・「性と男女の問題がそのものとして論じられることがあまりにも少なくなった。」という。結婚すること,子孫を反映させることだけがすべての男女の役割でなくなった現在。男と女の「欲望」は際限がないように見える。それぞれの性において,性にとらわれた服装,身体上,社会的役割の違いがますます意味を失い,女らしく男らしくという言葉は死語になりつつある。 ・梁石日作(男の性解放)の一文に「現代社会はもはや男だけでは手に負えなくなっている。いわば男が蒔いてきた悪しき種が積もり,身動きがとれない状態に陥っている。」とあるようにこの本の筆者も「男と女の違いとは,いったい何なのかを考え込んでしまう。身体上の違い。服装の違い。あるいは社会的役割の違い。違いはいろいろ考えられるが,違いが意味をどんどん失いつつあるのがいまの世の中なのである。」の一文に同様の視点を持っているように思える。まちがいなく「男社会」が変わりつつあり,男だから女だからという時代は終わりつつあるのであるが,まだ日本の社会では足踏み状態というところではないだろうか。 ・このような時代においては,「日常性に埋没している自分に不意に気づいたときの幻滅。若さが失われていくことへの焦り。夫に相手にされない妻たちの幻滅と焦燥は,伝統的なモラルの力をものともしない。」「既存の制度の根拠が自明でなくなった現在。制度にしいたげられてきた女性と制度に甘えてきた男性との間では,力の差が歴然としている。制度の後ろ盾を失った男性はひとりではとても女性に太刀打ちできないほど脆弱になっている。」というように男は実に弱い者なのである。21世紀は明らかに女性の時代である。社会において男の役割とは何なのかを問われるよりは,性差に関係のない個人の時代がやって来るのである。 ・「亭主元気で留守がいい」「濡れ落ち葉」「粗大ゴミ」次の亭主のキャッチコピーは「亭主と畳は新しいほうがいい。」ということでありましょうか。仕事ばかりしているあなた定年後の第二の人生も仕事仕事ですかねえ。 ・ただ男女の関係は,筆者がいうように「『関係性に基づく衝動』の時代,出会いは互い互いに対して自由でなければならない。」というように,お互いが束縛されない新しい時代を迎えようとしている。結婚してしまえば女房はほっておけばよいという団塊世代の男の結婚観では,まちがいなくさびしい終末の人生になってしまうであろう。 |
・版を重ねるごとに,四行詩による予言が歴史の事実として積み重ねられながら,世紀末予言の重みが増してきている。 ・著者が継続して訴えてきた自然,環境,地球からのしっぺ返しは世紀末に近づくにしたがいその激しさを増している感じがする。しかし,依然として先進国の人間たちは自分たちにはまだ関係ないことのような顔をしている。際限なくエネルギーを消費する文明はその終末を迎えつつある予感がする。自ら生活スタイルが変えられないのであれば・・・ ・今回は「最終解答編」にふさわしくいままでぼんやりとしていたところ,もどかしかった文章が,フランスからの謎の人物とのコンタクトで大きく展開している。「恐怖の大王」はずばり「ラドヴァン=イエスの再臨」。そしてファティマの第三の秘密も「2000年にイエスが再臨する」ということ。つまり,イエスが再臨するということは「あらゆる最大限の破滅をともなって来ることになる。」信ずるか信じないか,人それぞれ。現代社会のひずみがどんどん大きくなりどうにもならない状況にあることは事実である。 ・悲観論の強い未来論,その中にも一編の救いの方法が入れてある。「人類がこれまでの生き方を悔い改めるなら『宇宙と生命のルール』は“人類はこれからも生き続けてもいい生物だと判定し,事態は滅びない方向へ進むでしょう。”結局これは私たち自身の問題です。」 ・もうひとつ気になる部分,それは日本が太陽光を利用した新技術「京都に住む光科学の天才I氏が発明し,名古屋大学の数学の教授によって裏づけられた『太陽光線からエネルギーを集める』完全にクリーンで廃棄物をまったく出さない技術。(関西の文化人,科学界,大企業も支援に踏み切ることを決めた)」については,エネルギーを多消費する先進国の救いの役割を,日本が果たせるか注視していたい。 |
・長谷川さんに送られるなら,「手塚さんにも」という声がご本人が亡くなられてからあったのではなかろうか。未来を空想(予言)し今の40代以上が子どもの頃,多くの夢を与えてもらった人ではないだろうか。 ・戦争を憎み,自然環境・子ども大切に思う心は人一倍強い人,それゆえに現在の政治・制度の批判とも取られかねないため,政治家には不評であったのだろう。 ・題名「ガラスの地球を救え」のとおり,ガラスにかなりのひびが入り,取り返しのつかない方向に地球号は向かっている。そんなできごとが,この10年次々に発生している。オゾンホールの破壊,環境ホルモンによる遺伝への影響,異常気象等これもすべて効率とか,便利さとかゆとりもなく,急ぎすぎた現人類への反動ではなかろうか。 ・この本の中には第二の人生を楽しく生きるためのキーワード「ゆとり」「好奇心」「無駄」がある。コストとか効率とかを常に意識し,厳しくリストラの影響を受けている40代以上にとっては,こうありたいがそうできないというところではなかろうか。 ・戦後の経済優先の社会に歪みが入り,立往生している現代人にとって,21世紀をどんなライフスタイルとすべきかを考える時期にあることはまちがいない。また,常にアメリカの後追いをしてきた日本人とって自立性を発揮するチャンスではなかろうか。とはいいながら,政治・経済に関しはっきりした方向性は見えてこない。 |
・日本が戦争に負けたことで男女平等という考え方が一気に日本にも入り、婦人参政権に始まり、戦後50年間で男女差別がなくなっているように見えるが、13年前男女雇用機会均等法が施行されるに至り、いまだに達成されていないことが分かる。さらにこの均等法も中途半端で、来年やっと働くことに関し男女平等の考え方が達成されることになる。??? ・筆者が生き抜いてきた時代、男優先の社会、職場、家庭、夫、受動的な性ゆえの過去の屈辱、出産・育児に関する夫への不信、歴然と存在する性差別に対し、「自立」をめざし働き続けることで、性の役割に疑問を抱きながら、「女だから男の仕事はできない」というものはないということを自分の体験で築きあげていく。そのすさまじい執念、いまに至りてその一生を振返り、自分の心の中におさめていた忌まわしい過去もすべてさらけ出している。ふつふつとした押さえがたい怒りが湧いてきている。 ・複雑に入り組んだ筆者と夫の家族関係、同居人との関係を頭の中で図式化するのは難しすぎる。また、過去を振返りながら体験した事象を羅列しているが、この事象をタイムスケジュールで整理するのも難しい。人生の総決算をしながら、特に夫との関係に目を移したときにいままで見えていない、見えなかったことが、夫の交友関係から分かってくる。 ・老い、夫の定年、お互いの病気、夫は肝臓ガン、妻は膠原病、死への直面でお互いが孤独感と戦いながら、結婚45年の歳月が過ぎてようやく相性であることを発見した、子供を生んでから別居同様の生活をしてきた筆者は、やっと夫と生ある間の生き方を発見している。 ・いまでこそ「男女平等」という言葉は陳腐化している。仕事に関していえば、女性の社会進出はめざましい。一方で依然として家庭を守るべきと思っている女性も多く、いまだに「男社会」はまちがいなく続いている。男の社会的地位が女より上と思っている限り、効率化重視の社会である限り、この状態は続くように思われていた。 ・ところが、21世紀を前に男の考え方ではどうにもならない、閉塞状態が生じている。日常生活でのアイデア、地域に根差した女性の活動、ゆとりとか心の豊かさを大切にするそして打たれ強い女性の時代がやって来ているのではないか。筆者の長年の努力が着実に稔ってきているようにも見える。 |
・らい病の隔離政策という歴史的事実をたどりながら、「血友病患者のHIV感染」と同様に治療に水を差し、差別を助長した人物(文化勲章受賞者)がいたという事実に驚いてしまう。 ・長年療養所に住む人物を通じて、悲惨だった療養生活、待遇、患者作業、付き添い制度、外部との接触、治療薬プロミン、病気の症状・二次感染、病気に対する誤解、治癒後の自分、病気に対する世界と日本の取り扱い方の違いを緻密に取材している。 ・病気がよくなった後におそった脱力感そして新しい生きがいの発見、ハンセン病資料収集の仕事をみつけたこの人物の3つの目標に@自分たちの患者の意思を資料として伝えたい。Aハンセン病にかかわる記載の印刷物は一字一句、癩の一文字であっても細大漏らさず集めておきたいと念じています。B「人権問題」患者は人権を徹底して無視した非人扱いの収容所に生きてきた。Bの目標は私たち一人一人が心に刻み忘れてはならないことではないだろうか。 ・時の流れはあたかもなにもなかったように、起こった事象が強烈であっても風化させてしまう。特に差別の問題は、長年差別を受けた側の人が立ち上がらないかぎり、表面化し解消の方向に向いていかない。起こった時点では一人一人の人間の行動、行政の取り組み、マスコミのあり方、この3つが大きな影響をあたえる。しかし、いったん埋もれてしまうとほとんど表面化することがなくなってしまうのである。埋もれた段階での人間一人の力はあまりにも弱すぎる。人間は生まれるとき「場所、性、人種、遺伝、環境」を選択できるわけではない。このことを考えれば、人間だれしも平等で上下がないのであるが、現実には、優越感を満足させるための差別は多くあり、一つ消えればまたひとつふえとなくなっていかないのが現状である。 ・ハンセン病、私のレベルは、この本のために取材する前の筆者と同様に「長島愛生園」という施設名、新聞記事として「長年の隔離政策に対する鳥取県知事の陳謝」「らい予防法の廃止」を読んだ程度である。この新聞記事も差別ということに関心がなければ、全く通りすぎていった無関心の情報 |
・21世紀未曾有の高齢社会を迎える日本、先が見えない現在、定説では歴史に学べとか他国に学べということになるが、自然環境の大きな変化は、21世紀に向けライフスタイルの変更を訴えているようでもある。 ・歴史を紐解くと筆者が言うように「老い」の文化としての江戸時代があり、そこには多くの学ぶべきものがある。スケールメリット、スピード、効率優先の現代社会においては、年寄りの役割が見えてこない。 ・現代の夫婦は後家さんになるケースが多いが、江戸時代は出産の役割がある女性は寿命が短く、男やもめのケースが多い。この時代は年をとることで自信を持ち社会の中での役割が明確にあり、生き生きとした男やもめの作家(上田秋成、貝原益軒、井原西鶴、杉田玄白、小林一茶、与謝蕪村、大田南畝、滝沢馬琴、神沢杜口等)の活躍が紹介されている。年寄りの技術・アイデアが生かせる場があったのである。 ・筆者は、「江戸の人たちの暮らしと生き方をとおして老いの価値を見直し、生老病死を『文化』として」考えるきっかけになれば・・・」と言っている。天下泰平だった江戸時代ではあるが、ひとりひとりがしっかりとした死生観を持っていたからこそ、年を取るにしたがって、自信がもて社会への役割が自覚できたのではないだろうか。 ・管理社会の現代であっても、21世紀を年寄りが充実した生活ができるものとするためには、遅くとも50代にはしっかりとした死生観をもつことが大切なポイントになるのではないだろうか。 ・また、薬についても面白い話が盛り込まれている。人為的な生命に対する危険がほとんどない平和な時代には、人は病気に対する考え方、健康への気遣いが、楽しく生きるうえで、大きなウェイトを占める。江戸時代も病気になったときの薬にブームのようなものがあった、作家先生が自分の雑誌に自分の薬をPRするのである。ただ、薬漬けの現代社会においては、ひたすら薬に頼っているが、自分の体に自信がない現代人とは違い、江戸時代は自然治癒力や自己回復力に確固とした信頼をおいてたうえでのことである。 |
・筆者の人生の後半部分の40年、人生の再出発をするため、ドイツからスイスのアルプスヘ移り住み、平和な田舎生活、自然の移り変わり、季節の変化、植物、鳥、年老いての友人、人間の動き、特に「老いの眼」から見た若者の姿、その裏腹になる「老い」と「死」を詩とエッセーという形で素直に表現している。 ・「成熟するにつれて人はますます若くなる。すべての人に当てはまるとはいえないけれど、私の場合はとにかくその通りなのだ。私は少年時代の生活感情を心の底にずっともち続けてきたし、私が成人になり老人になることをいつも一種の喜劇を感じていたからである。」のフレーズにあるように、40代の後半になった私自身も、少年時代の思い出、あのころ大切にしていたものが、いつも頭の中に残像されているように思う。 ・ところでヘッセが生きた後半部分の平和な時代とは少し違う頽廃した怠惰でわがままで自分勝手ないまの平和な時代、死生観が定まらぬのは私だけではないだろう。老いの結果が死であり、死はいつも隣り合わせに住んでいる。ヘッセは人生の最終段階の老いを鋭く見つめ、楽しんでいるように見える。 ・老いという少しかすんだ眼で見つめた多くの出来事を私たちにこの世の贈り物として沢山届けてくれている。 ・私がもう少し感性が豊かであれば、詩のフレーズに多くの感嘆する部分があるのだろう。残念ながら、ものごころついたころから忘れ物のポケットに入れてしまっている。とはいいながら、老いについて、死生観について、学ぶべきことは多くあった。 |
・当時は主人公の一人秋山好古の自ら進むべき道は自らの力で、服装には無頓着、金にも執着心がなく、「男子は生涯一事をなせば足る」の考え方や豪快な酒を飲んでも一向に乱れない、日本騎兵の父と呼ばれロシアの世界一と言われたコサック兵を打ち破った戦法等この人物に惚れ込んでしまっていたように思う。 ・第1部は主人公たちがそれぞれの進むべき道をどうやってみつけたのか、そして人材の不足する明治新政府が徐々に教育体系作りを進める中、向学心に燃える3人(秋山好古・真之兄弟、正岡子規)は故郷松山からそれぞれ巣立ち東京へ。 ・国家草創期の東京には新しい国造りに参画するため、多くの若者が日本一を目指して東京へ集まる中、兄好古は小学校の教員から陸軍の騎兵に弟は兄の援助で大学予備門へ、子規は叔父を頼って同じく大学の予備門へと ・真之は予備門へ通う自分がこのまま文学の道へ行くべきか迷いながら、陸軍に通う兄好古に相談、子規には内緒で大学予備門を断念し海軍に、そこでめきめきと頭角を表す。 ・兄好古は旧藩主の輔導役でフランスに私費留学、騎兵はどうあるべきかを学んでいく ・一方の子規は肺結核で2度目の喀血をして帰郷、そして江田島にいる真之との再会 ・第一巻は、青春時代、自分たちの進むべき道に迷う子規、真之の描写が面白い。 ・特に子規がいろいろなものを体験しながら、なぜ俳句の道を選んでいったのかはまだ見えないが。 ・また、好古の持つ確固たる信条が明快にこころに響いてくる。この時代の人たちは自分たちが進むべき道を見つけるとその目標に向かって一直線に挑戦する力強さがある。 |
・一方で、政府は人材育成のため、各分野での優秀な人材をヨーロッパ・アメリカへと海外留学させ、列強のノウハウを吸収させる政策を取っていく。真之もその中の一人としてアメリカそしてイギリスヘ派遣され、戦術知識をどんどん吸収し頭角を表していく。 ・真之はいつも子規の病を気にしながら、アメリカ留学では戦術・戦略の大家A・セイヤー・マハンに会い戦略の研究方法を伝授される。古代からの戦争における戦略すべてを分析することを教えられる。さらに運よく米西戦争での実体験をし、戦略的な発想にますます磨きがかかっていく。人間は人の出会いで大きく伸びるのだと実感する。ただ求めなければ何も起こらない始まらないことも確かである。 ・好古は日清戦争で騎馬の役割を生かすべく「師団直属」を進言し受け入れられ、陸軍での騎馬の体制づくりを着実に進めていく。 ・死を見つめながら、俳句の革新を急ぐ子規は、このころ雑誌「ホトトギス」にその論評を掲載しほぼ達成していた、次に短歌革新に向け論評を展開しているところである。 ・青春時代自分の生きるべき道の選択に迷いながらも、一端その目標をもちえた人は力強い行動ができるのである。 ・世界情勢は列強の動きで左右される時代、日露は戦争せざるを得ない状況になりつつあった。 |