いつもの散歩道記録パート9 |
いつもの時間より1時間も遅れて散歩に出た。 おかげで言いたくもない台詞を言うはめになる。 遠くで刈り田を走る犬を見ると、 自転車で通りぬける人に、二匹の犬が吠えながら追いかけている。 サングラスをかけたおじさんが、何かおらんでいるが、 そんなことにはお構いなしに追いかける犬。 (こちらへこなければいいが・・・) そんな思いとは裏腹に二匹の犬が我のところへ来て吠える。 見ると鎖はついているのだが、離しているのだ。 吠えていた1匹が、我のズボンに絡み付いてくる。 一向に何もしない飼い主が、我の方に近付いてくる。 「ちゃんと管理しんさいや」と言うが、 不敵な笑みを浮かべて犬と共に去って行った。 嫌なおっさんである。 遅れた朝は、早起きの鳥たちにも出会えない間々、 いつもの川の三叉路で胸一杯空気を吸う。 吹き降ろしの山風を感じながら、向こう岸を見ていたら、 小さな動くものが見える、水鳥のようである。 カルガモの子、親にくっ付いて離れぬ鳥だからそうではなかろう。 たった一匹が我と対峙し、じっとこちらを見据えている。 完全に敵に対する姿勢なのだ。 潜るでもなく、飛んで逃げるでもなく。 画像を撮った後、拡大して見ても、 その姿からは何鳥なのかは結局わからなかった。 一匹の鳥との出会いだけできょうは終わりかと思っていたら、 刈り田にまかれた藁のせいか、 収穫の際にこぼれた米のせいか、あちこちに雀の群れが出来て、 右に左に雀絵を描きながら飛んでいる。 『向う岸 我睨みつけ 水鳥の』 『人の来ぬ 社訪ねて 秋紅葉』 『モミを焼く 煙にあおられ 遠回り』 ☆どうでっしゃろ☆ |
朝の冷え込みが厳しくなった。 指を丸めて歩く道。 我の歩く先にちょうど舞い降りたセキレイ このやぼなオジサンに、すぐに舞い上がり候。 田圃はかなり稲刈りが済み、株だけが残っている。 中にはいつものように穂を取られ藁になった稲が、 田にばらまかれているところもチラホラ。 他には、藁が立てかけられているところもある。 同じようなかっこうをしたアオサギがよく目立つ。 いつもの三叉路となる川べりに立っていると・・・。 妻を娶ったカワセミがわれの前を、 アベックで通り過ぎて行った。 いろいろな鳥の声が聞けるようになったが、 その割りにいい画像がひとつもものにならない。 帰り道、呼び止めるかのように鳴く鳥に 踵を返して鳥を探すが、ほんの少し見えただけで、 やはりいい画像にはならなかった。 野原はススキが下火になり、その隣に陣取るセイタカアワダソウ。 鮮やかな燃えるような橙色があちこちに際立つ。 その香りが風に乗ってやってくる。 『稲の茎 藁になりても 役に立ち』 『呼び止める 声に誘われ 踵変え』 『朝冷えに 指を丸めて 歩く道』 ☆どうでっしゃろ☆ |
急な冷え込みで、ふとんから身体を出すのに気後れ。 でも、この季節の移り変わりを肌で感じたいと思い。 やや出遅れた散歩道。 太陽があがり、散歩道にもかなり日が射し込んでいる。 草むら、稲の葉には露がおり、畦を歩くと靴もズボンも 濡れてくる。 このひんやりとした空気に触れるのがなんとも心地がいい。 でももうしばらくすると、手袋も必要になってくる。 それまでのこの肌で感じる空気に、「元気」がもらえるのだ。 高校のフェンスの上で、甲高く囀り合う鳥がいる。 いつもなら囀りながら、人の気配ですぐに逃げるのだが、 水路を境にじっとしている。 デジカメズームで撮る。 甲高き声の主は、「ヒヨドリ」なのだ。 しばらく、シャッターを押し続け、画像に収めた。 いつものように、線路を渡り川に沿って帰り道へと。 この当たりは、山がひさしになって、陽射しが遮られ、 まだヒンヤリとしている。 さらに進むと、柿の木があるところに。 いつのまにやら実が大きくなり、おいしそうな冬柿になっている。 食べたくなる衝動を抑えながら、柿泥棒にならずに 散歩が終った。 『気後れし ひととき遅れ 歩く道』 『冬柿を 撮るし取りたや 秋の道』 『ケチケチの われら夫婦は 値踏みだけ』 ☆どうでっしゃろ☆ |
日毎に秋が深まり、秋の色。 黄金を刈る風景を見ながら、田舎に車を走らせる。 いつものように、山すそに登って鳥の声を求め、耳を澄ます。 畑には、これでもかと彼岸花が咲き、もう枯れている。 そんなことを知りながら、モンシロチョウ、黄色のつがいの蝶が舞い、 さらにアゲハチョウがない蜜を求めて止まる。 秋は春の色のような明るさはないが、 風とともに、いろいろな色を届けてくれる。 野の花も大いににぎやかしているようだ。 翌朝、深まりつつある秋を求めていつもの散歩道。 季節はそんなことも忘れ、朝からかなり暖かい。 水が少なくなった用水路には、アオサギ、コサギ、チュウサギ、 4匹のカルガモたちが、朝のモーニング。 黄金色の稲の葉より高く伸びた草の穂に、 なに鳥だろうカワラヒワ?、近づくと逃げ、 新しい草の穂へ飛んでいく。 距離が縮まらないから、いい画像は撮れないのだ。 あいかわらず畦道には、野の草と同じ色した雲雀たちが ゆっくりと飛び立つ、川にはルアーフィッシングを楽しむ 若者二人。 電線の一番上で、かなり甲高く囀る鳥。 体の割りに長い尾を内側に曲げて鳴くのだ。 百舌のようだ。 さらに、甲高い声でなく鳥がいる。 それも大きな声で鳴きながら、木から木へと移る ヒヨドリたち。 秋は里の鳥たちの動きもかなり活発になり始める。 『華やかさ なくとも絵なる 秋の色』 『川釣りの 竿に目からめ 海が呼ぶ』 『稲穂より 延びた草穂に 秋の鳥』 『尾をゆらし 秋を詠んでる 百舌の声』 ☆どうでっしゃろ☆ |
>そこまで謙遜されなくても良いのでは?? >人生に意気揚揚・・・とも、窺えるのですが・・・? いまねえ「『閑』(かん)という生き方」(中野孝次著)の本を読みながら、 これからの生き方の方向性が見えたような気がします。 >元気なようでも、年々老いていくのがわかる。 >何時までも元気でいて欲しい、そう願わずにはいられない。 こちらもそう思います。 >今が盛に木犀が咲いている。 >辺り一面に漂っているのだ。 我が家の庭も金木犀の香りが漂っております。 ************本文******************* 湿田の水がなくなり、草も刈られ、水田の水もなくなり、稲の葉はツンとした先まで こがね色、収穫の秋も近くなってきた。やや不良の米の作柄に稲穂のコウベも やや角度が高いように見える。 農道端では、チュンチュン雀が群れ、人が通るたびに飛び立ち、場所を変える。 いままで湿田を住み処にしていた鷺連も水枯れと共にいなくなり、水嵩の減った 用水路に移動しているようだ。 いつもいた鯉の住み処に鯉がいなくなって3か月が過ぎたが、いまだに その姿をみせない。大きな水門付近に大きな口を開けて泳ぐ魚が数匹見える。 鯉かとじっと見ると、鰡がここら当たりまで、川を昇っているようだ。 黄金色の田圃の畦を歩く、実り垂れ下がったこうべを軽く手で触れながら歩く。 畦道に作られた小さな用水路を団体で泳ぐカルガモに出会う。 4匹、気付かれないように速足で近付き画像をものにした。 しばらくどこまで泳いで行くのか、しばらくしばらく追跡。 角を回ったところで気付かれ、ばらばらに飛んで逃げられた。 つがいで見ていたカルガモ、赤ちゃんまで生んで、 その赤ちゃんがこんなに成長したのだろうか? 我が庭に帰り。 庭先から匂う、花のかおり−金木犀−小さな黄色い花を一杯 咲かせて、鼻にやさしいかおりを振りまいていた。 『ツンとして 稲葉先まで こがね色』 『米不作 おじぎ角度も それなりに』 『湿田の 草も刈られて 鳥も消え』 ☆どうでっしゃろ☆ |
まだ陽の当たらない散歩道は、ひんやりと長袖着てても涼しい。 秋の田の稲の葉、道端の草の葉にたくさんの滴玉が降りている。 そんな草むらを踏みながら歩く。 雀の宿の当たりの橋の上では、いつも体操をしてるおじさんに出会う、 帰り路では、同じ所当たりから、自転車に猫やバッグやいろいろ の荷物を乗せた、ホームレスと思しき人、二人が出て来られた。 どこを寝ぐらにしているのだろうか。 休耕田に降りて世を明かす、鷺連。 背中丸めて鷺立ち、我が近づいても察知せずに なかなか飛び立たなかった。 きょうも、散歩好きの人たちの姿があちこちに見える。 不思議と同じ道を歩く人はいない。 それなりに道を決めているのだ。 川端に降りていた別の鷺たちが、人の気配で急に飛び上がり、 低空で舞いを繰り返し、やがてそれぞれの思いで 散っていった。 10月を迎える前に 道端に元気に飛び出している草がある。 猫じゃらしだ。 鳥たちにも少し変化が現れてきた。 電線の上で鳴いてる鳥、 嘴をみると、百舌だ、懐かしや。 さらに川端を低く飛ぶ鳥、 嘴をよく見ると、お久しぶりの川蝉である。 『秋の田も 実り迎えて 水落とし』 『畦道の 道に飛び出し 猫じゃらし』 『嘴見 久しぶりやと 川蝉の』 ☆どうでっしゃろ☆ |