いつもの散歩道記録パート2 |
>夜も明けやらぬまだ暗いうちから散歩をされている >佐藤さんは凄いと思ってしまいます。 ぜんぜんすごくありません。 私西宮への長距離ドライブ、いまだにこたえております。 どうも目が一番疲れて、首筋が痛く肩にきているようです。 爺である認識を忘れていた報いでしょうか。 たんなるウォーキングだけでは、鍛えられない。 目を鍛えるなんてできないし、老化一途でしょうから。 無難な電車利用がいいようでして・・・。 ******本文*************** ほとんどの田んぼが、春の田んぼに戻っている。 でもあの稲の「かぶ」はどうだったっけ。春にもあったのかな。 刈り取られ、実だけがとられた稲は、 田んぼのいたるところに数束ごとに、立てかけられている。 一仕事すんだコンバインだけが、ビニールシートをかぶって、 で〜んと陣取っていた。 虫の音もすっかり幕を降ろす泣き声になってしまっていて、 耳でのキャツチもなかなか難しくなってしまった。 しばらく歩くと、小雨が降り出し、 ウォーキングコースも省きながらの朝の散歩道となった。 秋の暮れともなると、真っ直ぐ高くそびえる、黄緑色の葉をつけた、 いちょうの木が目立ちはじめる。 ひと色をいつ変化させようかと身構える時期になったのだ。 いちょうの木のある工場からは単調な機械音が、 耳にいやがられながらも入ってくる。 そのいちょうの木の隣では、枯葉たちが、ランダムになんの装いもなく、 地上に舞って降りていくのだ。 秋の暮れとはいえ、すすきたちが風をそのまま受けて揺れる様は、 秋景色にやはりよく似合うようである。 『秋雨に 不安ばかりの 遠きたび』 『秋の日に 京に遊び 人に酔う』 ☆どうでっしゃろ☆ |
夏から秋の始まりまで、あまり感じなかった配送バイクのスピード、 われの横をけたたまし音で通り過ぎ、風を作って残していく。 水のほとんど無くなった川に、洗濯後の泡だけが流れ、 生の感じられない川に、さらに句も生まれず。 そんな人間たちに、それでも何かをあげようと水面で戯れる二匹の鳥は、 楽しいダンスをサービスしてくれていた。 田んぼでは稲刈りの真っ最中となり、刈られた田には、切り株が残り、 ワラがまかれた状態で冬に向う準備も済んだようだ。 ちまたの音は人間が作る音ばかりで、どうしても雑な音になってしまった。 それでもある川端には、バラ団がとげとげしさのいただきに、 いろいろな色の花を咲かせ、競い合っているようにも見えたり。 帰り道、遠くの山に目線を移すと、ささやかな朝焼け色が目に優しく映ったり。 なんて思いながら、鐘の音を聞いて、帰り道が終わりかけていたら。 先週小さな柿の木の精一杯の実を数えていたから、 いつのまにやら減っているのに気付き、「昔はとっていたな」なんて、 思いながらそのまま通り過ぎていたり。 それでもわが庭に帰ると、冬コスモスの白と淡い黄色の混合色の 花びらの清楚さがなんともいえずいいと思わせくれたのだ。 『花枯れに 冬コスモスの 淡き色』 ☆どうでっしゃろ☆ |
>野原や休耕田にはセイタカアワダチソウが咲き誇っています。 >ブタクサとも言うんだそうな・・・。花粉症や喘息にもなるとか・・・。 >凄い繁殖力ですね。在来種がどんどんやられてしまいます。 >嫌われ者でも花が一面に咲くときれなんですけどね・・・ こちらも同じ秋の朝風景というところです。 いつごろからでしょう。植物の生態系が変わりつつあるなんて、 言っていた頃があったように思います。 そんなことを言ってる間に、 もうセイタカアワダチソウの天下になっていましたようで。 *********本文************* 風もなく穏やかな朝、まだ覚めぬ目で薄暗い空を見上げると、 きょうの秋晴れ予報、360度、雲がひとつもない。 少しの寒さを知らせる車窓はくもり、いたずらごころで 「オハー」と書いて通り過ぎた。 いつの間にやら、すすきたちはセイタカアワダチソウに場所を取られて 少し穂を出して、あえぐようにかすかに揺れている。 いつのまにやら、騒がしかった虫の音も、風に乗って 聞こえる程度で、時は確かに流れているのだ。 たわわにみのる稲穂に目を向けると、虫が一匹、稲の葉に。 どんな動きをするのか、少し止まって眺めて見るが 少しも動きはしなかった。 用水路の水はさらに少なくなり、目をつむって通っても、 せせらぎにもならない。 鯉はその水嵩にたえられず、いずこかへ旅立ったようだ。 ほんの小さな流れに、つがいの小鳥が舞い下りて、 忙しく餌をついばんでいた。 『風流れ 虫の音流れ 時流る』 『すすき連 アワダチ草に 席取られ』 ☆どうでっしゃろ☆ |
ドアーを開けると、いつもながら各屋根を渡り飛ぶ雀がさわがしい。 鳴く声でコミュニケーションをとる雀たち、上下左右に 移動しながらの飛びはね方も、とても人間さまにはマネできぬ。 そんなすずめが好む稲穂が、風のいたずらか、ある部分だけ、 ミステリーサークルにはほど遠く、ぽっかりと穴をあけられた ように倒れている。 ちょっといたずらごころで、 元気に成長しつづける稲の葉の、小さな滴玉を指でいじりながら、 形を変えてみる。音は聞こえないが、滴玉がひび割れた田に スローで落ちた。 道端には、いつのまにかすすきが背丈をのばし、ゆらゆらと 通る人にあいさつしているように見える。 そんなときいつものように遠き鐘が風に乗ってやってくる。 鐘の鳴るほうへ眼をやると、山すその朝焼けが徐々に 色を変えるが、待ち遠しい陽は現れない。 小さなトンネルを抜け、水の流れのない用水路には、 生き物の姿がないのか、水輪も小波もたたない。 動かぬたまり水はひとの生をも消沈させてしまうようだ。 少しずつ流れている用水路もまだある。 目をつむりその流れだけに耳をすますと、ゴミの川とは 思えないせせらぎとなる。 少しだけの流れにゆったりと乗るのがうまいのは鯉、 すいーっと乗って遊んでいるように見える。 『朝雀 めちゃはねるよ 何踊り』 『しずく玉 指で触って 形変え』 ☆どうでっしゃろ☆ |
>それでも雑草が生い茂っているよりは、水があったほうが安らぎますね。 >周りの土手にはヨモギが生い茂り、 >ネコジャラシの穂もいくぶん黄ばみがかってき >て、イヌタデ(アカマンマ)やシロヨメナが彩りを加えています。 >そして、その雑草の中からスズメがぱぁ〜と飛び立つんです。 >スズメのお宿?? >ただの雑草と思って通り過ぎればそれまでですが、 >佐藤さんの『散歩道』のお陰で >時には道々の草花にも目が向けられっているかな?なんて思っています。 >今日は鴨さん来ているかな?と窓から眺めたり・・・ >患者さんの食堂からとてもよく見えるんです。 心和む場所が見つかって、よかったですね。でも山が一番!!。 昔の人は、季節の移り変わりに、心をあそばせる。 その移り変わりに合わせるように、生き物が生れたり死んだりする。 植物が咲いたり枯れたりする。自然の木や葉や花がいろいろ色を変えたりする。 そんな変化を精一杯楽しんでいたのでしょう。 だから、金に変えられない楽しみをいくつでも知っていたように思います。 でも忙しい現代人にとっては、そんなところになんで心を向けなければ いけないのか、という気持ちなのでしょう。人工的な世界が楽しい。 だから、ひとの痛みより、われがわれがということなのでしょう。 だから、老いて枯れ去る時は、現世に気持ちが残りすぎる のではと思ってしまいます。 *****************本文******************************* いつもより少し早めの散歩道。 お勤めの定位置に向う鳥たちが飛び交う朝模様。 用水路から分岐した小さな用水路は、水が干からび、我田引水を やめた秋の田は、水涸れしてひび割れている。 稲穂は重みをまして、さらにたれ、黄金色を増し、 山の緑に映える彩りとなってきた。 金網の向こうの給食センターから、か細い鳴き声が聞こえてくる。 その主を探し当てた。小猫が鳥かごに入れらているのだ。 幹線道路下のトンネルを通りぬけて、しばらく行くと。 草むらが、がさがさと、私が歩を進めると、さらにその音は激しくなり、 その草むらから飛び 立つ鳥が一匹。 飛び方・かっこうから「きじ」とすぐわかった。 へえ〜こんなところにきじがという感じである。 突然、そして初めての出会いに驚き、 目を精一杯見開いていた。 風を感じながら、歩いていると、 そういえばすすきが揺れるころなのだと思い、老いていく 自分に思いを馳せる。 まだ水が少しだけ残る、本流の用水路には、小鮒が横腹を見せて光らせ、 居所を教えてくれるのだ。その前方では鯉が自分の水嵩 だとゆっくりと泳ぎ、その泳ぎを見ていると、 少しいらいらしていた自分に、ゆったりとした心がもどってきた。 『実ふくらむ 稲穂にあわせ 秋祭り』 『堰あけて 鯉の水嵩 心もどり』 『すすきみて 思い馳せるは 老いの先』 ☆どうでっしゃろ☆ |
夜が長くなり、5時前はまだ暗い。家人を気にしながら、少し朝寝坊。 朝日を真正面に見ながら、じっと見られないから、手をかざして歩く。 朝日に五感の目を取られて、 耳や鼻や皮膚があるのに感性のなさを感じつつ・・・。 駄句も浮かぶまもなく、行く道が終わる。 帰り道、田の水がなくなり、刈を待つ稲穂。 畦道の草が刈られて、朝寝坊かもしれないが、虫楽隊の声も小さく 聞こえてしまう。 たまり水しかなくなった用水路で、あめんぼうが、ただ集うだけ のさみしさよ。 水がなくなった、用水路は川底を見せるだけなら、 まだいいのだが、気遣うことなく捨てられた単車だの不燃物が、 楽しみをみつけ始めている句のゆたり・ゆとりのわがこころを 失せさせてしまうようだ。 いきいき流れていた水の流れも、すいすい泳いでいたはやも、 ゆたり鯉も小鮒もさり、めだかの学校も終わって さみしい季節になってしまった。 そんな散歩を終えた私に、隣家の金木犀が甘い香りを風にのせて なぐさめてくれる。 その目でわが庭の金木犀も見るとそれなりに 咲いていてくれていた。 気づかない自分に恥じ入る。 『散る花の 数を重ねて 秋思い』 ☆どうでっしゃろ☆ |