今週のおすすめ本 |
ブック名 | 死もまた愉し |
著者 |
結城昌治 |
発行元 | 講談社文庫 | 価格 | 619円 |
チャプタ | はじめに @死を予感して・・・来し方の見わたすかぎりおぼろかな A生きるということ・・・いわし雲どこへゆくにも手ぶらにて Bそれからの人生の始まり・・・夏負けと言ひて病をかくしけり C遊びをせんとや・・・啓蟄や大志抱きしごとなくて D人間らしく死ぬために・・・花散ってのちの桜の古木かな 定本:「歳月」昭和24年〜27年、昭和53年の句 「余色」:昭和54年〜平成5年の句 |
キーワード | 死生観、病、句、趣味 |
本の帯 | 死と対峙して語る生への”詩と真実” |
気になるワード ・フレーズ | ・死というのは、人生のツボみたいなものです。それも最後にやってくるこのツボみたいなものを 承知しておけば、サラリーマンも、役人も、・・・・業つくばったマネをしないようになる だろうし、バカな喧嘩もしなくなるんじゃないかと思います。 ・だれも死ぬことが楽しいわけではありません。人はいずれ死ぬわけですが、といって死にたいと 思って生きている人もいません。 ・人間が死を意識するというのは、どういうことなのか、私には、いまでもわかっちゃいません。 わかろうということじたいが不遜とも言えるのですが、・・・。 ・母の死は私にとって、もっとも身近な死だったと言えます。たしかに、死というものを意識は したけれども、自分の死を考えたわけではない。別離の悲しさを痛切に味わっただけで、 行き着くところは、やはり他者の死だったと言うしかなさそうです。 ・立派に死ぬ必要なんか毛頭ないんです。どんなに見苦しく死のうと、死に上下の価値はない。 人はいつポックリ死ぬかわからないんですから、そこに価値を見いだそうとするのは、 私にいわせれば、思いあがりもいいところです。 ・あの芭蕉でさえ弟子に、「一世の内、秀逸の句、三、五あらん人は作者也。十句に及ん人は 名人なり」と言っています。 ・死んでもいいやというのは、もう人生に悔いはないとか、死にたいする心がまえができたとか、 そういう問題とはまったく関係なくここまで生きれば十分だと思っているわけです。 ・好奇心が旺盛なら、けっして老けないという説もありますが、私は疑問です。 好奇心というのは、なくしたくないと思っても、しぜんになくなっていくものです。 ・これからは余生だと思ったら、世間体を気にすることもないし、よけいなこと を考えることもない。 ・趣味があって、それに入れ込むのはいいのですが、あまり気張らないことです。・・・ 身構えて肩に力が入りすぎると、いい句ができません。おまけに、楽しみが殺がれて長つづき しないことにもなります。 |
かってに感想 | 題名を見て、こんな心境になれる筆者のこころを覗いてみたいと思った。 現代人の多くは死を体験することがなく、身近なこととして感じてはいない。 高齢化社会になり、どちらかと言えば死の前の「老い」に目が向いている。 衰えていく、精神と肉体への不安の方が気になるのである。 この本を読みながら、淡々と語る筆者には、常に「死」が同居しているように見える。 それでも、これだけの病に侵されながらも、生き長らえる生命力にもただ感心するばかりだ。 肺結核を患い療養所で知り合った俳人石田波郷から、句を教わり、自ら詠んだ多くの句が、 定本「歳月」の中にある。 若いということ、死の病ということから、厭世観、死神に取り付かれた筆者の心境が ひしひしと句から伝わってくる。 淡々と語る筆者の心の内は、大病の経験が少ない、私には実に重苦しく感じるだけなのだが。 「死」だれしも同じ様にやってくる、ただいつくるのかは誰もわからない。 筆者は盛んに言う、生きていることへそんなに構えてみてもと。 このフレーズは、いま生きていることが辛くなっている人にとっては、ちょっとした救いの言葉の ような気がする。 競争社会、人間に上下があるわけではないのに、あたかも勝ち負けが重要になり過ぎている 資本主義という社会。 すべてに勝たなければ、生きているというラベルを貼ってもらえない社会。 人一人が生きるということって、そんな目的が必要なのと、趣味でもそうだが「ただ楽しければ いい」のではと。 淡々と語る文のチャプタの流れには、死を予感し、生きるということを知り、そこから人生の始まりと 遊びへと、そして、病の再発から人間らしく死ぬために、へと移る。 そのチャプタの始めに一緒にある句は、実に意味深く、読めば読むほど筆者の心の内が見えてくる気がしたのだが。 チャプタの中に入れておいたのでご覧いただきたい。 そして、題名のように、死もたのしを「楽し」と言わず「愉し」という筆者に、死を乗り越え、 死生観を確立したこころを見たような気がする。 と言っても、筆者が死を体験したわけでもなく、「若いころにくらべれば、すこしは死にたいする処し方が わかってきたような気がする」なのだ。さらに言うなら「いつ死ぬかわからないということが、死の いちばん大事なポイントじゃないかと」ということになる。 おわりに、いつ死ぬかわからない、だから筆者は50歳に「遺言書」を書き、それからは、 毎年書き直しているのである。 終わりに、二つのフレーズを紹介しよう。 まずは、勇気付けられるフレーズがある。 「この世に顔を出したからといって、とたんに目的が生まれるわけもないんです。目的なんぞもつ 必要ははないんですよ。なまじ変な目的をもつから、ガリ勉をして、人を蹴落とすのを何とも 思わない人間になってしまう」、嫌な意味での競争が人間関係を醜くし、勝者でないと生きられない ような現代、改めてあなたの人生の目的はと、問われると何もない自分があるからだ。 もう一つは、趣味を楽しむ極意である。 「俳句が楽しいのは趣味だからです。あるいは遊びだからといってもいいでしょう。遊びというのは、 社会や家族などのしがらみから、ともかく解放される時間です。誰のためにとか、何のためにとか 制約がない。目的がないから楽しいわけです」いかがだろう。 |
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