あの世の話 もちろん「あの世のこと」を知りたいということもある。 もうひとつは、気になってる「佐藤愛子さんと江原啓之さん」この組み合わせからなのだ。 この本は、「はじめに」でこんなフレーズで始まる。 「今から25年前、丁度私が50歳の時、私は北海道の浦河という町の丘の上に夏の間過す家を 建てました。・・・・その家で私が経験したいわゆる超常現象といわれる怪奇な現象は、やがて 東京の家にも起り、旅先のホテルなどでも屡々悩まされるようになりました。 そのため私は死後の世界、心霊についていやでも学ばなければならなくなったのです」 実は、この話は「こんなふうに死にたい」という本ですでに読んでいた。 その時の「読み感」を少し抜粋してみると。 「人間のすべてがまだ分かっていない、死後の世界もだれもわかっていない以上、 ただだれしもそれなりにあるのだが、鈍感なために気づいていないのかもしれないが、 私にはない霊感の強いひとには死後の世界との何らかの交信はあるのだと思っている。 筆者はこういった体験を通じて、自分の死生観を形成していっているが、 家族の死から自分自身の死を考える機会しかない、 霊体験を経験できない人間たちは、どうやって死を受容し、死生観を形成すればいいのか。 いま私は、老いとか死とか仏教に関する多くの本を読んだりしているが、 まだまだ死を隣に座らせるだけの覚悟ができていないのだ」 この本をいつ読んだかは忘れたが、私の死生観はこの時から、ほとんど変化はない。 で、この本を読んで何か変ったか。 「死後の世界」があるような気がするというより、それを信じたいのだ。 というのは、愛子さんの家のようにやかましい霊現象ではないが、最近いつも ある時間に決まって「ラップ音」とやらが聞えるのである。 そんなこともあって、食い入るようにこの本を読んでしまったのである。 特に気になったフレーズは、「死後の世界を信じないというのは、とても後々に大きな影響を 与えてしまうんです」と 「やはり生きる目的を知るというのはとても大切なことだと思うのです。何のために生きているのか 何のために自分が生まれてきたのかということをよく知らなければ、この世のほんとうの幸せ というのに到達できないんじゃないかと」これなのだ。 おはずかしい話なのだが、この「死後の世界」をまだ信ずることができない自分。 そして、「何のために自分が生まれてきたのか」これもよくわからない自分。 ただ、いつも不思議に思うのは、父母との出会い、妻との出会い、息子・娘との出会い、 友との出会い、仲間との出会い、 「縁」すべてがこの何のために生きているかの証しではなかろうかと思い始めている自分が いることは最近よく感じられる。 この本は、「死後の世界」に関心がない人の必読の書である。 江原さんが気になっている妻にも、もちろん読ませたい、特に「死んでからでは遅すぎる大事な話」 の中にある、「結婚の場合にはまず人間界よりも霊界のほうで結婚ということを決めてから 現実の世界でそうなっていきます」に続く対話の部分である。 やはり、妻とは霊界の時からのご縁なのだ。 |
眠る盃 前回の本は、6編の短編小説とエッセイが編集されていた。 この本はエッセイと男性鑑賞法なんてのが載っている。 エッセイは、第一と第三のチャプタに44編が収められている。 短いエッセイと言っても、過去を思い出しながらのものが多い。 どの引出しにしまっていたものだろうか。 よく覚えているものである。 鮮明に蘇える記憶と簡潔で私にとっては味のある表現方法にただただ感心してしまう。 その一方で「男性鑑賞法」に出てくる男性。 当時20代から30代(30年前)の男をどんな方法で選んだのだろうか。 ごく一般人の二人は別にして、脚本家倉本聡ほか6人 (ヘアー・ドレッサー、CMディレクター、漫画家、ファッションデザイナー、摺師、俳優)。 インターネットという便利なツールで検索してみると、いずれの方も現在活躍中であるからして、 なかなかお目の高い鑑賞法だったと思われる。 さて、私の好きなエッセイである。 題材でよく出てくるのは猫好き・動物好きということで、猫はもちろん犬やついでにライオンの話まで出てくる、 これは面白い。 それから、料理好きと言うことで、 好きな味に出会ったら、自分で作ってみないと気が済まず、 出来上ると友と一緒に食べるところまでいってしまう、そんなエッセイもある。 それから、多くのエッセイに出てくるのが、厳格な父のことである。 それはいろいろなフレーズとして、表現されて、実に微笑ましいのだ。 「暴君であったが、反面テレ性でもあった」「へそ曲がりの父」 「筆まめな人」「罵声や拳骨は日常のこと」「褌ひとつで家中を歩き廻り、大酒を飲み」 「威厳と愛情に溢れた非の打ち所のない」「私は父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た」 「逆境から身を立て名を挙げた波瀾の人生」「苦学力行の人物」「頑固で気短な父が実は子煩悩である」。 すでに亡くなられた、おやじさんとしては、こんなに多くの表現をしてもらい満足ではなかろうか。 ここで、少し「味のある表現方法」について、書き出してみたい。 「銀座で人寄せ」「手足は朝顔の蔓」「全神経がビー玉」「テレビの脚本を書いて 身すぎ世すぎをしている売れのこりの女の子」「今日は水羊羹についてウンチクの一端」 「一度だけ『正式』に痴漢に襲われた」「仕事が忙しい時ほど旅行に行きたくなる」 「思い出にも鮮度がある」「うちの電話はベルを鳴らす前に肩で息をする」・・・いかがだろう。 向田邦子という作家は、いろいろな色の言葉の引出しを持っていて、それをいつでも 自由に引き出せたのだ。 とても魅力的な人である。 ではここで、なるほどと思ったエッセイを三つほど。 まずは、誰もが経験していると思われる人の名前や言葉を間違えて覚えてしまったお話「眠る盃」。 思い出に残るおいしい飲み物−ツルチック、そして文芸春秋に発表されるとこの飲み物について 多くの人からの思い出話が広がった話、続・ツルチック。 最後に一番お気に入りの話。 夕暮れ時の電車の窓から木造アパートの窓のところに男とライオンが見えたという 「中野のライオン」というありそうでないけどあった話。 この話は、「新宿のライオン」のほんとにあった話へと続くから最高なのです。 |
遺伝子が解く!男の指のひみつ 股から出て来たわけではない。 「お久し振り」の竹内久美子はんの「動物行動学」からみた人間考察の始まり始まり・・・。 人間というより男考察、女考察。 みんなが疑問に思っている男と女の性行動。 悩んでいる人も悩んでいない人も、これにて一件落着なのだ。 てなわけで、著者の本は、 「男と女の進化論」「小さな悪魔の背中の窪」「シンメトリーな男」 これで4冊目である。 ついついお気楽に読んでしまいます。 どうも聞くに聞けないことというか、 答えがむつかしいというか、聞くとそんなことどうでもいいことと一蹴されそうな 「Q」に真正面からなんとも明快に解答してくれているのです。 私的には東の横綱「土屋賢二」、西の横綱「竹内久美子」なのだ。 読んでて面白いから、すぐに読み終ってしまう。 で、自分に都合のいい部分だけ機会ある毎に知人との飲みの席でのネタにするのである。 これで、しばらくネタにはこまらない。 あまり大ぴらに読めないのが難点で、 仮に読んで面白くても、声を出して笑わないようにしている。 ここで、あまり書きすぎるといけないので、 いままでずっと気になっていた「性」に関する疑問について、 「男についての?」「女についての?」を 1つずつ書き出して見よう。 男の性に関してはやはりマスターベーションである。 なぜ男は飽きもせずにするのだろう。 この疑問がすっきり晴れました。 「古い精子を追い出し、発射最前列を新しく生きのいい精子に置き換える作業だと解釈することが できます」だそうで。 快楽主義だと思う、スケベエなわたしとしては、いささか?でありますが、 竹内先生によりますと、イギリスのベイカー&ベリスが実際の夫婦で実態調査付きの話も載せて まして、確かにマスターベーション後の精子数は減るのですが、質がよく、女性の体内に ながく留まっているのだそうです。 まあ閑な学者もいるものだなどと思わないで、さらに安心できるのは、「SEXの後、5〜6日 たつと半数が、11日以上空くとほぼ全員がマスターベーションする」のだそうです。 男とはそんなものなのであります。 この手の話は、私大好きでついつい早読みしてしまいます。 そうするとまた疑問がわいてきてしまい、次の本に期待してしまうのです。 で結局のところ悩みは尽きずに終ってしまいそうです。 忘れてました、「女についての?」を・・・。 「女のオルガスムスの意味」おーおはずかしくても読めるのですが、ここには書けないのです。 要するに、男はあの「いくいく」に騙されていたのであります。 「男より大分早いオルガスムスは、精子の拒絶を意味するのです」というわけでして。 それ以上の男の行為は、ただ単なる男の自己満足なのでした。 まあもっとくわしく知りたい方は、本を買って読んでください。 要は、こんな疑問について、チャプタごとに10問以上竹内先生がお答に なられているのです。 この手の疑問にお悩みの方は必読の書でございまするぞ。 |
「生き方の研究」第一部 「生き方の研究」、50数年生きてきて、いまさら先人の生き方を学んだところで どうにもなるものでもない。 帯には、今こそとか、人生のバイブルとか、読書人必読とかあるのだが、 どうも馴染まない。 ではなぜ買ったのだろうか。 自分が生きてきたキーワードのようなものをみつけたい。 いやこれからのセカンドライフへのヒントのようなものをみつけたい。 先人からの教訓で、いまこの時に役立つものはないのだろうか。 そんなところだろうか。 でも、読み進める前からわかってることなのだが、筆者が先人として選んだ39人、 どうみても凡人ではない。 多くの人が知っている有名人、現代人に多大な影響を与えてきた先人なのである。 ひとりを読み終え、なるほどと思い、さらにひとりを読み終え、さらに関心する。 ふたたび思う、凡人にはできることではないと・・・・。 「まえがき」では、「先人たちの生涯を”追体験”して、自分の人生を何度も別様に体験する」なんて あるのだが、無理である。 せいぜいおすそ分けをいただけるかもしれないといったところなのだ。 「序」には、「たしかに日本は豊かな社会に急変した。けれども、人間は物だけで生きるのではない。 いや、物が豊富になればなるほど、どこか心の空虚さをそれとなく感じているはずだ」これなのだ。 そこで、自分の生き方を考えてみる。 では、どうしたらいいのだろうというわけで、「やはり先人に学ぶほかない」 そして「自分の人生に重ね合わせてみることだ」 なのだ。 繰り返すが、確かにこの序の心の空虚さはわかる。 しかし、この重ね合わせには余りにもひらきがありすぎるのである。 やはり、せいぜいおすそ分けなのである。 なんだかんだと前段が長くなったが、第一部19人分の生き方を読んだ。 これからこんな生き方ができたらと思ったのは、まずは、 多忙を極めたと言われたセネカが説く「『多忙』から自由になるということである」 古代ローマ時代の思索家セネカ、ゆったりと生きていたと思われる先人でもこうなのだから、 せめて、55歳を過ぎたわたくしはこうありたいのである。 そして、陶淵明でも迷い、乱れる。 そんな先人に、凡人はこころの落ち着きがもらえるのだ。 それは「他の人たちは宜しくやっているのに、自分だけは生き方が下手で、どうもうまくいかない。 ・・・せめて一杯の酒で憂いを忘れよう」なのである。 そして、最後にセカンドライフに是非いただきたい先人からのおすそわけ。 それは、西鶴の以下の言葉である。 「ひたすら利を求めて人生の何たるかを忘れたり、あるいは、ただ長寿だけを願って死を恐れ悲しむ 人は、じつに「おろか」な人間だというのである。なぜなら、どちらも人生を全体としてながめわたす ことをせず、いかに生きたらいいかについて、何の思慮もめぐらさないからである。要するに落ちついて 考えるゆとりを持たないからだ。兼好が繰り返し力説するのは、結局は、考え、感じ、味わい、 愉しむことのゆとりの大切さにほかならない」なのだ。 この本には、いろいろなキーワードがあった。 「悠然と」「毀誉褒貶」「遊楽」「写生」「気韻生動」「文ハ人ナリ」「名声」 また、いろいろなフレーズももらった。 それは「気になるフレーズ」の通りである。 さて、次は第二部である、今度はどんな「おすそわけ」がいただけるだろうか。 |
こころの歳時記 と言いながら、久しぶりに買い求めた。 先が見えなくなった時、気分のいらいらが続く時、いいことがあるのに 良いことが見えなくなった時、ついアドバイスをもらうのだ。 今年は、ある意味自分にとっては厳しいことばかりである。 でも、いいこともある、でも大きな悪いこともある。 波が大きいので、「老い」始めたこころが揺らいでいるのだ。 落ち着かない心は、平常心を忘れ、折角の楽しいことを打ち消してしまうのだ。 この本には見出しからして、そんな私にアドバイスしてくれる。 そんなに急いだり、やみくもに仕事ばかりしてどうするのって・・・いってくれるのである。 こんなアドバイスは、いまの世の中してくれる人はいない。 ありがたいことである。 いつも時間や効率を気にしている私を含めた現代人にとっては、耳の痛いことが沢山書いてあるのだ。 まずは、目次にある見出しで自分が一番気になるところから読んでみればいい。 なーんだと思った人はさらに読み進めてみればいい。 それでも、なーんだと思った人はさらに読みすすめると、嫌になって投げ出すか、 もっと読みたくなるかである。 どういう事かと言うと、「生き方」「考え方」を変えないといけないからだ。 まだまだ、上に上がりたい上昇志向の方には、決しておすすめではない。 特に自分ががむしゃらに努力してきたと思っている方は・・・・。 十二月の筆者の名訳を読めばプッツンと切れてしまうかもしれない。 それは「琵琶の糸きりり締めればぷつり切れさりとて弛めりゃべろんべろん」 一人の男がいた。 悟りを開くために苦行を重ねていたが、ある日農夫の歌(筆者の名訳)を 聞いたわけだす。 これを聞いて極端に走り過ぎていたと反省したのでありますなあ。 そして「中道」を歩まんと決意したのであります。 この方が、全国的に有名な「お釈迦」さんでございます。 この本の楽しみ方は、いろいろな語源説やら起源説等がでてくる。 なんでも、どこからいつからとかが気になって、知ると「へぇー」と声が出る方には、 大いにすすめたい。 ちょっと例をあげてみよう。 「師走の語源説」「雑煮の起源」「エープリル・フールの起源説」「うるさし(右流左死)の語源」 「アンブレラとパラソルの語源」「七夕伝説」「労働懲罰説」「天高く馬肥ゆる秋の ことわざの由来」等々いかがだろう。 どうでもいい失礼しました。 でも面白いよ!中でもわたしゃ「七夕伝説」「労働懲罰説」「三種の餓鬼」が面白かった。 まずは、「労働懲罰説」である。 フランス人と筆者との「窓際族」という言葉に対するやりとりである。 「その人は、会社にどのような貢献をしたので、そのような恵まれたポストにつけていただけた のですか・・・・」 「あのネ、まちがってはいけませんよ。この人は針の筵に座らされているのですよ」 「針の筵・・・?なんですか、それは?」 「針の筵がわからなければ、地獄でいいです。窓際族は地獄にいる心境です」 「いいえ、ちがいます。それは天国です」 次の話、三種の神器ならぬ「三種の餓鬼」なのだ。 無財餓鬼、少財餓鬼、多財餓鬼。 筆者によれば、餓鬼というのは自分で所有する物で満足できない者のこと。 「無財餓鬼は何も所有しないから、満足できない。 少財餓鬼は、ボロ切れで満足できるわけがない。 多財餓鬼も、いくら財産を持っていても、それで満足できないのであれば、 もっと欲しいと貪欲であればやはりその人は餓鬼なんだ」ということなのだ。 耳が痛いねえ。 あまり書くと筆者の本を買わなくなるので、「七夕伝説」は本を買って読んで みてね。 |
なまけ者のさとり方 「なまけ者のさとり方」(The Lazy Man's Guide to Enlightenment) 原文の意訳は見られない。 別に帯の文句に感化されたわけでもなく、ただこの本題に引かれたからである。 読み進めるにしたがい、何ともいえぬ世界に自分がいるような気持ちになる。 各チャプタのフレーズからも一度考えたことのあるものが並ぶ。 「私達はだれか」「なぜ、私達はここにいるのだろうか?」「現実とは」 そして、何かいやなことが続いたり、自分の嫌らしさ・欲の深さが見えた時、 いつも知りたいと思うことに、「さとり方について」がある。 さらに読み進めると、精神世界に入って、宗教家がなにかお説教しているように 思えてくる。 「宇宙意識」とでも言おうか。 インターネットでこの言葉を検索すると、やはり宗教の世界にはいってしまうのだが。 でも違う、「あとがき」に著者の紹介がある。 著述業に従事し、この考え方は「著者のオリジナルで、いかなる学派、教えからの借り物ではない」とある。 怪しい新興宗教でもないのである。 最初から最後まで通して使われている言葉がある。 みんな平等であるということと、「愛」「意識」を広げれば、何かが変るということ。 読み終えて思うことは、イライラしたり、自分のつまらなさが見えてきた時に 常に手元において開いてみたい本である。 ある程度年をとってくると、死んだらどこへいくのだろうかとか。 自分は小さな悪いこと?をしてきたが、天国へいけるのだろうか。 それには「さとる」ことが大切なのだろうか、と思うことがある。 ところが、そんなことを消し去るようなフレーズが「はじめに」にあるのだ。 「私はなまけ者です。世間でよくいわれているように、さとりを開くためには何年も修業が 必要だとか、人一倍の努力や厳しい自己制御、自己鍛練をしなければならないというのなら、 私には関係がなかったことでしょう。 そのうえ、食べ物に気をつけなければいけないとか、たばこは体に悪いからやめろとか、 道徳にかなった生活をしなくてはいけないようなことになれば、なおさらのことです。 さとりとは、これらのことはまったく関係がないと、私はこの本でいいたいと思っています」なのだ。 読み終えてよく考えてみると。 悪いことをしていようが、どんな悪人であろうが、 とにかくお経を唱えれば救われると言う日本の仏教の考え方のように思える。 このお経が、この本でいう人に対する「愛」のように思えるのだが。 ただ、手を合わせ何に向って拝んでいるかと言うと、ただひたすら「自分はお浄土へ」なのだから、 日本人である私にとっては「愛」を広げるというのが苦手である。 そもそも愛というのがわかりにくい。 外国人のように常に「愛している」を直接表現する習慣がないからなのだろうか。 「さからわないこと」「あるがままを愛しなさい」「自分を愛しなさい」はよくわかるのだが。 「さとり」に関心ある人は是非読むことをお勧めしたい、でも読んでよくわかったかと言うと 「わからない」なのだ。変な形で「読み感」が終ってしまったご容赦ください。 |
血の騒ぎを聴け 初めて読む著者のエッセー集。 まずよく探して集めてものであると感心する。 第三章の「言葉を刻む人々」 著者が慕った作家井上靖から始まり、中上健次、水上勉、宮尾登美子、田辺聖子、 黒井千次、山田詠美、そして工芸家望月通陽、大衆芸人マルセ太郎。 残念ながら、どなたの本にもご縁がなく、その他の芸を持つ方も知らないので、 通読してしまった。 第四章の「自作を語る」も作品を読んだことがないので、同じである。 実は第二章も旅に出かけた時のこぼれ話なのでこれはほとんど飛ばした。 旅は人の話を聞くより自分ですることだと思っているからだ。 ほとんど飛ばしたけれど、第一章に収められた27の話は、自分の人生を 思い出しながら、あるいは面白いと大いに笑いながら、なるほどと納得しながら読ませてもらった。 まずは、自分の人生を思い出しながらは、「よっつの春の中にある、『遠足』である」 同じ時代を生きて来たから、小学生の低学年の頃、同じようにクラスに 遠足に行けない子がいたことを思い出したのだ。 自分も、似たようなことをしていたかもしれない。 面白いと大いに笑った話。 飼い犬マックのことを書いた「犬たちの友情」である。 近所の子どもからつけられたあだ名の話、 精力旺盛なマックが近所に18匹の分身を作った大騒ぎな話、そして「キン取り手術」 に及んではもう大笑いせざるを得ないのだ。 なるほどと納得しながら読んだというかそんな話がある。 まあ一言で言うならば「逃がした魚」は大きいである。 「わが幻の優駿よ−ぽろっと落ちた桜花賞」、「優駿」という 作品を描いた縁でひょんなことから、サラブレッドを買い付ける話になっていくのである。 やはり、もう一度言いたい、「逃がした馬」は実に特大だったのだ。 おわりに、第一章ではなかったのだが、第四章で紹介された自作「わかれ船」である。 この中で書かれていた釈迦の故事の引用、「別離」は誰にも起こることなのだ。 大いに感じ入ったフレーズを書いてみよう。 「この世は『別れ』に満ちている。私は中学生のころ、父に、『哀しい別れというものを 味わったことのない人間とは、おつきあいしたくない』と言われたことがる。 中学生の私にはその言葉の意味がわからなかった。18歳のとき、少しわかるようになり、20歳 では、自身がそのような別れを味わい、22歳のとき、父が死んだ。30歳ではもっとわかるように なり、40歳でまたあらたにわかり、50歳で・・・・。私が長生きすれば、さらに深く 見えてくるものがあるにちがいない」 である、いかがだろう。 |
芸術と青春 「青春」「芸術」だけを書いた本かと思って買った。 最初のチャプタで青春、次に父岡本一平と母かの子を想いながらの芸術論、そして どういうわけか、最後の章では、全く内容を異にした戦後の世相に関する 女性論、日本人論、流行論が書かれている。 50年前に書かれた本なのだが、全くそんな感じはない。 「青春回想」の中では、10年以上のパリ生活を中心にした海外での話。 中心は「パリジェンヌ」との、当時はそんな言葉があったかどうかは知らないが、恋の話である。 「青春の森」では、クレールとイヴェットとの出会いと二人の間で揺れる淡い 初恋体験。 「パリの五月」では、少し女性経験を積んで、エレーンヌという女性との共棲。 男として、何かに目覚める体験をこの女性からもらったようだ。 それは、この女性に言わせた次の二つの台詞でわかるのだ。 「お友達の医学生に、何かあなたの情熱をゆり動かすようなすばらしいお薬は無いか、 訊いてみることにするわ」後日激しく抱き合った後、「もうお薬を貰うことなんか考えなくとも済むわね」である。 そして、「可愛い猫」では、かなり熱愛したというリュセンヌという女性との話で、 「美しい女性の泣き顔は全く珠玉である」というように、かなり女性との付き合いも慣れてきたのか、 異性との恋を楽しんでいる感じで書かれている。 4人の女性がどんな容姿だったのかは、文章から想像するしかないが、 やむなく、帰国する際には、女性への未練を多少残しながら。 そして、女性の珠玉の涙を見ながらフランスを去ったのでありましょうか。 思い出しましたね、私めも。 2カ月ほどイギリスにいたころのことをね。 かってに異国の方、スペイン女性、イタリア女性に恋心抱かせていただいておりました。 太郎さんまではいきませんでしたが、懐かしい限りであります。 次に「父母を憶う」は、父母、太郎さんのヨーロッパへの旅立ちのシーンから始まります。 時は、昭和4年、私は種にもなっていない頃でしょうか。 時の人、風刺漫画家父岡本一平と、歌人として著名な母かな子、そして美術学校で人気者で18才 の太郎さん。 この見送りはかなりの人出とかなりの大騒ぎであったらしい。 列車内はバラの花がいっぱいで、親しい人々が山になったバラの花を乗り越えてのあいさつもできなかった と書かれている。 ここでの話は、父母の生き方を太郎さんが語る。 太郎さんは、このお二人から「いいもの」だけをもらったのだろうか。 間違いなく、この二人からの感化で「古い型を破って常に新しい世界をきり拓いて 行かねばならない」という芸術論に達したようである。 おわりの章は、全く趣が変わる。 戦後、突然アメリカから与えられた憲法の基での「自由」と「平等」、いままで虐げられてきた 女性の権利がやっと認められ、長年フランス生活をしていた太郎さんが、お題をもらっての「世相を斬る」。 そんな感じでのコメント・エッセイである。 懐かしい、まだかつては女性は弱かったし、日本女性は世界最良?の時だったのだ。 なかなかお題が面白いし、太郎さんのコメントは、かなりストレートでいまなら差別と言われかねない言葉が飛び出す感じだ。 ちょっとお題を書き出してみよう、「処女無用論」「日本女性は世界最良か?」「非道徳のすすめ」 「春画と落がき」「独身と道徳について」 次に特に気に入った「日本女性は世界最良?」のコメントを抜き出してみよう。 「一たん結婚し、つまり目的を達成してしまうと、もうオシマイ、女は自分自身の希望、歓び、 生命の炎を全部消し去ってしまう。むしろ強く人間的にめざめるべきであるのに、金持は金持、 ビンボー人はビンボーなりの生活に惰性的に安住し、よりかかり人間個人としての誇りを 失ってしまう」 さらに強烈な女性批判は続くのだ、「どうやら世間態だけをとりつくろう消極的な功利性 ばかりに熟達する。そして家畜のようにただかしずき、男の都合のよい時だけに感謝される 便利で世界的に評判な妻になりはててしまう」 と言いながら女性にエールを送ることを忘れない「歴史の近代化と共にそういう傾向もやがて 変って行き、生活に敗れない女性、現実をふんまえてしきたりをはね返す女性が現れて来る ことを信じている」そして「若い男達がとかく人生をあせって、小ずるいのに、 彼女らは無条件に新鮮で鋭く、本質的である。たしかに近い将来彼女らが男性を明朗に 導く時代が来るであろう」なのだ。 このコメントから50年が経った。 「太郎さん」が言う通り、確かに不甲斐ない男どもが増えている。 では女性が男性を導く時代になったのだろうか。 確かに女性は強くなったという声は大いに聞えてくるが、それはあくまでも女性の男性化であり、 本来の女性のよさが生かされているかは意見の分かれるところではないだろうか。 |
迷いを生きる力に変える 初めての著者の本である。 たいてい初めての場合、構えてしまうのだ。 それは、書き方に自分の読む能力・理解力がついていけるかどうかなのだ。 でも、そんな心配は全くなかった、不思議なぐらい読みやすかった。 説法得意の方のエッセイだからだろうか。 内容は、現代の世相を大いに嘆き、それを読み解き、現代人の生き方を説いている。 「おわりに」にこんなことが書かれている。 「75年間も人間商売をつづけてくると、多少は人の世のウソとマコトが見えてくるものです」 どう考えてみても、そんなにかからない。 なぜこんな言い方をしているのか、次のフレーズでわかる。 「父親はゼニとカセギに夢中になり、母親は自分だけのモノの幸せを求め、子どもたちには理想がなく、 老人は甘えばかり訴えている。そして、巷には無責任で哲学のない怪しげなハウツウものの 人生論が氾濫しています。その一方で、目をおおいたくなるような殺人、強盗、破廉恥な不祥事が 毎日のように起こっている。いわば、日本中が無秩序な混乱のなかに巻き込まれ喘ぎつづけています」 これなのだ。 著者にとっては、腹立たしいことばかりなのだろう。 いつの世の中でも、すべてが善とはいかない、それにしても今の世の中は・・・。 少しでもよくなって欲しいから、説き続けないといけないと思っておられるのだ。 思うに、この本、また著者の講演・説法ににご縁がなければ、読まないし、耳も傾けられない。 ご縁があるのはほんの一握りの人間に過ぎないのだ。 読み、聞き、感銘した人が、自分の子ども、周辺の人にその輪を広めることが大切なのである。 この本にご縁のあった私は、いつものようにいただけるところをいただくことにした。 まずは、小見出しのいいフレーズを一部書き出して見よう。 「人は迷いなしには生きられない」「自分だけの人生観をもっていますか」 「出会いを求め、出会いに気づく力こそ大切」 「言い分は、理解されないのを覚悟の上で」・・・。 次に大いに読み込んだのは、第4章「晩晴を願うならば、今からでも遅くはない」である。 ようは、定年後の初老時代−「白秋」というらしい−についていろいろ書かれているところなのだが・・・。 もうその滑走路に入ってしまった私だから、身近な話題というわけである。 ここに出てくるヘルマン・ヘッセ、安岡正篤や佐藤一斎の言葉、いずれも心に響く言葉である。 特に、ヘルマン・ヘッセの「どんな花もしおれ、どんな青春も老年になるように、どの人生の 段階も花開き、知恵もそれぞれ花開く」 年を重ね老年になれば、当然体力は落ちる、でも生き抜くだけの積み重ねてきた知恵があるのだ。 大いにその通りだと思う。 止めはある坊さんの言葉だ。 「人と煙草のよしあしは煙になりてこそ知れ」 やはり、煙になってそれがわかるのだろうか。 自分の子どもや孫が自分のことを覚えていても、普通の人は、煙になって、 日を重ね、月を重ね、年を重ね何もなくなるのが普通なのではなかろうか、 そんな生き方がいいのではなかろうか、そんな気がする。 みなさんはいかがだろう!? おわりに、定年後の人生は、筆者が言う、つぎの言葉。 「悲しいことに、『白秋』を迎えても第3の青春を謳歌できない人もいます。 過去の地位や業績におごり高ぶり、こだわり続け、輝きを失ってしまった人々です」 このフレーズのようにならないよう、全く違った道を歩いていたいものである。 |
森の野鳥を楽しむ101のヒント で、その散歩に楽しみを付加したのが一昨年からである。 さらに、新しい楽しみにデジカメを買って、鳥や野の花等を撮り始めたのが昨年である。 それに合わせて、「花と鳥との出会い」なんていうホームページも始めた。 初めの頃は、どれも同じような鳥に見えた。 やっと見分け、聞き分けができ始めたのが、3カ月ぐらい経ってからだろうか。 初めの頃は、「アオサギとの出逢い」に感激したものである。 でも、よく見渡してみると、身近にかなりの数の鳥がいたのである。 鳥などに関心を向けるようになって日ごろは、全く気づかずにいたことや、 意外に可愛い鳥たちが、自分の周辺に居ることに気づき、いまだに感激している。 だから、週末の1時間程度の散歩は、いまでも大いに楽しみなのだ。 そんな鳥との楽しい出逢いで、周辺に住むほとんどの鳥の名前はわかったのだが、まだ不明のものがある。 そして、いつも思うのはなぜあんな鳴き声をするのか、飛び方をするのか、歩き方をするのか、 不思議に動作が気になり始めたのだが、そのままにしておいた。 気になりながら、もう1年半が過ぎた。 たまたま書店で「森の野鳥を楽しむ」この本が目に留まったのである。 と言っても森ではないのだが、とにかく読んでみることにした。 101のヒント、一部を除きそれぞれ作者が違う。 ということは、最低その数の「野鳥のファン」がいるわけだ。 わたしは、「はじめに」で書かれているように「野鳥の持つ魅力は何か、・・・ 若いころはほとんど無関心で、中年を過ぎて急速に のめりこんだ自分なりに考えてみると、まずはその造形的な美しさだと思います。・・・・ ついで出会いの不確実性。・・・とどめは奥行きの深さでしょう」にちょっとだけ似ている。 血圧にいい散歩を、いささか動機は不純だが、それに付加価値を自分でつけたわけである。 まあ編者のようにのめり込むまではいかないが、楽しみをわけてもらっている。そんな感じだろうか。 自然の中で、五感をフルに開き、大いに感性を磨かさせていただいている。 このヒント本から、野鳥の意外な事実を教えてもらった。ちょっと書き出してみよう。 「ハトが歩くときに首を振るわけ」、それは映像をぶらさないよう目を固定するためなのだ。 「鳥の歩き方いろいろ」、これは情景を思い出しながら、 ホッピング、ウォーキング、ランニングとあるそうだ、 でもまだよく分かっていない部分もあるらしい。 鴉には田舎モンと都会モンがいるようだ。 都会モンが「ハシブトガラス」、なんかしぶとい名前に聞こえます。 田舎モンが「ハシボソガラス」、なんか心細い感じですなあ。 性格もかなり違うらしいよ。 さえずり、うぐいすの鳴き声が気になっていた。 「ケキョケキョケキョ」と鳴く声なのだが、これは有名な「鶯の谷渡り鳴き」だそうです。 でも、谷を飛び越えるときに鳴くわけではないそうよ。 「さえずりでわかるオスの事情と本音」 「縄張り防衛」と「配偶者誘引」があるそうで、頑張って鳴いてる姿をよく見かけます。 一方、人間様の雄は種の保存という自然のこういった活動は、 文明社会の発展と女性の力強さが増す とともに苦手になったように見えます。 ほかにもいろいろ面白いヒントがありますが、これ以上書くと 商売の邪魔になりますようなので、やめます。 他にも野鳥に興味をもたれ始めた方にいい参考本になること請け合いでございます。 まあ手にとって書店で立ち読みすればわかりますよ、野鳥好きな方は是非どうぞ。 おお忘れていました。最後に、鳥をキーワードに楽しめることも、いろいろ書いてあります。 そのキ−ワードを羅列しておきますと、バードウォッチング、折り紙、漢字で書く鳥の名、 羽を拾う、ペリット(嘔吐物)、餌台観察、・・・いかがでしょう。 |
司馬遼太郎全講演(3) でも、吉田松陰を主人公にした「世に棲む日日」や坂本竜馬を主人公にした「竜馬がゆく」 は読んでいない。 避けていたわけではないのだが、いまからという気も起こらない。 でも、この講演録を読んで少しだけ読んで見たい気がしてきた。 面白かった話しが、4つほどあった。 それは、「松陰の松下村塾に見る『教育とは何か』」「『菜の花の沖』について」「時代を超えた 竜馬の魅力」「見るという話」である。 それぞれの話しに登場する人物の魅力がいろいろと裏話も含めて面白いのだ。 登場する人物は、吉田松陰であり、高田屋嘉兵衛であり、坂本竜馬であり、松尾芭蕉である。 面白い情報をよく集められているものだと感心しながら、「歩く歴史事典」のような 司馬遼太郎さんはもういない、遺作でその歴史事典を知るしかないのだ。 まずは、松陰の話、畑仕事をする父から初等教育を受け、畑仕事をする叔父から中等教育を受け、 特に叔父の教育に対するしつけは厳しかったようだ。 面白い部分は、松陰が子供に対して誉める教育をほどこすところ。 さらに面白いのは、松陰が子供を評する部分の紹介である。 高杉晋作は、識見気はく。久坂玄瑞は、防長年少第一流人物。 ところがである、あの総理大臣になった伊藤博文はいい具合に書いてもらえなっかったようなのだ。 「才劣り、学おさなき」「俊輔は周旋の才あり」だって。 というわけで、「伊藤博文は、松陰の話が出ると機嫌が曇った」というこぼれ話には思わず クスっとなりながら、私の新入社員のころの教育担当者が私を評した「独善的」と言う言葉と、 家人がよく口にする高校時代の先生に言われた「井の中の蛙」を思い出していた。 やはり、人を評する時は誉めなけりゃ伸びないのですよ、私がいい例です。ホント。 次は、高田屋嘉兵衛の話である。 「菜の花の沖」は読破していたので、講演の話を読みながら、またそれぞれのシーンが よみがえってきた。 特に日本の捕虜になっていたゴローニンが釈放され、ロシアの軍艦が箱館を去っていく。 そのときリコルド艦長以下、すべての乗組員が甲板上に出てきて、見送る嘉兵衛に叫んだ。 「ウラァ、タイショウ」このシーンは鳥肌が立つぐらい感動物だった。 それから、終わりの方に紹介されている釈放されたゴローニンが書いた「日本幽囚記」。 この本の中に書かれていた高田屋嘉兵衛の話しを読んで感動したロシアの青年が、 彼に会いに日本にやってきたというのですから。 その青年は、ニコライといい東京の神田にあるロシア正教のニコライ堂を建て、 死ぬまで日本にいたのです。こういうこぼれ話はホントに面白い。 思い出しました「菜の花の沖」を読んだ時、高田屋嘉兵衛が現代の 外交官をやっていたらと思ったものです。 さらに今思うことは、イラクへの自衛隊派遣や北朝鮮拉致事件。 彼ならどうしただろうかと・・・想像をたくましくさせてくれる。 そして、竜馬の話である。 読みながら、司馬先生は竜馬が大好きなことがよくわかる。 講演の中では、いろいろとその器の大きさを表現された言葉が紹介されている。 「竜馬が西郷を評した『小さく突けば小さく鳴り、大きく突けば大きく鳴る。西郷は釣鐘の ような人ですな」「勝海舟が『評するも人、評さるるも人』」「横井小楠が『好漢、惜しむらく乱臣賊子 にままなかれ』」「大賢は愚に似たり」「西郷に組閣名簿を見せ竜馬の名がないので西郷が 尋ねると『私は役人になろうと思ったことはないんです。世界の海援隊でもやります』」なのだ、 いかだろう。 終わりに、「見るという話」の中で芭蕉を評した言葉。 「芭蕉が文章を書く。つまり言語を書く。人間の肉声を言語の形で書くということが、彼は 大変なことだと思っていた。ただ、人間の見るという感覚が芭蕉においてはあまりすぐれて いたとは思いません」ということなのだ。 実に大胆に言い放っている、ある意味痛快である。 こんな具合に歴史のこぼれ話が散りばめられたこの講演本、歴史好きの方にはたまらないかもよ。 |
美の呪力 まずは表紙の赤と炎のような題字、読み進めるとさらになんとも言えぬ元気がもらえるのだ。 書かれたのは、あの有名な太陽の塔を作ってるころである。 あに忙しい時期に、芸術新潮に「わが世界美術史」として掲載されたものである。 太郎さんが何を追いかけていたか、あの「芸術は爆発だ!」の原点はどこにあったのか。 目を向いて「芸術は爆発だ!」だけではなかったのだ。 太郎さんは、あとがきでこんなことを書いている。 「アクションと思索ー私のなかで、その二つが異様な彩りで交錯している。文章を書き、自分の考え、 問題を追いつめる。当然、思索自体がアクションであり、アクションはまた同時に、人間的に いって激しい思索であるにちがいないのだ」と言いながら・・・。 「だが何といっても原稿にはひどく時間がとられた。対極の引っ張りあうバランスが崩れて、 書く方に重みが傾きはじめると、私はふと窒息する思いがしてくるのだ。 爆発したい欲求にかられる」 まさに作品を作らないと「爆発」はできないのである。 思うに、閑にまかせて作品を作りながら、ホームページも作っている。 やたらとパソコンばかりつついていると、太郎さんと同じように?作品を ひたすら作って「爆発」したくなる。 とにかく作りまくりたくなるのだ。 どうもいけない太郎さんの文章に感化されて、断定調の形になってしまう。 この本を読んで思ったことがある。 太郎さんは詩人でもあるのだと・・・。 それは、太郎さんの行動・作品から「動」の部分ばかりを感じさせるが、この本の 中に取り上げられているキーワードの「静」の部分−石、面、かぶと、綾取り −をみれば大いに頷けるというものだ。 詩は、ところどころのチャプタの書き出しの文章にある。 「鮮血ーこのなまなましい彩りが、石について書いているとき・・・ 血を浴びた石。固い冷え冷えとした肌、その表に、ほとばしり流れる、いのち。 石は微動だもしない。血は熱くしたたり、やがて乾く。暗い緑色の、死の相だ」 さらに「真っ赤な血の塊が胸から飛び出す。死である。と同時に、いのちが強烈に ふきおこる刹那だ。死を、生命を、胸から塊としてとび出させる。ほとんど なまめかしい”赤い兎”として・・・・」さらにさらに 「ひるは世界であり、夜は宇宙だ。白日のもとであたりを眺め、己れ自身の姿にふれ、 人はほとんど絶望する・・・」 読みながら、断片的な言葉の羅列は、人の感性を呼び覚まそうとするように思える。 でなんだと問われると応えようがないのだが。 知らぬ間に力がエネルギーが漲ってくる文章になっているのである。 この本には、今やってることで、自分自身も取り入れたいキーワードがある。 特に、「太陽、血、赤、怒り」である。 また、現代人の生き方に触れてる部分は、やはり自然、宇宙意識とでも言おうか。 とても、凡人では考えられない示唆に富んだものと言えるのではなかろうか。 芸術作品の対象物の選び方が面白い、そしてそれを題材にして思索を展開している。 ついつい引き込まれてしまうのだ。 それは、「石」であったり「血」「昼と夜」「怒り」「かぶと」 「面」「火と炎」「綾取りと少女の手」なのですが、ほんとに思いもよらぬ視点なのです。 面白いというかとにかく感心させられことばかりでした。 |
東電OL症候群 おんなの人が堕ちていくとはこういうことなのか、でおとこが堕ちるとどうなるのか、 ホームレスなんて思いながら、レジに向かっていた。 キャリアウーマンと売春婦という二重生活をしていた主人公が殺された、闇の中 で蠢いていたものが、突然に日の当たる世界に飛び出してきたノンフィクション 作品「東電OL殺人事件」の文庫を読んでからまだ4カ月もたっていないから、 好きな筆者だから余計に読みたくなったのだ。 読み進めると、筆者は、1メディア記者として、この事件を風化させないために その後の裁判−高裁への控訴、再勾留請求、再勾留決定、高裁無期懲役、 最高裁での有罪確定−を追い続けていたことがわかる。 追い続けながら、「殺された渡辺泰子のまなざしに映ったいまという時代の底に広がる果てしなき闇」と 「ネパール人ゴビンダ事件に絡んでのわが身の保身のため司法を自殺させるという世にも 無残な光景」を並行させてあぶりださせているのだ。 司法という閉ざされた世界や、裁判なんて罪を犯した 人だけの世界と思っている私たちにとっても、この本を読めば 「冤罪」は「疑わしきは被告人の利益に」という刑事訴訟法の大原則を無視し、 おのれの保身に奔る裁判官によるものであることがわかってくるのだ。 「迷走法廷」「神様、やってない」「緋色のけものたち」「売春と買春」の4部構成 のこの本、「東電OL殺人事件」本の反響を追いかけ、司法制度の矛盾、 男女差別、人種(国)差別をも取り上げているのだ。 登場する人物は、加熱気味の海外のマスメディアと一過性の日本のマスメディア(人権に関する考え方の 違いか)、泰子の売春に関わった男、泰子に共感した 余りにも生き方が似た多くの女たち、冤罪と不当勾留に抗議する 男たち、裁判に関わった裁判官とその裁判官の周辺の裁判官、ネパールに関わる政治家等々。 実に幅広く女たちの手紙と生の証言、冤罪と不当勾留に抗議する 男たちとその手紙と生の声、海外マスメディアの取材Qと筆者のA、外国記者への記者会見。 とにかくこの事件に関心のある人たちの生の声だらけなのだ。 いくら本が好評でも、その声を追いかけ第二段が発刊されるなどは、過去読んだ経験はない。 たいていは二匹目の泥鰌を見込んだだけの新鮮味がないものが多いのだ。 いかに筆者がこの事件から渡辺泰子の目を通して、現代社会の闇の部分をあぶりだす ため、1メディア記者に徹した取材活動は自分のこれからの人生すべてをかけているように思えてしまう。 何とも、鬼気迫るものがあるから実に面白いのだ。 愚かな、保身主義の裁判官はこの人たちの声に 耳を傾けたのだろうか。 現場主義に徹したのだろうか、この本を読めばだれもがそう思うだろう。 わたしは、何もするわけではないが、最終結審後、風化しつつあるこの事件について、これからも筆者と ゴビンダを救う会の動向に関心を持っていたいと思っている。 |
芭蕉紀行 頭が停滞してすらすら読めないのである。 立ち止まって6つのチャプタを読んだところでよくよく考えてみた。 この本は紀行文なのだ。 これは、筆者の嵐山氏がただ自分の楽しんだそれも終生のテーマとしている「芭蕉の旅した道」を 訪ねる旅だからなのだと気付いた。 これは、読むというより、旅のガイドブックと考えるべきなのだ。 それは、帯でも「本上まなみ」という方が言っておられる。 「私もつれていってください」なんて・・・ これなのだ。 松尾芭蕉と言えば「奥の細道」。 あるいは「古池や蛙飛び込む水の音」の作者。 それから、その他の有名な句を作った人、これで私のうん蓄は終わりである。 でもね、よく考えれば、わが散歩道を歩きながら作っているのは、 へたななりに季語の入った俳句に近いのだ。 ということは、全国区、今の時代でも有名な「芭蕉」さんのことをもっと知らぬわけには・・・。 でも、なかなか前に進まず、中間点でいま「読み感」を書いているのであります。 この本は12のチャプタからなる。 それぞれ「芭蕉」か、その弟子たちが編纂した「紀行」や句集を頼りに芭蕉の歩いた道・句碑を訪ねる 「旅」なのだ。 文の構成は、訪ねた先の地図、現代の情景、芭蕉の当時の生活状況、読んだ句からの当時の情景 を想像しながら句心を解釈していく。 ついでにその旅先で、筆者は、昔の友を訪ねたり、さらにおいしいものを口しながらの旅なのだ。 読みながら、芭蕉に関し初めて知ることが多い。 まずは、名前・俳号である。 「宗房(むねふさ)」「桃青(とうせい)」「芭蕉」。 意外な事実も知った。 植物の芭蕉はバナナなのである。 芭蕉の旅は西行の検証の旅なのだということ。 また、変わったところで、彼は「男色」のようなのだ。 とはいえ、芭蕉を知ろうと思えば、筆者が言うように、 「旅してみなければわからない」ということなのだ。 そして、句を作る時、芭蕉はその場の事実だけではなく、「幻視」した世界のものも詠まれているのだ。 たぶん多くの人が、この本に誘われ、違う芭蕉を探そうとすでに旅に出ているのではなかろうか。 わたしも、旅に出たいと思うなら、後本半分しっかり読まないと。 と思いつつ、拾い読みで終わってしまった。そこで一句・・・。 「細道は まだまだわれの 夢のなか」 |
訪問看護 なぜ買ったのだろうか。 姉の8年に渡る自宅介護から、母が死んで三年がもう過ぎ、その介護について思い出したかったか らかもしれない。 それに、最近あったあの元気だった長嶋さんが脳溢血で突然倒れて、体が不自由になった話でも 頭の片隅にあったからかもしれない。 老いは着実にだれにでもやってくる。 あらためて、「老い」を考えながら、読んでいた。 この小説は、区福祉課に勤務する主人公の訪問先を舞台に主人公自身や家族、 介護される人に関る人々に起こるいろいろな 出来事から「老い」「死」「病」について考えさせてくれるものなのだ。 読み終った後、自分のホームページにある「エミ姉ちゃんの介護記録」を少し読みかえしてみた。 この本にも出てくるが、介護に関しては、私も含めた夫・男の理解が不十分であることを、 あらためてわからせてくれる。 また、老いて自分の体が不自由になった時、どのようにするのか、 してもらうのかも、考えさせてくれるのだ。 介護に関していろいろな言葉が出てくる。 流動食、胃ろう、膀胱に管、床ずれ(じょく瘡)が腰に、 いずれも懐かしく思い出される。 特に「床ずれ」については、母の治療を粘り強く続ける姉の涙ぐましい努力に、 いつも頭がさがるばかりだった。 また、七つ道具に、「体温計、血圧計、聴診器、ペンライト、爪切り、綿棒、アルコール綿、 はさみ、ライト付き耳かき、ばんそうこう、ウロペーパー」というのも出てくる。 この七つ道具、母のベッドの横に姉はいつも用意していた。 姉は、看護婦さんとと同じ役割を果たしていたのだ。 主人公のこんな言葉、「なぜあのとき、母はトイレに行ったのだろうか」 で母のことを思い出す。 「なぜあのとき(トイレの帰り)母は階段のところでこけたのだろうか」 ここから姉の介護が始まったからなのだ。 介護という重苦しい患者の状態を描写しながら、患者たちに温かい目を向ける 主人公のひたむきな看護。 やがて介護される人、その家族からの暖かい感謝の言葉や先輩に励まされながら、 先の見えない仕事に悩みながらも、 訪問看護を続けたいという、主人公があらたな決意をするというところで小説は終る。 終わりに、主人公の訪問介護先のひとつとして、 実に痛快で思わず笑ってしまう老婆の死が描かれている。 それは末期ガンに冒されながら、主人公に遺言の言葉「ありがと。 あんたが、この世で一番信用できる人だ。で、あの話な・・・、三にする、三だ」を残し、 金ばかりねらっている息子や娘に対してなぞなぞのような遺言状を残したおばあさんの話なのだ。 「3」というのは信託銀行に預けられた三通の遺言状の3ばんということなのである。 さらにその後の展開が実に面白い。 止めは、12億円の分配を受け取る条件は、一周忌に始まり、三回忌、七回忌、十三回忌、 二七回忌、三三回忌、50年祭で満願達成なのである。 多いに笑ってしまった。 余談だが、1番と2番にどんな遺言が書かれていたのか気になりますなあ。 |
三陸海岸大津波 と言って単行本はなかなか買わない。 店頭で「吉村昭」「大津波」のカバーが目についた文庫本。 30年前の作品のふたたびの文庫版なのだ。 もともと筆者の作品の中には、「関東大震災」というのもある。 この本は、ひたすら大津波があったという事実を残そうという筆者の姿勢がある。 だから、例のごとく生き証人を探し、特に「明治29年の大津波」について探すのは かなり苦労している。 だが、昭和45年当時で87歳と85歳の二人の男性に出会い、話を聞くことができたようだ。 そもそもこの本を書くようになった経緯が「あとがき」にある。 休養に出向く旅先−三陸海岸−で、村人たちや旅館の女主人から聞いた津波の話に 触発されて・・・とある。 休養先でも、知らぬ間にネタ探しの耳になっているのだ。 この津波の話は、明治29年、昭和8年、昭和35年の3部からなっている。 そして、話の展開は、その津波の発生した時代とともに変わっている。 明治29年の津波では、前兆に始まり、被害、挿話、余波、津波の歴史。 昭和8年の津波では、津波のいわれで始まり、波高、前兆、来襲、田老と津波、住民、 子供の眼、救援。 チリ地震の津波では、「のっこのっこやってきた」で始まり、生徒の作文、予知、 津波との戦いなのだ。 20年30年以上のサイクルで発生する津波、その後に生きる人間たちが 逃れるためには、当時の 体験談を次代の人たちに残し、防災設備と日頃からの訓練しかないのだ。 そのことが、この本では発生した地震に合せて、うまくまとめられている。 10年・20年何もなくても、「天災は忘れたころやってくる」を忘れてはならない。 この本を読みながら、3点感じたことがある。 まず、一点は明治29年の津波の挿話、昭和8年の津波の子供の眼そしてチリ地震の津波での 生徒の作文を読むと、やはり運というものがあるのだと思わされる。 2点目は、チリ地震の津波にある「津波との戦い」である。 なす術のなかった人間たちが、過去に学んだ津波非難訓練と防波堤の建設により、 いま現在自然との戦いに勝っているように見えることだ。 3点目は、昭和8年の津波の「子供の眼」に載せられている作文だ。 生々しくもあり、深い悲しみを誘うものでもある。 チリの地震の津波からもう40年以上も経っている。 人間は忘れる動物である。 戦争体験と同じように、体験者がいなくなると風化してしまうのだろうかと思ってしまう。 終わりに、津波の波高について、50メートルという話が出てくる。 体験のない私にとって、その高さにただただ唖然としてしまったのである。 |
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