『国家の品格』 多くの日本人が日本って大丈夫なのかを考えるようになった。 特に閑になってきた団塊世代が、本屋に足を向けてこの本を買っているのではなかろうか と一人推測している。 いつものごとくベストセラーを敬遠していた。 入院と言う事態に陥り、やっと小康状態になった時、 思い出したのがこの本、早速家人に買ってもらって読むことにした。 もともと講演会のネタであり、それを書籍化したものらしい。 読み終えて、経済一辺倒、金権主義の土ツボに嵌っている、日本 ・日本人としてのよさの忘れ物を教えてくれたような感じである。 これこそ21世紀「こころの時代」に相応しい考え方のような気がする。 国家とはを考えるよいきっかけになるのではと思うのだが。 気になることが、ひとつある。 それは、「文化や伝統や情緒などは、そんな能率・効率よりも遥かに価値が高いということです。 『たかが経済』を忘れてはいけません」のフレーズである。 「たかが経済」経済優先・効率優先で生きてきた、戦後人間にとってはとても譲れないことなのでは なかろうか。 しかし、どう見ても金・物優先の自由・資本主義が大きな壁に当たってるのは誰しも思っているのでは なかろうか。 日本・日本人のよさ・大切なものは違うところにあるのではと気づき始めてきた。 行き着くところは、「日本人にとって、自然は神であり、人間はその一部として一体化してます」 なのだ。 この考え方は、自然とも対立する欧米人とは本質的に異なる。 対立は、国と国の間で常に緊張感を生む構造になっているのが、今の世界なのだ。 この考え方は、「養老孟司」「梅原猛」と同じである。 なるほどなるほどと共感するフレーズばかりである。 定年が近くなり、大分人間が枯れてきたせいか。 それともこの年になりやっと人生、生き方について、 理解できるようになったおかげかもしれない。 終りに、余談だが、筆者の文章のところどころに出てくる妻に対する 笑いとペーソスに「土屋賢二哲学博士」を思い出した。 素晴らしい表現力の画も、土屋画伯に共通するのだ。 最後に、素晴らしいフレーズを紹介しておこう。 「通常は美徳とされる『正直』だって、常に美徳であるとは 限らない。本当のことを言ってはいけない時、嘘をつかざるを得ない時はいくらでも あります。私の場合、とりわけ女房の前でそれが多い気がします」いかがだろう。 |
高橋卓志著 『生き方のコツ死に方の選択』 長い闘病生活の末、去った母が思い出される。 でも、月日は、それをしばらく忘れさせてくれている。 その一方で、月日は35年前の父の死の年令を思い出させる。 自分もその年令が近くなってきたのだ。 「十分生きてきたか」そう自分に問うもう一人の自分がいる。 最近、ラジオで「鎌田實」先生の名前がよく聞こえてくる。 「笑い」の実践と「がんばらない」という本を書いている信州にある諏訪病院の名誉院長なのだ。 書店の本にその名を見つけ、迷わずレジに運んだ。 鎌田先生と高橋住職が体験したいろいろな死が紹介されている。 それは、父の死、義父の死、ある作家の死、若き患者の死、 レイテ島とチェルノブイリでの多くの死。 医者が住職がいかに人の死にかかわるべきなのか。 死に直面している人たちに関わるいろいろな問題を, 実例を交えて、ひとつひとつ紐解いている。 それは、インフォームドチョイス、病院死と在宅死、ペインコントロール、不治の病の告知、・・・ なのだ。 特に、すっかり葬式仏教と化し、死後しか関わらなくなった宗教。 僧侶として、本来の「十職」について考えているところは、しっかりとした宗教的課題へ の切込みがするどい。 また、医師としての癌などの不治の病を「告知する」「告知しない」は実に重い課題である。 読む涙が出てくるところがたくさんある。 その部分を自分の死にシーンをイメージしてみる。 意外とクールなのだ。 読み終えて、自分ならどの死に方をと思えた話がひとつあった。 それは、鎌田さんの義父の死に方である。 ひとつひとつが私にとっても納得がいくものなのだ。 それは、義父が発する言葉や行動にある。 インフォームドチョイス、「ぼくはもう79歳。あとは自然にまかせたい」 義母とのお別れの散歩と二人の思い出の歌を歌う、死ぬまで食事・歯磨き自分でする。 「賛美歌が歌いたい」亡くなる前日「風呂に入りたいなあ」 とは、言っても現実の自分の死はそう自由にはならないと思っている。 とりあえずは、私にとっては親父の死をクリアーすることのようだ。 |
『国家の品格』 多くの日本人が日本って大丈夫なのかを考えるようになった。 特に閑になってきた団塊世代が、本屋に足を向けてこの本を買っているのではなかろうか と一人推測している。 いつものごとくベストセラーを敬遠していた。 入院と言う事態に陥り、やっと小康状態になった時、 思い出したのがこの本、早速家人に買ってもらって読むことにした。 もともと講演会のネタであり、それを書籍化したものらしい。 読み終えて、経済一辺倒、金権主義の土ツボに嵌っている、日本 ・日本人としてのよさの忘れ物を教えてくれたような感じである。 これこそ21世紀「こころの時代」に相応しい考え方のような気がする。 国家とはを考えるよいきっかけになるのではと思うのだが。 気になることが、ひとつある。 それは、「文化や伝統や情緒などは、そんな能率・効率よりも遥かに価値が高いということです。 『たかが経済』を忘れてはいけません」のフレーズである。 「たかが経済」経済優先・効率優先で生きてきた、戦後人間にとってはとても譲れないことなのでは なかろうか。 しかし、どう見ても金・物優先の自由・資本主義が大きな壁に当たってるのは誰しも思っているのでは なかろうか。 日本・日本人のよさ・大切なものは違うところにあるのではと気づき始めてきた。 行き着くところは、「日本人にとって、自然は神であり、人間はその一部として一体化してます」 なのだ。 この考え方は、自然とも対立する欧米人とは本質的に異なる。 対立は、国と国の間で常に緊張感を生む構造になっているのが、今の世界なのだ。 この考え方は、「養老孟司」「梅原猛」と同じである。 なるほどなるほどと共感するフレーズばかりである。 定年が近くなり、大分人間が枯れてきたせいか。 それともこの年になりやっと人生、生き方について、 理解できるようになったおかげかもしれない。 終りに、余談だが、筆者の文章のところどころに出てくる妻に対する 笑いとペーソスに「土屋賢二哲学博士」を思い出した。 素晴らしい表現力の画も、土屋画伯に共通するのだ。 最後に、素晴らしいフレーズを紹介しておこう。 「通常は美徳とされる『正直』だって、常に美徳であるとは 限らない。本当のことを言ってはいけない時、嘘をつかざるを得ない時はいくらでも あります。私の場合、とりわけ女房の前でそれが多い気がします」いかがだろう。 |
『祖国とは国語』 最初の4日間は、ただひたすらノタウチながら眠るだけの日々だった。 やっと落ち着いて、時間をもてあますようになり、ゆっくり本を読むことにした。 一番に浮かんだ人の名前が「藤原正彦」、そしてそのベストセラー本。 でも、ベストセラー本だけではと、筆者の昔の著作も妻に 買って来てもらうよう頼んだのだ。 それが、この本-祖国とは国語-である。 「国家の品格」を読んでみてわかったことは、その原点となる筆者の考えが ここにまとめられていたということである。 それは「国語教育絶対論」のチャプタなのだ。 最近思うことだが、1つのベストセラー本が出たり、「芥川賞」「直木賞」が決まると、その著者の昔の作品が店頭にずらっと並ぶのが どうも本の販売商戦のようである。 それは養老孟司「バカの壁」がベストセラーになった時でも同じだった。 本題に入ろう、最近本が売れなくなったとか、若い人が本を読まなくなったとか言われている。 それは、間違いなく「ゆとり教育」のせいであると筆者は言う。 さらに「『個性尊重』などといった空虚なスローガンを 廃語とし、家庭と学校が決意を新たに子供たちを厳しく鍛え、 十歳くらいまでに忍耐を培うこと」だという。 また、「重心が『話す』『聞く』へ移り、口先人間ばかりなってしまっている」とも言う。 そのためには情緒力を養い、日本語の語彙を増やよう「国語の読み」を中心にすえるべきだという。 団塊世代の私にとっては、子供教育もはるかかなたにもう過ぎてしまった という感じではある。 国語の大切さは、次の小見出しの展開で十分わかる。 「日本再生の急所」「国語はすべての知的活動の基礎である」「国語は論理的思考を育てる」 「国語は情緒を培う」そして「祖国とは国語である」なのだ。 何かしら最近は付和雷同というか、アメリカ一辺倒というか。 こころが不安定な日本・日本人を感じる。 日本はなんなのか、日本人とはを考えさせられる国際的な事件も相次いでいる。 やはり、「特定の国の価値観に染まることは、いつの時でも国を危うくする」、 つまり、日本人として持っている価値観・文化を十分主張してもいいような気がする。 それが、「祖国愛」だと思うのだが、どうだろう。 |
『ぢぞうはみんな知っている』 題名と地蔵さんの絵と筆者の名はちょっとだけ。 読み終えたが、「地蔵さんは何を知っていたのだろうか」 筆者の母の浪費グセ、筆者のダランとなった体型、筆者の友達の エロババ振り、筆者のパンツがほころびてる。 筆者が風呂上がりにパンツをはくとき、右足がうまく入らない。 筆者が英語を喋りたいために沢山のマニュアルを買っている、などなど。 この題名は、だれがつけたのだろうか。 誰しも、人に言えないことはある。 しかしである、50歳前のご婦人が恥も外聞もなくすべて?をさらけ出し、地蔵しか知らないことを オープンにしているのだ。 わたしははっきり言ってこの地蔵にのせられてこの本を買った。 不純な動機ではあるが、女性も50歳を前にすれば、こんなにも大胆に話し出すのだろうか。 そう言えば、家人も大胆にも亭主の前で屁をかますようになったのもこのころからだろうか。 前置きが長くなった。 女性も半世紀を過ぎると、過去を振り返る。 筆者は、それが母、友人、同窓生、猫、自分を鍛える、のようだ。 何と言っても、こんな女性の姿をイメージしただけでも、失笑してしまうエッセイがある。 「私は馬鹿なのかも」で、風呂上りにパンツをはくシーンである。 そのフレーズを紹介しよう。 「風呂上りに、まずパンツの左の穴に左足を通し、今度は右の穴に右足をいれようと足をあげると、 よろめいてすでに左足が入っている左の穴に右足のつま先を突っ込みかけてすっころびそうになる」 若い人は笑ってはいけない、やがてかならずこの日はやってくるのだ。 同世代の方は、鏡と思い、日頃からパンツを上手にはく訓練をしようではないか。 なるほど納得のエッセイもある。 「さらば『英語』」である。 筆者はいろいろな本やテープを買っては挫折しているのがわかる。 NHKラジオ基礎英語1−3の1年分のテキストとカセットテープに始まり、 「とっさのひとこと」のビデオ5巻セット・・・、いかがだろう、誰しも思い出す フシはないだろうか、読み終えて納得のエッセイなのだ。 最後に、「いつ倒れても」 年を取ったら、なんだかんだと言っても、それなりに死を意識する。 やはり、この場合、突然倒れた時の、パンツは誰しも気になる。 「身支度だけはちゃんとしておかなくては、面倒を見てくれる人に 心理的に迷惑をかける」 まあ、面倒を見てくれる人がパンツまでは見はしないだろうが、 確かに医者先生はパンツは見なくても診断の必要性からパンツが目に入るだろうし、 死んでいたら裸で解剖されるだろうからパンツは剥ぎ取られる。 死ぬものの心得として、せめて派手でなく、破れていないパンツを、と言っても 、やはり、洗濯の時わかる場合も多いのだ。 ということで、私の場合「シングル」ということで許してもらおうかなあ。 |
『持続力』 それもマイナーなスポーツで、ほとんど金にならないことに。 この継続する力はどこからくるのだろうか。 少しでも知りたかった。 どう読んでも、この歳での「銀メダル」獲得への道は、厳しいことばかりである。 その厳しさに耐えるには、「太く長いモチベーション」、この言葉に代表されるように思う。 ちょうど工場の職人芸、縁の下の力持ち的サラリーマンとよく似ている。 決して華々しさはない。 でも、己の中には確固とした自負心があるのだ。 この本から何を学ぼうとしたのか。 それは間違いなく題名どおりに「継続力」である。 その裏に潜む、支えるものなのだ。 いい言葉が沢山ある。 それは、見出しや小見出しにも多い。 一番いまの私に欲しい言葉−なにもしない批判者より、失敗し続ける職人であれ−であった。 さらに、「まずひとつ、人生の武器を」 「心は無限の可能性を秘めている」「人生のコツは『毎日コツコツ』」 最後に「なぜ『現役』にこだわり続けるか」と続くのだ。 何かを続けようとするとき、すぐに成果を期待してしまう。 ちょっとした壁でへこたれてしまいそうなこともある。 楽なこと、楽しいそうな誘惑に負けてしまいそうにもなる。 たった一つの趣味を続けることでさえ、いろいろと邪魔が入る。 この本から「継続」するためのモチベーション維持のアドバイスをもらったように思う。 これからもトンネルをぬけ、「壁」を打ち破り、さらに継続している自分でありたいものである。 |
『決断力』 また、将棋が好きだからでもない。 そして、何か勝負事で勝負しようとも思っていない。 セカンドライフに向け、大切なものは何か。 その大切なものを継続するにはどうすればよいか。 足らないものはないか。 いろいろと考えるうちに、行き当たった本なのだ。 チャプタ1〜4までは、将棋を通じた勝負師の話である。 適当に読ませてもらった。 いろいろ参考になったのは、チャプタ5である。 才能、継続、情熱。 「才能とは、継続できる情熱である」なのだ。 継続できる自信はある。 問題は情熱である。 情熱を持ちつづけることはむつかしい。 セカンドライフを楽しむために、いま続けている陶芸。 しかし、やはり技術の壁は厚い。 根気よく続ける以外にないのだが、そのあたりのヒントももらいたかった。 ヒントは8つほどもらった。 ここでは、特にということで、3つのフレーズを書き出しておこう。 「やってもやっても結果が出ない・・・。そういう中でも腐らず努力して いけば、少しずつでもいい方向に向かっていくと思っている」 「個人のアイデアは限られている。何かをベースにしてあるいは、何かをきっかけに してこそ新しい考えがいろいろ浮かぶ。『真似』から『理解』へのステップ は、創造力を培う基礎力になるのだ」 最後に「何かに挑戦したら確実に報われるのであれば誰でも必ず挑戦するだろう。 報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって 継続してやるのは非常に大変なことであり、私はそれこそが才能だと思っている」いかがだろう。 |
『文藝春秋6月号』 二つのシュミレーションでは、セカンドライフがうまくいく事例と、そうでない事例が扱われている。 当の団塊世代としては、いらん節介をせんといて、ネタにせんといてといいたいのである。 そもそもこの月刊誌は、わが先輩が「文藝春秋」を愛読されている関係で手に入ったのである。 「あんたらー大変だなあって・・・」読んでみたら。 で早速読ませていただいたのだ。 団塊世代であろうが、なかろうが、これから定年を迎える人への助言なのだ。 「衝撃」なんて書いてもっともらしく、読ませたいという意図がありありと見えるのだ。 シュミレーションは、ようは「転ばぬ先の杖」 それなりに将来を考える人と、そうでない人の差なのだ。 私から見ればどうみても、趣味を持っているかいないか、 日頃から嫁さんとうまくやっているか、 家族のことを考えているか、そういった問題に映ったのだが・・・。 まあ定年を迎える人はそれなりに、考えておくべきことのようである。 しかしどう考えても、自分ではどうにもならないものがある。 それが、混ざっているのが気になる。 それは、やめた後の会社の行末であり、子供の就職というか運命、「がん」罹病の可能性、 親の介護・・・、まあこれは私は済んだが、妻の両親はご健在である。 それなりに準備できるものも結構ある。 肝要なことは、滑走路に入っていると意識するかどうかである。 まだ、時間はあると思うかそうでないか。 趣味探し、いい意味ではセカンドライフを楽しく生きるために、違う意味では暇つぶしが 自分なりにできるかどうかなのである。 終わりに、人生はバラ色ばかりではない。 団塊世代が百歳なんて生きられるわけがない。 そうかといって転落しっぱなしということもない。 やま・たにがあって初めて人生というものだと割り切ればいいのだと思うのではありますがね。 |
『脳の中の人生』 かねてから読みたい本のキーワードに「脳」がある。 というわけで、この本は、わたしが今読みたい本のキーワードにピッたしだったわけである。 帯をみて、そういえばこの先生テレビ番組でも、脳の活性化のための 面白いゲームを紹介していたようである。 そういった意味からも読む意欲がわくのだ。 やはり、私を含め、脳を活性化したい人は多いのだろう。 この本をすぐに買いたいと思ったのは、小見出しにある。 いままでになかった脳の意外な事実のフレーズ、最新情報に対する脳科学の視点からの フレーズが豊富なこと。 興味がつきない、脳に関することがひと目で目次でわかるからなのだ。 その気になる小見出しをまずは羅列してみよう。 「人間は思いつきでものを言う」「創造することは思い出すこと」「人はなぜ不確実性さを好む」 「どうすれば『ひらめく』のか」 「他人に注意することの喜び」「『当たり前の判断が人生をつくる」「『変らなくちゃ』が 探究心を殺す」「素敵な恋人と出会う能力」「人生は楽しむのが勝ち」「小さな成功体験を持とう」 どれが、読み手に刺激を与えるか、それは読んでの楽しみということで。 ここでは、「人はなぜ不確実さを好むのか」「どうすれば『ひらめく』のか」 「人生は楽しむが勝ち」「小さな成功体験を持とう」の四つの小見出しの中から、 わたしが刺激を受けたフレーズを紹介したい。 「不確実さを前に、いたずらに萎縮することなく、それを楽しむことが、よりよい生き方につながる」 「どうやら、ひらめくためには、脳がある程度『退屈』しないとダメのようである」 「人生を楽しむことが、自己実現への一番の近道である」 「どんな小さなことでもよい。『やってよかった』という達成感を得ることで、 脳は確実に変っていくのである」 いかがだろう、読まない手はないと思うのですが・・・。 この中で、いまもやっていて、これからも続けたいと思ったことがる。 それは、人に頼らず「小さな成功体験を持とう」ということだ。いざ進まん。 |
『ダ・ヴィンチの遺言』 そうした中、「盗作だ」とかで裁判となるが、結果は盗作ではないとの結論が、新聞をにぎわす。 次には、映画化がされて、それも話題になっているのだ。 というわけでもないのだが、人物キーワード「ダ・ヴィンチ」に刺激され買った。 もう少し、ご本人の素顔が知りたい、芸術に対するヒント、物創りのヒントがないものかと。 買ってみたわけなのだ。 実は、昨年「ダ・ヴィンチコード」上下巻を息子が誕生日にプレゼントしてくれた。 ストーリーとしては、謎だらけの上巻が面白い、後半は主人公が警察に追われ逃げ回り、 思わぬ幕引きが待っているサスペンスなのだ。 このベストセラー本に関する章(衝撃的な「ダ・ヴィンチコード」が描くキリスト教世界) もちゃんと最後に用意されているからなかなか心憎い。 当然500年前の人物だから、事実として書き残されたものから、推測されている表現は多い。 「なのかもしれない」「いただろう」「違いない」なんて表現になるのもいたしかたない。 いずれにしてもセカンドライフ用に素人芸術に取り組んでいる私としても、是非とも何かのヒント をもらいたいわけなのだが・・・。 いろいろな世界−天文、物理、建築、軍事、芸術− でその多才・天才ぶりを残したレオナルド・ダ・ヴィンチだが、この名が ヴィンチ村のレオナルドということであることを初めて知った。 当時は、イタリアも日本の江戸時代以前と一緒で庶民には氏(姓)はなかったのだ。 さらに、レオナルド・ダ・ヴィンチは、15歳から芸術家の工房に入り、やがて 何年か経って親方になっても、この道では食っていけていない。 やっと社会的に脚光を浴びたのは、「凄腕のリラ弾き」としての 『音楽家』と『総合演出家』だったのだ、皮肉なものである。 さてさて、読み終えて、ヒントはもらえたか。 「発想は経験を積み重ねることによって生まれる」「一度うまくいったからといって、”この問題は この方法で解決せよ”とすぐに決めつけて一般化するな」「美の本質は身にまとうものなどに あるのではない」・・・・。 残念ながら、造形にあたって直接的なヒントはもらえなかったが、 「彼が史上並ぶ者のない最高の素描家であった」というところから、 何かを描こうとすれば、ものの観察がいかに大切かということなのだ。 思うに、絵を描くことが分業化されていたことから、絵の具を使って完成品を創ることに レオナルド・ダ・ビンチは、あまり重きをおいてなかったように思える。 それは、「最後の晩餐」や「モナ・リザ」に隠された「謎」の部分からも、 絵は自分の主張をする1つの手段であったようである。 |
『人生百年私の工夫』 となれば、助走運転が必要である。 そのお手本というべき本なのだ。 「はなせばわかる」われらにやさしい「大きな字」。 先輩、ちょっと先輩、いや相当人生の先輩からの熱いメッセージの連続である。 これを読んで、刺激を受けない手はないよ、われら団塊世代さんということになりましょうか。 とは言っても、御年90?歳なのだから、普通は何かにつけ衰えていると 思うのだが、それが完全に違うのだ。 体は弱っても(元気のない普通の60歳のおじさんより相当元気)、頭は全然違う。 とにかくすべてにおいて能動的なのである。 一番の驚きは、やはり現職「医者」を続けておられるということだ。 これは、一般人、サラリーマンにはどうにもならない。 そこは置いておいても、学ぶことは沢山あるのだ。 三つほど「お手本」としてあげてみよう。 まずは、自分が目指したい人生の先輩「モデル」を探すこと。 そのモデルの生き方を学び、そのモデルが書いた本を読む、元気であればインタビューするなど、 自分の生き方に多いに参考にするのである。 ただ、これはライフワークとして目指す人を探すには、定年があるサラリーマンはむつかしい。 好きなことがあり、定年前からそれを続けていたなら、その先輩に学ぶことだろうか。 われらサラリーマンにできることは・・・。 二つめは、「ずっと先を見て計画を立てる」 私の反省点でもある、いまは父の死しか見えない、61歳である。 今日からは「ずっと先を見よう」と思う。 三つめはライフワークへの投資である。 いままでは、組織の中で、家族を気にしながら、自分の仕事への投資をほとんどしてこなかった。 これからは、やりたいことへ「投資」してみようと思う。 おわりに、この言葉・フレーズを書いておこう。 「命は自然に尽きていくものであう。あくせくしないで『自分らしく』生きることを考えるべきでは ないでしょうか」、もういいだろうと思う。そうありたい。 |
『ウェブ進化論』 仕事上インターネットに関わったのが、10年前である。 その波、「情報革命」がまさにいま起っているのだ。 化石のような私の頭をもう一度奮い立たせようと買った本である。 カタカナ満載である。 でも、非常にわかりやすく書かれている。 と言って、理解できたかと言うとそういうことでもない。 「情報革命」そのキーワードは・・・。 「チープ革命」「インターネット」「オープンソース」なのだ。 日本人は、かつて情報はタダという意識が強かった。 「情報には金がかかる」ということがやっとわかりかけた日本人。 その日本人にとって、インターネットを介すれば、「情報は極めて安く、場合によっては タダで」、APIに至ってもタダで提供される時代になったのだ。 多くのカタカナの中から、エキスのカタカナを抜き出してみよう。 「グーグル」「ブログ」「ロングテール」「アフリコート」 「ウィキペディア」「グーグルアース」「グーグルマップス」・・・。 特に興味深かったのは、「ロングテール」現象という言葉である。 しっぽの長い恐竜に例えられた話なのだが、 わかりやすくアマゾンの売れる本と売れない本で解説されている。 本ごとの売上高をグラフで書くと、かつてはシッポの先は赤字でしかなかったが、いまでは それは「塵も積もれば山」で売上の3分の1を占めるというのだ。 ベストセラーさえ作れば儲かるそういったものでもないということなのだ。 カタカナではないが、もう1つ面白いと思ったのは、「情報発電所」を「こちら側」に作るのではなく、 「あちら側」に作るという話である。 事例として、「グーグル」の話が出てくるのだが、実にわかりやすい説明なのだ。 この情報発電所から生まれた「アドセンス」による富の分配は、まさに情報革命 の言葉が相応しいのではなかろうか。 グーグルのCEOエリック・シュミットによれば 「膨大な数のスモールビジネスと個人がカネを稼げるインフラを自分たちが用意する」 ということらしい。 この本を買ってよかったことは、情報用語の意味がわかったことである。 でも、化石の私の頭は、ボケ状態でもあるので、読んだ、わかった、忘れた。 だから、仕事上必要なことなので、しばらく会社の引き出しにしまっておこうと思う。 ただ心配なのは、置いていること自体を忘れることなのだ。 |
『複雑な世界、単純な法則』 と言っても過去の法則、ノウハウではない。 新しい「法則」「ノウハウ」である。 その法則・ノウハウを見つけようとするのは科学者だけではない。 金儲けしようとする人、スポーツを上手になりたい人、いい相手を見つけようとする人、・・・ いろいろあるはずである。 折角買った本、それも高い。 加えて300ページを超えるボリュームの本である。 ましてや科学となれば、私の固い頭はなかなかついていけないのだ。 やっと7章まで読めた。 と言っても、理解して読んだとはいえない。 まあとりあえず言葉を追ってみたというところなのだ。 この本のチャプタ、小見出しですでにどんな法則なのかがわかる。 各チャプタの最初には、一人として名前の知らない方の格言がある。 この格言を読むと私の単純な頭はなるほどとしたっがってしまう、困った頭なのだ。 いずれにしても、最後までいつになったら読めるかは未定である。 少しずつは進んでいる。 とにかく途中なのだが、「読み感」に載せてみたのでした。 おお忘れていた、すでに7章まで読んだわけだから、そのへんで感想をほんの少し書いておこう。 世界は広しといえど、人の繋がりは「六次」で繋がるという不思議な話。 これが、一番わかりやすくて書きやすい。 思えば、汝の妻とは何次の繋がりかとふと考えた。 やはりスモールワールドの世界なのではなかろうか。そんな気がするのだ。 |
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