マイケル・J・ゲルブ著

『ダヴィンチ7つの法則』


この本を読んで思い出したこと。
解剖学者養老先生著の「バカの壁」である。
多くの人は、人間に与えられた「五感」をうまく使っていないのだ。

そこには、「壁」を作って、使えるのに遮断しているのである。
よく聞かない、よく見ない、よく味あわない、
よく嗅がない、そして共感覚なのだが・・・。

最後の「共感覚」がよくわからなかった。
「ひとつの感覚を別の感覚を使って表現すること」なのだそうだ。
感覚が研ぎ澄まされたものが、「偉大な芸術家」と呼ばれるのである。

よく考えてみれば、私自身、五感を十分に活用してはいない。
やっと「聴覚」がうまく活用できるようになってきたのかもしれない。
視覚は、目が悪いが「イメージ」が描けたり、造形につなげられる様になった。

今以上に、造形を楽しみたいなら、
やはり「共感覚」力を訓練することのようだ。
これは意識しないとできないように思う。

この本は、いまあなた自身がダ・ヴィンチ的感覚をどれくらい持ち合わせているか、わかるのだ。
どんどん前に進んで、自分のダ・ヴィンチ度を確かめてみればいい。
結論は、五感の「バランス」なのである。



茂木健一郎著

『ひらめき脳』


「ひらめき」「思いつき」とは違うのだ。
脳をそういった「ひらめける?」状態にする。
でも、それは突然にやってくるらしい。

それに気付かないと何にもならない。
また、もちろん「学習」があってこそらしい。
これは素晴らしい「ひらめき」だと思ったことがない。

飲んだ時に出るのは単なる「思いつき」なのだろう。
それを勘違いしてきたころが多かったような気がする。
仕事上ではほとんど思いつきだったのだろう。

このあたりのこともふれて欲しかった。
凡人は、そんなところなのだ。
天才の大発見が、ノーベル賞受賞者の研究「セレンディピティ」=思わぬ幸運に出会う能力を 持っていた話は、凡人には馴染まない。

やはり大切なのは「小さなひらめき」を楽しむことのようだ。
それがわかるまでにも、地道な学習を忘れない。
そうすれば、きっといいひらめきに出会える。

間違って「幸運に」出会えるかもしれない。
そんなことを考えていたら結構楽しいのだ。
最後に1つのいいフレーズを「学習なくしていいひらめきは生れないのです」



島内晴美著

『団塊フリーター計画』


なぜこの本を求めたのだろうか。
ひとつはもちろん「団塊」という言葉である。
もうひとつは「フリーター」でこれはきっと面白いと考えたのだ。

その前兆は「はじめに」散りばめられていた。
「フリーターにはいつかはなりたい夢がある」「青春時代にあきらめた夢の続きなのだ」
「定年後だからこそ。将来の経済設計を気にせず、夢に向かって突っ走れるはずなのだ」

しかし、読んでいくに従いどうも、かみあわないのだ。
どうもまだ「働く」という言葉から抜けられないことばかり書かれてある。
大いなる無駄をして、時間をゆったりと使って、カネは倹約する。

ほんとにかすかな小さな愉しみを、楽しみを考えて、少しでも誰かに分けてあげたい。
最後まで読んだがそれがうまく見つけられなかった。
だから、いいフレーズが少なかったのだが・・・。

それが、最後の「おわりに」で・・・
「群れることをやめ、一匹狼となって、自分の足で立つ、・・・」
いいフレーズをもらえたが、よ〜く考えて見ると、結局は「健康」でないとダメなんだと 思ってしまう。

それは「陶芸」をしていて痛烈に感じる。
心身が疲れていると、何を創ろうかという気にもならない。
今週はそんな一週間だった。

夢を叶えるといっても、「健康」あってこそ。
創りたい気持ちを生み出すためにも、
やはり「健康」なのだと。



日野原重明著

『老いを創める』


老いに関すること、エッセイであること。
これはいまの私の気持ちを落ち着かせてくれるキーワードのようだ。
少し根気が薄くなってきているからだろうか。

現実的に、自分が迎えつつある「老い」の世界。
「創める」をはじめると読む。
いい言葉である、老いても「創(はじ)める」ことを忘れずにである。

年を重ねると、新しく始めることは辛い。
相当なエネルギーがいる。
思えば、定年を期に、二つのことを同時に始めた。

仕事も新しく始め、陶芸も窯を設置して、工房も作った。
2月〜4月はほんとうにしんどかった。
いまも新しい仕事疲れから、創作意欲が全くなくなる日も結構ある。

器や動物を創ることが、すでに先生がいう「習い性」になっているのか。
創らないと余計にそのエネルギーが蓄積し、休日に早く目が覚める。
創作意欲にも目醒めるのだあ。

早めに始めたのがよかったのだろう。
やりたいときが吉日。
これからも、この言葉を忘れずにいたいものである。

この本は20年以上も前の作である。
月日が経っても、いい言葉変わらないようだ。
「不易」の言葉として残っていくのだろう。

終りに短いいいフレーズを書き出してみよう。
「迷わぬものに悟りなし」、「よき習慣の形成」、
そして、「知識はたやすく得られる。だが知恵を得るには時がかかる」いかがだろう。



誠文堂新光社

『陶工房』


何度この本を、あの書店で見ただろうか。
見るたびに、見事な象嵌の風景に感動していた。
自分でもかならずできると、作れると思いながら・・・・。

もう半年以上も、書店の棚に自分勝手に置いていた。
行くたびにもう売れているだろうと思いつつ・・・。
とうとう高いと思いながら買ってしまったのだ。

陶芸を始めて5年間というもの、この手の本に興味が湧いてこなかった。
工房をもってから、はや2冊目である。
工房持ちでありながら、技術とかツールがあまりないのだ。

買って、写真と解説を読みながら一番に気付いたことがある。
先生の言ったとおり、みなさんひとりひとりがテーマを持っているということだ。
それは、釉薬、象嵌、白化粧土、花器、野菜・・・・。

何でもいいのである。
そのテーマに対し、いろいろとアイデアを展開していく。
できあがったものそれは、世界で1つのものなのだ。

このヒントがいただければ、本を買った価値が十分にある。
あとは、持ったテーマがこなせるか。
展開ヒントがでるか、それだけなのだ。



茂木健一郎著

『脳と仮想』


読めば読むほど論理の渦に入ってしまい、わからなくなる。
現実の自分の脳から理解できないのだ。
「バカの壁」である。

文庫になるぐらいだから、「わかりやすい」と思ったのが間違い。
「小林秀雄賞」というこの人物も全く知らない。
知らない知りたいと思いながら書店に立ち寄ったら、偶然にも「人生の鍛錬」 なる本が小林秀雄の言葉として発刊されていた。

ただ、いまさら「人生の鍛錬」は遅いと思い、買わなかった。
人生は今この年のキーワードなのだが、触手が動かなかった。
また、回り道して買うかもしれないのだが。

内容は、人間の具体的な仮想行動を事例としてあげながら、仮想と現実の世界を紐解く。
第5章までは、わかりやすいフレーズを探しながら、おぼろげながらの理解。
第6章以降は全くついていけないというか、わかる内容探しに手を焼き、さっさとページをめくった。

生きている脳の発達した人間は、他の動物と違い、脳の世界で遊んでいるように思える。
私と他者の間で揺れながら生きる人間たち。
揺れすぎて、他者がなかなか受け入れられず、引きこもりや「うつ」という現代病がますます増え ている。

これも脳のあるひとつ現象のようだ。
人工の都市の中で生きないといけない現代は、人間にとっては住みにくい世界なのでは。
その世界で、仮想と現実うまく使い分けるのは、むつかしいのかもしれない。

この仮想の世界にのめり過ぎ、現実に入りすぎている人間に驚きを与える。
そんな事件が、毎日のように起こる。
現代人の脳はさらに進化しているのかもしれない。



竹内久美子著

『遺伝子が解く愛と性の「なぜ」』


またまた買った竹内さんの本である。
さてさて何冊目だろう。
人間の行動をいろいろな動物の生態・行動から解き明かす。

興味がつきないのは、男女の性のハナシである。
いつも本一杯に種の保存のお話なのだが・・・・。
この本には意外なハナシが出てくる。

「動物は心に効く」から展開し、「茶道も心に効く」なのだが・・・。
さらに、始めて知ること、筆者は「うつ」病持ちなのである。
動物の話から離れ、どういうわけか、千利休以前の茶道の租の話が出てくる。

それは置いといて、気になる話を5ついただいた。
「朝立ち」のはなし、ガラガラぺっぺのはなし、酒のはなし、顔が大きい人のはなし、健康チェックの はなし。
特に、納得は「骨がなくてもエレクトできるかどうかは、健康チェックであり、 男社会で疎外されていないかどうかのチェックである」これなのだ。
いい年をして、いま「朝立ち」気になっていた。
いつまで続くエロおやじと思っていたのだ。
だが、健康のバロメーターと思えばいいのである。

もうひとつ安心できたのが、「ガラガラぺっぺ」
毎朝、洗面所でやっているが、妻からはいつもきたないと言われ続けてきた。
「咽にひかかった菌をだしていたのだ」病気をしないよう生きる知恵なのだと納得したしだい。
妻にすぐこのQAを見せておいた、さてさて今後はどういうのだろうか。

そして最後は、「朝立ち」のはなし。
これが「レム睡眠のときに、・・・男のみならず、女もある部分が変化している」のだそうだ。
「さらにエッチな夢を見るとしたら、そういう状態のとき」なのだそうだ。

そして、安心したのは、「まったくお酒を飲まないよりも、少量飲んだ方が健康にいいというのが ・・・医学界の常識」だったのだ。
最後は、大いに笑った「顔が大きい方がよいとされる職業もあって、歌舞伎と時代劇の役者」 じっと妻の顔をもてしまった。



横澤彪著

『元祖大人のための友だちのつくり方』


定年退職があっという間に終わった。
まだ仕事は延長戦である。
たちまちは、ポストを捨て、近場を選んだ。

お陰で、自宅通勤ができるようになった。
担当としての仕事は辛い。
長年管理者として過してきた反動だから仕方がないのだ。

そう言えばずいぶん前から、セカンドライフの準備を進めてきた。
やりたいことはそれなりに整備できた。
しかし、地元に帰り一番困っていることは、よく考えてみると、まだ人の輪がないことだった。

仕事の輪の延長なのだ。
どうすればいいか。
いいヒントはないか。
そこで買ったのが、この本だったのだ。

なんのことはない。
帯にある「『友だち』は歩いてこない。だからつくりに行くんだ」
これである。

問題はどこに行くかだ。
陶芸でどんな友を見つけたいのか、よく考えてみると。
その前にまだまだ「技」が身についていない。

技を求めていけば自然に友も見つかるだろう。
次は、この本にもあった「本来友だちというのは肩書きや地位を外したところでつきあうものだ」
すでに肩書きをはずした、その場を求めないといけないのだ。
さてさてどうすべきか、仕事で息切れしてるので、そこまでいかないのである。
まあゆっくりやろうと思う。



関田寿子著

『やさしい小物陶芸』


この本は、大分前から買いたくて、ずーっと気になっていた。
工房ができたことで、自分の創るテーマを見つけてたくて、この本を求めた。
窯が大きいわけではないし、「小物」これなのだ。

男はどうしても大きいものを作る傾向にある。
でも、わたしの頭にあるキーワードは使ってもらえるもの、生活に密着したもの。
「癒し」「笑い」これなのだ。

いいヒントをもらえた。
「呉須」の利用、ミニ花器。
生活小物である。

この本で作られている作品を羅列してみよう。
小皿、そばちょこ、小鉢、箸置き、花入れ・・・・。
ここらあたりから考えたのが「形の中に形」をである。

箸置き全体を動物の形に、その箸置きに象嵌で花を織り込んでみたのである。

要は何を作るか、自分のキーワードをしっかり忘れないように。
作りたいものがどんどん出てくればいいのだ。
そこで、出てきたアイデアは、花器デザインからミニ花器プラスの象嵌をやってみることにした。

花器デザインはすでにすんなりとできている。
これが3D化できればいいわけだ。
早速2個創ってみたのだ。まだまだこれからである。



武田邦彦著

『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』


帯にあるように、テレビで見て是非読みたいと思った本である。
岡山のいつもの書店では、どこにもなかった。
広島出張の時に大きな書店にもなく、一週間後に入るという返事。

やむなく、他の本も含め3冊、インターネットで求めた。
一週間経って到着した。
久し振りにワクワクして読んだ。

どう読んでも、いまのマスメディアのいい加減さに驚かされてしまう。
事実を伝える役割を放棄し、ただただ「環境」の名の下に、やりたい放題。
一番驚かされたのは、やはり「ダイオキシン」である。

猛毒のはずが、これで死んだ人はいないという事実。
ベトナム戦争での枯葉剤を浴びて生れたあの「ベト・ドクちゃん」の兄弟はなんだったのか。
シンボル的な存在は、マスコミが作り上げたものだったのだ。

地球温暖化で南極の氷が解け、水位があがってるというウソには、物理のアルキメデスの原理を忘れ、 マスコミネタを信じ込まされてしまった愚かさ。
発展途上国の森林破壊をしているというウソにも情けなくなってしまう。
この国のマスメディアは、本当に本当に、視聴率だけのためにやっているのだろうか。
ただ新聞を売らんがためだけにやっているのだろうか。

庶民が「環境」への関心度が高いのをいいことにやりたい放題。
衝撃的なウソ、「故意の誤報」が当たり前のようになっているのだ。
まさしくペンの暴力である。

世界中が自己チュウの塊になりつつある。
食糧危機が目の前に来ている。
自給率が4割強しかない日本は、先進国の中で一番低いのだ。
筆者は言う「身土不二」−自分の足で歩ける3里〜4里の範囲の地域の食材を食べる− これなのだそうだ

あっという間に、読んだ。
腹立たしいことばかりである。
「環境」の言葉を聞いたら、まず本当かの疑問が当分わいてきそうである。



熊谷徹著

『びっくり先進国ドイツ』


なぜこの本を求めたか。
10年ほど前に、行った環境にやさしいドイツのことにもう一度、触れてみたかったのだ。
結果は、残念ながら、異文化を理解できるまでには至らなかった。

いまさら、比較して見ても、どうにもなるものではない。
ただただ懐かしく、思いだされることは何個所かでてきた。
そのあたり書いてみよう。

まず一番は、いわゆる体型である。
この本にも、「短足の日本人、カモシカのドイツ人」なんてのが出てくる。
思い出したことは、便所である。

男子用トイレの高さに驚いた。
私たち日本人が小便器の前に立てば、ほんとに子供になったように感じにさされたのだ。
加えて、どういうわけか便所の入り口に所謂避妊薬が売られいたのだ。 妙に感じながら、合理的なドイツ人に納得したものであった。

「老化の進み方に大きな差がある」これで思い出したことがある。
それは混浴風呂に入ったときのこと、ドイツ人老夫婦が後から入ってきた。
その時、驚いたのはお二人とも四段腹の下を全く隠すこともなく、190cmの巨体を ゆすりながらゆったりと歩いていたことである。

他に思い出したのは、「環境にやさしい国」ということで、商売上以外の車を入れない街があったことだ。
加えて、ストリートカー・路面電車がいまでは日本でも見られる低床型の電車が分刻みだ走っていたことだ。
徹底した、環境への取り組みに驚いたものだった。

「さらば形式主義」を読んで、 形式主義を重んじる日本人を見たら、こだわらないドイツ人はなんと思うのだろうか。
まだまだ学生の間では制服はあるが、一般企業では制服がなくなっているから、 この著者はこのへんのことを少し知らないようだ。
それは、結婚式の仲人についてもいえる。現在は頼まれ仲人を立てなくなっているから、 このあたりも著者は十分に情報を知らないのだろう。

終りに、わが国の先にいるように見える先進国?ドイツ。
一番気になることは、やはり「個人主義」である。
日本では「自己チュウ」なんて言葉で総称されている。

人に厳しいから、結婚しないというか結婚がうまくいかないという躊躇いがあるから、当然 子供が生れない。
当然出生率が低くなる。
なんか日本も同じような症状になりつつあるような気がする。
残念だあ。



佐野洋子著

『ふつうがえらい』


初めての作者のエッセイ集である。
「ふつうがえらい」ふつうでない人がそういってるのだから買いたくなるものである。
読んでみて、「帯」にあるとおり「世間話」である。

女性というのは井戸端会議が好きである。
組織に長年従属してきた男どもはこの会議ができない。
もっとも、会社では延々と会議をしていた団塊世代である。

そんなことも遠い昔話になってしまった。
短くなった会議のお陰でかなり職場に余裕がなくなってしまった。
ゆとりがない仕事の連続である。
当然、ストレスがたまり、多くの「うつ病」患者を生む結果となっている。

そんな時代に、われら惜しまれ?ながら職場を去っていく。
次に待ち構えているのが、この地域での井戸端会議なのである。
これには、肩書きなんていらない。

肩書きがいらないから、昔エライ人は困るのである。
さてさてどんな井戸端になるだろうか。
それとも「引きこもりか」「妻の金魚の糞」になるのだろうか。

さて、73の世間話から、いいフレーズがあったエッセイを書き出して「この読み感」を 終わりにしよう。
「タフで優しければ」「読書の原点」「言葉は通じなくとも」
「こんな女の子と暮らしたい」「この子買います」「あとのまつり」
その中で一番いいフレーズを最後に書き出そう。
「結婚とは恋愛とか理想とか、なりゆきとか、半狂乱とか打算とかいろいろ動機はあるが、 つまるところ相性がいいかどうかという事なんだと気がついた時は離婚したあと、失敗したあと のまつりだったりする。しかし、相性が悪いなどという事は長い年月がたってからわかる事であって、 発情期の未熟な若者になどわかるはずがあろうか」 これを読んでわかった人は、すでに遅いのかも知れない。



佐藤愛子著

『これが佐藤愛子だ3』


愛子さんのエッセイ集も三冊目になった。
男性的視点から、おんな、おばさん、おとこをすぱっと切っていく。
そんな刺激的なフレーズは余り出てこなかった。

さらに前2冊は、男性の性的な持ち物をズバリと表現するエッセイが満載だったが・・・
3冊目は、そんなところをあえてはずしたのだろうかと思うぐらい出てこない。
53歳から55歳は、もう男なんて破産した亭主のからみからどうでもよくなってい たのかもしれない。

そんな中で、いいフレーズをもらったエッセイは、いくつかある。
「世を生きる知恵」「何が敬老の日だ!」「幸福の形」「男性的若者論」「美しい女の顔」 「我慢の修業」。
やはりどうしても、人生論に関するフレーズはいただきたくなるのだ。

ひとつだけとりあげよう、「近来、男性が女性的になったといわれるのは、多分、男が現実に役立たぬことを しなくなったということなのである」である。
このフレーズは、まさにいま定年を迎えようとする男たちに、贈るいい言葉である。
目標達成だとか、組織・会社のためだとか、そんなことはいいのだ。
大いに小さい頃の小さな自分の夢を、無駄なことをセカンドライフで実現すればいいのである。



瀬名秀明編

『贈る物語ワンダー』


随筆、短編、歴史長編小説、サスペンス、ノウハウ本、伝記本、ビジネス本といろいろ読んできた。
しかし、SF小説はなぜか読んだことがない。
もっぱら映画の世界で観ていた。

映像の世界で観たほうがイメージしやすいというより、 コンピュータCGの世界があまりも緻密な空想の世界の表現が可能に なったからかもしれない。

それにしても、この不思議の世界は、何ともい居心地がいい。
構想というか、着想というか。
よく考えるものだと思う。

ワンダー、不思議の世界へ。
読んでこれからどんな世界に読者を運んでくれるのか、それを考えただけでも面白い。
一番面白かったのは、「窓鴉」である。

恋のキューピット役の鴉に恋の世話を夢の中でしてもらうのだが、
それがやがて現実の世界と重なっていく。
実ると思われた恋、窓ガラスに閉じ込められた彼女はやがて破片となって 現実の世界から消えてしまうのだ。

現実の恋の世界と同じである。
はかないものなのだ。
それを、SFで描写するなんてと思う。

ありそうでなそうでありそうでというよりは面白そうで怖そうで怖そうで 万歳というかラッキーエンドの「ニュースおじさん」は最高だ。
「托卵」は、怖そうで怖そうで怖そうで終わりまで怖かった。

最後、これは誰でも知ってる「太陽系最後の日」
アーサー・C・クラークが描いた21世紀の世界。
60年も前に書かれたのだから、その空想力に感激してしまう。
生きて地球最後の日は見届けられそうにもないが、UFOを一度は見たいと 思うきょうこのごろです。





鳥越俊太郎

『人間力の磨き方』


「人間力」このテーマに惹かれ買った本なのだが、・・・・。
半分まで読んで、この「人間力」を考えた。
どうみたって、私は人間である。

読み進めてわかったことは、「コミュニケーション力」の話なのだと、この本は。
特に、その力を遺憾なく発揮して、情報をうまくもらうことなのだ。
話す相手が、見ず知らずの人間に、本音をもらしてくれるかどうかなのである。

筆者の人間力は、田中角栄の人物像を探るべく、角栄氏出身地新潟県取材で遺憾なく発揮される。
その人間力発揮のノウハウを探るのだが、見えない。
その文章がない、フレーズがないのである。そこが知りたいのだが・・・・。

世の中は、このコミュニケーション力不足から、社会人として生き抜けず悩んでいる人は結構いる。
子供の世界でも、大人の世界でも、いじめも大きな一因ではなかろうか。
ただ、コミュニケーション力は、筆者にすれば、新聞記者定番の「夜討ち朝駆け」により、 すなわち粘りがあれば、なんとかなるのだ、情報を得るには熱意ガあるか人一倍好奇心を もっているかどうかなのだ。

この本のポイントは、「まえがき」にそのヒントが網羅されている。
簡単なフレーズなのだが、それを書き出してみよう。

「話を聞く力」「取材対象にあくまでも近づいていく力」
「世間とは違ったものの見方」「自分なりのものの見方」
とどめは「自分を信じ」「熱意をもって」「前向きな能天気さ」なのだ。

まだ、読んでいないが気になる小見出しがある。
「人の一生は『起承転結』」「転機は自分でつくる」なのだが、・・・・。
いま、まさに「転」の終結に近づき、「結」のスタートを切りつつあるのだが、 筆者に言わせれば「どう終えるかを考えながら生きていく」ここがかなりきつい、 一日一日を大切に生きていかないといけないと思うきょうこの頃である。。



佐藤愛子

『これが佐藤愛子だA』


愛子さんのエッセイでいつも思うことがある。
この方は「竹で割ったような人」そんなことなのだが、どうみても男以上に物事を はっきりと言う人だと思う。
それも、事象をよく捉え、人の話を積極的に傾聴されている。

最近私は仕事が変わり、質問しながらお客さんの話をメモルのだが、なかなか文章に落とせない。
時には、メモった自分の字が読めないのだ。
これは、長年の訓練以外に何もないように思える。

さらにエッセイだから、それなりに文章の構成がいる。
なんとなく対話の間の文章が面白くないと、
次の展開、話が沈んでしまう。

それが、いつもながら見事に展開されていく。
エッセイだから、あっという間に読めてしまう。
いつもながら、「愛子さんワールド」は肩が凝らなくて実にいい。

思うことの二つ目である。
それは、「セックス」、愛子さんはこの言葉を好まない。
このあたりに関する、男女の絡みの話がよく出てくる。

いまでは当たり前なのだが、隠語がよく出てくる。
それも原語で、ああああと思いながら、読んでしまう。
「おキンタマ」「ペニス」「サオ」「睾丸」、男の肉体に関することだなのだが。

面白いので、余りないように触れないで読んでいただくことにして、面白いエッセイの 題名を羅列しておこう。
「寝姿絶景」「アッチのこと」「男と女の間」
「ノゾキ考」「男女平等」「マクの話」
「タマの話」「パンツ考」「サオの話」

どうみても私が選んだのはシモネタである。
これでは終われない。
ということで、気になった人生観のフレーズを最後に3つ抜粋しておこう。 「この世から自分がいなくなることだ。しかしいなくなった後も世の中は何ら変わることなくつづき、 日は照り風が吹き、犬が吠えて人々は楽しく暮らして行くのだ」
「40歳をすぎた女が考えなければならぬのは、いかに上手に死ぬかということではないかと思う」
「人のことはいえても、自分のことはわからぬものである」 いかがだろう。




『三面記事の男と女』


久し振りのサスペンス、それも清張作品。
面白い、それも不思議に速く読めるのだ。
少し濡れ場も用意されている。

5作品のうち2作品が、殺人犯の心境を見事に描いている。
いわゆる犯人を推理するものではない。
明らかに犯人はわかっているのだ。

他作品のひとつは、年上女の心を描き、他の女ができ記念の再会時に殺された若き男の話。
人は殺意を抱くのはどんなときなのか男女の関係はほんとにわからない。
と言っても、殺すこともなくうまく浮気も出世も安泰も得ている多くの不倫男女も多いのだろう。

またひとつの作品は、出張先で密会を予定していた男がその女の死体を見て、 密会をもみ消すが、思わぬ警察の予定外調査で・・・・
殺害現場の話を吐露してしまう作品。

そして、5つめの作品は新興宗教がどうやってできるのかを見事に描いている。
これも男女の関係と昨今は当たり前の保険を利用したカネ集め殺人。
と言っても証拠の残らぬ宗教殺人なのだ。
この新興宗教のキーワードは、カリスマ性を持たせることと、男女間のセックスのようだ。

サスペンスの構成は男女の出会いと出会いの場所とどんな関係、どんなきっかけで殺意を、
殺し方、アリバイ工作、犯人の心境、
どんな形でばれるのか・・・・。

読み手から言わせると、探偵ではないが、犯人のアリバイ工作を読み解く。
ここが面白いのだと思う。
その紐解きを小説のスピードより早く、読み手がわかるとなお面白いなだろう。



ひろさちや

『「狂い」のすすめ』


「ひろさちや」作品は久し振りである。
団塊世代なら、テーマの「狂い」とか、帯にある「人生に意味なんてありません」、
を見ただけで何を今更とがっくりくるに違いない。

でも、ひろ作品は、常に根底に仏教でいうところの、「こだわるな」「少欲知足」がある。
要は、世間に流され、自分を見失うな、世間の奴隷になるな。
自分の思い通りに生きればいいということなのだ。

いつもながら、時間に追われ、組織に縛られ、いうことはコスト削減や効率ばかり。
そんな世間なんてのはええ加減なものだから、常識に合わせることはない。
ひたすら狂えばいいのだという、傑作である。

団塊世代は、とてもできる話ではない。
近所の対面とか、会社の対面を重んじる我ら世代は、「狂えない」
せいぜい、建前でない本音の世界では舌が出せるか、飲んで悪口を言うぐらいだろうと思う。

ただそんな団塊世代ももう定年だから、・・・・・180度変わればいいのであるが。。
会社のしばりから解放されても、今度は地域のしばり、家人からのしばりにあえぐのだろうか。
それこそもう思い通りに生きればいいのであるが、さてさてその大きな波、団塊世代のいいブーム がくればよいがと・・・・ひたすら願う。

同じ世代である自分にとっては、3つの面白いフレーズがあった。
「弱者の自覚・・・自分の独自・哲学が持てるようになります」 「『金・かね・カネ』の狂奔をちょっと醒めた目で眺める心の余裕を得ることです。」
「人間の歴史を要約すればたった一行になります」

このほかにセカンドライフにとても役に立ちそうなお気に入りフレーズがあった。
「現在を楽しむ」
「意味のない人生だからこそ、わたしたちは生れてきたついでにのんびりと自由に生きられる 誰に遠慮する必要もなく、自分の勝手気ままに生きることができるのです」これは 最高である。

最後に目的地主義を捨て去り、ゆったりと過程を楽しんでいたいと思うのだあ。
いい本をありがとう。



フレディ松川

『60歳でボケる人80歳でボケない人』


「今からわかるボケる人ボケない人」これを書いてからはや17年がたったとある。
2005年ボケた人は150万人。
当然団塊世代が、65歳を過ぎる、5年後には、200万人を超えるのは間違いない。

仕事人間で生きてきた団塊世代が「定年」を境にうまく生き方を変えられるか。
40代から50代での生き方がその分れ目(境界)になるようだ。
さてさて、われら同級生はどうなるのだろうか。

わたしがボケてないなら、たしか前段の本を読んだようだ。
この本は、笑うに笑えない話も書いてある。
もちろん簡単なテストもある。

ボケ早期発見チャート・・・20問で○が8つつけば、りっぱなボケの初期段階。
ちなみに私は2つだった。
まだ大丈夫のようである。と言っても先はわからないのだ。

ボケていない人の九割がやっている習慣。
これが、筆者が発見した「九割の法則」、書き出してみよう。
散歩、魚食、恋心、体の栄養、外出と社会との交わり、趣味、ストレス発散法、心・体・経済の自立。

さらにこの中には、年をとって女性に持てる条件、
年をとって女性に嫌われるタイプ、
簡単ボケ診断テスト・・・アナログ時計を書いてみる

ボケやすい職業、ボケにくい職業
おわりにボケないための格言集
その中で印象深い格言は・・・・とよく読んでみると。
「遠い親戚より近くの医者」「一年の計は元旦にあり。老後の計は『定年』にあり」である。



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