司馬遼太郎全講演会 帯には「思索の海は、どこまでも深く、果てしない」なんて聞いたこともないフレーズが出てくる。 浅薄で深く考えることのない私からすれば、どんな海なのか見たくなってくる。 講演の内容を読みながら、司馬さんの脳の構造は、間違いなくデータベース 構造になっているのではなかろうかと思ってしまう。 それも取り出しやすいインデックスが工夫されている。 司馬キーワードをメモしておけば、講演に必要なデータは筋道立てて溢れ出してくるようだ。 全講演パート2も、やはり「日本人」「日本語」「文章」が中心になっている。 やはり気になる部分は、日本には思想というものがない。「要するに飼い馴らしのシステム」がない。 イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、ヒンズー教、儒教といった原形がないというのだ。 この原形がない変わりにこんなものがあるという。 「聖書に変わるもの、それは『世間』」ということのようだ。 そう言えば、たびたび「世間に顔向けができない」なんてことをよく言っておりますなあ。 この原形がない分、「世間」によってあっちへふられ、こっちへふられているように見える。 自衛隊のイラク派遣、いままさに日本の役割が問われているのだ。 「日本人と合理主義」の中に、意味深なフレーズがある。 この講演は、26年も前の話だが、この意味深なフレーズは21世紀の針路決める 日本のことを指している。 飼い馴らしのシステムにもこれといった宗教にも拘らない日本人だからこそできる役割。 大切な役割。 そのフレーズを書き出してみよう。 「われわれ日本人は、ひょっとすると、21世紀になると、世界のだれも助けてくれないような 重要な役割をするかもしれない民族になると思うのです。われわれはそのときに変な観念にとりつ かれなくて、ずっしりとしたリアリズムを持たなければならない」 いかがだろう。 小泉首相には、アメリカの流れに流されることなく、 リアリズムをもって決断して欲しいものである。 この決断を、司馬さんが生きていたらどんな評価をするのか見てみたいものだが・・・。 司馬さんがなき現在は、歴史がその判断をするのだろう。 他にも、読みどころ、聞きどころはある。ひとつだけあげてみよう。 「土佐人の明晰さ」というテーマで話しながら、現代の日本人特に若者をするどく分析し、 話してる部分がある。 これも、20年以上も前の話だから、さらに司馬さんを嘆かせるものではなかろうか。 |
峠(下) この巻のシナリオは、江戸落ちと資金作り、長岡での戦闘体制作り、直談判、戦、 主人公の死に様がキーワードになっている。 「勝つことはないが、負けることもない」と中立主義を 貫き続けた主人公に、やがて悲劇的な最後が訪れる。 中巻でどのように江戸から退去するのか、含みを残しながら、この巻では、 その策が明らかにされていくところから始まる。 北陸までの移動は、陸路ではなく継之助が用立てていたエドワルド・スネルの持ち船だった。 すでに、この船には、会津・桑名藩も乗船し、 さらに、資金作りのための米と2万両分の銅貨も積んでいたのである。 米は米のとれぬ函館で高く売る、銅貨は銭相場の高い新潟で売る。 この日のために、着々と準備していたのである。 継之助のこういった商才にも目を見張るものがある。 やがて、船で帰着した故郷。 大挙して攻めてくるであろう西軍に備え、継之助は何をしたか。 まず、留守中の官軍からの要求情報を聞き、藩内統一を図る事から始めた。 それには、佐幕派と勤王派との対立に際して、「こうと思い、そのこうのためには 死の覚悟をされよ」と大殿自ら決意する事を助言するのだった。 次に、継之助の政治に大いに反発していた親戚関係にある小林虎之助− 小泉首相が話しに出した米百俵の人物−との中を正常化することであった。 火事に見舞われた小林のために生活用品を準備して訪れたのである。 継之助は、貧乏しても屈せず「これはお礼である」といって、 赤心を面にあらわしつつ鋭く継之助の欠陥をつく 虎三郎に刺激を受け、そのえらさに感動する。 さらに、恭順派の洋式縦隊指揮官を何日もかけて説得するが、持説を曲げぬこの部下に 廃人という手厳しい処分を下した。 日増しに近付く西軍に、総督を拝命した継之助は、全藩士の前で殿様に代わり訓示。 いよいよ決戦態勢確立を宣言したのだ。 そして、継之助は、小千谷を占領した官軍の軍監岩村へ直談判へと出かける。 再々に渡る直談判は、会津藩の画策とこの軍監の若さから、全く話にもならず、「嘆願書」 さえ受け取ってもらえず、戦いの火蓋は切って落されてしまう。 一進一退の壮絶な戦いは、維新史上に残る戦いとして今も語り継がれているのだ。 この戦いの途中で手傷を負い、そのために戦場で死を向える継之助。 この武家社会には珍しい死生観を持っていた。 これは「あとがき」にあるのだが、「継之助は、死にあたって自分の下僕に棺をつくらせ 庭に火を焚かせ、病床から顔をよじって終夜それを見つめつづけていたという」のだ。 それを受けて小説では「わしが死ねば死骸は埋めるな。時をうつさず火にせよ」という 台詞になって描写されている。 死を覚悟してからの、河井継之助の行動はまさに帯にある「最後の武士」に相応しいものだった。 河井継之助に大いに学ぶべきものは、現場主義であり、行動力ではなかろうか。 |
峠(中) 「峠(中)」の帯にはこんな文字が大きく書かれている。 中正独立を守ろうとした、男の信念! 主人公継之助のこの信念は、藩主から重責に抜擢されてからの藩政改革、 京都への出兵、御所へ激越な文章による「建白書」の上呈、 国もとからの遠征隊派遣阻止に対する自らの機敏な行動、 大阪城での老中筆頭板倉勝静に拝謁時の対応、江戸での会津藩主催の 会合での行動。 いずれも「中正独立」という小藩が生きるべき道に向けて貫かれいるのだ。 特に、江戸城で出会った福沢諭吉とのシーンでは、継之助の考え方が明確に見えてくる。 藩というものにとらわれない福沢諭吉とあくまでも長岡藩の家老という立場に拘る継之助の 対比が面白い。 この編は、年月にして、3年ほどである。 その間、継之助は、外様吟味に始まり、郡奉行、町奉行兼務、年寄役、そして家老と スピード出世していく。 歴史の大きなうねりが起こり、封建社会が大きく崩れようとしている時代。 日本という国が、倒幕派と佐幕派に分かれ、開国により西洋文明を受け入れようとしていたのだ。 このような大きなうねりの時代には、それに相応しい人材が必要とされるのである。 小藩ではあるが、家老まで上り詰めた継之助は、 藩政改革により、藩内を引き締め、金を作り出す。 さらに、江戸に出て、藩邸の宝物を売り払い、最新兵器を得て、内密裏に軍事近代化を図る。 さらに、兵も近代化するため、「洋式調練」まで行うのだ。 これらの行動は、すべて「長岡藩の自主独立の態勢をととのえ発言権を保持するためだ」という 一点、長岡藩の家老という立場主義にある。 それは、会津藩招集による江戸の大槌屋での会合でも明らかである。 「箱根の嶮で官軍をふせぐことだ」「最後にうけたまわりたい。官軍に対して抗するのかどうか」 と発言する。 満座に、声がなかった。 「さればわが藩はひきあげる。このうえはわが藩は独りその封境をまもるのみだ」 これこそ『男の信念』なのだ。 この編での継之助との人のネットワークは、親友小山良運、スイス人ファブルブランド、 国籍不明のエドワルド・スネル、福地源一郎、老中板倉勝静、福沢諭吉、会沢藩士秋月悌二郎。 この当たり、新しい時代を作る人たちと継之助との出会いがあれば、 まだ歴史は変わっていたかもしれない。 (中)巻の終わりは、継之助が江戸藩邸を退去するため、支藩の4藩を招集して別れの盃を交す。 このセレモニーを終え、「吉原」へ出かけるシーン。 昔懐かしい妓の名「稲本楼の小稲だが」をつげるが、 「あの太夫は1年前から病気で・・・」と聞き、多額の金子を 置いて「もう来ることはあるまい」と去って行く。 いよいよ決戦の舞台へ。 この(中)巻で面白いのは、前半にある師と仰いだ山田方谷「改革はせっかちにやるな」の言葉を胸に 収めながら着実に藩政改革を進める部分である。 ここで話しのネタになっているのは、新しい村民と庄屋とのもめごと、 ばくち禁制と寄せ場づくり、妾退治、遊郭の廃止。 事実はどうだったかは知らないが、実行する前に、まずは環境整備ということで、 「おふれ」を出す前に、噂を流す。 広まったところで、「おふれ」を出す。 それでも、破るものは、 遠山の金さんのように問題が起こっている市井に町人姿で 入り込んでお触れを破った事実を掴んだ上で裁くのである。 痛快といえば痛快だが、取り締まられた方はグーのねも出ないのだ。 裁きは、大岡裁きのようでもある。 |
峠(上) 特に、実在の人物の残したものをたよりに、その人の考え方や、その主人公の周囲に 関わってくる人の輪、そして歴史上の大きな出来事、知られざる事実・・・・。 あっという間にその世界に魅せられてしまう。 司馬遼太郎の世界、吉村昭の世界は私を夢中にさせてしまう。 久しくボリュームのある歴史小説は読んでいない。 1年数ヶ月前に読んだ子母沢寛著、勝海舟全6巻以来なのだ。 読む粘りがなくなったせいか、「峠」全3巻。 手を伸ばすのを躊躇っていたら、ひょいと押す人がいた。 それは著者自身なのだ、という言い方は可笑しいかもしれないが。 実は、この本を読む前に、「司馬遼太郎全講演(1)」の中に主人公の河井継之助の 死に様の話が出てくるのである。 さらに、名は忘れたが、官軍側として河井長岡藩と戦った隊長が、自分が円熟してから 河井の死を惜しむ話も出てくる。 これが気になり頭に残っていたからなのだ。 「峠」、司馬遼太郎、帯の英傑って誰だとカバーの裏を見て・・・ ・・・河井継之助は、いくつかの塾に学びながら・・・・ これで買求めた。 前置きが長くなった。 上巻は、二度目の江戸遊学のために、32歳河井継之助が、 藩の主席家老の家を何度目か訪ねるところから始まる。 と言っても、帯に出てくる「英傑の生涯」とは程遠い、ほとんど「おんな遊び」の話なのである。 おんな遊びは、江戸へ出る前の芸者あそびに始まり、江戸への旅時での旅籠の酌婦、 江戸での遊郭の女郎、そして新しい師−備中松山藩儒者山田方谷−を求めての旅。 この旅でも、旅籠の遊女・酌婦、そして京都の地女の元女官と続くのであります。 この女の話が、師に会い学ぶまで続くのだが、ほぼ5分の4なのだ。 こういった男と女のあっけらかんとした関係を、スイスからやってきたスイス商人 ファブルブランドのキリスト教国と対比させているところもある。 江戸時代の性風俗を垣間見ることができる。 新しい師を求め、また長崎への河井継之助の旅は、旅日記「塵壷」に書かれているようだ。 この小説に書かれている、おんなの話も出ているのだろうかと考えてしまう。 ただ、おんなの話ばかりではない。 古賀謹一郎の私塾・学塾等過去学んだ人たちの輪から、 この旅ではその恩師等との再会を果たしている。 当時、旅での訪人癖は、「人に会うこと以外、自分を啓発してゆく方法がなかった」とも書かれている。 さてさて初っ端に実に面白いと書いたのだが・・・。 それは、遊学を終え、自費での山田方谷への師事、長崎見学も終え、故郷へ帰った主人公。 中巻への大きな展開を思わせるところなのだ。 それは、藩主牧野忠泰が京都所司代に抜擢され、これに対して継之助が家老に「辞退するように」 という意見具申から始まる。 まさに歴史は明治維新へと大きなうねりが起ころうとしていた時。 尊王攘夷で公家が京都で台頭し、京都ではすでに幕府の権威は失墜していたのである。 早く次が読みたし、書店へ向わねば・・・。 |
週末起業 と言って、会社をやめてまでの勇気もないし、いずれにしても「定年」という二文字も 近いので、セカンドライフでぶらぶらするのか、それとも好きな何かをして、ちょぴり金を もらって毎日の生活のベースにできたら、そんなヒントがないか。 そんな気持ちから読む気になったのだ。 「会社を辞めずに起業する」これがポイントなのである。 私の頭の中には、セカンドライフスタート時にうまく軟着陸したい。 だから、「週末」という言葉もキーワードなのである。 表紙の裏にこんなことが書かれてある。 「『リストラされたらどうしよう』『老後の生活が気がかり』『いまの仕事で喰っていけるのか』 −景気が冷え込むいま、先行きに不安を覚えている人は多い」 この2つめのフレーズが私の不安・課題なのである。 だから、第4章の・・・税金講座の話や第5章の法人のメリット・・・などには、 あまり目は輝かない。 斜め読みをして飛ばして、特に第2章「これが週末起業の醍醐味だ」と第3章 「成功する週末起業の考え方」を繰り返し読んだのだ。 その中には、週末起業のビジネスモデルでは実際の成功例があげられているところや、 自分が好きなことが見つけられない場合の見つけかたや自分の得意なことの見つけ方。 このポイントが書かれている。 とは言っても、「できることから、とにかくはじめること」とあるように やらないことには何も始まらないのである。 さらに「時間の制約のある週末起業では、好きでないと続かない」ということなのだ。 当然やるからには、本当に自分の好きなことは何なのか何だったのかを十分吟味する 必要があるのだ。 そのためには、まずは起業のネタを探し、その中から自分のやりたいことを絞り込み、 次に「できる」ことを絞って、さらに「時流に乗っている」かどうかで絞り込むのだ。 ただ、仕事ばかりやってきて、無趣味で通してきた団塊世代の仕事人間には、 誠に見つけることのむつかしい話なのである。 私が、もらったヒントは、「趣味で物をつくる人なら、その作品を売ること」 「手作り品は、他で手に入らないものですからお勧めです」これなのだ。 ただ問題は何を作るか、大いに問題である!! そしてオンリーワンビジネスになれば、成功間違いなしらしいということなのだが・・・ |
父の残した言葉 自分自身が父の死んだ年に近付いてきた。 振り返ってみてわが息子に父として残すような言葉を発している・きたのだろうか。 そんなことが気になり、いささか反省をしながら買い求めた本である。 この本は、筆者が60歳を機に、15年前に亡くなった父の言葉を回想しながら。 その言葉をキーワードに自分の人生にどんな影響を与えてきたかが書かれたものである。 父はどんな人だったか。 ひとに問い、自分に問い、母に問い、そして父に問う。 そんな父への鎮魂歌のような詩から始まるのだ。 帯には、「羅針盤」にできるような父とか、 少し昔のひとは、こんなに豊かな言葉を持っていた・・・と書かれてある。 昔は誰もが職人だったのだ、職業に、仕事に、苦労して習得した技術に自信を持っていたのである。 だから、歯車のようなサラリーマン生活をしている現代のオヤジとは違うのだ。 思うに、筆者の父は職人でありながら、寡黙でも頑固でなかったことだけは確かである。 どちらかと言えば、父が将来をよく当てるという教祖・祖母の教えで娶った母の方が、 威勢がよくてことごとく父の反対をいい小気味いい。 読み始めは、文体がやさしいのに、なかなか次へと進まなかった。 乗ってきたのは、「夢」からのチャプタである。 特に「バクのように夢を食って生きられたら最高だよ」である。 なぜ主人公の口から、このような言葉が発せられたのか、もう少しくわしく書くと。 もともと筆者は、小学校4年生の時、 「ツタンカーメン王のひみつ」に感化されてエジプトに行きたいという夢を持つ。 そして、やがてその夢を実現し、やがて押しも押されぬエジプト学者へとなるのだ。 そんなことは、夢見る作治少年もこの先生も知るはずがないから面白い。 ある日先生にその夢を話すのだが、この先生、誠に夢がない答えをするのだ。 ようはそのためには「もっと勉強して大学へ行け」という。 これに対して「ツタンカーメンを発見した人は小学校しか出ていない」と吉村少年は言う。 これに対して「それは百年前の話、今は勉強して東大へ行きなさい」と言う。 さらに続く、少年があまりにしつこいので、この先生、親に会いに来たわけで・・・。 その時にこの言葉を筆者の父が発したのでございます。 そして止めは「やらせてみます」の言葉なのだ。 読みながら、この言葉にホロリときましたね。 この話から、「世界は広いなあ」、 「千里の道も一歩から」、「ひとはみな不平等だからいい」 「死ぬ気になれば何でもできる」へと続く話にホロリホロリとされてしまったのだ。 いくつも昔はあった家族の暖かい話。 その話から出てくる、父の言葉から筆者は生き方の多くを学んできたのだ。 終わりに、エピローグにある話をしたい。 この父は、かねてから尊敬する祖母の命日7月7日に死にたい願望があった。 見事、その命日に縁側で日向ぼっこをしながら、眠るように死んだのである。 このような死に方に興味をお持ちの方、息子からの評価が気になる方には、 是非一読をお勧めしたい。 ただし、自分が思う日に死ねるか、眠るように死ねるかどうかは保証のかぎりでは ありませんので、誤解のなきように。 |
さらば外務省 この手の本はあまり好きではない。 暴露本は、流行病で覗いてはいけないところを覗いているという感じがある。 芸能情報みたいにあのタレントがあの俳優がどうしてる情報に同じだ。 極めて興味本位なものになるからでもある。 田中真紀子が言い放った「伏魔殿」。 外交相手の情勢を適確に分析するという大切な役割を果たさない、 言い訳上手で税金の無駄遣いをするただの集団というだけで、魔物は住んでいなかったようだ。 覗いて見れば、大企業病の典型的な例のようなものだ。 それは、筆者が外交情報を発信するたびに出てくる「早速本省にこの趣旨を打電した。 ところが、東京からは、いつまでたってもなんの連絡もない」このフレーズ で十分すぎるほどわかる。 全く組織として機能していないのである。 とは言え、企業の場合は、いつかかならず自浄作用というものが働く。 官僚社会には、そのようなものはないようだ。 現に、田中真紀子が大臣を辞め、鈴木宗男が裁判中となってからは、 外務省の一連の不正疑惑糾弾や外務省改革をマスコミがほとんど取り上げなくなった。 それをいい事に、改革がうやむやで終っていくような気がする。いやもう終っているようだ。 親方日の丸だから、潰れることがないからいい加減なものである。 ただ、「拉致」「北朝鮮外交」だけは、だれもがまだ注視している。 外務省の腕の見せ所なのだが、膠着状態が続いているし、いまだにミスターXなる人物 疑惑が消えないのである。 この「拉致」は、11月に行われるだろう次回6カ国協議で解決されるとは思えない。 筆者が言うように、「小泉首相が、本気で拉致家族の心情を思って外交をしているのであれば、 日朝平壌宣言が完全に反故されてしまった今こそ、自ら再度訪朝し金正日と直談判し、 拉致問題の解決をはかるべきである」。 たぶん、選挙前には何も起こらないだろうが、 そろそろ小泉さんの出番ではなかろうか、小泉さんの行動に注目したいものだ。 しかし、外交政策は自民党が政権から降りない限り、変わらないと筆者がいうように、 自民党・与党が勝ってしまうとこのまま不甲斐ないお寒い外交政策は変わらないようなのだが。 と10月24日に書いたが、この「読み感」がホームページで公開されるころは、 すでに与野党の情勢が逆転?してるかも、いややはり自民永久政権が続いているかも・・・。 さて、この本、まずはインパクトのある「願に依り本官を免ずる」なんて辞令から始まる。 次官からの辞令交付時には、自分の意見具申が大臣までいってるかを問うだけで、解雇に 異議を唱えてないから、藤井総裁のように裁判は考えていないのだろう。 ひょっとして、ヤナギの下の二匹目の泥鰌を狙って、藤井総裁が真似すかもよ?これは。 思うに、まあ「 」内の言葉を喋ったとされる名指しされた外交官・外交官OB、政治家どもは、 どんな思いだろうか。 名誉毀損で訴える元気はあるだろうか、言われっぱなしってのは国民の一人として 面白くない。 大いに反発してもらい、内部からの自浄作用を働かせてもらいたいものだが、期待するほうが 無理な話だろうか。 この本を読んで感心したことがある。 この「内部告発」、いやもうやめてるから「外部告発」を、辞令をもらってからほんの1カ月で 書き上げていることだ。 そして、その内容が、この本に登場する人物の「」内の台本なしの台詞、 古いもので30数年前のものがあるが、よく覚えているものだと、ただただ感心するのだ。 本人が言うように「私怨」であるとはいえ、小説ではないのだから、 常に日記帳でもつけていたのか、「この怨みいつか晴らしてやる」という凄まじさを感じる。 我が家で夫婦喧嘩の時、家人に過去の私の不誠実な言葉をなじられて、 「負けた」と思わされ、黙ってしまうことがあるが、 なんで今でもその台詞を覚えているのかと同等の迫力を感じる。 いつもこの迫力は女性特有のものだと思っていた。 しかし、本日ただ今からその考えを変えることにいたしましたよ。 どうもこの「私怨」、筆者が1988年アフリカ二課長の職を解かれて、 総理府への出向した時点から始まり、 職を解かれるまでのキャリアとしての屈辱の外交官人生ヘの訣別の集大成なのだ。 この凄まじさがあるなら、早くに別の仕事を選択してもよかったのではなかろうかと 思うのは私一人だけだろうか。 |
司馬遼太郎全講演(1) 「老い」とか「死」とかいう言葉ばかりが気になっているからだ。 と言って、歴史小説を買ったわけではない。 司馬遼太郎の話し言葉の記録。 小説が面白くても、かならずしも講演が面白いか。 すでにパート(2)も出ていたが、当たりはずれを少し警戒してとりあえずパート1を買ったのだ。 警戒する必要はなかった。 面白い、話し言葉だから難しい漢字が出てこないのが実にいい。 司馬さんの歴史小説に出てくる主人公の裏話、こぼれ話と時代時代の歴史観を 司馬流の簡単な漢字のキーワード で表現してくれる。 ある時代は「学問」の時代であるとか、「経済」の時代であるとか、・・・ 単純な言葉でなぜ表現できるのだろうか、残念ながら私にはわからない、長年歴史に関わってきた 筆者ならではのなせるわざなのだろう。 この部分は置いておいて、小説には出てこない、主人公の気になるこぼれ話について書いてみたい。 それは吉田松陰と河井継之助の話である。 まずは「松陰の優しさ」である。 長州藩が松陰を保護するために、牢に入れ、牢での囚人と松陰との交流について書かれている。 誰にでもある、長所をいかに見つけるのか、それは「心の優しさ」なのだという。 では、心を優しくするためには、どうするのか、これもちゃんと話している。 「己をなくすことがいちばんです。競争相手であることを押し殺し、その相手を優しく 眺めてみれば、あのことについては自分はおよばないと、よくわかってくるはずです」これなのだ。 己に執着する凡人は無理のようである。 もう一人の河井継之助。 官軍に敗れ、傷を負って死を直前にし、敵に自分の遺骸を見せたくない継之助は、信頼する中間に 自分を焼くための準備を命じ、火を眺めながら息を引き取ったのだ。 いずれだれしもこうなることはわかっているのだが、やはりすごいの一言である。 その外にも、気になった内容を書き出してみたい。 まずは、文章について興味深いことがある。 「三日も文章を書かずに旅行ばかりして遊んでおりますと、四日目に帰ってきて原稿を書く場合、 脂汗が流れるほど四苦八苦します。ところが文章を毎日書いていますとそういうことは ありません」 プロとして金をもらおうと思えば、毎日でも続けることが、まずは大切なのである。 事実、駄文を書く私でさえ、メル友に書く文章、この読み感を書き続けることに苦しんでいるのだから。 こんなのもある、「思想はうそであり、大変なフィクションである」。 これは、東西の対立がなくなってよくわかった。 マルクス主義なんてものが大変なるフィクションであることが。 次に、「汚職は儒教の原理で文明だ」なんてのもある。 儒教が文明の原理として導入された韓国では、10親等、同じ名字のものとは結婚しない。 親族となれば、礼儀を払い、頼みを聞いてあげないといけない。 そうするとどうなるか、その中から大統領が生まれるとその人たちが押しかけ、 利権を与えよ、官吏にさせよ・・・そして汚職が生まれると。 事実、最近の韓国の歴代大統領が辞めた後をみれば明らかである、汚職は文明そのものなのだ。 その他、「日本は文明の原理というものと関係ありません」、 「もともと日本には競争の原理・精神が続いている」。 「日露戦争は日本人、そして日本国家の原形を作ってしまった」、 そして「日本は自転車操業するしかない」と言った小村寿太郎。 面白い小話がいくつでも出てくるから、読んでいていや聞いていて?飽きないのである。 これはもうパート2を読まない手はないのだ。 |
「閑」のある生き方 40代の年まで、いつも「忙」で生きたきた、いまだに時間に対する追われるような気持ち から余計に読みたくて、うずうずしたのだ。 著者の本は、「風の良寛」「老年の愉しみ」「自分を生かす”気”の思想」を読んできた。 あがかない質素な老いの生き方を教えられる。 この本の中には、筆者がこれだと思う、 「老いの生き方」が書かれたいろいろな本からの引用がある。 それは、良寛の詩集であったり、吉田兼好の「徒然草」、加島祥造訳の老子の詩句、 セネカの「人生の短さについて」、尾崎一雄の「まぼろしの記・虫も樹も」、 そしてローマ時代のエピクテートスの話などであったりする。 話の展開は、40代を迎えた「甥っ子」に、老いに向ってどう生きていくべきか 彼を諭すように進んでいく。 物の時代、消費する時代、金本位の時代、経済成長率のあるのが当たり前の時代、自己中心主義。 いい大学、いい企業、出世、名誉を重んずる時代にどっぷりと浸かった、いまその中心にある 「甥っ子」世代。 筆者が言うこと、いずれを実行するにも、大きな自己変革を要する事なのだ。 55歳を過ぎ、定年も近い我ら団塊世代でさえ、我らには関係ない事と思っている「フシ」がある。 それは「僕は現役で勤めている人達に会うとつい、今のうちから定年後の生活に入る心構えを 作っておいたほうがいいよと・・・、もっとも大抵の人はなんでそんなことをいわれたか わからぬふうで、『はあ』とけげんそうな顔をするだけだったが」 こんな本文のフレーズで十分わかるのだ。 まずは、老後の迎え方を二つに分類し、ひとつはやめたとたんがっくりの悲しい末路、 もう一方は老年を自由の時としたものになるというわけだ。 悲しい末路にならないためにも、仲間と飲む習慣を少なくして、家族と一緒に過ごしたり、 自分の時間を作ることを進めている。 次に、「マインド」主体から「ハート」主体への切り替え、 これには加島祥造の文を引用し、自然情報に耳を傾けよである。 さらに続けよう、生活を単純化し、物を捨て、物に執着するな。 老子の言葉を引用し、自分の外に目を向けるのではなく、内に目を向けよ。 人生にはする事よりしないことも大切だと説く。 7章では実践上での忠告まである。 その中には、腰痛にいい平床寝台を進め、ベッドで寝るなと言い、 テレビ、ラジオ、パソコン、ケータイなどへの依存度を減らせと言い、 仕事を自分の時間まで持ち込むなと言い、 自分でからだを使ってすることを覚えよと言い、 カードかローンとかの誘惑を疑えというわけである。 いかがだろう、物質文明の恩恵に浴し過ぎている現代人にとっては、実に耳の痛い 話なのである。 なんでそんなことまでとお思いの方に、8・9章で西暦紀元の初めのころローマ で活躍したエピクテートスの言葉を引用し、人生哲学とせよというわけである。 特に、自分のほんとうにやりたい事をしぼり、しぼりこんだら他のものは捨て、 やりたい事を一生かけてしようと思う事を進めている。 我ら団塊世代も変な好奇心が多すぎて、いろいろやってみたい気持ちがですぎ、 結局あれもこれもとやり過ぎているか、 仕事・自己組織中毒で仕事以外何もしないでいるか、どちらかと言えば後者ではなかろうか。 10章では老人を誉め、11章では「今ココに」を心得よ、 12章では、若い頃、筆者が励まされた尾崎一雄の言葉と、 ヤンキースの松井にアドバイスした大リーグの往年の名プレイヤー−レジー・ ジャックソンの言葉を、13章では一人家族から離れて田舎暮らしをする畏敬の友の 生き方を紹介し、14章では自足したセカンドライフを送る人たちを紹介している。 15章では、単純・簡素化された筆者自身の生活ぶりと楽しみが書かれている。 それは、「書」「碁」「酒」「犬」「読書」である。 さてわれの楽しみになるか、 「書」、書く気はないし、碁もやりたいと思わない、 さらに酒に至っては毎日晩酌で3合ということだから、 我は平生、付き合い程度で、それも一人で飲むのは好きではないから毎日晩酌はしないだろう。 「犬」は今のところ飼う気はない、最後の「読書」は好きだが、天職になるほどの ものではないし、「流行の小説やハウツーものぐらいしか読まない人は・・・ 老年になって実用上の必要がなくなると、ぱたっと本を読まなくなる」なんて書いてある からこれも続くかどうか怪しい。 いずれも、我が40代後半からやり始めたセカンドライフのために チャレンジしてることとは相当かけ離れているが・・・。 私のセカンドライフの考え方は、室内で生活のベースとなる自分ひとりでできるもの。 野外で自分ひとりでできるものと野外で友とできるもの。 家人と室内外で一緒にできるものを60歳までに作ることなのだ。 今のところ、やってることは、だいたい内なる心から、止めたいなんて言ってこないので、 いい方向なのではなかろうか。 老いの生き方、大いに気になることなので、「読み感」というより、 本の要旨をできるだけ沢山書いた。 これからの生き方に大いに参考になる事ばかりだ。 自分のぺースで少しずつ、15章の「自分の場合」を除いて、実践していきたいと思う。 |
話を聞かない男、地図が読めない女 なぜか、自分が本を選択したという楽しみが打ち消され、主体性がないように思うからだ。 初版が発売され、自分が選択し、その後ベストセラーになる、それは結果であり問題ない。 だから、この本、メル友から薦められなかったら読まなかったかもしれない。 とは言うものの、初版単行本でかなり長い間話題の書になり、気にはなっていた。 意固地なのか、男脳のなせる技なのかとにかく買わなかった。 あれから3年経った。 文庫本化され、気になってはいたが買わなかった。 また、いつも買う書店でベストセラーになっていたからだ。 全世界600万部、そのきっかけは日本で本格的に出版して200万部。 日本人に何が受けたのだろうか、脳の働きに関心がある人が多かったからだろうか。 読後、思うに統計学(占い)的要素が強く、男・女の性向を見事に言い当て、 翻訳が実に素晴らしい。これに尽きるような気がする。 それは、小見出しや具体的な内容の中に散りばめられている集約形の格言の ようなフレーズもさることながら、・・・・・。 やはり、本の題名である。 原文の英語はどうだったか知らないが、 男も女もぴんと来た人が多くいたのではなかろうか。 特に、「話を聞かない男」これで多くの女性を引き付けたのは間違いないと私は思う。 さてさて、前置きが長くなった、内容に触れていこう。 読みながら、引き込まれていく点が3つある。 まずは、チャプタの最初に夫婦の会話を織り込み、 日常生活の中から、男と女、何万年?何十万年も続く行き違いを鮮明にし、 これでもというぐらい思い当たるフシに気付かせる点だ。 次にこころにくい程のタイミングでの男脳・女脳テストである。 ちなみに私は「90点」ゲイでないことだけは確かである。 そして、さらに疑い深き男どものために、最新の脳に関する科学的なデータや、男女への アンケート結果が載せられているのである。 話の展開は、はじめにで「いまの世の中では、技能や適性、能力において男女差はないことに なっている−だが、その前提が完全な誤りであることは、科学の世界では以前から知られていた」 の問題の提起から始まる。 そして、現代社会が男の役割にとっても女の役割にとってもややこしくなってきたのは、 男女共同参画社会というものになったことなのだ。 「いまや家族が生きのびる責任は、男の肩だけにのしかかっているわけではない。女が 家にこもって子育てと家事に専念する時代も終った。現代の男と女は、それぞれの役割をどう 説明していいかわからなくなっている。こんな事態は、人類の歴史でははじめてだろう」 というフレーズで現代社会の問題を明らかにする。 そして、男と女の役割は何十万年に渡って進化してきたが、 その役割について男脳・女脳から見つめ直しているのだ。 男の優れた脳−空間能力−と、女の優れた能力−マルチトラック能力・感覚能力− について、なんら現代も変わるわけでも、変わったわけでもない、相互理解によって、 この問題が解決されていくのだと解くのである。 この本で、私が興味深く読んだところは2つある。 第9章の「男と女とセックスと」と第10章の「結婚、愛、ロマンス」である。 いい年をしてとお思いかもしれないが、性に関しては男として興味が薄れないのだ、 ほんとにお恥かしいかぎりである。 第9章の単刀直訳の小見出しには関心する。 笑われるかもしれないが、書き出してみよう。 「女は愛する男とたくさんセックスしたがる。男はとにかくたくさんセックスしたがる」 「なぜ男は気が多いか」「オンドリ効果」「なぜ男は(ひそかに)悩殺スタイルを好む?」 「男の勝負は3分間」「タマの話」「考える睾丸」「男の眼福」「どうして男は『あのこと』 だけなの?」いかがだろう、興味をもたれた方は、買って読むしかないのだ、700円也である。 終わりに、第10章の話を書いておこう。 この本にある、格言?的フレーズを抜きだしたい。 「結婚は悪いことばかりじゃない。忠誠心、寛容、忍耐、自制などなど、独身のままなら 知らなくていいことをたくさん学ぶことができる」 「女は結婚の代償としてセックスし、男はセックスの代償として結婚する」 「男は理想のパートナーを探しつづける。しかし結局はむだに年をとるだけ」 3つ目のフレーズは、女も同じではなかろうか。 まあ、この格言?を確かめるためには、やはり結婚するしかないのではなかろうか。 終わりの終わりに一言、「男脳と女脳の違い」いずれにしても、知るのにはもう十分すぎる ほど遅すぎたのでありますよ、でもって、未婚の若い男子は是非一読すべしなりであります。 |
女のものさし男の定規 ものさし、定規、この言葉から、何となく融通がきく「ものさし」なのに対して、 どうも杓子定規を思い出し融通がきかない人を想像してしまう。 世の中は、まだまだ男社会である、男女共同参画社会には程遠い。 この企画は、日経新聞土曜日版にNIKKEIプラス1に昨年4月から1年間、連載 されたらしい。 日経新聞、会社で毎日見ているが、別版はいつも開いたことがなかった。 あらためて結構面白い企画があるのを意識して、これからは別版も開くことにしよう。 もともとこの企画は「女性と男性のすれ違いをリレー方式で書けないか」というアイデアが与えられ、 男性編集委員と2名の女性記者で始まったのだ。 年齢は定かでないが、既婚で50代40代30代ではなかろうか。 さてさて、どのテーマが自分たち夫婦に当てはまるかは読んでの楽しみ。 1〜4章で、それぞれ7〜6つのテーマが取り上げられている。 5章は、この文庫発刊時に加筆されたもの。 このリレーに参加した一人一人によって、書かれた物である。 題名は「男女の違いは脳のせい?」「愛すべきあんぽんたん」「長寿社会のもたらしたツケ」である。 まあ、人選がなかなかいい。 男50代、男社会の恩恵に浴し、そろそろセカンドライフへの助走運転というお立場。 この方を中心に、仕事に家事に奔走されている二人の女性。いい組み合わせである。 一番面白かったのは、「愚問」という題で書かれたもの。 愚問−「晩ご飯、何食べたい」−という妻の口からよく出るフレーズを取り上げているのだが。 この愚問で思い出したのは、「底辺の話」で夫婦喧嘩まで発展した、家人の友達夫婦である。 「水島の友が、いつものようにご主人に、あそこが痛いここが痛いと言ってたら、 『いつもそんな底辺の話をするな』なんて言われた」というわけなのです。 男から見れば、ほんの些細なことのように思えてしまうのだ。 ちょっとしたボタンの掛け違えなのだが、相手の立場を思う気持ちがないばかりに、 こういったすれ違いになってしまうのである。 それぞれのテーマで気になる発言があれば、すぐに読者からの反応がある。 反応があったものは、テーマの後に掲載されているのだ。 2名が匿名というのが面白くないが、もう 1名はセカンドライフとおぼしき名前明記の男性からの反応である。 ようは自分で考えて作って見ればわかるというわけである。 たぶん、この編集委員は、単身赴任とやらもやったことがないのではなかろうか? 思うに、3名分しか反応の掲載はされていないが、相当数反応があったのではなかろうか。 以後こういった「ちょっとしたボタンの掛け違え」がないのが余計に気になるのだが・・・。 次に気になったテーマは「孤独」である。 まず、30代の女性記者からの「孤独を堪能しよう」で始まる。一人になって自分を見つめる 大切さを説く。 それに対する、男性編集委員の発言は、「一人でいられるように」である。 男は孤独に弱いようだ、年を取って妻に先立たれると、後を追うように夫は死ぬという。 さらに、65〜69歳の男性の再婚率は0.5に対し女性は0.18なのだ。 男の弱さを垣間見ることができる。 私は、いままさに単身赴任で秋から冬の時期、大いに孤独を堪能させていただくことになる。 男の弱さと闘っている?のであります。 最後にもうひとつ、「記憶力」である。 「『あの時、あなたはこうだった』。何かが起きるたびに、妻たちが昔の事件を持ち出し、夫を 攻める」これである。 年を重ねるごとに、お互い人の名前がなかなか出てこないのに、不思議と過去の私の失敗、無関心だった ことを事あるごとに実に明確に憶えているのであります。 「妻はいつでもヒロイン」の小見出しで大いに納得 できたのだ。 セカンドライフになれば、あきらかに妻本位。 ちょっとしたボタンの掛け違えでも、もう仕事に逃げるわけにはいかないのです。 この本は、もうすぐセカンドライフをお迎えになられる男連には必読の書なり。 |
「60歳の壁」をらく〜に越えある5つのこころ術 著者「はらたいら」は、30年ほど前に始まった「巨泉のクイズダービー」 に16年間も出ていた。 いつも、なんでこんな解答−宇宙人的−が出てくるのか、また竹下景子の三択の女王 と合せて、いつも楽しく見ていたのだ。 どうも宇宙人も病気をするらしい。 なんというウイルスにかかったのか知らないが。 この番組を降りた年(49歳)に男の「更年期障害」を体験したらしい。 いまはそれを克服しゆったりと、オンリーワン思考で、がんばらないスタイルで、 笑いとユーモア溢れる生活で、しばられない生活で、甘え体質で無理なくらく〜に 生きているようなのだ。 年齢的には、さほどかわらないから、本から察する病状からすれば、 いまの私もその一種かもしれないと思える。 いわゆる、いろいろな話を聞いても「それがどうした」でやる気が全く起こらなかったらしい。 こと仕事に関しては、私も全く同じであります。 たいらさんは、「らく〜に」とは言うけれど、とてもそうは思えないけど。 ご本人的には、実にらく〜な生き方なのだろう。 思うにそれは、ひとことで言えば「自分らしく生きる」ということだと思った。 それが出来たのは、間違いなくコインの裏表のような女房殿のおかげらしい。 5コマ漫画ではないが、この本は5つで構成されている、5コマ目に大いにのろけが書かれているのだ。 このコマを読んでわかることは、日本男児は女房殿に面と向って感謝の言葉が言えない、 それは「はらたいら」とて同じなのだ。 それを、この本の紙面を借りてそれも50ぺージも割いているのであります。 要するに、還暦のけじめとして大いに「女房殿に感謝せよ」とのアドバイスなのである。 と言っても、凡人はいかにすべきなのでありましょうか。 そのくらいは自分で考えないと、脳のシワがなくなって呆けると言う事なのです。 この本では、私なりに大いに気になった言葉がある。 それは「バカの壁」ならぬ「60歳の壁」である。 私の場合、おやじはこの壁の前で沈没、あの世にいってしまった。 だから、たちまち私の人生としては、60歳は大きな壁なのである。 この本からいただけるヒントは即座に実行したり、すでにやってるものは 追い風をもらってると考えて継続したいものだと思っている。 まず、一番は「頑張らない」ということ。 これは、仕事のことではない、趣味のことである。 ついついたくさん作ろうとか、いいものを作らないと、とか思ってしまうのだ。 らく〜に楽しんで続けたい、続ける苦痛が出たら止めればいい、そんな気持ちで 早速実行したい。 次に、散歩は、更年期障害のリハビリ・体力作りの一環として続けていたい。 そして、「笑いやユーモアという『潤滑油』がなければ人間の脳は働かないということ を身をもって体験してきたわけです」と筆者が言うように、笑いやユーモアを 大切にしていきたいものである。 最後に、帯にもあるように「威張らない」「頑張らない」「欲張らない」の「3ばる禁止」 で壁に立ち向かいたいものである。 |
歴史の影絵 取材のノウハウが盛り込まれ、小説を描くための主題の選択、構成の元になるものなのだ。 この本には、11の話が出てくる。 それぞれ、この取材を元にして歴史小説として発刊されている。 無人島野村長平は「漂流」、反権論者高山彦九郎は「彦九郎山河」、 洋方女医楠本イネと娘高子は「ふぁん・しいほるとの娘」としてすでに読んだ。 しかし、その他にも8冊の本が出版されているが、残念ながら読んでいない。 また、この本には、取材の結果、得られた事実がそのまま記されている。 歴史の伝承者たちの生々しい証言は、時には大きな驚きとなる。 私にとって、一番生々しく驚きでもって読んだのは、最後の沈没した潜水艦の話− 伊号潜水艦浮上す−である。 まずは、同艦が沈没した話をたどるため、救出された2名の乗員を訪ね、沈没から救出 までの経過が書かれている。 次に、昭和28年実際に同艦の引き揚げ作業に従事した人たちとその模様が記されている。 そして、問題の生々しい話は、引き揚げられた艦の中を写真で撮ったカメラマンが語る 部分なのだ。 死をも怖れず、酸素不足と死臭のする艦内をものともせず、撮りまくる記者魂。 そんなカメラマンが中国地方の新聞社にもいたという驚き。 艦内に生きているような姿で死んでいた乗員たちの生々しい姿。 カメラマンの証言で特に驚きの目で読んだ部分がある。 それは、大きな体をした若い水兵。 首が普通人より3、4割長く伸び、直立不動の姿勢、裸で褌から隆々と勃起した陰茎が突き出して いたのだ。 筆者は、この話を聞いて「不意に涙がつき上げて困った」と書いている。 死に際しての人間の苦闘と孤独の心境を慮んばかりに。 史実は実に生々しい。 現場に居た人はさらに生々しい体験をするが、私たち読者が感じられるのは、 それを取材した筆者の筆致にかかるのだ。 取材ノートから描き出された筆者の筆次第なのである。 私は、いつも作家吉村昭の筆致、筆に関心させられている一人なのだ。 この本には、もう二つ、史実に対する私なりの驚きがある。 ひとつは、天然痘予防として牛痘法を日本に最初に入れようとした人物−芸州藩久蔵、また、 その後入れたが、ほとんど名を知られていない人物−松前藩で実施した中川五郎治、 いずれもロシアに漂流し、あるいは拉致され、そこで種痘法を学んだのだ。 もうひとつは、ライト兄弟の初飛行以前にすでに模型飛行機を完成させ、 空を飛ぶことを真剣に考えた人物−二宮忠八−が日本にいたということなのだ。 このように、筆者は歴史の表舞台に出ることなく一生を終えた人たちを どこからともなく、見つけ出す。 そして、いろいろと調査の旅を続け、小説という形で主人公としてスポットを当てるのだ。 私は、発刊された小説のその題名、構成に感心させられて、あたかも一気にその時代に いるかのごとく、吉村ワールドでいつも楽しませてもらっている。 |
そして、こうなった いつもながらひとつひとつの話が誠に面白い。 今回は、20編のエッセイ、5〜4年前に書かれたものである。 ということは、ご本人は存命であるからして、もう80歳現役作家なのです。 この「そして、こうなった」を書いて・・・、そしてある日、死ぬ。 ということで「『有終の美を全うした』ことになりはしないか」と冒頭の「気概の果」 でおっしゃっていたのだが・・・お元気のようである。(訃報を聞いていないので) なんでこんなに面白いのだろうか。 それは、それぞれの話に登場してくる限られた人物と愛子さんとの会話・やりとりと 話の引出し方が実にうまく相手もついつい乗せられている、そして、 落語・小噺にきっちりと最後にオチがあるからなのだ。 加えて、適度?にあるお色気(下ネタ)も大いに笑いの相乗効果に なり、「ああ」という言葉の後に続く、愛子さん歎き・この世の矛盾・お怒りがほとばしって なるほどと思わせるであります。 もう少し加えて、話の題名・イラストが誠に書かれてる内容にピッタシなのである。 また、読後感のすっきり感はなんなんだろう。 ご本人がおっしゃるように、人間にとって大切なこと、「大いに怒ること」。 怒った内容が内なる思いも含め、そのまま描かれて、 筆者と一緒に溜飲が下がるのであります。 さてさて、面白いというからには、おひとつだけ私の お気に入りのものを紹介し、残り19編は書かれている内容の キーワードだけということで。 まずは、お気に入りは「怒りのゾンビ」のお話の始まり始まり。 話は、長年の愛読者A子さんが、愛子さん訪ねるところから・・・。 A子さん、最近夫が死んで、いまだにその夫の浮気が許せないわけで、 その話を離婚経験者の愛子さんに聞いてもらいたいとやってきたわけで ございます。 30年前の夏の日、献身的な妻A子さんは、 風邪で役場を休んでいたご亭主のためにと、 かぼちゃと好きな枝豆を安く分けてくれる農家にカンカン照りの中、 出かけておったわけです。 汗まみれで帰宅したら、どういうわけか蚊屋がはられていた。 昼間からです。よく見ると蚊屋の中でうごめく影。 ご亭主と隣の奥さんがヤッテル最中ダッタンデスなあ。 何が許せないって、この隣の奥さん、 Aさんの5つも年上だったそうで。 それからというもの、家庭内離婚状態で、 ご亭主、その翌年脳溢血で倒れ、寝たきりになったのです。 Aさん看病すること20有余年。 この話を聞いていた愛子さん、A子さんが帰った後、 「自分の記憶の底に押し込めていたあのことこのことが ゾンビのようにムクムクと起ちあがって来て、 枯れた筈の憤怒の火柱が胸を焦がし、いまだに鎮まらないのである」 なんて終わりに書かれている話なのです。 次に残りの出し物の内容キーワードでございます。 同年代の話題・健康、円形脱毛と白内障、講演会の仲介者、娘と初夢比べ、 ペットのスカンクと猫、母のこと、別れた亭主と孫からの質問、サッチー、 男の風俗、母の自慢話と女学生のころの思い出、青大将と竜神さん、 霊、喜寿を迎えて、テレビレポーター、人生相談、孫の3分間スピーチ、 君が代を唄う中居君、森前首相の舌禍。 まあどの話が面白いかは人それぞれ、 最近腹が立つが思うように言えなくなったとお歎きの方には、 是非一読していただき、すっきりしてもらいたいものです。 |
(ここをクリックしてください)