が氷の中に封じ込められた米国沿岸警備船ベアー号を救うため、 アラスカの地、ポイントバローへ向けて食糧救援を求め、ひたすら歩き、 氷原で死の淵をさ迷ってる場面なのだ。

新しい作家の本は、その文体に慣れるまで、少し力が要る。
その文章表現が自分に合うと、また同じ作家の本を読みたくなるのだが...。
最初から自然との大格闘、なんと気の重いは話だろうか。

と思いながら、なぜ日本人がアラスカにいるのか?
その日本人が400ページもの小説の主人公になったのか。
読み進めるうちに、主人公の数奇な運命は 劇的なアメリカに住む日本人二人との出会い、ジョージ大島、ジェームスミナノ。
さらに人種差別をしない二人の白人との出会い、貿易商チャールズ・ブロワー、 鉱山師トム・カーター。
そして、エスキモーは客人に妻を提供するという風習を嫌う妻ネブロとの運命的出会いにより 演出されているのである。

第一のチャプタは、フランクがベアー号への食糧救援を求めに ポイントバローまでの道のりと自然との闘い、死の淵での回想、千代との恋。
救援を見事に成功させ、乗組員を救うのだ。
そして、貿易商チャールズ・ブロワーとの出会いから新しい生活が始まる。
ただ、なぜアメリカに彼がやってきたかは謎のままである。

気が重い自然との闘いから抜け出し、新しいストーリーの展開となる 第二のチャプタは、ベアー号を追われ、貿易商チャールズ・ブロワーのアドバイスで エスキモーの交易所作りを目指すフランク。
その前にブロワーのすすめにより、極寒の地でエスキモーとの共同生活を 始める恭輔。
やがて、先天的な狩猟技術の素晴らしさからエスキモーのリーダー的存在として、ジャパンという 種族のエスキモーと評されるようになる。

ところが、翌年の鯨の不漁から その原因は、彼が来たせいだとエスキモーを追われるのである。
このチャプタでは、運命的な妻ネブロとの出会いと結婚。
この当たりになると、どんどん面白くなり、 次への展開が待ち遠しくなる。

第三のチャプタは、鉱山師トム・カーターと二人の日本人との出会い、 鯨の不漁からエスキモーの飢餓を救う道を求めて新天地へ、 しかし、そこでは、麻疹が流行し多くのエスキモーが死んでいく。

第四のチャプタは、金鉱を探し続け、その願いが叶えられるのだ。
そして、この資金を基にエスキモー村、ビーバー村の計画を実行していく。
やがて、インディアンとの和睦とエスキモーの大移動。

終章は、ビーバー村の発展とふってわいた第二次世界大戦で、強制収容所へ。
帰還そして、平和な元の生活にもどり、やがて一生を終える。
読み終えて、自然の偉大さとそれに逆らわず生きてきた、 フランク安田もエスキモーもお互いに用意されていた運命的な出会いだったと 思わざるを得ないのだ。

こんな偉業を達成したにもかかわらず、誠に静かで謙虚なフランク安田に昔の 日本人の素晴らしさをみさせてもらった。
巻末にある「アラスカ取材旅行」に書かれているこぼれ話、オーロラ、フランク安田の親戚の 人との出会い、小説には描かれない面白さがある。
ただ、筆者が言うように、「数十の十字架が立ち並んでいる一番奥にフランク安田と妻ネビロの 墓が仲良く並んでいた。....何年間も墓参に訪れた形跡はなかった。楚々としたこの手向けの花が 二人にはふさわしいのかもしれないけれど、私にはなにかやりどころのない、不満と悲しみに 閉ざされた」というところは、墓を大切に思う日本人だからだろうか、 ほんとうに歳月とは無常と言わざるをえないのである。

余談だが、小説の中に沢山出てくる、北極圏の動植物と自然・季節の移り変わりの表現は、 多くの登山小説描いている筆者ならではのものであり、できはしないのだが、 読みながらアラスカの自然を見たくなってしまってくる。 特にいろいろなオーロラの見事な表現の一部を「気になるフレーズ」に載せて残しておくことにしたのだ。

終わりに、なぜ主人公はアメリカへ渡ったのか?
それは、「アラスカ取材旅行」の中で出会った、姪の口から語られる。
「兄弟の中で彼一人だけが、突然孤独な境遇に置かれるようになったからである。 それにもう1つ恭輔の気性の激しさもあった」とは言え、人種差別の激しい アメリカにわざわざという部分が納得できない。
夢を求めた地叶えられる地が たまたまアメリカであった、それはまさにいろいろな人と運命的な出会い と彼の人生に大きな課題を与え、知らぬ間に彼をその道へと導いて行ったとしか思えないのだ。
まさにこの時代にこの地を訪れるべくしてすべて用意されていた人生としか思えないのである。



司馬遼太郎著
箱根坂(下)


さてさて下巻の始まりでありまする。
早雲60才から88才まで、この時代の人とすれば実に長生きである。
ここからが、「戦国大名」として、彼の名を後世に残した物語の始まりなのだ。

早雲自身、こんなに長生きすると思っていたのだろうか。
守護今川氏親からいただいた、興国寺城から関東制覇をめざして、伊豆、小田原、相模へと、 20年以上の歳月を待って、領国を拡大していったのである。
おのれの命の先があたかも見えるかのように。

室町幕府は、「何の政治もしない」と早雲は思っていたのだ。
各地の守護・地頭にまかせ、将軍は文化活動にいそしんでいたわけである。
土地を開墾、農業をする国人・地侍が地力を発揮し始め、室町幕府体制は崩れようとしていた。

先見の明を持つ、早雲は、それをいち早く察知して、農民側に立った政治を広めていったのである。
と言って決して、急がなかった、まずはとるべき土地の情報を集め、城に仕える国人・地侍たちを 手なずけ、綿密な計画、そして攻撃開始は「天地人を見て決めるのだ」、つまり現地を自分の目で 見て、土地の人の情を見、天候を見るのだ。
早雲が素晴らしいのは、四公五民という税の安さと、農民への撫育のあつさ、そして 自分の生活は実に質素であったということだ。

領国制という新思想を入れ、奪いとった土地に対して直ちに検地をしたのである。
早雲の器量を見る時、自分の立場を、「一介の旅人である」としながら、 相手の懐に入っていく時は、いつも供は一人であるというそんな所からもうかがえる。
この当たりは、江戸末期から明治に活躍した「勝海舟」も似ている。

今の時代で言うならば、国民の声に耳を傾けながら、新しい時代のうねりの中で、上に 立つものは何をすべきか。
上に立つものの生活はどうあるべきなのか。
その当たりを十分に心得た本当の政治家だったと言えるのではなかろうか。

いつもながら、この下巻にも当時の言葉の意味合いを解説してくれる部分が多く出てくる。
まずは、「厳(イヅ、イツ)」・・・イツとは神秘的で激しい力がある、に始まり、 「金と貨幣」「光と塵」「見る、見られる、見入られる」等へと続く。
いつもながら、言葉の意味合いに興味がある読者には、たまらない一冊なのだ。



司馬遼太郎著
箱根坂(中)


司馬作品だからであろうが、歴史小説は面白い。
中の巻は、守護今川義忠の死による混乱を鎮めるため、京都での放浪生活に終止符を打ち、 早雲は駿河に下る。
いよいよ城取りである。

早雲の人集めが始まる。
と言っても、上の巻で登場していた人物たちである。
早雲以下7名の牢人が伊勢の津から帆をあげて船出したのだ。

このあたりのことは、古記録(『続群書類従』『異本・永亨記』) などにさまざまに潤色されて伝承されているらしい。
「富士が嶺」のチャプタがそれである。
何か、黒沢明監督の三船敏郎を主人公にした、「七人の侍」を思い出してしまった。

映画のような人海戦術の迫力はないが、歴史を後から脚色するに十分な城取りである。
と言っても、早雲のやり方は、とにかく領内の各地に家来を派遣し情報収集することから始めるのだ。
さらに、領内を境にした、隣の守護の関係、京都との関係、も同じように情報収集する。
そして、自分の役割を明確にする。

あくまでも、「わしの駿河での役目は、竜王丸様の成人を見とどけるのみだ。 それまでは旅人にすぎぬ」であるということ。
越境の上杉勢の太田道灌と気脈を通じて、脅威を取り除くとともに、あたかも守護のごとく 駿府の舘に居座る「今川新五郎範満」の説得も、頼むのである。
そして、自分が領内のどこに住むかという、どのような形で統治するかということを、 綿密に練ったうえで行動を起こすのだ。

当時は、京都の将軍は政治らしい政治を一切していなかったらしい。
守護と地頭により各領内が治められていた。
王族に関わる御家門衆(御連枝衆)と国人(直接、開墾をしてきた)の譜代衆が対立していたのだ。
早雲は、いろいろな情報網から譜代衆側を選択したわけである。

さてさて、例のごとく遼太郎先生の風物、風俗講釈がたくさん散りばめられている。
ときには、「早雲の恋について語るべきところが、横道にそれた」なんてことになる。
だから、小説のストーリーの進み具合が、よく止まるのである。それはまた別の楽しみにもなるのだ。

中の巻は、「念者とは」なんて講釈から始まる。
さらに、日本人の姓と名字、この時代の教養、「器用」という言葉の由来なんて実に面白い。
ついつい読みすぎて、小説のストーリーを忘れてしまう。

さて、そのストーリーも後半大きく変化する。
興国寺城に9年間いた、早雲。
駿府に居座る今川新五郎が不穏な動きをし始める。
やがて、早雲の情報網、茶坊主「茶阿弥」が何者かに殺されて、屍が舘から放り出されたままとなる。
その葬礼から、早雲の舘急襲作戦が始まるのだ。

これで早雲の役割は、終わったかのように見える。
しかし、まだ、下の巻がある。



司馬遼太郎著
箱根坂(上)


またまた、歴史小説好きの先輩から、以下の事情により、私のところに回ってきた。
本を探索しすぎると、時々あることなのだが、同じものを買ってしまうこと。
その本なのだ。

今回は、司馬作品である。筆者の作品は結構読んできた。
筆者の作品がいつどれを読んでも面白いのは、ストーリーに出てくる時代の風俗等を細かく わかりやすく解説してくれることである。
ただ、登場人物のからみばかりが気になったり、劇画風にストーリーの速い展開を好む読者には、 いささか苦痛かもしれない。

歴史に興味がある人は、もちろんたまらない作品である。
1987年に文庫本化されて、2002年ですでに第36刷を重ねていることから見ても、 その人気のほどが知れようというもの。
司馬ファンがわんさかいるわけである。

物語は、応仁元年、とある村に住む「山中若厄介」と呼ばれる人物の登場のこんな文章から始まる。
「このあたりでは、山中小次郎のことを、だれもそのようによばない、『山中若厄介』とよんでいる」。
何も考えずに、この本を読み始めると、第三編まで彼の話が続き、つい主人公かと思ってしまう。

違うのだ。第4編から出てくる家伝の鞍作りの明け暮れ、毒にも薬にもならぬ人間、 室町幕府の官吏伊勢氏一門の末席「伊勢新九郎」なのである。
小次郎たちは、新九郎の成人した妹、「千萱」を送り届けるため、村を旅立つ。

さらに、「上巻」は、この小次郎たちの旅立ちに始まり、千萱(ちがや)と新九郎との出会い、 千萱の揺れる女ごころ、
足利義政の弟義視とのからみ、千萱と今川義忠との出会い、 応仁の乱の代理戦争をする骨皮党(東軍細川勝元)と御厨子党(西軍山名大全)、
その骨皮と新九郎、戦乱が続きこころの不安定さから踊念仏に没頭する民衆たち、
やがて、諸国を行脚し、「早雲」に改名する新九郎。

最終章「急転」では、妹千萱の夫、駿河守護職今川義忠の死で、諸国行脚の身から、 戦いの渦に巻き込まれそうな場面で終わる。
ストーリーとしては、次の展開が楽しみなところで終わっている。
読みながら、当時の流行もの「謡い」「今様」がたびたび出てくる。
これは「当世ふう」もしくは「当世の流行」という意味で、転じて 「今様うた」略して「今様」というのだそうだ。

戦乱時代とはいえ、公家生活の延長からか風雅のこころは忘られていない。
不景気でやたらスピードと効率化を求める時代の流行歌のようなものなのだろうか。
司馬流風俗等の解説は、「若厄介」に始まり、「今様」、「申次衆」、「密事と妻の指名権」、 「一遍死後の教団」、「過去帳」等々...。
読んでて楽しみ、興味はつきないのだ。



海音寺潮五郎著
蒙古来たる(上)(下)


この本は、自ら買求めたものではない。先輩から頂いたものなのだ。
本を探索しすぎると、時々あることなのだが、同じものを買ってしまうこと。
その本が、私のところに回ってきただけなのだ。

「北条時宗」のNHKの大河ドラマは、すでに終わってしまったのだが、 まあ読んでみるかと相成ったわけ。
登場する人物は実在する人、架空の人を織り交ぜながら、蒙古に対する強硬派、柔軟外交派 の対立を軸に話は進んでいく。
帯にあるように、「(上巻)苦悩する若き北条時宗、 (下巻)時宗の決断が日本を救う」なんてあるが、その苦悩とか決断が この本から伝わってくるものはない。

昔のチャンバラ映画風に、架空人物の肥後天草住人獅子島小一郎と時の執権「北条時宗」 の暗殺を企む赤橋義直とのからみを至る所にちりばめ、本題の蒙古を迎え撃つ武将に 実在の元海賊「河野通有」を配して、ストーリーは展開する。
さらに、蒙古に滅亡された王のペルシャ人の姫とダンカンという犬とその侍従イスマイル とくぐつ団がからむ。
映像があれば結構面白いのだろうが、史実調査に基づく長編歴史小説大好きの私には、どうも物足りなかった。

日蓮と時宗との出会いのシーンに期待したのだが、若年にして執権要職にある時宗の冷静さに 比べ、迫害の後、島流しから時宗の赦免を受けた53才日蓮の妥協なき態度はあまりにも 対照的である。
「立正安国論」を持って、時宗を説く日蓮の信念の強さとは、反対に他の宗派すべて、 邪宗とする宗教家独特の奢りのようなものを感じてしまう。
ただ、それは小説家の書き方によるのだろうが、山岡荘八著のひたすら各地での布教活動で 異教として迫害を受けながらも、力強い邪心のない信念の人「日蓮」とはかなりの差を感じてしまう。

ストーリーの始まりは、獅子島の家督相続問題に公儀の裁判で決裁をいただくべく、 小一郎とその老いた母が鎌倉に上ったところから始まる。
そして、舌を抜かれ喋れないイスマイルが武士に絡まれているところを小一郎が助けようとするとこ ろから、チャンバラ劇が展開していくのだ。
この当たりは、あまり面白いとは思わない。

この小説で、一番気になったのは、愛国心である。
二千年の日本の歴史において、日本本土が危なかったのは、この蒙古襲来。
明治維新前の列強による開港要求にからむ江戸幕府から明治政府移行への内乱時。
そして、太平洋戦争時の米国による沖縄占領と本土攻撃と原爆投下である。
現在、拉致被害者を多く抱えるわが日本と北朝鮮との関係は、 国と国との関係から言えば、まさに戦争状態に成りうるものなのだろうが。
日本を射程にしたテポドンがいつ飛んできても可笑しくない状況にあるわりには、 危機意識を持ち得ない平和ボケ国民なのである。

下巻の「竜ノ口」チャプタには、こんなフレーズがある。
「愛国心は自己愛の一つである。他と対立する自己を自覚する所に、自己愛が生ずるように、 他国と対立する祖国であると感ずる所に、愛国心は生ずる。・・・・・・
この意味において、外国との戦争、しかも、侵略された戦争ほど、外国との対立を、強烈に 感ぜしめるものはない。時代を問わず、国を問わず、外戦に際して、最も愛国心の昂揚 するのはこのためである」

この本は、昭和28年に読売新聞に連載されたものである。
太平洋戦争に敗れ、打ちひしがれている日本人、復興のきざしを見せはじめていた頃の日本、 昔の日本人はすごかった、「復興」に力をあわせようというサインなのか。
私には、無条件降伏した日本人に愛国心というか、 「挙国一致」ということを呼び覚まそうと しているかのように思われるのだが。



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