いつもの散歩道記録パート9
**11月7日いつもの散歩道**


いつもの時間より1時間も遅れて散歩に出た。
おかげで言いたくもない台詞を言うはめになる。
遠くで刈り田を走る犬を見ると、
自転車で通りぬける人に、二匹の犬が吠えながら追いかけている。

サングラスをかけたおじさんが、何かおらんでいるが、
そんなことにはお構いなしに追いかける犬。
(こちらへこなければいいが・・・)

そんな思いとは裏腹に二匹の犬が我のところへ来て吠える。
見ると鎖はついているのだが、離しているのだ。
吠えていた1匹が、我のズボンに絡み付いてくる。

一向に何もしない飼い主が、我の方に近付いてくる。
「ちゃんと管理しんさいや」と言うが、
不敵な笑みを浮かべて犬と共に去って行った。
嫌なおっさんである。

遅れた朝は、早起きの鳥たちにも出会えない間々、
いつもの川の三叉路で胸一杯空気を吸う。

吹き降ろしの山風を感じながら、向こう岸を見ていたら、
小さな動くものが見える、水鳥のようである。
カルガモの子、親にくっ付いて離れぬ鳥だからそうではなかろう。

たった一匹が我と対峙し、じっとこちらを見据えている。
完全に敵に対する姿勢なのだ。
潜るでもなく、飛んで逃げるでもなく。
画像を撮った後、拡大して見ても、
その姿からは何鳥なのかは結局わからなかった。

一匹の鳥との出会いだけできょうは終わりかと思っていたら、
刈り田にまかれた藁のせいか、
収穫の際にこぼれた米のせいか、あちこちに雀の群れが出来て、
右に左に雀絵を描きながら飛んでいる。



『向う岸 我睨みつけ 水鳥の』
『人の来ぬ 社訪ねて 秋紅葉』
『モミを焼く 煙にあおられ 遠回り』

☆どうでっしゃろ☆


**10月31日いつもの散歩道**

朝の冷え込みが厳しくなった。
指を丸めて歩く道。

我の歩く先にちょうど舞い降りたセキレイ
このやぼなオジサンに、すぐに舞い上がり候。

田圃はかなり稲刈りが済み、株だけが残っている。
中にはいつものように穂を取られ藁になった稲が、
田にばらまかれているところもチラホラ。

他には、藁が立てかけられているところもある。
同じようなかっこうをしたアオサギがよく目立つ。
いつもの三叉路となる川べりに立っていると・・・。

妻を娶ったカワセミがわれの前を、
アベックで通り過ぎて行った。
いろいろな鳥の声が聞けるようになったが、
その割りにいい画像がひとつもものにならない。

帰り道、呼び止めるかのように鳴く鳥に
踵を返して鳥を探すが、ほんの少し見えただけで、
やはりいい画像にはならなかった。

野原はススキが下火になり、その隣に陣取るセイタカアワダソウ。
鮮やかな燃えるような橙色があちこちに際立つ。
その香りが風に乗ってやってくる。

『稲の茎 藁になりても 役に立ち』
『呼び止める 声に誘われ 踵変え』
『朝冷えに 指を丸めて 歩く道』

☆どうでっしゃろ☆


**10月24日いつもの散歩道**

急な冷え込みで、ふとんから身体を出すのに気後れ。
でも、この季節の移り変わりを肌で感じたいと思い。
やや出遅れた散歩道。

太陽があがり、散歩道にもかなり日が射し込んでいる。
草むら、稲の葉には露がおり、畦を歩くと靴もズボンも
濡れてくる。

このひんやりとした空気に触れるのがなんとも心地がいい。
でももうしばらくすると、手袋も必要になってくる。
それまでのこの肌で感じる空気に、「元気」がもらえるのだ。

高校のフェンスの上で、甲高く囀り合う鳥がいる。
いつもなら囀りながら、人の気配ですぐに逃げるのだが、
水路を境にじっとしている。

デジカメズームで撮る。
甲高き声の主は、「ヒヨドリ」なのだ。
しばらく、シャッターを押し続け、画像に収めた。

いつものように、線路を渡り川に沿って帰り道へと。
この当たりは、山がひさしになって、陽射しが遮られ、
まだヒンヤリとしている。

さらに進むと、柿の木があるところに。
いつのまにやら実が大きくなり、おいしそうな冬柿になっている。
食べたくなる衝動を抑えながら、柿泥棒にならずに
散歩が終った。

『気後れし ひととき遅れ 歩く道』
『冬柿を 撮るし取りたや 秋の道』
『ケチケチの われら夫婦は 値踏みだけ』

☆どうでっしゃろ☆


**10月17日いつもの散歩道**

日毎に秋が深まり、秋の色。
黄金を刈る風景を見ながら、田舎に車を走らせる。
いつものように、山すそに登って鳥の声を求め、耳を澄ます。

畑には、これでもかと彼岸花が咲き、もう枯れている。
そんなことを知りながら、モンシロチョウ、黄色のつがいの蝶が舞い、
さらにアゲハチョウがない蜜を求めて止まる。

秋は春の色のような明るさはないが、
風とともに、いろいろな色を届けてくれる。
野の花も大いににぎやかしているようだ。

翌朝、深まりつつある秋を求めていつもの散歩道。
季節はそんなことも忘れ、朝からかなり暖かい。
水が少なくなった用水路には、アオサギ、コサギ、チュウサギ、
4匹のカルガモたちが、朝のモーニング。

黄金色の稲の葉より高く伸びた草の穂に、
なに鳥だろうカワラヒワ?、近づくと逃げ、
新しい草の穂へ飛んでいく。
距離が縮まらないから、いい画像は撮れないのだ。

あいかわらず畦道には、野の草と同じ色した雲雀たちが
ゆっくりと飛び立つ、川にはルアーフィッシングを楽しむ
若者二人。

電線の一番上で、かなり甲高く囀る鳥。
体の割りに長い尾を内側に曲げて鳴くのだ。
百舌のようだ。

さらに、甲高い声でなく鳥がいる。
それも大きな声で鳴きながら、木から木へと移る
ヒヨドリたち。

秋は里の鳥たちの動きもかなり活発になり始める。

『華やかさ  なくとも絵なる  秋の色』
『川釣りの 竿に目からめ 海が呼ぶ』
『稲穂より 延びた草穂に  秋の鳥』
『尾をゆらし 秋を詠んでる 百舌の声』

☆どうでっしゃろ☆


**10月10日いつもの散歩道**

>そこまで謙遜されなくても良いのでは??
>人生に意気揚揚・・・とも、窺えるのですが・・・?
いまねえ「『閑』(かん)という生き方」(中野孝次著)の本を読みながら、
これからの生き方の方向性が見えたような気がします。

>元気なようでも、年々老いていくのがわかる。
>何時までも元気でいて欲しい、そう願わずにはいられない。
こちらもそう思います。

>今が盛に木犀が咲いている。
>辺り一面に漂っているのだ。
我が家の庭も金木犀の香りが漂っております。

************本文*******************

湿田の水がなくなり、草も刈られ、水田の水もなくなり、稲の葉はツンとした先まで
こがね色、収穫の秋も近くなってきた。やや不良の米の作柄に稲穂のコウベも
やや角度が高いように見える。

農道端では、チュンチュン雀が群れ、人が通るたびに飛び立ち、場所を変える。
いままで湿田を住み処にしていた鷺連も水枯れと共にいなくなり、水嵩の減った
用水路に移動しているようだ。

いつもいた鯉の住み処に鯉がいなくなって3か月が過ぎたが、いまだに
その姿をみせない。大きな水門付近に大きな口を開けて泳ぐ魚が数匹見える。
鯉かとじっと見ると、鰡がここら当たりまで、川を昇っているようだ。

黄金色の田圃の畦を歩く、実り垂れ下がったこうべを軽く手で触れながら歩く。
畦道に作られた小さな用水路を団体で泳ぐカルガモに出会う。
4匹、気付かれないように速足で近付き画像をものにした。

しばらくどこまで泳いで行くのか、しばらくしばらく追跡。
角を回ったところで気付かれ、ばらばらに飛んで逃げられた。
つがいで見ていたカルガモ、赤ちゃんまで生んで、
その赤ちゃんがこんなに成長したのだろうか?

我が庭に帰り。
庭先から匂う、花のかおり−金木犀−小さな黄色い花を一杯
咲かせて、鼻にやさしいかおりを振りまいていた。

『ツンとして 稲葉先まで こがね色』
『米不作 おじぎ角度も それなりに』
『湿田の 草も刈られて 鳥も消え』

☆どうでっしゃろ☆


**10月3日いつもの散歩道**

まだ陽の当たらない散歩道は、ひんやりと長袖着てても涼しい。
秋の田の稲の葉、道端の草の葉にたくさんの滴玉が降りている。
そんな草むらを踏みながら歩く。

雀の宿の当たりの橋の上では、いつも体操をしてるおじさんに出会う、
帰り路では、同じ所当たりから、自転車に猫やバッグやいろいろ
の荷物を乗せた、ホームレスと思しき人、二人が出て来られた。
どこを寝ぐらにしているのだろうか。

休耕田に降りて世を明かす、鷺連。
背中丸めて鷺立ち、我が近づいても察知せずに
なかなか飛び立たなかった。

きょうも、散歩好きの人たちの姿があちこちに見える。
不思議と同じ道を歩く人はいない。
それなりに道を決めているのだ。

川端に降りていた別の鷺たちが、人の気配で急に飛び上がり、
低空で舞いを繰り返し、やがてそれぞれの思いで
散っていった。

10月を迎える前に
道端に元気に飛び出している草がある。
猫じゃらしだ。

鳥たちにも少し変化が現れてきた。
電線の上で鳴いてる鳥、
嘴をみると、百舌だ、懐かしや。
さらに川端を低く飛ぶ鳥、
嘴をよく見ると、お久しぶりの川蝉である。

『秋の田も 実り迎えて 水落とし』
『畦道の 道に飛び出し 猫じゃらし』
『嘴見 久しぶりやと 川蝉の』

☆どうでっしゃろ☆


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