今週のおすすめ本 |
ブック名 | 男と女の老い方講座 (副題)老いに上手につき合える人、つき合えない人 |
著者 | 三好春樹 |
発行元 | ビジネス社 | 価格 | 1575円 |
チャプタ | はじめに・・・老いに強い女、弱い男 @男の老いは危機だらけ A老いに出会えてよかった B男の介護の功と罪 C老いの背景 D老いに学び、老いに入る おわりに |
キーワード | ホンネとタテマエ、痴呆、老い、自立と依存 |
本の帯 | 男たち、この本は読むべし |
気になるワード ・フレーズ | ・私の疑問と抵抗は、それにもかかわらず、女の人は年をとってますます元気で存在感を 増すように思われるのに、男のほうはどんどん影が薄くなっていくという事実が出てくるのだ。 ・ばあさん同士は、不自由な体でもベッドから抜け出して歩行器や車椅子を使ってほかの部屋に 出かけてよくおしゃべりする。反対にじいさん同士はめったに話さない。互いに関心はあるらしく 様子を窺ってはいるのだが、同室者同士でも口を開くことは珍しい。 ・老人ケアには目標がないように思えることだ。いくらいいケアをしても老人はさらに年を とって亡くなっていくだけではないか。人のために役に立つとはいえ、痴呆性老人が相手では、 「ありがとう」のひと言さえ言ってもらえないではないか。 ・世間は男たちにとっての仕事とは、我慢し、自分を殺し屈辱に耐えて成しうるものである。 そうまでして頑張るのは妻や子供たちのためである。 ・ここに(老人施設)入った老人たちに通用するのは人柄だけだ、という点である。 純粋な人間同士の関係があるということである。地位も名誉も金持ちだったどうかも関係ない。 ・女性が社会進出しているとはいえ、地位や名誉や金はまだまだ男のものだ。 女性が老いて丸裸になりやすいのに対して、男たちはいつまでも社会の衣装をまといたがるのである。 ・人は自立しているのではなくて、依存することによる関係の網の中にいるのだ。 結婚もかって私が考えていた自立した男女の共同生活などではなくて、相互依存が その本質らしい。 ・”自立”していたからこそ、人間関係が希薄で人間にとって必要不可欠な、人に依存するという ことがうまくできないのである。 ・呆けて妻の名を呼ぶ男はいるが、夫の名を呼ぶ妻は稀である。しかも妻を求めていた男も、 最後には母子関係に回帰する。 ・少年のころ、遊んでばかりで楽しくて仕方なかったという人は、定年を迎えるのを 待っていたように少年時代の続きを始めようとするのではないか。 ・レッスンの第二段階は、出産と子育てである。私はここで女性が、介護や自らの老いに強くなり、 逆にレッスンから逃げた男が、介護にも自らの老いにも適応できなくなったのだと考えている。 ・できたら、どんなになっても生きていていいんだ、と思えるようになってほしい。 それが将来の自分自身がどうなっても肯定できることにつながるのだ。 ・「寝る子は育つ」というが、私は、「寝る人は無意識が豊かになる」と言いたい。 たくさん寝ることで得られるものは健康と明るい老い、失うものは出世、である。 ・睡眠をたくさんとること、排泄優先の原則を守ること、これらは、日常生活の基本に、 身体という生理的な自然を置くということにほかならない。 ・グループホームはマスコミも政治家も、これが老人ケアの切り札とばかりに取り上げて いるが、私たちから見るととんでもない制度である。 なにしろ、軽度と中度の痴呆でしかも、日常生活が自立していて団体生活ができる人しか 入れてくれないのだ。 |
かってに感想 | ひさしぶりの単行本。 最近読む本のキーワードに「老い」がある。まさにそれをテーマにした本なのだ。 帯に「男たち、読むべし」に引かれ、私たち団塊世代が、仕事優先主義で生きてきて、いままさにその老いの域に入ろうとしている、その男たちに「男たちは老いへの適応がへたである」という。 それはホームページを開設している私自身のテーマにある、「セカンドライフへの軟着陸」がへたな男に対して支援ができないかという考えからも、まさしく同じ考えなのだと読んでみたくなったのだ。 この本自体は、長年企業戦士として活躍し、地位も名誉も獲得した人たちにとっては、まず目に留まらないような気がする。 企業戦士として疲れ、あるいは50代として組織の中でこれから活躍を考えていた人たちが、病に倒れたり、あるいは仕事と家族とのはざ間に立って、 たちどまり、家族とは、仕事とは、自分の組織での役割にふと疑問を持ちはじめた時、親の介護をせざるを得ない立場になった時、読んでみると、 迷っていた、ホンネの服に沢山のタテマエの服を着ていた自分に気づかせてくれるのではなかろうか。 元気でいきいきと働き、会社に、組織に尽くしていた自分、そこに見つけていた価値観とは、まったく違うものへの転換が、「老い」を迎える男たちに必要であるとせつせつと説いているのである。 それも、筆者が、長年老人介護に携わってきた(26年以上)、現場からの生々しい報告なのだ。 積み重ねの体験からきている、だから説得力がある。 いま筆者の言う「老い」に入ろうとしている私自身が、同世代の男たちで一番気になることは、 老いを避けよう避けようとしているように見えて仕方がない、それもほとんどの男の中にそれが見えるのである。 老い方は百人百様だが、だれしもくる。 筆者は、くり返し「老いに適応できない男」たちに向って、声高に女をみよ、女を見習えと言っている。 そして、老いに適応しやすい条件として、三つあげている。 @金、地位、名誉に縁がないこと、A進歩主義を信奉していないこと、B「自立した個人」にこだわらないこと、 いずれも企業社会で活躍してきた男たちにとっては耳の痛いことばかり。思わず眼をふさぎたくなるのではなかろうか。 この中で一番以外に思ったのは、Bである。自立しろとか、自立せよと、最近は特に女性にうるさい。 団塊世代の男たちは、放任主義で子供と接してきた。会社という組織の中でも転勤転勤で、 人間関係を希薄にし、家庭においても親子関係を希薄にしてきたのである。 その一方で、男親が言うことは、経済的に自立せよというのである。 残念ながら、この団塊世代の子供たちがフリーターになっているのが現実なのだ。 老いを生きるには、自立し希薄となった人間関係をもとにもどし、お互いに依存し合って、排他主義と孤立から脱出することなのだ。 そういう事からいえば、2年単位で職場を変わっていた私が、希薄になった人間関係を取り戻すため、 10年前から転勤後も密に付き合いたい仲間たちとは、引き続きネットを張ってやってきたことは、「老い」を生きるうえではまんざら悪いことではなかったようだ。 よく考えてみれば、人間は一人では生きられないし、常にだれかに依存して生きているのである。 おわりに、今年母を見送り、地域での役割を担い、第二の会社に入り、そして三年後に定年をひかえた私、意味深な言葉、「自然と老いと女に勝とうなんて思ってはいけない」をいままさにしみじみと噛み締めているのである。 |
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