いつもの散歩道記録パート7
**3月21日いつもの散歩道**


我の好きな場所に、トラックが入り、
穴ぼこが完全に埋められた。ここに何が棲息してるのかは、
作業する人たちは何も知らない。
住処を埋められた
ヌートリアさんはどうするのだろうか。

季節の移り変わりは、木々、草々、花々に変化を与え、
その変化が、人間たちや、動物たちや、昆虫たちにも影響を与える。
春は、いままで土に埋もれ、じっとしていた生が、この季とともに、
生き生きと活動をし始めるのだが...。とは言っても。

鳥の鳴き声、姿、止まった姿、飛んでる姿。
我のこころを知ってるのか知らないのか、もちろん知るわけがない。
自分が鳥のアクションに合わせない限り、いい鳥姿は撮れないのだ。

そんな春にふさわしい
山の鳥と言えば、「鶯」
ずっと待ちかねていた鳥の声、鶯の声が山の遠くに聞こえ始めた。
田の鳥と言えば、「雲雀」
舞い上がりながら鳴いては降りてくる。

葉の落ちた、大木のある林には、アオサギの巣がみえはじめた
その巣に立ち上がっているのは、巣立ちした子鳥なのか、
これから巣立ちする子鳥なのか、それとも母鳥なのか。

各家の庭先も春の新しい芽の息吹がある。
この息吹を求めて鳥たちがやってくる。
ジョウビタキ、めじろ、...
屋根の上では、もずがやさしい声で囀り、
いつもはやかましいヒヨドリが
静かにつがいで止まり木している。

『春の芽の 土を突き上げ 音がする』
『楽しむは 万年雛の ばばばかり』
『どの家も 男雛女雛で 騒がしや』
『待ち人に 北風呼んで 焦らす春』
『鳴く鳥の シグナル感じ 春予感』
『鯉釣らん 釣り糸たらし 騒ぐ子の』
『庭先に めじろ撮らえて 追いかける』
『待ちわびた 雲雀鶯 鳴き始め』
『楽しみな 散歩さえぎる 休み雨』

☆どうでっしゃろ☆


**2月28日いつもの散歩道**


雨の中、歩かないと体がもぞもぞしてくる。
家人が言う、「こんな雨の中を歩くの...」
でも、歩き始めればどうということはない。

そんな雨の中だから、鳥が飛び交う姿もあまり見られない。
かなり水溜まりができているから、
田圃道も歩けない。

少年の頃、雨の日は妙に楽しみだった。
それは、いろいろな水溜まりができて、
その中を長靴履いて、入るのである。

それでも、頑張って、胸を精一杯そらせている鳥、
ジョウビタキがいた。
さらに、濡れながら一声出す、ヒヨドリにも出会えた。
なんだか、「雨にも負けず」の賢治を思い出していた。

翌日、雨上がりに歩く、
やはり、田圃道は歩けない。
変化がなかなかつかめない。
こころが落ち着いていないからかもしれない。

そんなこころの内を脅すように、犬が吠える。
それもトラックの荷台にもたれかかり、
仁王立ちのような形で吠えまくるのだ。

いつもの場所で、川蝉に出会うが、
あちこち飛び回り、近くに来ない。
でも、聞こえたのだ、
飛びながら出す、初声を....。

『餌取りに はは子連れ立ち 小鴨らの』
『駄句ネタも 鳥が飛ばねば 浮かぶまい』
『我と会い いつも騒ぐよ ヒヨドリの』

☆どうでっしゃろ☆


**2月21日いつもの散歩道**


暖かい、冬も終わり鳥も春を迎えに...
多くの出会いに期待しながら、朝夕に歩くが鳥がなかなか見えない。
水際で遊ぶセキレイがやたら気になり、そろりと....
橋の上から、撮る。

そうしたら川蝉がやってきた。
さらにそろりと撮る。
さらにさらに近づいて撮ろうと、そろ〜り...逃げられた。

レールの鉄塔のうえで、空中戦をする鳥たち。
鳶とカラスである。
どちらかといえば、カラスが仕掛ける感じのようだ。
体は、鳶が大きいのだが...負けている。

向う岸の遠くに、ヌートリアの姿が見え、畦道を急ぐ。
気付かれたのか、川に飛び込み、こちら岸に渡って来る、
あーーーと思う内に、
自前の住処に入ってしまった。しばらく待つが出てこない。

翌日、小雨の中を歩く。
ひたすら歩く、鳥も撮れないままの帰り道。
きれいな鳥に出会う。

ある庭先の鳥篭の上に止まる雄のジョウビタキ
雌とまったく違う彩りである。
薄暗い天候のため、めりはりのつかない画像になってしまった。
実におしかった。

『春待たず 立ち去りし鳥 渡る鳥』
『冬終わり 春を迎えて 鳥騒ぐ』
『雨の中 浮かぬ顔して 田圃道』

☆どうでっしゃろ☆


**2月14日いつもの散歩道**


誠に鳥三昧の二日でございました。
小さな用水路に沿って、少し歩くと大きな平らな石の上に
とんとんと跳ねる鳥が、「ジョウビタキ」である。

撮る人を意識して、ストップモードにしてくれる。
しばらくして、家のフェンスに飛んで行き、
可愛いげに首をかしげたり、誠にいい感じ。

じっと見ていると、風見鶏のごとく180度
向きを変えるのだ。
ゆったりと、気持ちやわらぐ時である。

田圃道を歩くと、土色に同化した鳥が
突然に飛び跳ねる。と同時、舞い上がり鳴く。
天高くとまではまだいかない。
春はまだだが、どうも声慣らしの雲雀だ。

この小春日に、雲雀の声を背に、田圃を抜け、
山から風が舞い降りる、大きな水門のあるところで、
「川蝉」をしばらく待つ。

あちこち飛び回りながら、なかなか接写画像は
撮らせてくれないなあと思いつつ、待つ。
そうすると、見事なダイブを見せてくれたのだ、
でも、とても撮れない。

帰り道、線路の鉄道用の鉄塔に鳶が止まっているのを
見つける。逃げもせず、待ってくれている。
しばらくすると、もう一匹がやってきた。番なのだろうか。

翌日、
我が家のすぐ近所の木に「メジロ」を見かけ、
ズームアップ、何度もシャッターを切っていると、
どこからともなくおじさんが寄ってくる。

「何を撮ってるんでえ」「メジロです、ほらそこに」
やがて、昔メジロを家で飼って鳴き声を楽しんでいた...などと、
しばらく鳥談義。(そういえば子供の頃、めじろ竹の鳥篭に
入れて買うのが流行っていたような)

やがて話しも終わり、鯉の住処の横を通っていると、
昨日の夜の雨で水嵩が増し、鯉が戻って来ていたのだ。
優雅な泳ぎを我に見せてくれる。

帰り道、めじろ談義をしたところで、いつも忙しく跳ねる
せきれいとは違う種類のせきれいに出会う。
こっそり近づき、接写画像がものにできた。

『カメラ見て くるり向き変え 風見鶏』
『小春日に まだ冬なのと ひばり鳴く』
『庭先の めじろ追っかけ 談義聞く』
『如月の 暖かき日に 撮れぬ鳥』
『飛び石を 回って楽しむ キセキレイ』

☆どうでっしゃろ☆


**2月7日いつもの散歩道**


北風の吹く寒い中、「歩くの」と家人の声に、ない後ろ髪を引かれながら、
いつもの散歩道へと足を運ぶ。
寒さのためか?鯉の住処には、何の声も聞こえない。

遮断機のない踏み切りを渡ると、耕運機で耕す光景に出会う。
その耕運機の前に後ろに飛び交う鳥、セキレイである。
掘り起こされた土に、嘴を入れて、餌取りなのだ。
一向に離れようとしない。
われがレンズを向けると、あっと言う間にいなくなるのに、げんきんなものである。

山風が吹きおりてくる水門のところには、水嵩が減って、川底が見え、
餌取りに、アオサギ、白鷺、ダイ鷺、そんな中に珍しくゴイサギが一羽、
ズーム向ける我に気付き、向こう岸の川端の小さな木に止まった。

そんな所へ川底すれすれに飛ぶ川蝉。
止まり木を見つけて、しばしとどまるも、
まだ距離は遠い。

突然ダイサギが、飛びあがり、
向い風に煽られながらそれに負けないように鳴き声をあげている。

帰り道、甲子園出場の決ったいつもの高校のグランドのそばを通りながら、
いつもと違う元気な掛け声に、北風もたじたじのようだった。

小さな、ほんとに小さな橋の下に、
風を避けるように隠れている鳥を見つける、ゴイサギである。
逃げる様子はまったくなかった。

『節分も いつからすべて 妻まかせ』
『われ川と 右に左に 川蝉の』
『節分の 鬼笑うほど 風引かず』

☆どうでっしゃろ☆


**1月31日いつもの散歩道**


春のような陽気に誘われて、足が赴くままに外へ。
まだデジカメの準備もしてない。
鯉の溜まり場に、思いがけぬ鳥が低空飛行、
飛ぶ先を目で追いかけながら、ズーム準備。

川蝉がこんなところまでと思いつつ後戻り、
十分なズームまで近づけずいい大きさの画像にはならなかった。
同じ場所でツーツーツーと鳴く鳥が水辺から水辺に飛び交い、
やがて草むらの中へ。
いまだに撮らえられない。

小さな橋の下に、尾を振る鳥、ハクセキレイと思いつつよく見ると、
キセキレイ、これもいまだに撮らえられない。
少し小さな用水路の方に歩いていたら、
横の方から鳥が飛んで来て、電車の鉄塔に止まる。
嘴の形から「百舌」のよう。

暖かいので、庄内川の枝別れする所を、川上に上ってみたが、
思いがけない異なる出会いもなく、
ぐるっと大回りしただけだった。

『水流れ 鳥も流れて 気も流る』
『春陽気 足向くままに 散歩道』
『友見舞い 思わぬ病 死も隣』

☆どうでっしゃろ☆


**1月24日いつもの散歩道**


冬鳥のポイントもだいたいわかり始め、カメラの準備も抜かりなくと思いつつ、
散歩するも、こころの忙しさを推し量るように鳥は、逃げていく。
音を出さない工夫をしても鳥は、気配で飛び立つ。

給食センターのグランドの枯れ枝に、群れをなしている鳥がいる。
枯れ枝も鳥で賑わうと、何となく春模様。
高い枝に止まるので、画像もいまいちなのが残念。

トンネルを抜けても、何の鳥にも出会えない。
さらに歩を進めるが、庄内川の三叉路にもいない。
さらに歩を進めると、
水門近くのあちこちにアオサギが降りて群れをなしている。

帰り道、同じ庄内川の三叉路の手前で川蝉に出会う。
ついにこの時をえたりと、
最も近い距離でシャッターボタンを押したが、画像はどうも満足いかない。

翌日、昼食後すぐに散歩に鳥との出会いに期待するも、
落ち着きのない心に、鳥は寄り付かず。
その変わり、川面に浮かぶ、ひょうきん顔の生き物に出会う。

ヌートリアのようである。
われに気付いて、水中にもぐり、どこにいったのかと探していると、
水の中に立てられ杭と杭の間にひっよこりと顔を出していた。

いい画像が撮れた。
しばらくして、また水に潜り泳いでいく。
水嵩が少ないため、泳ぐ姿まで見えるのだ。

『時なくて 忙し人には 鳥寄らぬ』
『ついにこの 時をえたりと ボタン押す』
『枯れ木にも 鳥の賑わい 春もどき』

☆どうでっしゃろ☆


**1月17日いつもの散歩道**


鳥を撮り始めて1年が経とうとしている。
いまだにうまく撮れない。
もともと無理な話なのだ。

散歩を兼ねたものだからである。
加えて、いつ飛んで来るか、どこにやってくるか、
予測がつかない。

ということで、観察記録なんてつけてみることに。
それなりのポイントが見つかっている。
まずは、6月から鯉が泳ぐところ、

なんて書き続けてみよう、
踏み切り前の草むら、線路を渡り、給食センターのグランド、
トンネルを抜けたすぐの田んぼ
広いパノラマ田んぼ
用水路の堰、庄内川の枝別れ個所、
樹木のあるお家

冬の陽射しは短い、散歩の時間を繰り上げて
わかることは、また違った人、鳥の流れがある。

踏み切り手前に「ツーツー」の声主、
給食センターのグランドの落葉樹に
群がる「カワラヒワ?」
トンネルをぬけると、鳶が舞い降りていた。

さらに広いパノラマ田んぼの畦道に
寂しそうな背中を見せるアオサギ
運送屋の奥の家、庭木が多くある家に飛び交うつがいの小鳥、

時々雨といに入っては、顔を覗けて
首をきょろきょろと
しばらく立ち止まって、その仕種に見とれていた。

『さみしそな 背中丸めて 青鷺の』
『ぞろぞろと 歩く姿は ペンギン似』
『家族出て 晴れ着の女(ひと)を 眺めおり』

☆どうでっしゃろ☆


**1月10日いつもの散歩道**


北風の冷たさを背に受けながら、歩く夕方の散歩道。
深めに帽子をかぶっていても、するりと飛んでいきそうな風が吹く。
チーチーといつもの声の主、鯉の住処辺りで聞こえるが、
姿はなかなか見えない。

見えた途端にすぐ居場所をかえてしまう。
その視界に、セキレイが尾を振りながら横切っていく。
冬なのに意外に鳥の多さに、デジカメ撮影も忙しい。

田に作られた農道を歩きながら、
掘り起こされた稲株の、あちらを向いたりこちらを向いたり、
ひっくりがえったかっこうに、土の息吹の不思議さを感じながら.......
猫背気味に過ぎていく。

急ぎ足でいつもの田んぼの畝を歩いていく。
線路を横切り、山風が降りてくる川の三叉路で、 しばしの鳥観察。

羽鮮やかな、「川蝉」に出会うもきょうは、
先日のように画像の鳥には収められなかった。
ズームカメラを買ってからというもの、
結構「楽しみ」の幅が広がり、もうすぐ1年が過ぎる。
今年は、鳥の観察記録を楽しんでみようかな。

なんて思いながら、帰り道を急ぐほどに、北風を顔に受け、
口が寒さでかたまった状態になってしまう。
踏み切り近くで、もう近い我が家と思い、
草むらを見ると。

寒さに、体を膨らませ、
枯れたセイタカアワダチソウを止まり木にしていた、めじろに出会う。
一向に逃げる気配がなく、実にいい画像が取れたのだ。

『北風に 口をとられて らりるれろ』
『草むらに 鳴いて遊ぶや 鳥を追い』
『川蝉の 声も聞かずに 姿ほれ』
『手を合わせ 弘法頼み いつの世も』
『弘法も 庭先とられ 雨降らし』
『雨まけず われもわれもの 東寺に来』

☆どうでっしゃろ☆


**12月20日いつもの散歩道**


久しぶりの、いつもの散歩道。
すっかり冬を迎えた田んぼには、耕運機が置かれ、すでに掘り起こされた田も ある。
その田には、土の塊に群がる雀。

どこにこんなにたくさんいたのだろうかと思うセキレイたちも、
独特の放物線を描きながら飛んで来ては、
楽しげに土を突付いているのだ。

春への再生の息吹。
風の神は、揺らせて自分の存在を知らせるものをなくし、
ただその音だけで自分を知らせようとしている。

犬を連れた少年たちが、自由気侭に田を駆け回る。
なんとうらやまし。
少年のころの過去を思い出しながら、
時空間が一度に縮まったそんな気持ちにさせられた、一時だった。

川沿いに歩きながら、足を止めると、
見慣れぬ色鮮やかな鳥が視界に入る。
慌ててデジカメを準備するのだが、
あせるわりにはなかなかセットできない。
やっとできたと思ったら、どこへ行ったのか姿がない。
何か幻をみたような感じだった。
大きさ、嘴、何と言っても羽根の鮮やかさから、カワセミだったようなのだ。
自分の動作の緩慢さが、余計に、悔やまれた。

帰り道、鯉の住処に寄ると、大きな2体の屍が流れもせずに浮かんでいた。
生死の境はなんだったのだろう。

『秋夜長 友と飲干す うまき酒』
『去る秋に 枯葉落して 冬告げる』
『雨落ちて ふらふら枯葉 住処決め』
『何やろと 思うも過ぎし ひと年の』
『牛窓の 流れ操る 釣り舟の』
『石積みに 釣糸垂れて 楽し時』
『犬連れて 畦走る子に 過去写し』
『土踏んで 忘れていた道 思い出し』
『邪気なく 鳴き飛ぶ姿 セキレイの』

☆どうでっしゃろ☆


**11月22日いつもの散歩道**


隣の家のアンテナには、いつもいろいろな鳥が止まり、
いろいろな声を聞かせてくれる。
デジカメズームで撮るのだが、いま少し距離が遠く、
鮮明な画像にはいつもならない。

秋の鳥たちは、餌を求めて、人里に降りてくる。
それは庭の木々の実の熟し加減に合わせるかのようである。

岡山では、寒さにかまけて朝の散歩道をやめて、夕方の散歩道となってしまった。
風が吹く季節になったので、あの綿枯れのすすきの揺れが気になる。
若いすすきは、背も曲げずに穂だけを真っ直ぐ伸ばし、
セイタカアワダチソウに負けないように踏ん張ってるように見える。

冬を迎える田では、相変わらず籾殻や藁を焼いているのだが、
その煙が散歩する我を取り巻くのだ。
頬に当たる風も冷たさを届けるが、なんとなく楽しい風。

帰り道、ホームセンターに立寄って、さらに遠回りしてみた。
ふじの花のように、木枠が作られた畑に、
たわわに実る「キュウイ」を横目に見ながら、
とある家の庭先に見慣れぬものを見つけた。
すすきである。
野原の秋を、庭先に作り出しているのだ。

『餌求め 人里降りて 鳥が鳴く』
『列作り 柿を求めて なごむ秋』
『ひと年の 過ぎし日速く すぐ師走』

☆どうでっしゃろ☆


**11月15日いつもの散歩道**


>こちらでは、
>セイタカアワダチソウも霜にやられ見るも無残な姿になっています。
やられながらも元気。雑草魂ですかね。

>寒さに備えて、鳥達も山から里に避難してくるのもいれば、
>渡り鳥でやってくるのもいるのでしょうね。
春、鳥の動きが忙しい。
意外と、秋も鳥がいろいろと楽しい動きを見せてくれます。
やはり自然は、いろいろと変化を届けてくれますね。

*****本文*********

寒くなったものだ。歩くのをスタートさせると、
まずそんな言葉が頭を抜けていく。
特に強い風は、燃えるような色も褪せてしまったアワダチソウより、
ススキを揺らして、冬を告げているようだ。

そんな風が吹く中、乾し藁を束ねては、立てかける農夫たち。
その隣の田んぼは、切り藁が燃やされて焦げ痕だけが残っている。
稲穂のなくなった田園風景、強き風の思いのまま。
その風で籾山も飛ばされている。

珍しくすすきが群生している場所では、風が吹くからか、
ただ夕方だからなのか、雀も群れて大騒ぎ。
そこを遠くから眺めて、畦をただ歩く。

学校のフェンスあたりに、田んぼの敷き藁の下から、飛び出しては、
そのフェンスに止まる雀たち。
この藁の下を住処にしてるのだろうか。

いつもの流れの分かれる川端に立っていると、
水面すれすれに飛ぶ小さな鳥に出会う。
なんだろうと、追いかけ追いかけ、
やっとズームレンズでその姿を捉えたが、撮れた画像は、
ほんに豆粒のような「カワセミ」だったのだ。

『乾し藁を 束ねて立てる 農夫等の』
『敷き藁の 住処飛び出す 雀らの』
『こがね散る 風に飛ばされ モミの山』

☆どうでっしゃろ☆


**11月8日いつもの散歩道**


朝夕の風の冷たさに身を縮めて歩く、
今年の季節は何か駆け足でやってきては、
またもとの季節に揺りもどし。
予報によれば、12月上旬の寒さなんて、
でも、まだ息が白くなるまでにはなっていない。

体は縮めて、手だけは冷たさに耐えられなくなり、手袋付けて散歩道。
そんな中、アワダチソウはいまだに元気である。
そのアワダチソウとガードレールに、
いまでは珍しくなった蓑虫がぶら下がっている。
風に吹かれて、ゆらゆらと。

道端にある、露の降りたヨモギの青さが目にやさくしく入ってくる。
秋の田は、もう稲もなくなり、積まれたもみがらから煙が一筋あがったり、
切られた藁がばらまかれていたり、立てかけられていたり、
もう冬を待つだけ。

でこぼこの畦を歩きながら、
草の生えたやわらかい土の感触のよさを味わいながら、
ほほを通りすぎる風も冬の風になってしまった。
その風に押されるかのように急ぎ足になる。

いつもの場所に垂れ下がった柿の実は、
色を変えて食べ色の朱色に変化している。
なんとなくそれを見過ごして、トンネル当たりにさしかかった時、
可愛い鳴き声に立ち止まり、その主を探す。

電車の架線に止まり鳴く鳥を見つけた。
腹の当たりが柿の実の色に似ている。
「ヤマガラ」のようなのだが、よくわからない。

『アワダチに 蓑虫さがり 秋の風』
『ヨモギ露 ただ青き青 やさし青』
『ほほ通る 季節知らせる 風変わり』

☆どうでっしゃろ☆


**11月1日いつもの散歩道**


急冷凍のような寒さに、目覚めもいささか辛い。
少し硬くした体をゆっくりと外にもって出るのだが、
体のぬくもりはなかなかである。
北風が冬を連れて、それでも少し早いと秋に戻す。

人間様のわれは、北風にちょいっと遊ばれて、手を丸めるしかない。
元気がいいのは、セイタカアワダチ草、燃えるようなオレンジ色で、
あちこちの草むらを占領し、少しだけ気を吐くススキは、
ほんに枯れ草のように見えてしまう。

秋の田は、ほんの一週間で様変わり、刈り取られた田、刈り取られていない田、
休む田のまだら模様である。
刈り取られていない田では、吹き出した北風に、稲穂どうしが擦り合いながら、
刈りを待っている。

いずこの田でも、忙しく楽しく動き回るコンバインが一休み。
刈られた田には、藁も切られてまかれ、はや冬支度。
稲は春からの生をもう終えているのだ。
藁が敷かれた田に、
セキレイが三羽も四羽も連れ合って楽しく遊んでいる。

鳥の定点観測場所に、行ってみると、
向こう岸に黒い小さな水鳥が泳いでいる。
われを感じてどこかへ飛んだかと思ったら、
まだ残された稲の中に隠れてしまった。
いままで見たことのない珍しい鳥である。
何度もズームを向けるが、いい画像はなかなか撮れない。

『実を与え ワラも残して 終わる生』
『北風に ちょい遊ばれ 手を丸め』
『刈り取られ 刈られぬ稲穂 ゆれて待つ』

☆どうでっしゃろ☆


**10月18日いつもの散歩道**


>彼岸花って不思議だな〜と思いませんか?
>冷夏だろうが酷暑だろうが、花はちょうど彼岸の頃に咲くんですもの。
>桜や梅は早かったり遅かったりするのに・・・
>ふとそんなこと考えてしまいました。

気づかなかったです。天候不順に関係なく、
加えて先祖を大切にということなのでしょうか。
そういえば、「彼岸花」には、たくさん名前がありますよね。
河童にいろいろ名前があるように、
土地土地でその花に託す気持ちを表しているのですかね。

********本文**********************

ひんやりとした空気を気持ちよく吸いながら歩く道は、
萎えかけた心に刺激を与えてくれる。
なんて思いながら歩くのだが、どうも歩き始めがいただけない。
眠った体が、すぐには受け付けないのだ。
秋という季節のせいだろうか。

我が家からほんの少し歩いたところにある橋の下に何か、
動くものが見える。
さらに腰を屈めて覗き込むとゴイサギのようだが、逃げようとしない。
ではと、カメラを向けるが、暗いので、フラッシュモードにして撮る。
やたら目だけが光ってなんともいえぬ画像になった。

田に引かれる小さな用水路の水はすっかりなくなり、田も水がなくなって、
ひび割れている。小さな橋のに、溜り水のようになったところがあり、
そこには、泡ぶくがいくつもでき、逃げ遅れた小鮒たちがいるようだ。

曲がり角の家の塀に、前足をあげて顔を出す犬。
べつに吠えるわけでもなく、ただ、主が自転車に乗って、
ゴミ出しをする姿をずっと見つめているのだ。

そんな光景をとおりすぎたところで、二匹の子猫に出会う。
われが近づくとそそくさと、
真っ直ぐ立つ稲田の方へ入り、稲と稲の間から、こちらを眺めていた。
どうも、しばしそこを住処にしているようだ。

すでに稲穂はふっくらした実を含んでその重みを、
首の垂れ下がり具合で表現している。
その横を通ると、さらに垂れた稲穂に当たり、
今朝の冷え込みでできた、
滴にふれたのか膝のあたりが濡れてしまった。

いつもの鳥の溜まり場には、所狭しとさぎたち、
我の歩きに合わせ、飛んでは止まり飛んで止まりを繰り返す。
白鷺、コサギ、アオサギ、時にはカワウやゴイサギもいる。

『海風に 気持ち撫でられ ほほ緩む』
『船に乗り 揺れて楽しや 釣日和』
『風そよぐ 波止の一日 のらりくら』

☆どうでっしゃろ☆


**10月11日いつもの散歩道**


秋には、コスモスやすすきが似合う。
そのすすきも、セイタカアワダチソウに負けじと、精一杯穂を広げ、
風に揺れている。
月にうさぎとすすきの構図はしっかりと目に焼き付いているのだが...。
いまだ分はセイタカアワダチソウにありそうだ。

またきょうは夕方に歩いてみた。
いつも犬がおしっこをしている草むらに、丸い白い茸が生えていた。
しっかりとデジカメの作品にもらった。

明日は秋祭り、
稲穂の垂れるでこぼこの畦道を歩く、何もしたわけではないのに、
とてもいい気分になれる。

穂道を通りすぎて、
踏み切りの横のちょっとした畑には、三本の柿の木がある。
まだ青いが、冬柿と渋柿がたわわに稔っている。

いつもの分水路のところでしばし鳥を見ていると。
川の真ん中あたりに、ぽっかりと亀が浮かんで流れていた。
なんとも春を思わせる長閑さである。

あまり流れのない水は濁り、鯉の姿は見えない。
でも、橋の袂の水溜まりには、白い鯉が浮いては沈み、
沈んでは浮いていたが、いい被写体にはならなかった。

秋の田では、稲刈りに合せるかのように、
あちこちで草刈りが忙しくやられている。
そんな道端には、彼岸花が枯れもせず、
一輪ゆらりゆらゆらと揺れていた。

帰り道、鯉の泳ぐ場所で、しばしその泳ぎを見て帰る。
家に帰ると窓越しの隣の桃の樹に、
二匹の鳥がやけに騒ぐ、ムクドリのようだ。

『まだ青き たわわ柿の実 秋の道』
『秋の日の ゆらりゆらゆら 鯉の水』
『秋盛り みのり求めて さわぐ鳥』

☆どうでっしゃろ☆


**10月4日いつもの散歩道**


刈り取りを前に、田の水も抜かれ、
それに合せて、用水路の水嵩もどんどん減ってくる。
水の子、魚の子、小鮒がどこを「居場所」にしようかとあわてて可哀相。

きょうは、いつもの道の周り方を逆にしてみた。
特段に変わるものでもなかろうが、見る角度と時間帯が変われば、
いつもと違う、楽しいものが見えたり、聞こえたりするかもしれないと、
やってみたのだ。

全く気づかなかった彼岸花が、はや旬を過ぎて枯れ始めている。
あの鮮やかな時期を見逃してしまった。
季節の大切な贈り物を忘れたこころに、残念さより寂しさを覚えてしまう。

いつもの用水路の流れが分かれたところで、しばらく、
鷺の姿を眺めていたら、突然、向う岸で、顔を出す、水鳥の子。
デジカメをズームにして追いかけてみたが、被写体が小さすぎたのか、
いい画像は撮れなかった。

そこからもう少し先には、コサギたちがちょっと飛び上がっては、
ふたたび水の中へと舞い降り、互いに牽制仕合って奇声を発していた。
その飛んで降りた瞬間に羽が落ちたのか、ゆらゆらとコチラの方ヘ流れてきた。
騒がしき場所には、どうも小鮒がワンサカいるみたいである。

反対側から、近寄ってみたら、流れを切りながら、
右左に飛ぶように泳ぐメダカのような小さな魚が、
速き流れを楽しんでいるのだ。

水路の途中に設置されていた仮堰も、
もうきれいに取り払われ、水嵩はもう減るばかり、
稲刈りの時期ももうすぐそこのようだ。

秋風に乗せられて、夕方も歩いてみた。
学校の体育館からは、懐かしいフレーズの若い声が漏れてくる。

コスモスの花がたくさん開いてる道端には、
花から花へと蜂が飛び回り、蜜集めに忙しい。

夕方の散歩道、秋の虫の声、音を聞くと、
何か鳴き方が違うようにも聞こえてくる。

わが庭に帰ると、小さなバッタが、ちょこっと羽を休めていた。
小さな畑には、春植えた茄子がある。
6月・7月に実ができて、小休止。
9月の終わりごろから、また沢山の実をつけてくれた。

秋の旬を早速
焼茄子にしておいしくいただいたよ。

『秋茄子や 形変えても 実はしまり』
『きょうまた 秋の音らに 耳澄まし』
『流れきり 右に左に 魚飛び』

☆どうでっしゃろ☆


**9月27日いつものの散歩道**

>先週木曽の御嶽山に行ってきましたが、
>道々を見ますとすでに刈り取りが済んでいる
>所も随分ありました。
「木曽のなあ御嶽山は....」という唄の山ですね。

*******本文*********************

久しぶりに歩いた散歩道、ひんやりとした空気を吸いながら、
でも風が吹いていないから、半袖だが寒さを感じない。

そんな服装で歩く私の右斜め前に舞い下りて、
ひょこひょこ歩く鷺をしばらく見ながら、
デジカメを振って歩いていく。

稲穂のみのりにあわせ、水田の水が抜かれている。
秋祭りは、後二週間ほど、刈り取りを待つ稲穂は、実を誇らしげに垂らし、
一面、黄金色のパノラマ。

いつものように、ただ飛び立ちて鳴かぬ鳥、秋ひばり。
昨日の大掃除であちこちにゴミが山積みされている。
流れのない川は、よどんで、鼻を突く異臭を放っていた。

そんな匂いから逃れるかのように、そそくさと速足になり、
コスモスが道端に咲いているところまで一気にやってきた。
背丈まで伸びたコスモスは、秋にふさわしい花をあちこちに咲かせている。

途中犬と散歩する人をぬいて、もう帰り道。
電線に止まる百舌のような鳥姿を撮るが、
まだ遠すぎていい画像にはならない。

そこで道端に目をやると
いままで見たことがない、野の花に出会い、
なんとなく何かをもらったように気になる......。

『黄金色 稲穂パノラマ 秋祭り』
『またもらう ひっそり咲いた 野花に』
『一面に 稲穂の黄金 秋の田よ』

☆どうでっしゃろ☆


**9月20日旅の散歩道**

<電車の乗客>
旅をしていて面白いひとつには、電車の中で繰り広げられる人間模様である。
今回の旅で気づいたのは、まずは化粧をする女性が結構増えているということ、
それも簡単にはやめない。手鏡を使って、マスカラをつけ、
まつげをあげる道具をつかいと...
ながながと続くのであるる一駅でも終わらないのだ。

中学生4人組、クラブ活動の先輩後輩のようだ。
一番左端の先輩が携帯使ってメールをしている。
真ん中の二人が何か話しながら、携帯で遊んでいる。
そして、一番右端の子、携帯なし。
端の先輩が、「あなた携帯持っていないの」
右端の子、「もってないんです」
先輩、「あなたまじめだから?!」
右端の子「・・・・・・・・・・」

いちゃつくカップル、それもいっぱいの座席に無理矢理入って、
私目の前でいちゃつくのだ。
女の隣の若き女性は、寝たふりキンチョール、
男の隣のおばさんも寝たフリキンチョール、まあしかたないわな。
家人、「男がまばたきばかりしていた」
女の目は冷静だ。

私の隣の男、「あ〜あ」
しばらくしてまた「あ〜〜〜あ」
またしばらくして「あ〜〜〜あ、あ〜〜〜あ」
のため息の連続
こっちも言いたいよ「あ〜〜〜あ」

阪急電車に乗って気づいたこと、携帯の鳴る音がしない。
携帯を使用して電話している奴がいない。
なんでやろう。

「京都」「るるぶ京都」「京都を歩こう」「京都に出かけよう」
みんな違う旅行ガイドブックを持っているのである。
ちなみに私は、「京都を歩こう」でした。

<ソフトクリームとにしんそば>
嵐山観光、バスも使わず、寺から神社、神社から寺へ、
家人、「歩くのが早いね血圧が上がる」と言われながら、よく歩いた。
適当な休憩場所で何が楽しみだったか、ソフトクリームを食べることだった。
安くて量の多いもの、値段はわかっても、量ばかりはわからない。

あのコーンを食べていく段階で、
下の方までクリームがあるのかどうかが勝負なのだ。
食べたのは、ソフトクリームと言っても、抹茶のだ。
一軒目は、300円で、上だけだった。2軒目は、下まで十分あって、
250円、3軒目は200円だったが食べなかった。

一日目の昼食は観光地では、食いっぱぐれ、
西宮北口で「オムライス」を食べた、それが実においしかった。
600円也、帰りにぎょうざとしゅうまいと豚まん買って、
娘の宿に・・・

二日目の昼飯は、つれづれごはんなる山菜おこわを食べた。
600円也、これもおいしかった。
食べた後で、
家人、「京都では、にしんそばを食べればおいしいとおばさんから 聞いてたわ」........
その店にもありましたが、もう食べれない。・・・・

『童唄 おたまにめだか 泳いでる』
『草むらの 忙し虫たち 秋の朝』
『おじぎする おらが秋の 稲穂かな』

☆どうでっしゃろ☆



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