• 三浦綾子作:塩狩峠
 船底に多くつきすぎた蠣殻でいまにも沈みかけている自分。
 急ぎすぎた半生紀人に少し峠で一休みして、これでも読んでごらんとやさし く差し出してくれた一冊の本・・・メールフレンドからの言葉にそんなものを 感じる本であった。
 最終章の”峠”で涙が溢れてしまった。
 主人公信夫を含め登場する人物の多くは心優しく設定されている。対照的に 士族という優越意識とキリスト教を邪教と思い込む祖母トセ、そして鉄道会社 で給料泥棒をし解雇を言いわたされた三堀峰吉という会社の同僚、この二人が 主人公の本音の部分を何度も何度もえぐり出そうと繰り返し登場する。
 この二人は、私自身が猜疑心としてもっていることをそのまま喋っているよ うな気がしてならなかった。
 読み始めてから士族の話やヤソの話、性欲に罪深さを感じながら信仰にだん だんとめざめていく主人公。12章”札幌の街”まで読んでもあまり心が動く ものではなかった。
 祖母トセの士族という優越意識と町人に対する差別意識、ヤソに対する差別 意識、小学生時代の吉川との約束、母との再会、平等という考え方や人との約 束の大切さを教える父、祖母と父の突然でそしてあっけない死から、なぜ人間 は死ななければいけないかということや、女性を思うことへの罪の意識、吉川 の妹ふじ子への淡い恋、ストーリーとしてどう展開していくのか見えない。
 題名の”塩狩峠”の三文字も出てこない。この段階で筆者のあとがきを読ん でみたのである。筆者はこの小説で現代(1966年当時)ほとんど忘れられ ている”犠牲”について考えてみたいと、実在した鉄道職員長野政雄氏、鉄道 事故で犠牲的死を遂げた人物をモチーフにしている。
「君は愛の権化と言ひて可なり」「ああ君は、かくの如くにして実行的信仰 の階段を一歩一歩昇り得て、遂に純金の生涯に達せられたるなり」と周囲の人 たちが賛美してやまない、こういった実在の人物ゆえに感動が大きかったのか もしれない。
世の中にはいろいろな差別がある。時代時代によって差別の内容も変わって きている。人種・思想・信教・学歴・遺伝・男女・部落差別と枚挙にいとまが ない。差別されている人たちは自分たちで立ち上がらないと、1世代・2世代 でも解決しないのである。これは人間の宿命かもしれない。
すべて差別は一人一人のこころの問題である。21世紀はこころの豊かさの 時代と言われている。一個人としてできるのは、私たち世代が次世代に人を差 別しない、人は皆平等であるということを常に説くことを続けないかぎり一歩 も踏み出せないものなのではないだろうか。


  • 佐橋慶女作:最期は思いのままに
「生老病死」世の中自分の思い通りにならないことばかり、ましてやこの四 文字熟語はさらにどうにもならない。ところが書店で「最期は思いのままに」 というのだから、これを読まないわけにはいかないだろうと・・・。
 帯にあるように筆者が遺言エッセーを募集し、一冊の本に刊行後、投稿者自 身およびその周囲の変化等を取材したものである。結論から言えば、やはりお もいどおりにならないというところだろろうか。
 人生論、人それぞれのドラマ、家族とのしがらみ・骨肉の争い、周囲の優し い目・厳しい目等、特にこれからの生き方、死に方を考える上で含蓄があり、 参考になる文章が多くある。それは気になるフレーズで紹介したい。
 それぞれに遺言を書くきっかけがある。夫と舅・姑との生活、相続争い、母 の死、旧家という地域のしがらみ、娘の婿の死、身障者として、看護婦として 人の死を見つめ、父の癌宣告と死、母の在宅介護、息子へのメッセージ。
 そういうきっかけがいま自分に与えられたと思い、そして今後の生き方、死 生観について考えられるようになった人はとても人間として幸せではないだろ うか。自分にはまだ関係ない、死はまだ先の話と思ってしまえば何も起こらな い。私の場合、祖父と父の死を経験したが、その時点では自分にはまだ・・・ と言った思いより、なんとなく過ぎてしまったという気がする。母が介護され る状態になっているいま、祖父の死や父の死が鮮明な映像として思い出され、 死生観を考えるきっかけとなっている。母にとても感謝している。
 では、自分が遺言を残すとしたらという仮定であれば、妻と子供たちへの感 謝のメッセージになるのではと思っている。
 ところで、この本の中に「峠」の話が出てくる。「峠は山頂のピークと異な り、それ自体が目的とはなりにくい。ひとつの通過点に過ぎない。でも単なる 通過点ではなく、そこでひと息を入れて、次の目標に向かう地点であるという ことが大切なことである。・・・」とあるように私はいま人生の峠にいるよう な気がする。急いで生きてきた過去を振返り、第二の人生を考えるいい時期だ と思っていた。いい言葉に巡り会えたといううれしさがある。
 また、最終章「新しい自分が生まれてくる」には、遺言書を書いて良かった こと、生老病死を正面から受け入れる、家族と向きあうきっかけに、何を残す か残さないか、命の尊厳を願う、心がかよっていればと言ったフレーズでまと められている。実際に書き公に発表されたことが、いい結果につながっている のではないだろうか。
 


  • 司馬遼太郎作:坂の上の雲3
・真之は帰国後、多くの兵学書を読み、自分の戦略論を確立していく中、子規は門弟たちの手厚い看護を受けながら最後の時を迎えていた。
・ロシアとの関係が緊迫感を増す中、日本は陸海軍の臨戦体制を整えつつあった。外交面でも、ロシアとの協定、日英独同盟、戦闘開始後のアメリカの仲裁タイミング等の可能性を探って表・裏舞台で諸準備が進められていた。
・好古はこうした中でロシアからの招待を受け、ロシア内を視察して回るが、予定にない視察を案内者に申し入れ、大胆にも皇帝の許可を得て、諜報員も観察することができなかったウラジォストック、ハバロスク、旅順の軍事基地をロシア騎兵の歓待を受けながらくまなく観察していった。
・ロシアの政治家・軍人による日本の軍事力や士気分析の甘さと、まさか日本は自らが戦闘を起こさないとたがをくくっていた頃、旅順の艦隊同士の戦闘から実質的な戦争となっていった。日本は、ロシアの旅順艦隊を港内に封じ込める作戦「閉塞船」を繰り返していた。この作戦で留学中にロシア娘との熱愛を歴史に残した広瀬中尉は爆死。
旅順での日露の戦いは、機械水雷により相互にダメージを受けたが、戦艦2隻を失った日本は、さすがの剛腹な島村参謀長、真之ともそのショックは大きかった。しかし、東郷長官は不思議な男で顔色も変えなかった。
・ 一方の陸軍は、第一軍は朝鮮へ第二軍は遼東半島へ、好古は第二軍に属し、騎馬隊隊長として主決戦場の遼陽への道を拓くため北進していた。
・ 三部は主人公好古、真之が日露戦争での中心的な任務を背負い、ストーリーはちょうどその入り口の部分に入っている。 ・この時代の外交政策や諜報活動には目を見張るものがある。外交について言えば、あの手この手と策を練り、適材適所に人物をあてがっていく。日英独同盟への対応、ロシアへの対応、アメリカへの対応、どれ一つをとっても現在のアメリカの方向だけを向いた外交政策と比較にならない。自分たちの国は自分たちで守るという自己防衛意識と危機意識の差がそのままでているのだろう。
・経済小国に厳しい時代背景から列強に伍していくには、1日も早く軍事面で肩を並べることであった。いまの日本は経済力は一流でも外交面では二流と言われるのは、侵略されるという危機意識の欠如の差であろうか。





  • 司馬遼太郎作:坂の上の雲4
第4巻は黄塵、遼陽、旅順、沙河における戦闘について、細かく描写されて いる。日本・ロシアの軍備、銃火器、兵力、陣形、各師団の動きそしてそれを 指揮する、大将・将軍の器と各師団・艦隊で戦略を立てる参謀たちの企画判断 力、兵員の鍛錬と士気の対比と差。
 まさにこれは、自由主義競争社会における経営者手腕と戦略、ミドルの動き ・使い方、企業戦士たちの技術・士気等そのもののような気がする。現代企業 が生き抜くためには、人、もの、かね、情報、時間をうまく利用することが大 切と言われている。当然のことながら、歴史の中に多くの学ぶべきものがある ことは戦争も企業戦略も変わりはない。
 この戦争においては、人の面では陸軍大山巌大将と児玉源太郎参謀総長、各 師団長と参謀との連携、海軍では東郷大将と秋山好古参謀、各艦長と参謀との 連携に妙味がある。
 カネ、兵力、銃火器、戦艦数どれをとっても劣る日本にとって、この戦争を 優位に終わらせるためには、緒戦を制し、その勢いが続いている間にアメリカ の仲裁により、戦争を終結したいと考えていた。
 ものの面では銃火器、日本人が開発した下瀬火薬、28サンチ榴弾砲、騎馬 隊の機関銃(好古の考え)、かねの面では資金力のない日本が高橋是清の活躍 にもかかわらず外債募集がうまくいかない中、ロシアにおけるユダヤ人迫害か ら日本に勝利してもらいたいと願うユダヤ富豪ヤコブ・シフによる支援と意外 な展開になる。情報の面では、明石大佐の諜報活動とロシアでの革命運動家レ ーニン等への資金援助、最西端に位置する好古の騎馬隊からの情報といい面が 出ていた。
一方で乃木軍の旅順攻撃は近代的な要塞に対して正攻法ばかりで、大量の死 傷者を出していた。部下にやさしい乃木将軍と頑固な参謀長伊知地により、戦 況は一向に好転しなかった。周囲では乃木軍の人事刷新の声が大きくなる中、 海軍はしきりに203高地を攻めよと提案するが、その作戦を実行する気は全 くない乃木軍、バルチック艦隊の出港、恐怖感からの同艦隊による英国漁船の 攻撃に対する英国の抗議行動、成果があがらない旅順では乃木将軍・伊知地参 謀の正面からの攻撃作戦に変更は全くなく、白襷隊の全滅、第三次攻撃を行な い、死体の山を築いていた。
第4巻は乃木軍による旅順攻撃に対するいらいらから悲愴感まで多くのペー ジがさかれて、本国・満州現地司令部のいらいらが、読み手にも伝わってくる というストーリーの展開であった。
 人の配置はすべてうまくいくものではない、人事刷新のタイミングは実務的 には実にむつかしいということを示唆している。やさしさだけのリーダーでは 、戦争だけに無駄死にした人たちの犠牲は誠にふっきれないものがあるような 気がする。


  • 梅原猛、松井孝典作:地球の哲学
・21世紀を前に人口・食糧・環境問題と未曾有の難問が複雑に絡む中、「地 球」というテーマに目を引かれ、「哲学」という言葉にいささかのためらいを 感じながら、この本を購入してみた。
・世紀末現象として、人類滅亡論が多く飛び交う現在、地球の歴史をひもとき、 巨大化し限界に達する地球上での人間圏、一人一人の人間はどうあるべきかと いう生き方が示されているような間がする。
・この書は、哲学科出身で日本文化研究者の梅原氏と惑星物理学者松井氏とが 相互に理論を展開する形式で話は進んでいく。
・オゾン層破壊、地球温暖化、酸性雨等の環境問題、60億人になろうとする 人口問題とそれを支える食糧とかエネルギー問題も、地球システムと人間圏の 関係性の問題として全部同じ枠内に見えてくるという。
・内容には、プラトンやアリストテレスの哲学論、恐竜絶滅説、物質の基本的 な粒子、文明論、文学論、あの世、墓、脳死論、知的所有権等とかたくむつか しい話から比較的興味深く理解しやすい話まで実に面白い。
・松井氏は大きな壁にあたっている人間圏の未来を築く第三の道は「ある程度 の人間圏を肯定し、欲望というものも肯定した上で、次にどういう選択がある かを考えていかなければなりません。人類がその生存の基盤に置くのはフロー に依存する農業的な文明だと思います。」というように農業的な発想の必要性 を説いている。
・さらに、「宇宙と自然の掟を破り、欲望を肥大化させる人類に未来はあるか 。」と本の帯にあるように、欲望をいかに抑制するかであり、その考え方とし て、「『レンタル思想』、具体的には所有という概念を否定し、代りにレンタ ルつまり借り物という考え方に立つということです。」を展開している。地球 環境を壊し続ける人類にとって、肥大化させている欲望を急激に変化させるた めには、私は特に先進国のライフスタイルを極端に変えないかぎり解決しない もんだいなのかもしれないと思っている。


  • 司馬遼太郎作:坂の上の雲5
第5巻は、203高地占拠、東郷と乃木との会談、真之の戦略構想”七段構 え”、バルチック艦隊苦難の航海と将官・兵員の心理、ステッセルの旅順での 戦闘から降伏までの心境、沙河におけるロシア軍の総帥クロパトキンとミシチ ェンコが率いるコサック騎兵隊と秋山騎兵旅団の動静へとストーリーは展開し ていく。好古は陸軍内で認められていない騎兵の真価を確実に発揮し、陸軍に おける戦況を有利な展開へと導いていた。
 あいかわらず筆者の戦闘状況の分析、指揮官の状況判断、作戦、器量の分析 眼はするどく、戦場のイメージが頭の中に描ける細かい描写になっている。  圧巻は児玉総参謀長の指揮命令とその作戦成功までのシーン、好古の率いる 騎兵が世界一のコザック騎兵を敵に回しながら、縦横無尽に活躍する様が美事 に描かれ、臨場感溢れるものになっている。
 また、この本の中には、現在の企業戦略にも通じる部分が多くある。この巻 の中では、203高地における作戦ではなかろうか。
 旅順艦隊を全滅できないまま、旅順港口で巡回行動を繰り返す東郷艦隊。バ ルチック艦隊が到着し、旅順艦隊と合体すれば、日本海軍の勝利は困難となる だけに、203高地の占領は海軍の悲願であった。
 しかし、あいかわらず旅順の乃木大将・伊知地参謀長は本国からの援軍を無 駄に戦死させる正攻法の攻撃方法を変えようとはしなかった。
 旅順へ向かうため、旅順での指揮権について大山大将の密約を得た児玉総参 謀長は、乃木大将の内諾を得て、乃木の参謀たちの真っ向からの反対を受けな がら、指示命令系統を逸脱した作戦変更命令−本部および28サンチ榴弾砲等 の重火器の位置を戦場に近づける−を出していった。
 乃木・伊知地参謀長とその参謀たちの作戦への固執は、現代社会においてす べてのことが大きな壁にあたっている、物事を既成概念でしかとらえられない、 枠のなかでしか考えられない学歴偏重社会の日本を象徴しているように思われ る。
 一方児玉の発想は、机上論では実践は戦えない固定観念の強い専門家の考え にとらわれない創造性こそ、いま日本に必要なものではないだろうか。
 とにかく児玉の作戦は、旅順での戦闘展開を180度変え、203高地の占 拠、旅順での戦況をまたたくまに日本軍に有利なものとし、さらに旅順港に停 泊するロシアの艦隊をことごとく沈めたのである。
 不思議なことにこの戦争で息子二人が戦死した乃木大将は帰国後英雄として 日本国民に受け入れられ、児玉総参謀長は帰国後急死するという歴史とは皮肉 なものといわざるを得ない。


  • 吉村昭作:史実を歩く
作家はどこで素材に出会い、どのように調査を進め、いかにして歴史の”真 実”に迫るのか。という本の帯にひかれ、この本を購入した。
 「事実は小説より奇なり」という言葉があるとおり、歴史の中に埋もれた興 味深い事件が多くある。過去歴史の事実として信じられていたことが、資料を 読んでいくうちに矛盾を感じた作家自身の調査で新しい真実が明らかになって いく。
 なんの気なしに読んでいた小説もこういった作家の資料に基づく事実調査を 頭にイメージしていくとさらに面白く、歴史に興味がある人は、こたえられな いノウハウの公開という事になるのだと思う。
 素材は、編集者・郷土史家からの提供、資料集めは、各地の図書館でそのコ ーナーがかならずあるという。過去発行された本、歴史に刻まれた人物の子孫、 歴史上の人物本人の日記、その事実を調査した人物の調査と対面、読者からの 手紙、作家はその事実の情報収集に長年の勘をきかせられるようになるから不 思議である。
 事実を追いかける執念のようなものが感じられる。新しい真実が小説の中に 織り込まれればさらに面白い小説になっていくのだろう、それが読まれ続ける 作家の本ということになるのだろう。
 歴史的事件に関わった者は、必ずといっていいほど何らかの形でその事実を 残そうとする。時には事実をみたまま、あるいは少し脚色した形で、真実は一 つであろうが、収集した資料、現地調査から作家の独特の推理がものをいうこ とになる。
 推理されたことと、現地調査で確認した事項が一致したとき、作家は最大の 喜びを得るものらしい。読者はその喜びを小説の中で感じる事になる。  この本で取り上げられた史実にはそれぞれつぎのような興味深いことがあっ た。
@「破獄」の史実調査(小説「破獄」)
・主人公が4回の脱獄のあと、府中刑務所に収監されてからは模範因となり刑 期をつとめをえ、仮出所した事、この刑務所での所長との出会いとその所長の 接し方
A高野長英の逃亡(小説「長英逃亡」)
・逃亡ルートの真実
B日本最初の英語教師(小説「海の祭礼」)
・ペリー来航の5年前にアメリカ人が単独で北海道に上陸していたこと
C「桜田門外ノ変」余話(小説「桜田門外ノ変」)
・平和な時代、戦から遠ざかっていた武士たち、彦根藩士と水戸藩士の乱闘状 況
Dロシア皇太子と刺青(小説「ニコライ遭難」)
・皇太子の日本での外遊とお相手
E生麦事件の調査(小説「生麦事件」)
・大名行列でのイギリス人の斬殺のされ方と場所を特定するまで
 何かの事業・仕事を始めようとする時、その出足次第ということがあるが、 歴史小説を書くとき、佳境に入るまでの時代をどこに設定するか「最初の一行 で小説の運命はすべてきまる」ものらしい。著名な作家でも他の事象にとらわ れすぎて失敗を繰り返すこともあるらしい。また、作品が完成した後でも気に なるフレーズはずっと気になるものらしい。こんな話を聞くとなぜかほっとし、 ほほえましさを感じてしまうのは私だけだろうか。


  • 鎌田慧作:ドキュメント屠場
同和研修をする立場になり、なぜか日本の報道にはドキュメンタリーとして も出てこない”屠場”について自分なりに情報を得たいと思っていた。そうし た中、最近の新聞でこの本の紹介がされ、すぐに購入したのである。
 海外の映画には、牛肉や豚肉がぶらさがった食肉加工場のシーンが、ごく普 通に出てくる。日本では明治になってから、魚肉文化の中へ牛・豚肉文化が入 ってきた。日本人の気持ちの中に、牛・豚を屠殺し、その肉を裂き皮をはぐと いうことに対して嫌悪感とかけがれとか仏教で言う悪業の考え方が根強く残っ ている。
 部落解放運動と職場環境改善のための組合結成と組合運動の歴史、手作業と 機械化、親から子へそして孫へと仕事と技術の伝承が、多くの困難な壁にあた りながらも闘い続けてきた人たちの生きざまがこの本にある。
 差別・偏見の目で見られ続けた時代を解放運動と組合運動、さらに仕事に磨 きをかけ技術に誇りを持ち続けることで生き抜いてきた。その力強さは、平和 に何事もなく育ったひ弱な人間と違い、常に闘争で自分たちの人権を守ってき たということに畏敬の念すら感じる。
 それは筆者と職場に働く人たちとの座談会において、筆者からの仕事に対す る偏見や部落差別に対する質問に対する応答の中に、苦節の人生以上に常に技 術を磨き続けてきた誇りを率直にしかも楽しく語る姿がある。
 「差別した心の傷は、差別されたものしかわからない。」「肉を食べていな がら、肉を作る人たちを差別することは誤った考えといえるでしょう。このよ うな考えがどんなに市場や屠場で働く人たちを傷つけているか、よく考えて欲 しいのです。」「『日本軍はまるで屠殺される為にやってきたようなものだっ た』屠場はひどい所という偏見が当たり前のように煽られてしまうんです。」 差別される側の立場、人間は何によって生かされているのか、日頃何の気なし に使用している言葉のなかにひそむ偏見、三つのフレーズの重みを十分にかみ しめる必要があるのではないだろうか。
 あとがきに(フレーズに掲載)「どのようなプロセスをへて食肉になるのか、 そのことが伝えられてこなかったのは不思議である。」とあるように、現世代 が食肉プロセスを正しく理解し、次世代へ伝えることではないだろうか。


  • 徳永進作:やさしさ病棟
メールフレンドから、推薦の言葉をいただき早速購入。  鳥取赤十字病院の一医師が「生老病死」に関わった人間模様。55のチャプ タからなり、患者一人一人のドラマがそこにある。
 市井の医師、「生老病死」のコーデイネーター、人生のよきアドバイザー、 頼まれればどこでも時間をいとわず治療に飛んでゆく。入退院の送り迎えまで してしまう。
なくなられた方にそっと花を買ってきたり、遺体を運んだり、葬式に出て火 葬場まで行ったり、死に際で家族と一緒に泣いたり、癌の宣告をさらりと言っ たり、軽妙なユーモアを交えて患者を和ませたりと温度差のある人間関係が会 話として表現されている。
 きっと読者は、こんな飾り気のない先生ならば臨終のコーディネートをして 欲しいと思うのではないだろうか。
 チャプタによってはその後が気になるものがあるが、死を迎える場面ばかり でないことが、少し安堵感を覚え、死期は老若男女を問わず、自分が意識しよ うがしまいがいつかかならずやってくるし、人それぞれの迎え方がある。どん な死に方でも「そんなに力を入れなくてもいい具合に死ねますから」という医 師としての筆者の言葉は実に重みがある。
   この本には違った楽しみがある。4年間鳥取に住んでいた関係からその地名 や街道名に懐かしさを感じたり、冬積雪の多い山陰地方の気候を思い出させて くれる。雪の多い季節、勤務先までウォーキングした記憶と事業場の玄関先、 アパートの庭先の雪かきはいまでも鮮明に想い出せる。
 さらに、懐かしく想い出しているのは鳥取独特の喋り言葉−方言−「もうす ぐ正月だでえ」「やあ院長先生、あがってつかんせえ」「そんなに食べるけ、 胃悪うしただ」「いけんわ、食べれん」「どがーいうことはない」そのひとつ ひとつに地方独特の暖かみを感じながら、いまだに鳥取県人の方と酒を酌み交 わしたりするとその言葉が出てくる。
 もらい泣きしたチャプタは、@「そうですか、桜ですか」A「星野先生の補 習授業」そして、患者が病室で退院を心待ちにしている姿がよくわかるB「命 はすぐ終わらない」の内容が特に心に残っている。
 少し内容を紹介すると@は外科から内科へ移ってきた52歳の男性ガン患者、 妻と春に受験をひかえた高校生と中学生の子どもたち、患者は死期を悟り、「 あのー、あと、どれくらいあるでしょう」「桜でしょうか」そしてこのチャプ タの言葉となる。患者は子供たちの試験結果を知ることなく家族に看取られな がら最期の時を迎えた。もう少し生きたいという気持ちもむなしく死期は容赦 なくやってくる、人生の無常を感じてしまう。
A高校の名物教師が癌患者として入院してくる。その恩師との想い出を語りな がら、恩師の残された日々を闘病だけで過すのはもったいないと感じ、了解を 得て「伝えたいこと−たった30分の夏季補習授業」を企画する。40人の教 室に100人が、30分の授業が75分に、先生も教え子も過去と現在を線で 結びながら人生の充実した時間を過す姿がほほえましい。その後恩師が終末を どのように迎えられたかは推測の域をでない。
B日赤の8階から大山が見えるとは知らなかった。このガン患者は放射線治療 で腫瘍が小さくなり、55日間で退院した。その入院生活の日々大山を見てそ の様子を書き写したメモを退院時、先生に手渡した。日々変わらぬものはない。 特に自然の移り変わりを見ていると人の生死のはかなさを感じる。
 筆者は、「医療現場はやさしさを失う場であり、やさしさを得る場でもある ようだ。『やさしさの回路』によって、ぼくら医療者は、気がつかないうちに 原点に帰らせてもらっている。」とあとがきに書いているように、これが筆者 の人にやさしく接せられる源のようである。
 メールフレンドへ本当にいい本をありがとう。


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