今週のおすすめ本 |
ブック名 | 自分を活かす”気”の思想 |
著者 | 中野孝次 |
発行元 | 集英社新書 | 価格 | 693円 |
チャプタ | @努力ということ A自己の革新 B幸福をつかむ知恵 C努力を積む効果 D物を学ぶ4つの目的 E日常を生きる知恵 F「気」を率いる生き方 Gさまざまな「気」の働きよう H「張る気」はいかにして起こってくるか I本当の自分を養う J露伴が語る東洋思想の真髄 K宇宙の中の「気」の動き |
キーワード | 努力、知恵、意志、気、裸の自分 |
本の帯 | 一読、”活気”がよみがえる! 張る気、凝る気、澄む気・・・。東洋独自の「気」の思想が、現代人の心を救う。 |
気になるワード ・フレーズ | ・明治末、大正初めのそのころの日本は、現代と同じように起業家が輩出したものらしい。 が、その成功するのはわずかで、大半は失敗し、借金を背負い、失意の境遇に沈んだ。失職し 再起のメドがつかぬ人も多かった。 ・そういう人々を見るにつけ露伴は、心の取りよう、気の持ち方次第で、そんなに悩まずとも 朗らかに、のびのびと、幸せに生きるすべはあろうものをと、この「努力論」を著した、と 言っているのだ。 ・好運とは、みずから人知れぬ努力をし、苦しみと痛みに堪え、工夫に工夫を重ねて、己れの 欠陥を矯正しつつひきよせるものだ。 ・テレビもクルマも、カメラも時計も・・・すべてゆきわたった今ふりかえってみれば、 それによって生活がゆたかになったというより、人はただ多忙になり、閑と自由を失い、 地球全体に破壊と汚染ばかりが残されたことが目につく。科学技術の進歩が人類を幸福に するというのは、むしろ幻想ではなかったか。 ・日常の生活を律する露伴のこういう心掛けだけは、今日もう一度意識的に、 自覚して持ち直さなければ、われわれはとめどもなく怠惰に、だらしなくなってゆくのでは あるまいか、とおそれているにすぎない。 ・本を読んでいて、その内容と自分の精神とがぴったりと相応し、本の内容がまっすぐ こちらの頭に入り、こちらが本をあますなく理解しているようなときは、読書に気が張っている のである。 ・わたしはかねがね、今の日本では政治家でも経済人でも業者でも一般人でも、人と同じことをし、 人と同じ考え、物の見方、情報を持たないでいると不安でならぬ、というような人が圧倒的に 多いのにあきれている。 ・善変、悪変にかかわらず、新しい状況の出現が、人の活力を目ざめさせ、活発ならしめるのは 天理にもとづく現象なのだ、といって力づけるのだ。 ・わたくしは55才の自主定年と称してそれまで28年間勤めていた大学を辞めた。 まだ活力があるうちに拘束と庇護とを脱して、自由人になり、自分の力をためしたいと、決心 したからだったが、それは勤務の義務から自分を解放することであるとともに、組織のあらゆる 保護−給料、身分保証、保険、社会的地位、等々−の恩恵を受けられなくなり、裸一貫、世の中の 寒風に身をさらすことでもあった。がそこには、将来に対する不安とともに、何の保護もない 所にとびだして己れをためすという、身のひきしまるような緊張感があった。 長年のあいだにだらけていたものと訣別し、自分の中にいままでなかった新しい力が 目覚めてくるのを覚えた。それはわたしが初めて味わう快い感覚であった。 ・どんなに恵まれた身分、職業、地位にあっても境遇の変化をのぞむのは人にとって自然なので ある。それは必ずしも住居や身分の変化とのみ限らない。転地、湯治、旅行といった 変化でも、それは人の生命力を賦活し、張る気をひき起こすに役立つ。 ・悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。気分にまかせて 生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。(アラン(幸福論)) ・結局、絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと思います。 自分にないものを無理になんとかしようとしても、ロクなことにはなりません。 |
かってに感想 | 筆者の作品、「風の良寛」「老年の愉しみ」を読んだことがある。 消費する文化と若さばかりを強調する現代思想を痛烈に批判する筆者には、「清貧の思想」 なんて作品もある。 戦前、いわゆる一昔前の生き方にスポットをあてながら、欲望の限りをつくす現代人に いろいろな忘れ物があることを警告しているのだが・・・。 欲望を満たすことに終始してきた現代人にとって、「少欲知足」への舵取りはむつかしい。 今回の作品は、明治の作家幸田露伴の「努力論」にスポットをあて、21世紀を生きぬくための、 知恵とヒントを「気」をキーワードにして展開している。 露伴が言うには、気にもいろいろと種類があるという。 凡人が思いつくのは、やる気、元気、弱気、強気、病気、一気なんてところだが どうも違うようだ。 張る気、弛む気、逸る気、縮む気、散る気、凝る気、澄む気、亢る気、冴ゆる気なのだ。 残念ながら聞いたことがない。 理想の気のパターンは、張る気が持続して、澄む気になり、「澄む気を長く養っていられれば、 ついにはそれは『冴ゆる気』にまで至る」というのだが、張る気さえ読んでいてよく わからないし、体験したことのない我にとって難問といえるようだ。 だから、興味がある方は、読んでいただく以外にはない。 私のようなよく分からない人のために、筆者は、いくつかの人物のその行動等を 事例として出している。 それは、秀吉の「中国大返し」、日本新聞を発行していた陸羯南(くがかつなん)、画家熊谷守一、 画家池大雅、明治の初めに住友を再興させた功労者伊庭貞剛の実話を披露しているのだ。 さらに、理解できない私のような人のために、10章では「本当の自分を養う」という意味で、 作者自身が若者に向けてその生き方を示している。 それは、「これが自分だという自分を養っておけ」の小見出しで。 「何年か、何十年か、同じことを繰り返すうち、君はそれに慣れてくる。 名刺に記された身分がすなわち自分であるかのように思い込むようになる。 ・・・特に地位が・・・自分の力であるかのように錯覚する、こわいのはそのことだ」 ということなのだ。 そして、特に筆者が強調するのは、「どんな人生にあっても必ずいつかはまた元の裸の 人に戻るのだ。・・・一個の人に戻って、なおかつこれこそ自分だという自分 を持っているかどうかが問題なのだ」ということなのだ。 とは言うものの、地位・名誉・権力は、組織にぶらさがっている限り、「凡人に捨てろ」 というのはむつかしいようだ。 ただ思うに、「人の中には、たえず自己の生命力を 活発にさせておきたい要求があり、同一事の繰り返しによってそれの衰えさせられるのを 忌む傾きがある、・・・そう言いながら露伴は、いきものには不変と安定を よろこぶ性情もあることを認めて、それも生物の本姓であると注意しておくことを 忘れない」という。 要は、松尾芭蕉が言うところの「不易流行」のパランスを その時代その時代の状況にあわせて、考えることのように思える。 そう言った意味からすれば、日本人は戦後復興の時代から、高度成長時代へとそして、 長期低迷の低成長時代のこの時代に、そのバランス加減をだれも示さず 分からなくなってしまっているような気がする、いかがだろう。 でも本当に変化を求めるなら、「やる気」という意志を 表に出さないことには、何も変わらないし、まず動かないことにはどうにもならな いのではなかろうか。 余談だが、冒頭言ったように、いまの世の中、できるだけ人より楽をしたい、3Kは避けたい、 生ある間にできるだけ欲望を満足させたい人間ばかり、 努力とか根性という言う言葉に励まされた団塊世代の私たちならともかくも、 若者からは「努力論」という努力という言葉を 見ただけでも、敬遠されてしまうような気がするのだが。 哲学的な11章の「露伴が語る東洋思想の真髄」での天の数や最終章の「宇宙の中の『気』の動き」 での宇宙論になるともう頭がついていかない。筆者でさえ難解と言ってるのだ。 おわりに、私自身が思うことは「継続する気は力なり」でそのことにより、澄む気までは いかなくても、時々気まぐれに張る気が出てくるなんてのが、 凡人のなせるところかと思う次第・・・。 **********一休み*********************** おわりになんて書いたが、そういうわけにはいかない。 いままで書いていることは、 この本の後半部分の「気」をキーワードにした元気を出す話しか書いていないのだった。 前半部分には、まず「努力」とはなんぞや、そして古い嫌な自分を変えるには、 さらに幸福を掴むためにはと続き。 次に、手に入れた福を人はどうすべきかを「幸福三説」で説くのである。 いつも自分には幸せは、なぜ来ないのだろうかと思っている人は、十分に読む価値がある。 読んでかならず納得できるだろう。「好運は七度人を訪(おとの)う」なんてのも面白いし、 三説による幸福の消費の仕方と言うか、これには思わず頷けるぐらい当たっているのだ。 次への展開も面白い。 じゃあ「幸福」は待っていても棚ボタでやってくるかというとそうではない。 だから、「業をみがき、知識を獲得し、ことの成就を妨げる習慣や癖や悪徳があるなら、 ただちに自己革新を行え」というわけである。 まあ自己革新というのはむつかしい。 なぜなら、たいていの人は自分にやさしく人には厳しいからだ...。 そして次のチャプタでじゃあ何のために「努力」するのかという、的を定める規準について、 露伴の発想は「正」「大」「精」「深」をキーワードにして説明するのである。 そして、メインの「気」のチャプタに移る前に、「日常を生きる知恵」というのがある。 これは、我のような凡人に向けて、やさしい言葉をかけてくれている。 凡庸の資質でも卓絶の功をあげうるのだという、それには「何をしてもいい、ただやりたいこと、 そのことに一意専念すれば、一流の人たりうるであろう、尊いのはそのことだ」なのだ。 とは言え、一意専心するものがないといけないがね....。 さらに続く、「物に接するはよろしく厚きに従うべし」、「四季のリズムに従って生きよ」、 「医療機関や薬にたよることではなく、みずからの注意と努力によって健康たるべくつとめよ」、なのだ。 この本の「かってに感想」は過去最高の実に長いものになってしまった。 やはり「努力」という言葉が好きなからだろうか。今度はこれで本当に終わりです。 最後まで読んでいただきありがとうございました。 |
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