いつもの散歩道記録パート8
**9月26日いつもの散歩道**

>秋は黄昏かもしれないが、黄昏前は何となく深みがあって・・・
>散る前の最後の輝きが有るじゃありませんか?
>若々しい輝きは無くても、
>深くからだの奥から滲み出るような輝きはこの年の人にしか
>出せないものかもしれませんよ。
>如何でしょうか・・・?

いぶし銀、というやつですか。
腕に自信のある職人さんのイメージ・・・ですなあ。
どうもサラリーマンの禿オジサンには似合わないことばです。
ただ落ちぶれ果てていくというのが、ピッタシくるようでありますよ。

******本文*****************

お彼岸、いつものように家人の里にも行った。
墓参り。じじばば家人に我、小雨の中、傘をさして
お墓へ。

途中、じじばばの知人のばばに会う。
雨の中、傘もささず墓の周囲の掃除を黙々としていた。
わがばばよりかなりお年である。
大きく腰も曲がっていた。

わがばば「だれもおらんの」
「おらんがだれも、わたししかするのが・・・」

翌朝早く、近所周りを散歩する。
旭川にかかった木橋−幸福橋−を渡る。
川につかって釣りをする人がいる。

立ち止まって見ていると、鮎釣りではない。
はえを釣っているのである。
いとも簡単に何匹も釣り上げている。

橋から川下川上を眺める。
実家に来る途中、川の真ん中の岩場に波しぶきを
あびながら、じっと止まっていた
「カワウ」を探してみたのだ。
斜め上の何かを見つめ動かない、ひょうきんな姿の彼らはいなかった。

橋を渡り、少し川上へ、
川に流れる水音を聞きながらしばらく歩いたが、
鳥は見つからなかった。そのままもう一度木橋を渡って、
家路に。

昼過ぎ、実家の山すその畑に上がる。
いつものように、木々の擦り合う葉音に耳を傾ける。
台風の影響からか風がかなり吹いている。

その音の中に少し違う鳥の声が聞こえてきた。
柚子の木の当たりから聞こえる、もう少し上がってみると・・・。
いたいた小鳥が、いい具合に画像が撮れたのだ。

青い柚子の実がなる、横に可愛い仕草でいる鳥
「しじゅうから」なのだ。撮りながらしばらく眺めていた。

一段下がって、しばらく立ち止まっていたら、
アゲハ蝶が飛んできた、気付かなかったのだが、
季節を忘れない、時を忘れない、
咲いていた彼岸花の蜜を吸いにやってきたのだ。

時の経つのは早い。
夏の日には、草も刈られきれいだった山すそも
いつの間にやら草だらけである。

『青き柚子  秋風にのせ かおり告ぐ』
『秋の風 時を忘れぬ 彼岸花』
『腰曲がり 墓掃く老婆 ああこの世』
『目に映える 夕日沈みて 秋の風』

☆どうでっしゃろ☆

**9月19日いつもの散歩道**

>2日ほど前実家へ行ったのですが、田圃が随分と黄ばんできましたね。
>不作不作といいながらも、稲穂もそれなりに頭を垂れていましたです。
>早くも刈入れをしている所も有りました。
>米泥棒がはやっているという。
>果樹園にも泥棒が入るという。
>嫌な世の中になりました。
>今までにも有ったのでしょうが、
>やることがだんだん大掛かりになってきています。
人の「上米をはねる」って言葉がありますが、すっかり持っていく。
最低な奴やね、こちらでも米泥棒がニュースになっています。
こんなにラクして、金を手に入れようなんて、ホントつまらんねえ

***本文********************

蒸暑い日々もやっと終り、少し服装を替えて、歩く。

田園もすっかり色が変わってきた。
その周囲を飛ぶ赤とんぼがさらに増え、手の平を広げて歩くと当りそうに
なるくらいだ。飛んで飛んで飛んで、回ってみなよと言ってるよう。
そんな田園に立つと黄金色が色鮮やかに広がり、
穂先も重い実で垂れ下がり始めて来た。
台風の影響で、稲穂が追い風でかなり揺れている。
その寄せ合う音に秋を感じる。

畦道に入ると、われが通る前までジージーと鳴いていた虫たちが
秋の音を休め、過ぎ去るのを待っているのだ。

いつもの道、学び舎のところを通り過ぎると、窓からもれる3・3・7拍子。
垣根越しに、構内を見ると、大きな展示物が、まだ垂れ下がっている。
どうも文化祭のようだ。

ぐるりと回って、山々を望んでみると、深緑の色が段々薄くなり、
その色が広がっていくようである。
秋らしくなって、いつもの散歩からちょっと旅に出たくなってきた。

『草むらに わが身をおけば 秋の音』
『茄子の枝  実がぶらりぶら 秋の音』
『肌押すと もどらぬわが身 秋の音』
『山の木々 移る葉色に 秋の音』

☆どうでっしゃろ☆

**9月12日いつもの散歩道**

秋よ秋、人生の黄昏も季節の秋も、招かなくてもそれなりにやってくる。
コスモス連が、道端で花を揃え始めた。
電線で飛び立つ日を待っていたツバメ連は、
秋の声を聞いてすっかりいなくなった。

まだ蒸暑さが残るのにどうやって時間軸を感知してるのだろうか。
一方で、畦道で人が近付いてもなかなか逃げぬ雲雀。
春のような囀りもなく、飛び立つのが億劫だと言わんばかりの逃げ方なのだ。

春大騒ぎして人間たちの住む庭に飛んでくるヒヨドリは、
電線の一番高いところで、乱れに乱れた羽を繕っているように見える。
元気なのは仲間で動き、甲高き声をあげて飛び立つムクドリ。

水音が好きなセキレイは、水田の揚水口に止まって、
尾羽を上下に動かしている。
すっかり、成鳥して白黒の羽色がとてもきれいである。

久しぶりに大きな声で蛙が鳴いた。
いつもやかましいと思っていた蛙連
ほんとに少なくなったものだ。

おたまじゃくしにとっては、大河のような用水路を
かわいげに泳ぎ、やがて岸の壁に張りついた。
草むらはもうすっかり、虫楽団でいっぱいだ。

『秋よ秋 まだある欲の 出る秋よ』
『鳴り響く 蛙一声 秋よ秋』
『いつの間に われ黄昏て 秋よ秋』

☆どうでっしゃろ☆

**9月6日いつもの散歩道**

本格的な暑さもなく終った夏
アイスも西瓜も食べることなく終ってしまった。

夏草から秋草へといっても草の種類が変わるわけではない。
草むらの中に住む生き物たちが変わる。
音色を整えながら、澄み切った音出しにせいをだすのだ。

水田では、
稲葉もそれなりに伸びて、稲穂ももこもこと育ち始める。
赤とんぼは我に肩を並べて飛んで行く。

単車のおじさんが声をかけてくる。
「このへんいつも散歩してんですか」
「土曜・日曜日だけです」
「あそこの用水路にバイクが落されてるの見ましたか」
「今朝の散歩の時、ありましたよ」

盗んだバイクの処分に困り、必要な部品だけとって、
放置したのだろう、何も用水路に落さなくてもと思うのだが、
捨てることを楽しんでいる意外にない。

水路の流れが緩むあたりに一匹のはえが遊んでいる。
円を描きながらぐるぐるを繰り返している。
デジカメで撮るのだが、水面が反射するので撮りにくい。

土管が通っている小さな橋の下にうじゃうじゃと、
たにしが流れて止まってる。
がやがやと早く流してよと言ってるようだ。

突然、我に気付いた鷺が飛びあがって、
鉄道の架線に見事止まり、
背筋を伸ばして、威風堂々の姿を見せてくれた。

『夏終わり 森の蝉より 草の虫』
『夏終わり 声すりあわせ 虫たちや』
『夏終わり アイス西瓜も 食べもせず』

☆どうでっしゃろ☆

**8月22日いつもの散歩道**


夏には夏のよさがある。
そう思いながら、ひたすら夏を待ったが、
どうもほんの少しの暑さをおいただけで逃げていきそうである。

短き夏は生きものたちにも大いに変化を与えているようだ。
短き命を夏の日に送る蝉たちが、昼夜関係なく鳴き急ぐ。
赤とんぼが、はや山から降りて水田の上を沢山飛んでいる。
蛙たちの姿がほとんど見えない。

そんな中、水田の中に目をやると、みずすましがスイスイと泳ぎ、
その上をあめんぼうが足早に通りすぎていく。
じっと立ち止まって見ていると、
水中を動き回る小指の半分ぐらいの大きさの名知らずの虫がいる。
その横にじっとしたまま動かない虫が・・・どうもヤゴのようだ。
デジカメで撮るがなかなかうまくいかない。

用水路沿いの草を踏みしめながら歩いて行くと、
いつものように草色に同化した鳴かぬ夏雲雀、かなり近付かないと逃げない。
いる位置がわからないため、突然飛び立つ感じになり、少し驚きをもらうのだ。

その水路端の草を食む中指大のカラフルな虫がいた。
逃さずデジカメに収めた。どんな蝶・蛾に?なるのだろう。

『涼やかは 静かに落ちる 草の露』
『鳴き急ぐ 短き夏の 蝉たちよ』
『稲の葉に 止り葉するよ 赤とんぼ』
『短きは 忙しく遊ぶ 娘(こ)の夏日』
『短きは 楽しき日々の この暮らし』

☆どうでっしゃろ☆

**8月8日いつもの散歩道**


なかなか明けなかった梅雨もようやく明け、気温があがってきた。
といっても昨年に比べれば2度〜3度低い。

暑さがあるから、夏の朝の散歩はここちいいのだ。
我が家の周辺も、水田も用水路も畑も山も、いつものメンバーが
いつものように動き始めている。

早起き、
我が周辺は、隣の犬におやじと孫の声、前の家は夏休みで帰って来た息子の
めざまし時計、我が息子の朝帰りと朝電車に雀連。

水田は、つばめに、さぎに、たにしに、カルガモ。
靄がかかった山裾からまんまるお陽さまが覗き始めた。
きょうは暑くなるぞと足が速くなる。

汗をかいた散歩の後の水遣りも、少しだらしい。
猫畑には、ミニトマトがたくさん熟して黄色になっている。
きゅうりも大きなのが2本、しし唐もたわわ。
今年のきゅうりは珍しく頑張ってる。
まだまだ小さな実がなってるのだ。

『早起きは 蝉電車に じじとばば』
『暑いのは 家人の声と 蝉時雨』
『暑いのは 梅雨明け夏と 更年期』

☆どうでっしゃろ☆

**8月1日いつもの散歩道**


ほんとうに涼しい夏である。
半袖のシャツを着ていると、ちょっと寒さを感じてしまうのだ。
二の腕をみれば鳥肌がたっている。
もう大暑が過ぎたというのに、本格的な蝉しぐれも聞こえてこない。

山側からウグイスがやたら短縮系のケキョケキョと鳴きまくり、
やめようともしない。
あがりきらない気温に春が戻ったと勘違いでもしているのだろうか。

やっとあがってきた太陽の陽射しを背に受けて、遠くからの鐘を聞きながら、
暑くもないなんて思いながら歩く。
舗装された農道のかなり先に、カラスや鳩や鷺とも違う鳥が見える。

羽をばたばたとさせたり、羽根の中に嘴を入れて手入れを
しているように見える。
一匹だけだろうかと見ていたら、稲の葉の上からひょいっと首を
出してるもう一匹。
カルガモのつがいである。可愛い仕種が微笑ましい。

この楽しい画像だけで、
他に撮りたい画像もなくひたすら歩いて50分程度。
汗もかくこともなく終わった今日の散歩道だった。

『待ちわびた 大暑過ぎて 蝉しぐれ』
『鳴きまくる ウグイス声に 春戻り?』
『水路端 小鮒で遊ぶ 人となり』

☆どうでっしゃろ☆

いつもの散歩道記録パート8
**7月25日いつもの散歩道**


>しかし、食事も喉を通らず経管栄養になり、
>虫の息でいるお年寄りが息を引き取ると
>何故かほっとする。長生きはして欲しいがああいう姿を見るのが辛い部分もある。
>やっと楽になれたね、という気持ちがあるのもまた然り。
これよくわかります。どこまで生かしてあげればいいのか。
この状態が生きている状態なのか?!

*******本文**********************

水田は雨に恵まれ稲がすくすく育ち、その上を通り過ぎる風のここちよきこと。
思わず立ち止まってしばし風に遊んでもらう。
いろいろなカラフルとんぼがあちこち飛び交い、草むらや稲で一休み。

広がる水田を見渡すと、首だけ覗けた鷺たちが思い思いの場所に
陣取り、餌を啄ばむため、また首を隠す。
人の気配を感じた鷺連が一斉に飛び立ち、また次の田へ。

稲のない水田には鷺が群れて、空騒ぎ。
立ち止まって、田の水の中を見ると、見たこともない小さな
生き物、大きい生き物ではタニシ、ひるがくねくねと・・・。

散歩道の畦には、草たちが乱舞し、道にはみ出して大騒ぎしている。
そんな道を我の足音聞き分け、畦から畦へ飛ぶ、
鳴かない夏雲雀

いつもの道端には早やコスモスが群生し、ぽつんと一輪
可憐な花びらを広げていた。
その隣では、木々の実が雨に打たれながら、
さらに実を膨らませている。
イチジク、柿・・・・と

帰り道、
工場の壁の小さく出た突起物に、
上手に止まって一休みするツバメの親子連が・・・・・。

『夏草や 道にはみ出し 大騒ぎ』
『田の水の わが目に映る かわい生』
『いま一句 出ぬ出ぬ一句 ほれ一句』

☆どうでっしゃろ☆

**7月19日いつもの散歩道**


土曜日朝夕と歩く。
雨も激しい降りでないせいか、用水路の水も濁っていない。
水路端に可憐な夏の野花が咲いている。

草むらから「チョンギース」の虫の音。
すくすくと伸びる稲の上を早くも赤とんぼが飛び、
道端では、蝶々も飛び交い、山からは蝉までがジージーと鳴き出した。

そんな稲の間から群れをなして、
餌を食むムクドリが飛び出し、
近くの家の庭にある松ノ木へひょいと3羽が一休み。

そんな光景を見ながら、
そのまま小さな水路に沿って歩く。
あめんぼうの数がいつのまにか増え、
水嵩も増え、畦のところまで水が上がってる。

その流れからはずれたところに、水溜まりができ、
そこには、小鮒や沢山のメダカが泳いでいた。
ひとり懐かしげにじっくりと眺めたのだった。
そこからトンネルを抜けたところまで用水路は流れていく。
ここには、トーチカも見える。

畦の草には露が降りて、靴を濡らし、涼しさをもらう。
この畦はかなり細い、水田に落ちはしないかとゆっくりと歩を進める。

しばらく行くと
あれほど、派手な舞台衣装だった紫陽花も
その出番を終えて、枯れ始めていた。
いよいよ本格的な夏がやってくるようだ。


『あちこちの 窓が開きて 声踊る』
『水溜まり めだか見つけて 時止まり』
『草むらに 虫の音聞こえ 秋を待つ』

☆どうでっしゃろ☆

**7月12日いつもの散歩道**


朝夕がめっきり涼しい。
雨はしとしと、あるいは激しく降るのだが、蒸暑さはほとんど感じない。
今年の梅雨は不思議だ。
だから、1時間程度歩いてもさほど汗だくにならないのである。

大きな水路から水をもらった小さな水路。
雨のせいでいつも濁った、この小さな水路にも、水が増えるにしたがって、
いろいろな生き物がやってくる。
でも、今年は一向に鯉がのぼって来ない。
水嵩が増す前の6月初めに、沢山の鯉が死んだせいかもしれない。

そんな寂しい水路に、今年もあめんぼうが水面リンクをすべっている。
子あめんぼう、どういうわけか合体したまま平然とすべる夫婦あめんぼう。
撮ってるときはまったく気付かなかったのだ・・・。

珍しく
トンネルを抜けた、ガードレールのところにゆらゆらと揺れてる
蓑虫君にも出会えましたよ。
そんな小さな生き物との出会いはあっても、楽しい鳥との出会いは
この時期あまりない。

だが、虫が少なくなったのか、電線にたむろ?してるツバメ君は、
まったく我の通行に気付きもしないのでありました。

『人の世は 常など無いと 人の言う』
『杖ついて ひたすら歩く 老いの人』
『狭くても 妻の楽しみ 庭作り』

☆どうでっしゃろ☆

**7月5日いつもの散歩道**


小雨の中、歩きましたね。
ひさびさの昨日の釣り日だけが、梅雨の一休みだったようだ。
夏鳥たちは、田圃に姿を見せない。山の木々の中に移り住んだのだろうか。
そんな中、鷺たちは川からあがり、田圃に舞い降りている。
アオサギ、コサギ、チュウサギ

つばめたちが、田圃の稲についた虫を上手に羽を使いながら、取っていく。
そんな楽しみを見つけながら、散歩道で目をうろうろさせる。
田圃の稲の並びを見ると、その田圃の主がわかるような気がする。

昔ながらの、碁盤の目のように並んだもの、
歯抜けになったもの、ジグザグになったもの、
ある部分にだけ稲が群生したもの、草抜きがされてないもの
これでも何とか秋に収穫できるのか。

そんな田圃を横に見ながら、ふと目を道端にやると、
雨をしのぐように草葉に止まる小さなちょうちょう。

幅のある満腹の用水路の横を歩き、水門の所まで、
水門を越えて流れる水音に、気持ちが和らぐ。
そこから踏み切りを渡ると。

用水路に仮堰ができている。
この堰を境に音の不思議な世界と水の静と動、干と満。
ここも堰を溢れて落ちる水音のここちよさ

ここからさらに用水に沿って歩くと向う側にいろいろな紫陽花の花が、
艶やかな舞台衣装を披露している。
一花、ひとはな丁寧に画像におさめてみた。

『川端で 紫陽花連の 花模様』
『堰越えて 流る水音 ここちよき』
『雨に耐え 草葉に止まる てふてふの』

☆どうでっしゃろ☆

**6月27日いつもの散歩道**


>挨拶、知り合い同志なら直ぐに挨拶はできる。
>まるっきり知らない人に対しては、なかなか此方から挨拶を掛けるのにも
>勇気がいる。
>挨拶をしやすい人と何となくし難い人がいるような気がする。
広島で朝歩く時、確かにあります。
挨拶してもしない人、ひたすら下を向いて歩く人、しゃべくりながら歩く人
あまり期待せずに、挨拶する人は、目が合えばだいたいわかるようになりましたね。
時には失敗することもあるけどね。

>雷様の季節が近づいてきたのですね。
>チャリ通勤の私にとって一番嫌なのが、通勤途中で雷様に出会うこと。
>どうぞ今年も出会いませんように・・
落ちるとまるこげになるからきょうつけてね。
雨が降ると自転車も大変だけど、歩くのも大変よ。
へそ出してなければOKでは!?

********本文***************

梅雨空のドンよりとした朝、太陽を遮る朝靄、気分を余計に重たくする。
そんな気持ちを少し楽にしてくれるのは、用水路のあちこちに仮の堰ができて、
貯水された水がその堰を零れ落ち、涼しげな音としぶきを届けてくれる。

乾田にはすでに水が引かれ、一面水の世界である。
いままでここを住処にしていた雲雀は、飛びあがって鳴くのもやめ、
我の周りをグルグルと飛び回っては、田圃の畔に降りていく。

一面の水に居場所を見つけた鷺たちは、あちこちに姿をみせて、
何を待つのか、ただただじっと立っている。
そんな静かな水田に場違いな訪問者、大きな鯉が少ない水の中を背鰭を
見せながら、暴れるように泳ぎ回る。
最初は、へびでも泳いでいるのかと思いながら、遠くからだんだん近づいて
やっと鯉だとわかったのだ。

帰り道、
いつも出会うご近所さんの、好々爺の笑顔に一息もらう。
草の一杯生えた用水路では、
グオーグオーと食用蛙が水面を震わせるように鳴きまくる。
その道端には、多くの白い花たちが咲いている。

ツバメはいつものように飛び回る、まだ早い時間なのか、
セキレイは鳴きかけてこない。
宿に帰るのか雀さんが、藁をかかえて我の前を横切り、
なんとなくなにもなく
終わりかけた散歩道にちょいと笑みをくれた。

『花衣 まといてそろう あじさいの』
『つたの実の おいしさもらい 猫畑』
『響く声 水面震わす 大蛙』

☆どうでっしゃろ☆

**6月13日いつもの散歩道**


6月の朝の散歩は実に気持ちがいい。
ひんやりとした、少し水を含んだような空気のせいか。
寝起きの体が、ほんの少しで朝モードになる。

田に水を引くころになった。
小さな水門の前に、体を病んだ鯉が泳いでいる。
側で足音を出しても、逃げる様子はない。

川沿いをしばらく歩く、いつもの場所なのだが、
番のセキレイが私の前を飛び交い、電線に止まってはまた飛ぶ。
デジカメズームを向けると胸を張る。こんなセキレイは初めてだ。
しばらく遊んでもらう。

さらに用水路に沿って下り、国道を渡って、しばらくすると、
用水路の横は畦道になる。
頭の上で雲雀が鳴き始め、一声鳴き終えると一気に乾田に降りた。

その姿を田に探し、用水路の反対側にじっと佇む雲雀を見つけた。
そろりとズームで近接、目の愛くるしい横姿の大きな画像が初めて撮れた。
雲雀が降りた乾田には、水引きを待つかのように、
小さく伸びた稲が風に揺れている。

学校の横の用水路を歩いていると、二人連れのおばさんが、笑いながら通る。
さわやかな挨拶をもらう。
大きな水門は堰きとめられ、水嵩が段々と増えつつある。
その横を早朝練習でユニフォーム姿の自転車の中学生が通る。
その一人から元気のいい挨拶をもらった。

帰り道に寄った用水路の三叉路で、
月変わりの野の花を見つけ接写モードでカメラに収める。
家に近くなり、「キューン」と鳴く声の鳥が飛び交い。
その主探し、道路拡張予定の空地に、
声の主の3匹の鳥に出会うが、画像が撮れぬ間に飛んで行ってしまった。

蒸暑くなった夕方、腹減らしにまた散歩する。
西の空が何となく怪しいと思いながらも、歩く。
忙しい歩き方だと、鳥との出会いも、野の花も見つけられない。
空を気にしながら、帰り時間も気にしながら歩く。

西の空に稲妻が走る。雷の音はまだ小さい。
黒い雲が空一面に広がり始めた。
やがて、雷の音に気おされ、向きを変えて速足で帰り道。
家が近づくにつれて、ひかりが強く、音も大きくなる。
ぱらぱらと雨が落ち掛けた頃には家に辿り着いていた。

庭に居た家人が、雨に遭いはしないかと心配してくれていた。
家に入ると雷・稲妻がさらに強くなり、雨足も激しくなった。
20分程度だったろうか。
雨があがり、蒸暑かった空気が一変され、
窓を開けると肌寒いような風が入ってきた。

『病む鯉の 泳ぐ姿に 死を写し』
『雷の 音に気おされ 逃げる足』
『朝練で 過ぎ去る子らに 声もらい』

☆どうでっしゃろ☆

**6月6日いつもの散歩道**


5月というのに、台風が昨日夜半から中国地方に上陸。
その翌日の夕方、まだ、風が治まらない、
小雨の中を、体の求めに応じて散歩に出る。

カメラを持って出ても何も期待できないだろうと思いつつ。
先週、鯉の住処では、水が枯れ、喘えいでいた鯉連。
彼らはどうなったのかと気になった。

あちこちに鯉たちが変わり果てた姿で。
なかには、死に体を浮かせて流れている鯉も。
少し離れた水溜りでは、肌が斑になった鯉連が、
我が近づいても逃げる事なく、その数からも病院のようになっているのだ。

小雨にズボンや靴を濡らしながらただ歩く。
川の流れに沿って飛ぶツバメだけは元気。
ちょっと目を家のブロック塀に向けると、飛ばないツバメが。

子ツバメなのか、親ツバメから餌をもらいながら、
じっと雨降る中を耐えて止まっているのだ。
カメラの準備にもたつきながら、撮ってみる。

何気なく車の気配を感じ振り向くと、確かに遠くから車が来ているのだが、
その左を見るとガードレールに大きなチュウサギが止まっている。
車の来ぬ内にと、カメラを向けた。

しばらく歩くと、急に雨足が強くなったので、少し近回りをして家路を急ぐ。
何とも、中途半端な今日の散歩だった。

『初釣りの 釣れた魚を イメージし』
『釣り帰り 家人も笑う ゆで顔や』
『夏風が 体を包んで 解き放つ』

☆どうでっしゃろ☆

**5月30日いつもの散歩道**


昨日の旅疲れから、朝歩きをやめようかとも思ったのだが、
体が動くことを求め、早く目覚めてしまう。
少しふくらはぎに張りを感じながら歩いた。

いつもの
鯉の住処では、水嵩が急に減ったのか、他の場所へ逃げることもできずに、
仲間同士で折り重なるように浮かんでいる。
中には、酸素不足で天に召された鯉もいる。

よく見ると、長い髭と尻尾をくねくねさせて泳ぐなまずも数匹見える。
6月の晴れ舞台を前になんという状態か、
役者が危ない。

『水減りて 群れて重なり 喘ぐ鯉』
『水流れ こころ流れて ひとときの』
『旅先で 豚など持ちて 子を訪ね』

☆どうでっしゃろ☆

**5月23日いつもの散歩道**


家人が歩きたいというので、久しぶりに二人して散歩道。
でも、朝方はまだ少し肌寒く、途中から一人帰り。
いつものように一人で散歩となる。
結局、朝の散歩道は、
花も鳥にも出会えずカメラに画像を一枚も収めず、終わったのでした。

夕方、まだ陽射しが残る道を歩く。
遮断機のない踏み切りで渡ろうと思ってたところへ、
電車に警笛を鳴らされ、体がピクリと緊張。

うろうろと鳥を探しながら遠くを見ていると、
人がいるのに逃げない、白い鷺の群れが見える。
近づいて行くと、どうも、白鷺ではない。
頭頂部が薄い黄色の鷺なのだ。

飛んでまた違う場所に移っても、何度も追いかけて行き、
やっと飛んでる画像と停まってる画像をものにできた。
少しワクワク。

山風の心地よい踏み切りを渡ったところの橋の下で、
冬の羽色から、
羽衣を変えたいい色のゴイサギに出会えた。

その向うの山谷では、わがステージを一杯に使って、
ウグイスたちが、歌を披露してくれる。

もうこの時期、野の花には出会えない。
でも、野菜畑に咲く花を、じゃがいもの花を見つけて
カメラを向けた。
家に帰り、可憐さは野の花に取られたとはいえ、
美しさを競う庭の花を撮りまくったのでした。


『爺に婆 孫のお守りで 日が暮れる』
『二人して 久し歩みも 少しだけ』
『野の花に 可憐さ取られ 庭の花』
『朝日待ち 夕陽避けて 散歩道』

☆どうでっしゃろ☆

**5月16日いつもの散歩道**


日中は陽射しがきついため、少し歩く時間を変えてみた。
と言っても広島では、朝5時スタートだから、それより1時間遅い。
まずは、鯉の住処、まだ早いのか数匹しかおでましではない。

その鯉の横をスイスイと「はえ」が抜いては流され、
抜いては流されを繰り返している。
広い用水路では、川の流れに沿って、
ツバメたちがこれまた下っては上がり、上がっては下る。

まだ、用水路は、田植えの時期にならないので、水嵩が増えない。
川登りが得意な「鯉」の登場にはもう少し月日がかかる。

朝の冷え込みで、草が露を含み、畔を歩くたびに靴が濡れる。
そのせいか、雲雀が舞い上がらず、田の上を歩き回って、
近くに擦り寄っても逃げはしない。
でも、せっかく撮った画像も、土の色とよく似ていて、
はっきりしないのが、とても残念なのだ。

水門の手前の橋の下で、「かわう」を見かける。
そろりそろりと近づく、水にダイブして、見事に魚を捕らえていた。
鷺達が横で知らぬ顔で立っている。
もう少しで、画像がとれず、水門の方へ飛んでいった。

負けずに追いかけ、
「ネッシー」のような画像がやっとものにできたのだ。

ほんとに「かわう」の画像は撮りにくい。

帰り道、舗装された川端で遊ぶ、
2匹のセキレイに出会う。追っては逃げ、また追う。

我が家の近くに帰ると、
今年はもう来ないかと思っていた「ゆすりか」、
暖かくなった連休から一気に発生し?、歩いていると口に入りそうになる。

『川流れ ツバメ飛び交う わが街の』
『藤に蜂 木には蝉鳴き 我ベンチ』
『藤棚に 見惚れて首が 痛くなり』
『人の目を 飽かせぬ花の 色形』
『野の店に 揃えて見せる 花々の』
『わが庭も 鈴を鳴らして 夏気分』

☆どうでっしゃろ☆


**4月25日いつもの散歩道**


鯉の住処の横にカルガモのつがいがやって来て、人が通っても逃げる様子はない。
でも、我が止まって、デジカメを向けると、餌を取るのを止めて、
向きを変えて移動し始める。

鯉は鯉で、「6月登り」の練習なのか、ゆっくりと隊を組んで、
線路下の奥の間から、お出ましになる。
その隊の後の方では、大きな親鯉なのか、川藻を強引にかき分け、
尾ヒレを水の外にはみ出しながら、登っている。

線路脇の小道を小用水路沿いに歩きながら、踏み切りを渡ると、
かなり向うの畦道のところに薄いブルーの野の花が群生しているのが見える。
田圃では、しきりに雲雀が舞い上がり、舞い上がり。
じっと目で追っていると、鳴くだけ鳴いて、
羽をただ広げてヒラリヒラヒラと舞い降りて来る。

降りた後は、土の色と同化して、姿を追うのはなかなかむつかしい。

たわわたんぽぽ道、
花を踏まないように歩きながら、野の春を満喫する。
いつものヌートリアの住処の所へ行くが、彼の姿が見えなくなって久しい。
その変わりに、多くの白い花が、一面に咲いている。

帰り道、川向う一面に咲いたしば桜を眺めていたら、
たんぽぽがその真ん中に一輪だけ咲いて、いい雰囲気を出している。

甲子園常連の高校のグランドからは、いつもの掛け声が聞こえて来る。
はや夏の始まりなのだ。

『道端の たわわたんぽぽ 春盛り』
『野の花の 白さにまけて 持ち帰り』
『公麿の ギャグマネろと 妻が言う』
『春雲雀 鳴くだけ鳴いて ヒラリヒラ』

☆どうでっしゃろ☆


**4月11日いつもの散歩道**


>鳥を追いかけるおじさん、そのうち有名人になるかも・・・
多分もう名は知れてると思います。
鳥かどうかはね、いつもカメラ持ってるおじさん・・・
4月になると、岡山では、意外に鳥がね、いないのよ、
広島の川沿いには、いろいろな水鳥がきはじめました。
だから岡山では、もっぱら名も知らぬ野の花に目がいきます。

>一心不乱?に鳥を追いかける、その集中力には何時も感服しています。
>友達と話すんです。「私達が山を歩いている時って、他の事考えていないよね。
>こんなに集中することって他ではまず無いね。」等と・・・
>何事も、その場その場で集中してやっていけたらね・・・と思うのですが。
人間って集中力を発揮している間は、余分なことは
目にも入らないし、耳にも入らないみたい。

********本文*************

暖かくなり、一気に桜も満開かと思われた週末だったが、
家から出ると、花冷えで風も吹いて暖かさもお預け状態だった。
めじろやジョウビタキが去り、もっぱら騒がしいのは雀たちである。

家の裏では洋行帰りのツバメも、狭い水路の上で、
宙帰りをなんども繰り返しているが、時々風に煽られ寒くなるのか、
水路端に止まって身を縮めている。
5月が近づくにつれ、新居を探し始める前に、
餌取り場所を所定めしているのだろうか。

4月に入り、我の目には新しい鳥が写らない。
だから、自然と目線が下へ向く。
この時期、小さな水路には水はないのだが、雨がよく降るので、
水溜まりができている。

水路の中には、草が群生している。
そんな中に薄青の花をつけた清楚な野の花が咲いている。
田圃の畦に咲いている野の花たちも、薄青の花を咲かせている。

先週まで鳴いてた鶯もこの寒さで、鳴く季節を間違ったと思ったのか
山の遠くでも声が聞こえなくなった。
ほんとに寒い散歩道。

翌日は、昨日の寒さも去り、花見日和となった。
でも、私を楽しませてくれる鳥にはお目にかかれず
今日はこれで終わりかなと思っていたら、
マガモのつがいが仲良く泳ぐ姿をキャッチできた。
でも、泳ぎ足が実に速いから、なかなかいい画像が撮れない。

『春の宵 桜で騒ぐ 人の群れ』
『野の花に 春の一声 聞いて見る』
『力持ち 土に顔出す つくしんぼ』
『朝雀 夕にツバメの 通り道』

☆どうでっしゃろ☆


**4月4日いつもの散歩道**


>コマドリが、つぶらな瞳で可愛げに良く撮れていました。
>鳥の写真は根気の要る仕事。
>良くこれだけのものを撮ったと感心するばかりなり・・
ありがとう、里子さんの山画像にまけないよう、踏ん張ります。
ところで、駒鳥はいません。どの分か教えて。

****本文***************************

本格的な春、彼岸を過ぎたころから、鳥の種類も変って来るようだ。
カワセミが一向に見えなくなり、愛らしいジョウビタキの姿も見えなくなった。
目もとの可愛いめじろの声も静かになってしまった。

その変わりに、雀の群れがやたら多くなった。
耕された田の上にいつもいるのは、雀、カワラヒワ、ムクドリ、鳩、セキレイ、
カラス・・・たち。

いままで土の中に眠っていたムシたちが、眠りを覚まされると同時に、
鳥の餌になる。
カラフルな鳥たちがいなくなり、冬の間、異国へ渡っていたツバメが、
水路の上を自由に飛び回ってる。

盛春にはやはり野の花たちがいい。
清楚で、ひっそり咲く花がいい。
タンポポがあちこちに、黄色の明るさをふりまいている。

そういえば、いつも住処で泳ぐ鯉たちの肌色も春の色になってるような。
深く濃い色が、元気さを表しているようだ。

いつもの住処以外の鯉たちは、人の音に妙に敏感で、
我が歩いて音を出すたびに、水を濁らせ姿をくらますのだ。
いつもの鯉の住処でゆったり泳ぐ鯉がやはりいい。

『明るきは 畦のたんぽぽ 黄の色よ』
『名知らずの 花に魅せられ 野にかがむ』
『渡る鳥 ツバメ帰りて 春迎え』

☆どうでっしゃろ☆


**3月28日いつもの散歩道**


><梅に鶯>という言葉をよく耳にしますが、
>本当はこれ正しくないんですって!!
><梅にめじろ>なんだそうですね。
>春告げ鳥はめじろ、
>梅が咲く頃は鶯はまだ姿を見せないのだそうな・・・

確かにねえ、ただ語呂合せで言えば、
<梅にめじろ>よりは、<梅に鶯>が合うね。
でも鳥観察者としては、めじろが合う感じですね。
もう一羽可愛いのがいてね。
「尉鶲」(ジョウビタキと読みます)
これもすてがたいのよ!?

****本文********************

今日は、田舎の墓参りに行って、実家の裏山に立ち、鳥を散策。
見知らぬ鳥に出会い、画像に収める。

夕方、自宅に帰り、いつもより少し遅い時間に散歩に出かける。
日増しに暖かい日が続き始めた。
散歩も少し気楽になり、脇の下に少しだけ汗をかき始める頃となった。
時の移り変わりは、すべてを不変にというわけにはいかない。
こんな小さな町とて同じである。

たった一週間なのに、家並みが変ろうとしている。
大きな道が通るため、いつのまにやら、プロパン屋の家が壊されて、
地ならしまでされている。

そんなこととは無関係に、鳥たちは私にいい気分を与えてくれる。
夕方と言っても、もう暖かいので急ぐ必要はない。
時間が長くなったせいもあるが、時間帯が変ると、思いがけぬ鳥に出会い、
いい接写画像をものにできたのだ。とてもうれしかりけり。

百舌が、低い松の木の上に止まっていた。
いい鳥姿。
小さな動きが気になり、シャッターをきる。
連続で見ると、とても愛らしい。

帰り道、雄のジョウビタキに出会う。撮りながら逃げない鳥はうれしい。
ただ、何をしてるのか気付かない人、車は、
容赦なく横を通り過ぎて行くからいただけない。

百舌に出会った同じ場所、彼女?はまたいた。
少し位置を変え、畑に立てられた竹の上に止まっていたのだ。
またまたシャッターをきる。

さらに、面白い出会いがあった。
トンネルの手前の深い溝があるところで、初めての鳥と目が合った。
シャッター準備をしたほんの一瞬、レンズを向けたらもうその鳥はいなかった。

翌日、農夫が耕運機で田圃を耕していた。
その掘り起された土に群がる雀、椋鳥、セキレイ、
それとは違う「カワラヒワ」?達の群れ。

ふと違う方向に目をやると、一風変った鳥姿に出会う。
いつもなのだが、初鳥は、目とこころにとても刺激的である。

だが、撮れたのは田圃に舞い降りた、きれいな後ろ姿で、羽は灰色なのだ。
飛ぶと白い羽も混じっている。
もっときれいに撮りたくて、飛ぶたびに追いかけて撮ろうとするのだが、
とうとう満足する画像は撮れなかった。

さらに、翌日の日曜日は、田の雲雀を追いかけてみた。
まだまだ天高く囀るまではいかない。
田圃の上を低く飛んでは、止まり、を繰り返す。
羽と土の色が同じのため、位置確認がむつかしい。

この3カ日ずっと風邪を引いていたが、いい散歩道になったのでした。

『人馴れし 逃げぬ鳥たち 春楽し』
『太陽に 衣脱がされ 散歩道』
『初見せの まだ見ぬ君の 後ろ姿』

☆どうでっしゃろ☆



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