村上春樹著

『ねじまき鳥クロニカル第3部鳥刺し男編』


三部作、やっと読み終えた。
村上ワールドってこんな感じなのだ。
異世界に入り込みながら、過去と現在を結びつけながら・・・。

突然蒸発した妻、その代りに蒸発していた猫が帰ってきた。
井戸のある首吊り屋敷8千万円を買うパトロンとの出会い。
そのあだ名は、ナツメグとシナモン。
それは「あざ」にまつわる結びつきのようだ。

離婚をせまる妻の兄とのかけひき、その仲介役「牛皮」の登場。
通信回線を利用したパソコンでの妻との会話。
井戸の底からの瞑想で義兄の死を見る。

異世界から妻を引き戻そうとするが・・・。
瞑想で見た兄の死は、・・・・。
妻の最後の決断だった。

よくわからないままなんか別の世界へ飛んだ感じだった。
私にはまだわからない世界のようである。



白洲正子著

『日本のたくみ』


「たくみ」には、職人と言う言葉が似合う。
陶芸をするようになってから、もっとなぜ早く始めなかったのかと思うことがよくある。
そんな時、手の職に関して、無知というか、頭でっかちで生きてきた自分が見えてくる。

もう過ぎ去ったことを悔やんでみてもいたしかたない。
技術と言う部分がかなり機械に変わってしまい人間は何をするのかを考えないままこの50年間を 生きてきた。
サラリーマンという世界で、ある意味、一塊で楽に生きてこられたのかもわからない。

この本の「たくみ」には、やはり「伝統」とか「技術」というキーワードがある。
団塊世代が、サラリーマンという組織から外れた時、
自分が何の技術も会得していなかったことに気づくのだろう。
それはほんとうに寂しい定年なのかもしればい。

この本から、いただいたキーワードは「つくる喜び」
そして、フレーズは「技術は完璧になりすぎると、とかく窮屈となって余裕がなくなる」
技術を会得するには、継続した積み重ねしかないように思う。

でも、技術ばかり追っていては、アイデアはうまれない。
作りたいものがまずないといただけない。
それは、長く続けて余計にわかる。
作りたいものがなければ、楽しくない、楽しくなければ当然「喜び」も生まれないのである。



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