寂聴相談室 『人生道しるべ』 と言って、今は何かあるかというと特別そういったものはない。 どちらかと言えば、読む本に迷って手にとったというところだ。 時折、人は「まえがき」にある通り、こんなことを思うことがある。 「何か苦しいことにあう度、どうして自分だけがこんなめにあうのかと、運命を呪い、他を憎みます」 ただ自分にはここで書かれている渇愛にはまったく縁がないようではある。 異性に対する単なる助べえごころはいつもあるようだが・・・・。 この本の題名通り、多くの人は人生に迷ったとき、人生の達人に進むべき道を聞きたくなるのだ。 不倫、家庭内暴力、借金、いじめ、新興宗教、 自殺、病苦、愛するものとの別れ。 私の人生を振り返ったとき、それなりの苦は体験してきたが、「人生の達人」に 多くを相談することもなくそれなりに生きてこられた。 その分、家人に負担をかけてしまっていたかもしれない。 そこを反省しながら、いま読んでいるのだ。 「人間は幸福になるために生れたきたつもりなのに、実際生きてみると、 この世は楽しい嬉しいことより、はるかに苦しいこと、辛いことの方がずっと多いのです」 のフレーズを読んでいま思うと、人生いろいろあったが、周りにいる人のおかげで、 何となくすんで来たように思う。 これから先、まだまだ「多苦」があるかもしれないが、先の苦を考えてもつまらないので、 考えないことにしている。 さらに、まえがきを読み進めてわかったことがある、苦のポイントは、 「それらの苦は決して自分の他に存在するのではなく、すべては自分の肉体と心が造り 出していることに私たちは気づきません」このフレーズだと確信できた。 つまり、運命を呪っても、他を憎んでもしょうがないのである。 自分のこころの持ち方次第なのだということなのだ。 この本の中では、100ケースの苦を4つ− 「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」−に分けて、 寂聴さんが進むべき道を指し示しているのだ。 読まれる人、読みたい人が、どんな苦に立ち往生しているか。 人生いろいろである。 「人生いろいろ」に対するいろいろな助言は、自分に関係なくても関係あってもいろいろ大切な言葉が 含まれている。 それを私なりに簡単なキ−ワードで書いてみると。 「変な宗教につけこまれない」「過去を悔やまない」「時が解決する」「自分の気持ちに素直に」になるのだが。 そして、最後に次のフレーズを書きとどめておきたい。 「人を怨み憎むのも、欲しいものが手に入らないのも、執着というものからおこります。 執着心をちょっと放してやれば、目から鱗が落ちたように、ことの正体がはっきりみえてきます。 人間は苦しみの経験に洗われ、磨かれて、次第に心を成長させ、豊かな人間に育っていくのです。 他を思いやる心こそ想像力であり、想像力こそ愛なのです」いかがでしょうか。 わたしは、これからも「想像力を鍛えている」自分でいたいものである。 |
山中静夫氏の尊厳死 肺癌の宣告を受け、病院を転院してまで自分の思い通りに死にたいと思う患者と、その死を 看取る医者との話なのだ。 日常生活の中から「死」を遠ざけて久しい現代社会と、忙しげに働き「死」を意識しない 人間たちへの忠告の小説でもある。 あとがきに−心身ともに危機的な日々をなんとか生きのびて、自分の仕事場がいかに危険な場所であったのかを 、机の上であらためて確認している作品なのだ−とこうあった。 つまりこの書を書いた当時、筆者は精神的に危ない状態−うつ状態−だった。 それは、この小説の主人公である医者が、一方の主人公である患者とのやりとりを重ね、やがて患者が死を迎え、 それと同時に医者自身が病に罹ってしまう設定になっているのだ。 実は、過去読んだ筆者の作品−「臆病な医者」−で、すでに私は知っていた。 その時は、お医者さんでも「うつ病」になるのだと思いながら読んでいた。 そして、その本を読んでからかなりの年数がたったが、 その原点となる小説に行き当たったということになる。 私自身、三つの死を知っている。 それは、自宅での祖父の死、父の大学病院での死、そして病院での母の死。 やはり、母の死が一番身近に感じられる。 長年の病身な体、そして死ぬまでの8年という寝たきりの闘病生活から迎えた「死」であったからだ。 この小説の主人公の患者の死に方とはほど遠い死に方をした母。 母からは、どんな形であれ、「生ききる」ということを学んだような気がする。 人は死に方を選べないと思っていた。 でも、この患者は自分の墓まで作って、家族の反対を押し切って「尊厳死」選んだのだ。 この小説から、3つのことが印象に残っている。 まずひとつは、主人公の医者が「歎異抄の一説、悪人正機」を読み感動する。 その余韻を残しながら、「自力作善の人」と声を出してナースセンターに入り、患者の心電図のモニターを眺めながら、 やがて病室へと向い、 静かに家族に看取られながら臨終を迎える患者のシーンである。 ふたつめは、「死んだ人たちの霊は山の奥で生き続けているのだと祖母は言った。神社の中には 鉄でできた鏡があり、そこに森の中の霊がすべて映るから、村人はみな神社に参ることによって 先祖の霊と交換し合えるのだという意味の話を今井は祖母から何度となく聞かされていた」 そんな死生観しか持っていなかった主人公の医者が、自分の死に方を貫く患者に感化され、 ただ事務的に「死」をこなしてきた自分の死生観を変えていくところである。 もうひとつは、癌を宣告された患者が自分の墓の場所を決め、寝たきりになるまでに墓を自分で作りあげ たことである。 最後に、気になったのは、「痛くないように楽に死にたい」そのように患者は死んだが、その死に方で よかったかどうかはわからないところである。 |
『歎異抄』入門 5年程前、仏教をわかりやすく解説していた「ひろさちや作品」に凝っていたので読んだのだ。 すっかり忘れている。 憶えているのは、とにかく極楽浄土へ行きたいなら、念仏を唱えればいいということと、 「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」これである。 まずはお恥ずかしい話だが、本の名(たんにしょう)読みがわからない、忘れている。 さらに、この教本の話はよく出てくるのだが、そのたびに思い出せないのである。 わたしは、いつも読みはどうだったか、インターネット検索で思い出しながら、「おお」という感じであり、 不信心きわまりないのだ。 読み始めた時も、さらに何度となく読んだことも筆者に比較し、大いなる凡夫であることと、宗教心の なさを感じるのである。 それこそ「末法時代の権化」かもしれない。 どうせ「ひろさちや著の解説文」を読んだ時はいい加減に頷いていたのだろうと思われる。 この本で、浄土教についていくつか知ったり、教えられたり、うらやましく思ったりしたことを書いてみたい。 まずは、なぜ、「歎異」というのかである。 「親鸞が死んで三十年、親鸞の教えはあちこちに広がったけれども、それと共に、 親鸞の教えを間違って捉える人が大勢出てきた。この異を歎き、信仰を師が 唱えたような元の姿に戻そう」ということで、 唯円という弟子によって書かれた本なのだ。 ついでに唯円という僧も始めて知ったのである。 次に、そもそも浄土教の流れは、法然、親鸞、唯円ということらしい。 40歳以上の年の差で出会ったこの三人に運命的な不思議さがある。 日本に仏教を定着させるために生れてきたような人たちである。 次にうらやましい余談な話なのだが、それは親鸞が聖徳太子ゆかりの地、六角堂に篭もったときの話である。 救世観音が夢に現れ、次のように親鸞に語ったという。 「もしおまえが前世からの宿報によってどうしても女体なしに生きていけないならば、 私が玉のような美しい女身となって、おまえに犯されてやろう。そして、一生おまえの人生を荘厳に飾って、 おまえが死ぬときに引導を渡して、極楽に往生させてやろうと」いうことなのだが、 浅学非才で老いても性欲だけが残る私には現れるものではないが、なんともうらやましい限りである。 本論の「歎異抄」についてだが、法然,親鸞と続く教えを説いた18条からなる簡潔なものである。 六章に筆者による現代語訳がつけられているが、特に煩悩が強く凡夫の私にとって 印象的なのは、第一条と第九条である。 その現代語訳を書き出してみよう、第一条、「阿弥陀さまの不可思議きわまる願いにたすけられてきっと 極楽往生することができると信じて、念仏したいという気がわれらの心に芽生え始めるとき、そのときすぐに、 かの阿弥陀仏は、この罪深いわれらを、あの輝かしき無限の光の中におさめとり、しっかり とわれらを離さないのであります。そのとき以来、われらの心は信心の喜びでいっぱいになり、 われらはそこから無限の信仰の利益を受けるのであります」 第九条、「本来念仏すれば、天に踊り地に踊りたくなるような喜びを感じるはずなのですが、 われらはそれを一向に喜ばない。しかし、喜ばないから、かえってわれら極楽往生は間違いないと思わなければ ならないのです。・・・また、早く浄土へ行こうという心がなく、ちょっと病気でもすると死ぬのじゃないかと 心細く思われることも煩悩のせいであります。・・・この苦しみに満ちた故郷が捨てかねて、まだ生れたことのない 安らかな浄土を恋しく思わない。・・・この世の寿命が尽きて、どうしようもなく死んでしまわなければ ならぬときになって、やっとあの世へ行くのが凡夫の常であります。こういうふうに、いつまでも この世に恋々とした思いで、急いで浄土へ行こうとする心がない人間を、仏はとりわけかわいそうに 思われるわけです」 「歎異抄」が私たちに教えるものは何なのだろうか。 死にあたっては、信心の心を一日も早く芽生えさせること、 その資格は善人・悪人に関係なくあるということなのだ。 決して、金がないといけないとか、地位がないといけないとか、男でないとかいけないとか、 人により差別するような宗教は似非であるということも教えているのではなかろうか。 果たして我のような凡夫に信心した念仏はできるだろうか?そう疑う心が妨げになるのだろう。 |
闇を裂く道 こんな作品があるとは全く知らなかった。 戦争ものに関する以外かなりの作品を読んだつもりでいた。 まだまだあるのだ。 分厚いと読みはじめに力が要る。 自分自身がその時代と場景に入っていかないと、面白くないし、読むスピードが止まってしまうのだ。 いつもながら読み応えがあった。 特定の主人公はいない。 その場面、その場面で主人公は変わる。 そもそもの書き始めのきっかけを知りたくなり、2つのチャプタを残して「あとがき」を読んだ。 「私が旧丹那トンネルという対象に創作意欲をいだいたのは、少年時代、両親、弟とともに、 列車で初めてそのトンネルに入った時の胸のときめきを忘れられないからである。・・・また、その トンネル工事の影響で、真上にある盆地の水が枯渇し、住民の抗議行動が起きたという新聞記事 を読んだ記憶もあって、その工事を社会とのつながりのもとにとらえられる、とも思ったのである」 なんて書いてある。 「虹の翼」と同じように少年時代の強い思い出は、何事をするにもその原動力になるような気が、 この年になってよく分かり始めた自分がいる。 「丹那トンネル」私の記憶はどうだろうか。 社会の教科書に出ていたような、日本で一番長い複線トンネル。 その程度のものなのである。 この作品の中心的な構成となる工事に携わるものたちの闘いがいくつかある。 もっとも大きなもの、それは、人間が自然と土と水と闘いながら、ひたすら掘り進んでいく。 一言で言うなら、それだけなのだが、その中には多くのドラマがある。 二度の大きな崩落と、北伊豆地震による生き埋め者の救出劇。 生死の分かれは、ほんのわずかな差である。 もともと危険な仕事であり、死と隣り合わせの仕事である。 でも、読むものにとっては、生死の境以上に運命的なものを感じてしまう。 二つめは、住民との闘いというか生活補償問題である。 何度となく一触即発状態が起き、警察が出動する場面となるが、あくまでも暴徒ではなく 陳情・請願者たちであるとの現場責任者の考え方を押し通す意志の強さで、 この危機を打開していく人間たちが描かれている。 生活を奪われた住民たちは悲壮であるが、文明の進歩を命題に 生きる人間の逞しさの中に人間を大切にする気持ちがその悲壮を救っている。 華々しい開発と完成の裏に隠された多くのドラマがあるのだ。 もう1つは、マスメディアとの闘いである。 多くの犠牲の上に成り立つ複線トンネル工事、開発の実態を世間に知らせ、開発当初から中止するべきだと論理 を展開し続ける「時事新報」などのメディア。 こんなメディアも北伊豆地震以降一転して工事促進の態度をとるようになった。 「鉄道省の反省すべきは反省し改革に熱意をもって取り組むという姿勢に共感し、 工事に対して好意的な記事をのせるようになったのである」粘り強い活動がメディアをも動かしたのだ。 闘いが大きければ大きいほどそこには多くの人間ドラマが生れる。 だから、貫通時のシーンは読み手に大きな感動を与えるのだ。 このシーン「錯覚か、と思った。がその個所がにわかにふるえはじめ、盛り上がると、 細いノミの先端が突き出た。斎藤の眼に、涙があふれた。ノミの光った先端が、岩粉を散らしながら 生き物のように回転している。探りノミは、ほとんど誤差もなくこちら側の切端 に突き出たのだ。坑夫たちの間から、かすれた声があがった。それは万歳という叫びだったが、 嗚咽しているため、ただ息をはいているような声であった」にジーンとこないものはいないだろう。 また、いい作品をありがとう吉村先生。 |
虹の翼 まただれもが夢の中で、自分自身が飛んでいる姿を一度はみたことだろう。 でも、空飛ぶ道具を作ってみようかなんてことは普通の人は思わない。 そんな夢の話を、ライト兄弟が飛ぶ12年も前に考え、模型作りまで成功させていた日本人がいたのである。 この本の中にこんなフレーズ−「発明はすべて夢想からはじまる」−がある。 夢を現実にするかどうかは、具体的に考え、実行することにあるようだ。 ただ、現実には、その夢に賛同協力してくれる人、投資してくれる人がいないと完成は不可能なのであると つくづく思った。 題名も、そんな夢の実現に相応しいタイトル−「虹の翼」−(新聞連載時:茜色の雲)になっており、 主人公の考えた「飛行器」がこの劇場の中で、人を乗せて飛んでいるように思えるから不思議である。 この本を最後まで興味深く読めた理由が、3つある。 それは、「楽しむ」「夢の実現」「少年時代の楽しみ」である。 いずれも大人になると忘れてしまう、キ−ワードなのだ。 なぜ興味深く読めたかというと、セカンドライフの生き方にもつながるように思えたからである。 一方、全く別の観点からこういう生き方もあるのだということ知ったことだ。 それは、いろいろな技術を習得し、いろいろな職業を体験しながら、すべてが彼の夢実現のためにあることなのだ。 食べるだけのために働くという、われわれ凡人と全く職業観が違うのである。 「あとがき」で「小学生時代、教科書の忠八の話に魅せられた感情が、50代も半ば近くなった 私を刺激し、それが筆を推し進める原動力になったようだ」とある。 少年時代の夢を叶えるため、主人公がひたすら努力・前進するこの物語は、読み手の私を最後まで刺激してやまなかった。 だから、余計に ライト兄弟に夢の実現を先に越されたシーンには、思わず無念の涙が滲んで止まらなかったのだ。 では、この辺でもう少し生き方という観点から、書いてみたい。 この小説は、主人公が河原で奇抜な新型式の凧を揚げているところから始まる。 少年時代から、人を喜ばせるために凧揚げにいろいろなアイデアを取り入れ現実化していくのだが、 発想と工夫されて作られたいろいろの凧の名−提灯・エイ・燕・蝉などの形、千石船、達磨、風船、風車、 チラシを撒く−を聞いただけでもワクワクさせられてしまう。 このわくわくこそが、セカンドライフで思い出したい少年のこころなのだと思う。 青年時代に入ると、時代背景は列強に伍してのし上がろうとする日本、そんな中で朝鮮半島上で清と 衝突し、日清戦争に入っていく。 軍人である主人公も、衛生隊として従軍し、朝鮮半島に上陸して活躍するのだが、 戦場で赤痢に罹り、死の世界をさ迷う体験をするのである。 この戦場の描写は、実に臨場感がある。 それ以上にこの青年・戦争時代は、飛行器の発明がモデル作りに発展するかどうかの場面だったのだ。 忠八は、ここがチャンスだと思い、参謀:長岡外史少佐に上申するのだが、見事に 「戦争でも終り帰国したら、個人の研究としてつづければよいではないか」と却下されるのだった。 上申時期が、日清戦争真っ只中の戦場であったことが、夢物語の始まりを遮ったようだ。 以後、二度に−大島少将「お前が実際に乗って空を飛ぶことができたら、その時に 話をきく」、外遊の経歴の持主・山口師団長−渡り上申するが、いずれも却下されてしまう。 そして、戦場を離れた彼の人生は、「飛行器作りの資金稼ぎのため」に大きく変わっていくのだ。 こんなところから、彼の職業の変遷ということに興味をひく。 彼が経験した職業・技術は、「凧作り」に始まり、 「写真術」「測量術」「簿記」「薬剤師」「漢学」「南画の技法」 と実に多彩である。 私たち団塊世代のサラリーマンのようにただ一つの組織に属し、ほとんどそこで一生を終えてしまうのとは 全く違うのである。 安定を求めすぎて、ある意味若い時代に自分が好きだと思うもの、いろいろな技術を、体験できない現代は 知識偏重になりすぎているのかもしれないようだ。 |
神々の沈黙 ちょうどいい具合に、「吉村昭」の作品が3冊みつかった。 吉村作品はかなり読んだと思っていたが、まだまだあるのだ。 まず最初の本は35年ほど前の作品で、ちょうど私が20歳の頃の実話である。 日本の主人公たちの医師「和田教授」、患者の「宮崎信夫」少年や南アフリカ共和国の医師バーナード教授 の名前だけが私の記憶の片隅から引き出された。 特に鮮烈に蘇ったのは、術後の宮崎少年が多くのフラッシュを浴びながら、 テレビのニュースに出ていたことだろうか。 その記憶を思い出しながら、この作品のテーマである人間が生きること、あるいは人間の死とは、あるいは医師の野心とその 限りなき挑戦の裏にあるものが何だったのか、筆者が意見を差し挟むことなくひたすら真実に基づいて 描かれたこの作品を読んだ。 心臓移植手術の大きな舞台は、3つある。 まずは、アメリカのニューヨーク市南東部、ブルックリンにあるマイモニディーズ病院、 そして、南アフリカ共和国のケープタウンにあるグルートスキュール病院、 もう一つは、日本の札幌にある札幌医科大学附属病院である。 それぞれの病院には、手術医師と、心臓に欠陥を抱えた心臓移植を待つ患者と、死の瀬戸際にある心臓提供者がいる。 またその周辺には、患者の生死を気遣う家族と、いち早く情報を流したいメディアがいる。 いつの時代も、隠していたい患者のプライバシーにメディアは、土足で踏み込んでくる。 その点でいうと、医師も野心に燃えて、心臓提供者の家族に「医学の進歩のために」と証して、 悲痛に嘆く家族に向ってやさしい言葉ながら土足で入る込んでくるのだ。 さらに医師は移植者の人間の生きようとする意欲を刺激しながら、 何が何でもこれしか生きる方法はないと説得する部分と、 手術に挑んで華々しく世界の舞台に躍り出た姿との対比が実に印象的である。 また死に直面して移植を受け生かされた患者にも、考えられないような 華々しいスポットライトがあてられる。 その一方で、物と化した心臓提供者の心臓のない遺体は、あまりにも物悲しく映ってしまうのだ。 筆者自身のテーマは、「死に対する意識」を心臓移植患者、心臓提供患者、手術医師、家族、それぞれの側から みた事実を描写することにあるが、特に患者の目から見た「人の死」の描写に力点がおかれているようだ。 事実をひたすら描き続ける筆者も、終わりに近い部分で、私見を述べているところがあり、 興味深く読んだ。 それは、こんな表現−かれらは、大胆にメスを対象物に突き立てる。期待に反して、患者は死体と化す。 しかし、外科医は手術をしなくとも患者が死を迎えることに変わりはなかったのだと自らに 言いきかせて、再び新たな対象物に立向う。やがて、かれらの前には累々とした死体が横たわる。・・・ 死体をふまえて新しい試みにメスをふるう外科医には、あきらかに一種の狂気に似たものが ひそんでいる。しかし医学の歴史は、たしかにそうした類の外科医の狂気によって急速に推進させられ てきた傾向のあることはたしかなのだ−である。 医学の進歩に連れて、新しい医術を確かめるため大いなる神々に目を瞑っていただき、医師は人間の 生死を越えて新しいチャレンジを試みる。 ほんの一昔「脳死」を死の判定とするかどうかで、臓器移植問題が話題となった。 一人の死で得た臓物を他人に移植する、その第1号から何号までがニュースに 取り上げられたのだろうか、メディアが大騒ぎしていたように思う。 最近では、「誕生」の問題でクローン問題が取り上げられ、不妊を理由に他人の腹を借りて子供を得ることが騒がれた。 さらに、生む前に正常な子を求めて、検査する方法についても話題になっている。 人はいつの時代も新しいことを求めながら、時には神の領域を侵しているようだ。 でも、まだまだ老いとか不死という領域には踏み込んでいないように思える。 つまり、人間として生まれた以上、いつかかならず死を迎えるということなのだ。 |
以下、無用のことながら 使っていない脳が疲れているようでもある。 本屋に出向いても、読みたい本がなかなか見つからないのだ。 価格のせいかもしれない。 いやどうも本屋に足を運ぶ、これ自体が億劫になっているようなのだ。 本について話をする機会がないのが寂しいからかもしれない。 本の題名「以下、無用のことながら」を見ると何を書いているのかと思う。 何の事はない、上方文化芸能協会刊のパンフレットに書かれたエッセイの題名なのだが・・・。 よく探してきたものだと思う。 なんてぶつぶつ言いながら、読みはずれのない「遼太郎」さんの本を読んでいる。 いつものことなのだが、語源、物の起源・由来を興味深く読んでいる。 これらはいい話のネタなのだが、いかんせん話す機会がないのがいけない。 多くのエッセイの中で特に気になったのは、「仏教の話」である。 それは、「浄土」から始まるもので、「蓮如と三河」、「日本仏教小論」、 そして「報恩」に続く。 もうひとつは、人の出会いの話である。 今回のエッセイには、次のような人が登場してくる。 岡本博、津志本貞、桂米朝、八木一夫 十四代沈壽官、サトウサンペイ、流政之、乾由明、吉田やすお、安田章生、湯川秀樹・・・。 どんな功績があったひとか多くを知らないから、名台詞だけをいただくことにした。 いずれにしても、そのネットワークの広さにただ感心するばかりなのだ。 ではここで気になった小話をピックアップしてみよう。 釈迦の教えが、シルクロードを通って、日本仏教になるまでと仏像の由来。 織田信長がなぜ禅の一表現としての「茶道」を取り入れたのか。 茶道に使われた「香合」の由来等々。 ここからは、言葉を羅列する。 「上人」「聖人」「方外」「阿弥」「和光同塵」・・・。 いつもながらの博学、ただただ感心しながら、いつものように わずかな知識欲を満たすため、ネタをいただいたのであります。 できたら死ぬ前に、司馬さんの脳ピュータに接続して、知識情報を通信線を経由してもらって おけばよかったのに、なんてわけのわからないことを思ったりする。 こんな浅薄なことを考えないで、本屋に行くべし。 怠けないで、本を探す苦労をするなり。 そして、ささやかな「知識欲」を満足させるなり。 |
「ライフワーク」で豊かに生きる 何の事はない、本田健著「小さな小金持ち」シリーズの中で「好きなこと」をしてというのがずっと頭の中に 残っていた。 続いてこのキーワードに飛びついたのだ。 定年が近くなり、自分のサラリーマン生活を振り返ることが多くなった。 そして、セカンドライフ、定年後をどう生きるのかという新しい課題も出てきた。 自分は本当に何をしたかったのか、という素朴な疑問がふつふつと湧いてきているのだ。 もう自分の好きなことをやってもいいのではないか。 好きなことなら、人からなんだかんだと言われても、続けられるのではないか。 そんな「自分探し」を10年前にスタートさせたが、どうしても趣味に終わってしまう。 やっとここ3年楽しい、わくわくすることが出てきた。 じゃーそれが本当の自分の好きなことなのか。 そんな疑問が?出ているのが今の状態なのだ。 このような状態のときにこの本に出会った。 そうなのだ「ライフワーク」を求めている自分がいたのだ。 ヒント、ヒント多くのヒントがある、読んでわくわくしてくる本なのだ。 いつも言ってることなのだが、わたしはノウハウ本が好きだ。 と言って、その本を読めばたちどころに効果が出るそんな本はお断りである。 体験に基づく裏づけがあり、自分が納得できる理論立てもないとがまんできない。 さらに一番大切なことは、着実な積み重ねの結果、生み出せるものがあるということなのだ。 この当たりがノウハウ本の誤解を与えるところである。 私は、ノウハウ本は読み手に「やってみようか」という動機付け、「きっかけ」を与える ものだと思っている。 決して、読んだらすべてが解決するわけではないのだ。 どうも壁にあたってるなと思ったとき、いいアドバイス・ヒントが大いにもらえることがあるから 私は好きなわけである。 今回の本で、3つほどヒントをもらった。 「自己完結」「楽しいこと」「可能性を膨らませる」 その中でも、ひとつあげると「自己完結」である。 この「自己完結」ができるなら、自分の中心に据えたものが揺らがないのではないかと思えてくる。 迷わないのである。 自信が出てくるのである。 次に「楽しい」こと。 「それをやってるだけで楽しい」さらに「見ているまわりまで楽しませ、幸せな気分に」 さらに私自身で加えるなら、どんどん作りたくなるこれなのだ。 3つめは「可能性を膨らませる」である。 やりたいことがどんどん膨らんでくる状態がまさに今の状態なのではあるが。 でも決して忘れてはいけないのは人の評価でぶれない「自己完結」なのだ。 |
男の生活の愉しみ さらに「やはり、食べ物、料理作りは私には馴染まないのか、読みながら疲れてしまった」とも書いていた。 ようやく読み終えたのだが・・・。 もともと本の題名「男の生活の愉しみ」に惹かれ、 さらに「まえがき」の「仕事以外にこんなに愉しいことで世の中は満ち満ち ていることを諸君はご存じだったかと」にさらに惹かれ、 きっとセカンドライフのヒントがちりばめられていると思って買ったのだ。 残念ながら、求めるキーワードがかなりずれていた。 ただこういったセカンドライフも楽しくてしかたがないだろうと思ったことだけは確かである。 この本で面白いのは、食や料理について、皮肉る友のコメントである。 これは、趣味が違えばこうなるのだといことであり、それはそれで筆者は憤然と ご自分の主張を述べられている、頼もしい限りだ。 少し紹介してみよう。 まずは、世界的な建築家の安藤忠雄氏の揶揄のフレーズ「ええ大人が、そんな何喰うかとかあれは 旨いぜとか、くだらんことをガタガタいいなさんな。わしなんか1月ラーメン喰い続けても 平気でっせ」は、こんな感じなのだ。 これに対して、「食にこだわり派」の筆者は、全然動じない。 こだわり派を随所に登場させ、とどめのこんなフレーズを、 「私のように喰物の味を論じることは、人類が他の動物より進んで、人が人であるゆえんの 部分であると信じている下賎な人間としては、断固として食とその味にこだわり 続けたいと思う」でしめくくる、お見事である。 まあ私も食へのこだわりはない、ただおいしくいただければ何でもいい。 単身寮では、夕食はいたって品数は少なく簡単なもので終わっている。 だから、週末帰宅して品数の多い家人の手料理は、美味しく楽しく食べている。 この本には、食に合わせて家の道具、「物へのこだわり」も多く登場してくる。 包丁、台所道具、食器、鍋、椅子・・・。 これに関しても、私の場合、ほとんどこだわりはない。 「食」にも「物」へもこだわりにない自分が、この本を読んで何を得たか。 それは、「セカンドライフにおける趣味」というか「趣味」そのものの考え方について、 大いにヒントがもらえた。 筆者と趣味はあわないが、そういった意味で、読んでよかったと思っている。 それは、第一に趣味は自分が興味がもてないことは続かない。 第二に趣味は自分本位でいい。 終わりに同じ趣味の人との話はよくわかるし、よく情報も耳に入ってくるということだ。 セカンドライフは、いい趣味人でいたいものである。 |
紅茶を注文する方法 やはり、食べ物、料理作りは私には馴染まないのか、読みながら疲れてしまった。 先日、たまたま本屋に行く時間ができてそうしたら名著にでくわしたのだ。 ほんと行き当たりばったりだった。 いつもそうなのだが、土屋先生の本は、中味を見ずに題名だけを見て買うことにしている。 なぜかというと、同じ本を何冊も買ってはいけないからだ。ただそれだけなのだが。 で、読み始めて帯を見て「本書を購入する方法」を見たわけである。 そして思い出してみた、買った場景を・・・。 何も考えずにレジへ直行していたと思う、そしたら店員さんが言ったのだ。 「カバーをかけなくていいですか」 「いいです。袋にも入れなくてもいいです。すぐにください」 買うのがはずかしいのでいつもそう言うのだ。 今初めて知ったのだが、やはり店員さんは知っているのだ、 隠くすように買うことを薦めているのだったと・・・。 いま思い出せばそうだったのだ。 この「読み感」を読んだ人は、先生が言うように決して人の感想を信用しないことを お薦めする。 もちろんこの本を見つけることだけに専念しわき目もふらず、見つけたらただちにレジへ。 そうすれば、あなたは土屋ワールドへ入っていけるのですよ!? さてさて、本の感想を書く前に余談な話が長くなってしまった。 では、早速書こうと思うのだが、読んでる途中である。 「問題山積」で時間がないのでとにかく「問」で書いている。 なぜなら、内容はいつも同じで、先生は、恐妻家であり、恐助手室であり、恐編集者であり、恐柴門ふみだから そこらあたりをネタにして笑いを取ってるから、1チャプタでそんなに変わらないのだ。 わたしの場合、いつも同じ境遇だからと落ち着いて読めるし、自分のことを笑っているようで さらに安心できる。 さらに加えて、土屋画伯の素晴らしい絵をいかんなく見せつけられるだが、amigo画伯もいい勝負だと 自信がもてるのである。 あ〜あいかん、まだ本の感想を書いていない。 非常に困難を極めるが、三つほど有意義で面白いエッセイを抜き出すとすれば、やはり選ぶのはむつかしいが・・・。 とりあえず、ひとつ目は、「一過性の肥満」である。 女性の肥満に対する考え方を引用し、特に悪いことは一過性だと考えれば結構人生楽に生きられること、 請け合いだ。 そうさせてくれる論理展開とそれを女性の生き方から導き出すなんて技、 やはり土屋先生は天才だと思ってしまうのだ。 二つ目は、「検査は身体に悪い」これである。 わたしも常々そう思っている。 現に「白衣高血圧症」に悩ませられているからだ。 次のフレーズ「この技術革新の時代に、検査の仕方が一向に進歩しないのも納得できない」これにつきるのである。 最後の三つ目、「文字が書けない」である。 同じボケ老人として同情に耐えない。 おいおいどんなエッセイを選ぶのっだたか、忘れた・・・。 「有意義で面白い」 「問」ではここまでしかない。 まだ3つの章が残っているから、「有意義で面白い」エッセイは沢山出てくることは、「まちがいない」 と思う、大いに楽しみである。 |
青春ピカソ 「自分の中に毒を持て」「今日の芸術」「芸術と青春」「美の呪力」 いつも思うのだが、太郎さんの本を読むとなぜだか元気が出てくる。 と言って、書いている中身がすべてわかっているわけではない。 特にピカソを相手に芸術論を展開する部分はよくわからない。 カタカナが実に多いのである。 「イデー」「エモーション」「アトモスフェア」「デフォルメ」「エッチング」「モチーフ」 「アバンギャルド」「ノスタルジー」「ボヘミアン」・・・。 さらに言うなら、日本語の芸術論展開の言葉もよくわからない。 でも、わかる部分だけ拾い読みしただけで不思議に元気をもらえるのだ。 50年以上前の本だが、芸術に対する考え方に、一本の筋が通っているからだろうか。 芸術は、常に「破壊」そして「創造」なのだ。 常に、歩む。 踏みとどまらないということらしい。 だから、破壊をやめた「老ピカソ」はいらないのだ。 つまらないのである。 エネルギーが切れかかった時、読むのにぴったりの本だはといつも思う。 この本で、特に気になったことが3つある。 まずは、青春時代の太郎さんが、ピカソの本物の絵に感激のあまり涙する部分。 2つめは、ピカソ作品を「色」をキーワードに分析する部分。 そして、もう1つは、ピカソとの出会いと対話の部分である。 太郎さんとピカソに共通していることを一語で言うならば。 絵に対する、芸術に対するたゆまぬ「情熱」である。 それは、「生きている」ことを感じたい人間・読み手にとって一番、吸収したい 事なのだ。 はっきり言って、ピカソの抽象画「ゲルニカ」などを見ても私にはわからない。 それを見事に分析してみせる「太郎さん」。 やはり天才である。 おしげもなく賞賛の言葉を発しながら、それでいて緻密に絵を 分析して見せる。 ただ「芸術は爆発だ」のフレーズだけではない。 いいフレーズがあちこちにちりばめられている。 それをどう受取るかは読み手しだいというところか。 私なりに二つ抜き出してみたい。 「いったい芸術において単に眺めるという立場があり得るであろうか。 真の観賞とは同時に創ることでなければならない。観ることと創ることは同時にある」 「既成の権威のすべてに不敵に対決した青年ピカソは歴史を創った。そしてその破壊と革命の 情熱が持続する限り、彼は現代芸術の英雄であり、つねに先端を切って進むアヴァンギャルド の指導者であった。円熟や完成は決して歴史をクリエートする条件ではない。未熟こそ 芸術であり、歴史を創り得る。それは己れの に対極をつかみ取り、己れ自身が既成の芸術に 対し、そあいてまた対社会的に異質を決意することによって可能である。 もしピカソが真に円熟完成に甘んじているとするなら、すでにかれはアヴァンギャルドではない もちろん歴史を創造し得ない。彼は単なる名匠であり、20世紀前半のモニュマンであるにすぎない」 |
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