五木寛之著

『運命の足音』


五木寛之さんの話は重い。
なぜ重いのか?
それは日ごろ考えない、日本人の得意でない「死」とか「宗教」を 真正面から取り上げているからだろうか。

でもこの年になって思うこと、おやじの死んだ年齢を考えれば、 もういつ死んでもおかしくないということだ。
題名ではないが「運命の足音」を感じている。
でも、私の弱いこころは、まだ揺れていないのが気になる。

ということで、最近求める本は、宗教に関することや生き方に関するものが多くなってきた。
死ぬための生き方とでも言おうか。
この本を読みながら、自分のこころの中を探っているのである。

私を含めた日本人が得意でない「宗教とは」をわかりやすく紐解いているこの本は、 道筋の見えないセカンドライフの生き方も教えてくれている。
だから、自分にとって大切なフレーズが出てくると、噛み締めながらゆっくりと ページをめくる。
さらに大切なフレーズは、「気になるフレーズ」へ取り込んだ。

少し中をのぞいてみよう。
最初の「57年目の夏に」は、やっと書く気になったエッセイのような気がする。
それは、終戦を迎えた朝鮮半島で死んだ母と日本に帰ってからの父の堕落した生活ぶりとその死である。

その後段に親鸞の歎異抄にある「地獄は一定」の解説がある。
「『いま』『ここに』地獄はあるのだ。自分はいまその地獄のまっただなかに生きている」
この言葉を引き出すために、いま書けるようになった、自分の戦後体験・地獄体験が描かれているのだ。
やっと筆者の戦後は、終わったのである。

この本の中には、宗教に無知な私に示唆してくれるフレーズが多くある。
宗教とはなんぞやなのだが、非常にわかりやすいので引き出してみよう。
「人間は誰でも重い荷物を背負ったとき、もういやだと途中で投げだしたくなったりします。 歩くのをやめて座りこみたくなったり、なにもかも放りだして死にたくなったりします。 そういう人間に対して、重い荷物を背負ったままで歩きつづける力をあたえてくれるもの」

宗教は好きではない。
なぜだろうかと考えてみた。
葬式仏教に、神を信じますか宗教、金出せ・布施出せ宗教、等々自分が求めているものに ほど遠いものになってしまっているからだろうか、と言って求めているのがわからないから 余計始末が悪い、だから触りたくないといったところなのだろうか、でも「死」はかならずやってくる。



松濤弘道著

『お経の基本がわかる小事典』


なぜこの本を買ったのだろうか。
仏教の物知りになるため、そうではない。
やはり、「生き方」それもこの年になってやっと「死ぬための生き方」を模索しているようだ。

紆余曲折、迷い道。
定年後の自分探しとでも言おうか。
何をしたいのか、するべきなのか、よくわからないのだ。

迷い道で、この本を求めたが、あまり適切ではなかったように思える。
この本を読み始めたとき、インターネットで「瞑想を続ける『釈迦の化身』少年の謎究明へ」 なんてニュースが流れた。

少なくとも、この本によると8万4千の経典があるそうだ。
だが、現代日本、世界は迷走しているように思える。
日本の仏教も、葬式仏教化してしまい、「仏法僧」と言われる「僧」がいただけない。
死んだ後に出てくる僧はいらないように思う。

やはり、生きている人たちが求めているのは、いかに生きるか、いかに死んでいくか。
この答えを求めているのだ。
これにぴったしの道元の教えが書かれていた、 「無常を感ぜよ。死を思え、死を見よ、そうすれば一日一日がたいせつになる」これなのだ。

日本の現代人に一番不足している、「死を意識する」「死を自分のものとする」
すっかり、他人事なのである。
残念ながら、死生観はだれも教えてはくれないのである。

この本を読んで、仏教には全く無縁でなかったことがわかった。
それはほんの少しの知識が私の過去読んだ本など載っていたことで少し安心をした。
何も全ての経本を紐解く必要はないように思える。

少し紐解いた経本に感性を働かせ、「死ぬために生きる」教えをもらえるかどうか。
この本を読んでそんな気がした。
それは、私の場合、「般若心経」であり。「白骨の御文」なのかもしれない。

これらを、復唱することで、功徳をもらう。
それももらうために復唱するのではなく、自然に功徳をもらう。
時間に追われながら生きる自分を静かに見つめる、瞑想の時間を持ちたいと思ったのだ。
しかし、過去何度もチャレンジしながら継続できていないことなのである。

おわりに、この本で拾った一番良いフレーズを書き出して終わりたい。
「自分と周囲との関係は固定的なものではない。自分も相手や環境も一刻としてとどまることを知らず、 絶えず変化の過程にあり、きのう仲がよかったからといってあすも仲がいいとはかぎらない。 お互いの交わり方次第で仲よくもなれば嫌いにもなるようなものだ」
このフレーズを読みながら、わが単身生活の夫婦関係にぴったしだと思っているのです。


重松清著

『ニッポンの単身赴任』


筆者の作品は、「定年ゴジラ」ともう一冊読んだ記憶があるが忘れてしまった。
3冊めである。
ずばり、私の現在の状態なので、関心があり、すぐに買ったのだ。

単身赴任10年目も終わろうとしている私は、転勤を何度もしている。
家族を引き連れて、4度の引越しも体験した。
その度に単身赴任はというと、まったく「家族といっしょ」ということしか考えていなかった。

これは「まえがき」にあるように、筆者のおやじさんと同じ考えだった。
「父にも母にも単身赴任という発想は端からなく、おかげでぼくや妹は何度も学校を転校する はめになったのだが、とにかく我が家にとっては『家族といっしょ』というのが最大にして 唯一の幸せの尺度だった」
転校ばかりしたことで、わが息子はいまだに言う「変わりたくなかった」と。

この本には、12人プラス上海寄り道3人、計15人の単身赴任の主人公が登場する。
チャプタの始めに、単身赴任データとして、次のようなものがる。
期間、赴任先、住居形態・間取り、家賃、赴任手当、帰宅費の支給等。
赴任先には、北海道、海外、島・・・、わが身と比較しながら、私はなんと恵まれていることかと 思ってしまう。

わたしが一番気になったのは、やはり「小指」というか「性の処理」の話である。
そのあたりは、筆者も心得ているのか最後の12話で、2名の仮名の人物を登場させて くれている。
その中にこんなフレーズがあったので、抜粋しおこう、 「5年におよぶ単身赴任生活をまっとうした某氏は、こんなことを言っている。 『単身赴任を乗り切れるかどうかは、性的な問題がいちばん大きいんです。 最も大事なのは、オナニーで満足できるかどうか。それができれば、単身赴任の日々も 乗り切れるんです』」

さらにきれいな形で筆者が書いたフレーズを載せておこう。「オナニーを拡大解釈して『一人で生きること』 と言い換えてみようか。仲間を見つけること、離ればなれになった家族との絆をつなぐこと、趣味を 愉しむこと、女性に恋をすること、仕事に励むこと、縁のなかった土地にしっかりと生活すること」

わたしに照らしてみると、女性に関しては、3年目の頃に、危ない時期があったが最近はとんとない。
これは姿かたちの急激な変化によるものだろうか、気持ちは変わらないのだが相手にしてくれないのだ。
ここ4年は、趣味のおかげで、愉しく単身生活を送っている。

まえがきに田辺製薬の面白い調査報告が紹介されている。
「単身赴任生活を漢字一文字であらわしてください」というもの、その言葉をキーワードにいれておいた。
もし私が、答えるとしたら、「楽」「寂」か、みなさんならいかがだろう。

おわりに、わたしの単身赴任生活にもどってみれば、やはり10年は長い。
定年もあと3年4カ月と近づいてきた。
どうもこのまま行きそうである。



諸富祥彦著

『生きていくことの意味』


筆者の本は、その昔読んだ記憶だけがある。
どんな本でどんな内容だったか定かではない。
人生の秋を迎え、生きてきたこと、これから生きていくために、迷い道にある自分を 見定めるために買ってみた。

いわゆる心理学の本である。
迷ったり、道がよく見えないときどうもこの手の本に手が行く。
ある意味、もうすぐ還暦を迎えるおじさんのこころの中を分析したいようだ。

と言って題名にある「生きていくことの意味」がすぐに見つけられるとは思わない。
何に迷っているのか、自分自身に素直になってそれを見つけれれたらと思っている。
それによって、自分は何なのかもわかればと思うのだが。

死に向かって、生きる。
人生にはいろいろな壁があり、人間は悩む、悩みすぎて精神的にまいった時、 そんな時のこころの持ち方を、いろいろな精神学者の手法を紹介して解決策をアドバイス してくれているのだ。
この筆者のベースには「トランスパーソナル心理学」がある。

過去を振り返ってみると精神心理学と言えば、フロイトを思い浮かべる。
夢見(深層心理)で心理分析ということしか憶えていない。
そしてもう一人あげればユングだろうか、ユングは「無意識」、そしてその流れをくむ 「河合隼雄」氏だろうか。

この「トランスパーソナル」とは、”個を超えたつながり”を説く心理学なのだ。
「つながり」とは、「みずからの心や魂とのつながり。思想信条や性差・人種の違い
などを越えた人と人とのつながり。・・・その一部として含むこの宇宙そのものとのつながり。
人間を越えた大いなるものとのつながり」を言うそうだ。

心の病を解決するにも、二つの立場があるらしい。
因果論的アプローチ(原因を過去に求める)と目的論的、現象学的アプローチ(心の病には意味があり 起こるべくして起こっている)というものらしい。
「トランスパーソナル心理学」は後者なのだ。

9つのヒントの中には5人の方のいろいろな心の悩み解決法がわかりやすく解説されている。
ヴィクトール・フランクル、ケン・ウィルバー、カール・ロジャース、アーノルド・ミンディ。
そして「キューブラ・ロス」、知っているのは最後の方だけで、ごく最近その方の著書 、「ライフ・レッスン」を読んだばかりである。

なんだかんだと書きましたが、一番ほっとしたのは次のフレーズである。
「人間の心にはいくつになっても〜できない、治ったり改善されたりしない
”どうしようもない欠陥”がある」これなのだ。

そして、終わりに二つのフレーズを引き出しておきたい。
「辛くなったら弱音を吐こう」
「逆境こそが学びのチャンス」いかがだろう。



吉村昭著

『海の祭礼』


江戸時代の人物、開国前の人物、そして明治時代の人物。
どちらかというと、歴史の裏舞台で活躍した素晴らしい人物を題材にする、吉村昭先生は、大好きである。
この本は、前から読みたいと思っていたが、なぜか躊躇っていた。

なぜか、歴史小説に目が、気がなかなかいかなくなったのだ。
生き方とか芸術論が気になっているからだ。
年をとったせいかもしれない。

今年は、現実的なところに目が向いているのだ。
読んできた本を整理すればよくわかる。
単に今週は、どうしても読みたい気持ちが動いたということである。

読み始めると、歴史小説は面白い。
だから、少々分厚くてもなんのその・・・。
どんどんページが進むのである。

白人とインディアンの混血である主人公は、独立国アメリカで人種差別を受けながら、 ペリー来航5年も前に、日本に来日したいという強い願望を持っていたのだ。
彼は、願望・夢を実現させるため、白人の父の強い反対にも関わらず、船員の仕事について 着々と進めていく。
そして、日本近海で捕鯨する船に乗り込み、鎖国をする日本に単独で乗り込むのだ。

いくら強い意志があるからと言っても、夢実現のために無謀と思える行動には、 危険を起こさず石橋を渡っていく凡人には十分に読み応えがある小説なのだ。
この時代、鎖国をやめ開国に向け大きなうねりが起こる前だったことが、彼を呼び寄せたのだろう。
彼の礼儀正しさや、アメリカ開拓民にない温厚な性格と強固な意志が、この時代の日本に受け入れられた。

アメリカ語を学びたいと思っていたオランダ通詞森山との出会いもこれも劇的なことである。
大きな危険を冒してまで、日本に行きたいと思う主人公に天は味方したのである。
チャレンジすることの素晴らしさをこの小説から教えてもらった。

とはいえ、こんな大冒険は私にはできないが、チャレンジの厳しさには挑む心持・情熱もさることながら、 その時代、飛び込む環境も大切なのだ。
変化の時代に生きた人物の生き方に大いに刺激を受けた。
そして、いつもながら見事にその情景が浮かぶ小説の描写に吉村作品凄さに感銘を受けたのだ。



E・キューブラー・ロス
D・ケスラー著

『ライフ・レッスン』


E・キューブラー・ロス、彼女の本は初めてではない。
「死の瞬間」を読んで、もうかなりの年数が過ぎてしまった。
この本を読んでから、立花隆の「臨死体験」という上下巻の分厚い本を読んだ記憶が残っている。

今回の本は、筆者たちが、数多くの死を迎えようとする人たちの臨終前に立会い、 得た多くのレッスンをまとめたものなのだ。
人間は生きているときは、生についてあまり意識しない。
「生がもっともはっきりみえるのは、死の淵に追いやられたそのときだからだ」ということなのだ。

筆者たちは、死の淵にいる主人公たちから、「生きる」ことに大切なことは何かを、人それぞれから 教えを受け残して、この本にそのメッセージを生きるための教訓として遺しているのだ。
そのメッセージのキーワードは、チャプタにあるように14ワードである。
だが、人は生きている間に何が自分に足らなかったのかは、 この本を読むとむつかしいことがわかる。

最終メッセージの中に次のようなフレーズがある。
「自分が課せられたレッスンを知ることは、かならずしも容易ではない。 ・・・自分がどんなレッスンを学んだらいいのか、それさえわからないことが多いのだ」
忙しく時間に追われて生きている現代人には、なおさら容易ではないだろう。

果たして、私には生きている間に、何が足らないレッスンなのかわかるのだろうか。
それとも、死の淵でわかるのだろうか。
少なくとも、レッスンの入り口には入れたように思える。

読後に思ったいま私に不足するキーワードは、「怒り」「恐れ」のようである。
この2つのチャプタをもう一度読みたい。
いや何度も読みたい。

なぜか、すべてのチャプタには、多くの死の淵で「生」の大切さを感じた人たちの 生の声があるからだ。



竹内久美子著

『遺伝子が解く!女の唇のひみつ』


竹内久美子氏の作品は、「シンメトリーな男」「小さな悪魔の背中の窪」「男と女の進化論」 「遺伝子が解く!男の指のひみつ」
とりあえず、5冊目になる。
私の場合、動物行動学的に言うと、 書店に寄って、著者の本が文庫で出てると即購入してしまう性癖がある。

キーワードは、やはり「性」であろうか。
どうも間違いない。
いつもながら、俗説解明のため、仮説をたてながら、動物行動学的に過去の 偉大な?研究者の研究発表などを取り混ぜ、核心にせまる見事さには感心してしまう。

思わずなるほどと納得してしまうのだ。
正しいかどうかそれを確かめる術はしらない。
しかーし、読み終えるとそれなりに知ったかぶりをしている自分がいる。

と言っても、「性」の話である。
だれかれに話すわけでもない。
飲んだ席での、同属の男どもへの話題提供ということになるのだ。

結構これで話が弾むのだ。
話すと、むっつり・・・、明るい・・・、陰気な・・・、陽気な・・・。
いろいろいらっしゃるが、それなりに場はもつのであります。

今回の質問の中で特に気になったのは「エッチな妄想とくしゃみ」「鼻にピアス、ペニスに真珠」
いささか泉は枯れつつあるが、興味はつきない「性」、やはりまだまだ妄想、迷想は男である 以上、回数は少なくなったもののあるものだ。 読みながら、エッチな妄想をするとくしゃみがでる。

会社でよくくしゃみが出るから、やはり決定的な妄想人間のようである。
この説は、人にはあまりしゃべられないわい。

次に「鼻にピアス、ペニスに真珠」男としてというより、巷に溢れるピアス人間に疑問を持ちながら、 話が男根まで及ぶこの手の話は大好きなのです。
ここでは、「ペニス文化史」というのからペニスへのいろいろなピアスが紹介されている。
プリンス・アルバート型、アムファラン型、アパドラヴヤ型、ディドウズ型、 図まで示されている。

男どもの女性を喜ばすための涙ぐましい努力と申しましょうか、考えただけ、絵を見ただけで アレも何もかも萎縮してしまうのは、私だけですかね。
これらはすべて「痛さに耐え、男として免疫力の強さを女性にアピール」し、 俺の遺伝子はいいぞというわけなのでありまする。
でも、わたしが一番気になったのは、女性がへそだけでなくあの部分に ピアスをするのはなぜかここが知りたかったのでありんすよ。
そこまでは言及されてません、ざんねん。

もうひとつ「小顔・小アゴ・プルプル唇」これは男としてやはり気になる。
解説によると、「『ああいいなあ』と思う女の魅力。それらはすべて、免疫力や生殖能力の高さの現れ」らしい。
つまり、男としていい遺伝子を残すために最も重視しなければならない事項なのだ。
まあそうは言われても、並みの男が並み以上の女をもとめようなんてことが可笑しいのでありますがね。

おわりに、わがメル友は、まだ筆者の新作を読破中とか。
題名、内容はわかりませんがね。
読破後の、感想ポイントを知りたいものであります、ワクワクしまするよ。



佐藤愛子著

『私の遺言』


佐藤愛子さんの本は何冊目だろうか。
北海道にどういうわけか別宅を建て、その家に不可思議なことが起きることまでは 知っていた、というよりエッセイで読んでいた。
「霊」が見えない私は、ただ不思議なことを面白おかしく読んでいただけだった。

それが、この本を読んで霊現象の凄まじさを知ることになった。
そういった現象に無頓着で、死後の世界を信じない人には、ただ飽きれ返る ようなわからない世界としか思いようがない光景ばかりである。
ただ、私にとってはとても意味深く、死後の世界を教えてもらった本になった。

佐藤愛子氏宅に霊現象を起こす主の招霊のため、「霊が下す」「霊が降りる」ところが詳述されている。
心霊のメディア・表の世界ではあまり名も出てこない、偉大な方、 −大西弘泰氏、榎本幸七氏、寺坂多枝子女史、鶴田光敏医師、相曽誠治氏、中川昌蔵氏 −がいてその教会−日本心霊科学教会−もあることがわかる。
書かれていることが、あの世の正しい世界なのかは、筆者同様わからない。

死後の世界・私たちの知らない世界を教えてくれる人がいるわけではなく、
また、宗教もその役割を果してはくれない。
そろそろと思いつつも何に頼ればいいのかわからない自分にとって、 ひとつの道筋を示してくれる本だったように思う。

私はこの本の、 最終章の「死後の世界」を読んで、あの世のこと以上に、 60歳を前に、いま現在をどう生きるかの大切さを教えてもらった。
その大切なフレーズを書き出してみよう。
「人が死ぬと肉体がなくなり、それに従って欲望も消えてしまえば魂は浄化される。
だが、生前の欲望や情念を意識にこびりつかせて死んだ人の魂は、
その意識のために浄化されずにいわゆる『成仏しない』といわれる状態でさまよわなければならない。
だから、我々凡俗が老後しなければならないことは、
欲望や情念を涸らせることであろう」

一方で、こんなフレーズも気になった。
「女好き、性の欲望の強さゆえに覇者になっていく人もいる。
芸術は必ずしも清浄な心から生まれるものではない」

そして、「欲望を制禦すること、欲望との闘いを忘れないことだ。
自省しながら欲望に負けて行くのと、唯々諾々と欲望に身を委せるのとは違う」
やはり行くつくところは、仏教で言うところの「少欲知足」ではなかろうか。



対話者:梅原猛
稲盛和夫

『新しい哲学を語る』


道徳、思想、良心、どの言葉ももう過去のものとなっている現在の日本。
道徳は、終戦後からすっかり忘れ去られ、思想は私がかつて高校時代にあった安保闘争以降東西冷戦終結と 同時に消え去った。
良心にいたっては「かけら」さえもみえなくなりつつある。

これらの言葉をキーワードに二人の対話が展開されるのだ。
土屋賢二の「棚から哲学」ほど面白く哲学?を学ぶような感じではない。
人間の良心に訴え、「人間とはなんぞや」という原点に返り、人間の生き方を考えさせてくれる対談なのだ。

良心とは、
「人間の利己を抑制し、正しいことを正しいままに貫かせてくれるものなのである」
なのだが、自由をはきちがえ、利己のおもむくままに気ままに生きている私を含めた 現代人にとって欲望を抑制するにはあまりにも誘惑の多い国・現代と言わざる終えない。

過去、稲盛氏の作品は「経営の実学」「いかにして自分の夢を実現するか」
梅原氏の作品は「歎異抄入門」「梅原猛の授業仏教」などを読んできた。
何か、人生が隘路に入ってしまい、進むに進めない状態の時、読んだ記憶がある。

21世紀、経済的に満たされた日本人は「こころの豊かさ」を求めると言われている。
しかし、諸外国、特にアメリカの言うがままに動く日本、自律しない日本という国家に 果たしてこのような新世紀となるかはなはだ疑問である。
こころの豊かさは、せかせかと時間に追われる生活から脱け出せない日本人、他国・ 人に左右される日本人には、全く縁遠い言葉のように思えるのだ。

まえがきは、稲盛氏が受け持ち、現代の混乱する日本の問題を書きながら、「良心」の必要性を 訴えている。
あとがきは、梅原氏が稲盛氏との有意義な対談の結果を書き、「哲学の創造」と「道徳の創造」願う、 言葉で結ばれている。
一神教より日本に根付く多神教をこそ、現代の戦争ばかりする世界や汚れ放題の環境にやさしい宗教であると 力強く説く梅原氏、さらに77歳から二十年来の構想、「哲学の創造」を実現しようとする力、 さらに「因縁の楔を切る・・・どこかで核兵器が使われて、人類の半分が死んでしまう・・・・ そうなる前にいまの流れを変えたい。そのための思想をつくりたいのが、いまの私の願いです。 、できればあと50年、・・・せめて25年かけて、百歳ごろまでに・・・」このエネルギー に感銘を覚えてしまうのでした。

おわりに、この本には、多くのいいキーワード・フレーズが光りながらちりばめられている。
長々と感想を書くより、 ちょっと、いいフレーズを書き出しておこう思う。
「働く目的は心を磨き人間性を高めること」

「人間は自らの利益を追求するという『自利』の精神ももたなくては生き残ってはいけません。 つまり、人間社会は『自利』と『利他』のバランスでなりたっている」
「環境破壊を止めるには、生きとし生けるものは本来平等で、人間だけ特別なものではないという 哲学が必要です」
いかがだろう、忘れかけていた何ともいえぬいいフレーズに酔っている自分がいるのだった。



関岡英之著

『拒否できない日本』


題名だけを見ると、石原慎太郎著「NOといえる日本」を思い出す。
この本は、インターネット「ザクザク」に「ナゼ読めない…『アマゾン』で1年超も品切れの本 米が日本に提出する『年次要望書』の存在を暴く 」の記事が出たことで関心をもったのだ。
まあこの調子だと、一般書店にも売られてないだろうと思っていた。

ところが、意に反し近所の書店ですぐ手に入ったのである。
まあ現在の日本が、自ら道を切り開いているとは、政府主導でビジョンに向かって進んでいるとは思えない。
21世紀に入って、これからさきどんな日本・社会にしたいのか、どうみてもこのビジョンが描けている ようにはみえないのだ。

経済成長が順調に伸び、その後10年以上停滞し、さらにいまだ長いデフレから脱却できない状況が続いている。
自らの考えでどう切り抜けるのか。
なかなか道筋がみえない中、一見郵政改革だけのための選挙で、自民党が大勝し、原油高ににもかかわらず 思わぬ株高が続き、政府主導で改革の効果がやっと見え始めたと、凡人は思っていた。

そんなタイミングでのこの本は、あとがきにもあるように、
「いまの日本はどこか異常である。自分たちの国をどうするのか、自分の頭で自律的に考えようとする意欲 を衰えさせる病がどこかで深く潜行している」
とあるのだ、まあ思うにリーダーシップが取れないのなら、それもよしと思うのだが、 やはり操られ人形政治が、私たちが本当に求めている社会に近づいているのなら問題ないのだと、かって に納得している。

早速、百聞は一見に如かずではないが、実物のものをと、 「年次改革要望書」をキーワードにインターネットで検索してみた。
なかなか長文で、内容は誉めたりすかしたりして、日本国さんよう頑張とるがもっと 市場を開放して自由主義経済を作りましょう。
そうすれば、市場原理が働き、アメリカのような自由主義社会ができあがりますよというものなのだ。

提言の概要には、「電気通信」に始まり「流通」まで、
11分野に及ぶものなのだ。
まあそれなりにいいように見える反面、これはアメリカがロンヤス時代からの日本改造シナリオで 毎年着実に要望して、その改造状況をチェックしながら、単に国益を追求しているだけだと筆者はいう。

思えば江戸時代から明治時代に入ったとき、不平等条約が結ばれ、解消されるまでに 日本国は相当苦労した。
アメリカの言うなり?の改革をやっていく。
いずれにしても、その改革が日本にとって本当にいいことなのか、求める社会なのか、 行政は自らの頭で十分に吟味すべきなのだ。

わたしたち凡人は、この改革がいいこととして認められるなら、次の選挙でも自民党を選択するかもしれない。
そうでなければ、民主党に鞍替えするかもわからない。
それは、国民が本当に賢いかにかかっているように思えてしまう。

まだ、自民党安定多数に酔い、それを選択した選挙民は、
是非一度この選択でよかったのか、これからの政治をじっくり検証するためにも一読すべき書である。


鷲田小彌太著

『「やりたい」ことがわからない人たちへ』


若い人の間で、「やりたいことがわからないひと」が増えているという。
もうそんな年をはるかに過ぎた私がなぜこの本を買ったのか。
それは、セカンドライフが近づき、我ら団塊世代が仕事を離れて「やりたこととが わからない」これに対してのヒントを探したいのである。

まあ仕事に関しては、なんだかんだいろいろあったが、あと3年半どうにか 同じ場所で仕事させてもらえそうである。
つぎの人をいかに育成するかが、わたしの仕事である。
いい人が私のそばに来てくれたと感謝している。

セカンドライフにおいても、「やりたいこと」というキーワードは 全く同じなのである。
ただ違うことは、成果の評価とか、金がもらえるとか、昇進とか、 すべて上司がやっていたことが、地域、サークルで生きるのは、 たいていの場合、女性がからんでくることが多いのだ。
そういったことからも、好きなことでないとサークルの中では 長続きしないのである。

この本の中で、三つのキーワードをもらった。
「継続・持続」「足下」「変化」
一番は何と言っても「続かないと」なんの意味もないのである。

その点で、趣味とかは続けられることが前提なのだ。
続けられるためには、最低限、思い出さなければならないことは、 少年時代に何が好きだったのか。
これがきっかけになる、いま自分がその選択ができ、いい具合に続いている。

いろいろチャレンジしてきて、見つけられた。
見つけ、一歩を踏み出す。
この踏み出しは、かなりしんどかった。

続けていれば、なんどか壁に当たる。
かなり当たりながらもなんとか進めた。
やはり好きなことなのか。

まだ4年目なのだから・・・これからである。
「変化」そうこの今の私の趣味には、常にこれが 付きまとう。
でも、自分のものを創りたいのだあ。

これは、「読み感」ではないね、自分のやりたいことを 確認したかったことの感想を、この本の感想が後押しをしてくれたのだ。
ありがとういい本との出会い。



ダン・ブラウン著

『ダ・ヴィンチ・コード(下)』


父の日にプレゼントされた本がやっと読みきれた。
読み始めてある程度のスピードに乗らないとなかなか単行本は力が要るのだ。
ミステリーのベスト10に入るぐらいだから、面白いのは間違いない。

下巻は、フランス警察に追われながら、イギリス人の宗教学者の自宅での「聖杯」巡る 三人−ソフィー、ラングドン、ティービング−の会話から始まる。
テレビのサスペンスドラマに見慣れている人にとっては、ここらあたりで真犯人が正体を出し、 と思いながら読み進めると、二転三転の展開に惑わされてしまうのだ。
答えを書くと面白くないので、「謎の導師」が誰かがキーになるとだけ書いておこう。

下巻で場面は、中心人物たちが謎解きに、イギリスロンドンへと向うことになる。
暗号の中にあるナイトは誰か?
この答えも伏せておこう。

そして、神の子されるイエスの意外な事実を知ることになる。 最も、ほとんどの人間が信仰する宗教を持たない日本人にとっては、 仏教などの宗教家と同じ扱いに考えるからさほど驚きはしないだろうが・・・・・。

推理小説の内容には全く関係ないことだが、 イギリスの場面の中に、セントジェイムスパーク、ウェストミンスター寺院、
バッキンガム宮殿、さらにビッグベンと、
35年前かの地を訪れたことを懐かしく思い出すことができた。

殺された「ソニエールの詩」から最終結末は、死んでいたはずなのにという展開がある。
まあいずれにしてもキリスト「聖杯伝説」をネタに取り入れ、
シオン修道会とオプスデイというカトリックの宗教組織をからませ、さらに伝説の「キーストーン」 を登場させ、謎多きストーリーの展開は、読み手を最後まで場面にくぎ付けさせるに十分である。

終わりになったが、本を選んでくれた娘、買ってくれた息子に大いに感謝したい。
感謝しながらここで来年の注文をしたい。
本好きとは言っても、「おやじどんな本欲しい」と是非聞いて欲しいのだ。
2千円程度の本を指定するのでよろしくお願いしたい。



藤原てい著

『流れる星は生きている』


陶芸講座の先輩に山好きの人がいる。
その人に第二の人生について、お話を聞かせていただいたことがある。
お話を聞かせてもらう前に、たまたま山登りの本などを描いている新田次郎作品を読んでいた。

当然、本の話も話題になり、新田次郎も話題になった。
この先輩が、「『藤原てい』さんという人を知ってるか」という。
「新田次郎さんの奥さんで、敗戦後、命からがら中国から逃げ延びた話を本にしている」
さらに加えて「『涙なくして読めない』是非一度読んでみたら」と紹介してくれたのだ。

この話は、半年前の話なのだが、実はずっと読みたくてその本を探していた。
余りにも古くて(昭和24年5月発行)、書店には売られてなかったのだが、 インターネットで見つけ買うことができたのだ。
やっと読むことができた。
前置きが長くなった。

この本が発行されたときに生まれ落ちた私にとって、生れた時から小学校にあがるまでの 生活は確かにかなり貧しい生活のようであったと記憶に残っている。
といって、飯が食べられないとか、喘息とかの病に罹っても死が意識されるほどの ことはなかった。
この本の内容は最初から最後まで、死と直面した話ばかりである。

生きるために逃げる、生きるためにどんな商売でもする、生きるためにはこどもをしかりとばす。
飽食の時代に生きている私も含めた日本人にとっては、想像できないことばかりである。
かつてクウェートを占領したイラクを攻撃した連合軍の映像をCNNテレビでまるで映画の話のような 感じで見ていたことを思い出してしまった。

はっきり言って実感がわかないのである。
自分の痛みとして感じられないのである。
それだけ過去の時空間はあまりにも過ぎ去ってしまった。

と言って決して忘れてはいけないことなのだ。
かつてなんだかんだいろいろ言っても他国を侵略していたのだ。
にもかかわらず、朝鮮の人たちの暖かい手がどこかしこに差し伸べられ、 逃げ延びようとする日本人の協同生活ぶりとの対比が実に鮮明に描かれているのだ。
人の醜さ、金に対する執念、自分たちだけがというそんなみえみえの見栄・エゴ、 死に直面したときの「人が生きる」とは何かを教えてもらえるには、十分すぎる教書といえる。

本を紹介してもらい、さらに捜し求めて、読んでほんとうによかったと思う。



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