• 中坊公平。佐高信作:中坊公平の「人間力」
・中坊弁護士「香川県豊島の産業廃棄物不法投棄事件」で寸暇を惜しまずそれも無報酬で県と交渉する姿,現地をたびたび訪問して島民の声を聞いている姿をテレビのルポルタージュで見たことがある。
・この人のパワーはどこからくるのか,気さくに京都弁の腹蔵ないもの言いに人間的な魅力を感じていた。この本は評論家佐高信氏が中坊氏にインタビューする形式でその人間的魅力を引き出している。
・法曹界の人というだけで一種独特の雰囲気を感じてしまうが,「世の中は法律に書いてあるような抽象的な言葉では通用しません。」「司法の理念で言えば紛争解決のときのキーワードは道理である」とか,氏の人生哲学,覚悟の仕方,人間としてあるべき姿,世の中の矛盾の指摘等気になるフレーズが多くある。
・森永ヒ素ミルク中毒事件弁護団長,豊田商事破産管財人,住宅金融債権管理機構社長どの事件をとっても並大抵の力量では対応できないものばかり,一つの事件が済むごとに人間どんどん大きくなってこられた人,まさにメンタルタフネスを実行している人と言えよう。
・特に「自分は現場に撤することによってのみ食べ方も覚えたし,依頼者も出てきたではないか。」というフレーズに中坊氏が歩んできた「道程」に生の声を聞くこと,「ベース・土台」をどこに据えて物事に取りかかるかが分かってくる。人間の生きざまを見ながら「道理』はどこにあるのかを見定め,常に弱者の立場に立ち分かりやすいコンセプトで解決策を見つけ出していく。この現場重視主義はビジネスの世界においても忘れてはならないことではないだろうか。
・また,無報酬で弱者の立場に立って人に尽くす,すぐに金を出せ,地位だ名誉だとという世の中にあってただ無心で尽くす。中坊氏の姿勢は現在の政官財のトップが見習うべきものではないだろうか。



  • ジム・レイヤー作:メンタルタフネス
・ 「メンタルタフネス」カタカナで表現していると読みたいという気持がわいてくる。これを日本語で表現すると「精神的不屈」となりスポーツ選手の根性をテーマにしたものかと思ってしまう。
・ 理論と実践に強いアメリカ人はものごとを長年にわたり分析しながら斬新なアイデアから新しいノウハウを編み出していく。感性に流されがちな日本人と違い,合理的に物事をとらえる能力にはいつも驚かされ,読んでいても面白く読む過程でしばしば頷く事になる。
・ 冒頭「ストレスは(肉体的なもの精神的なもの感情的なもの何であれ)あなたのためになる」といううフレーズに思わずえっとなってしまう。というのは各職場からはストレスを感じ過ぎて体を壊したという話しか聞こえてこないからである。
・ ストレスにさらされるのではなく,いかに反応していくかまたその反応する能力を伸ばすことによってより精神的にタフネスになり,むつかしい仕事,厳しい仕事もなんなくこなせるというものである。
・ ではストレスにうまく反応するにはどうするのか,まず自分自身の現状を分析し,迷信でないセレモニーとイメージトレーニングで感情をコントロールすることにある。
・ それぞれのチャプタごとに各分野で活躍している人たちの困難な事象で切り抜けてきた事例やコメント先人の名言を取り入れながら最後まで興味をいだかせるような文章の展開になっている。
・ 特に面白いと思ったところは迷信でないセレモニーの部分でスポーツで言えばスタートラインに立つまで,ビジネスで言えば厳しい交渉等に臨む前までの行動が自分の実力を最大限に引き出す能力を高めてくれるということである。自分なりにそのあたりの行動をもう一度思い起こしながら,ポジティブなイメージ作りが大切であると認識した次第である。





  • 佐野眞一作:大往生の島
・高齢化率日本一の町(65歳以上の老人が2人に1人),周防大島東和町にある,別名念仏島と言われる沖家室(おきかむろ)島。離島沖家室は昭和58年に悲願の橋完成で皮肉にも一段の過疎化が進んでいった島でもある。
・あとがきの中に,筆者が僧侶を対象にした講演会の依頼を受けたという一文,瀬戸内海に沢山浮かぶ島の一つであるということ,そして,本の題名の「大往生の島」に引かれて読むことにした。
・読み切って率直な感想は,死生観に支えられた人間の力強さと生きるとはどういうことなのかを教えられた気がする。
・また,21世紀に加速度的に高齢化社会を迎える日本,その方向性に対してどんな社会基盤づくりをすべきなのかまだ見えていない政治屋たち,経済成長率優先,公共事業投資優先の施策に固執してこの不況を乗り越えようとしている。
・21世紀は心の時代と言われながら,物質優先の消費文化から頭が切り替えられないまま,今を生きる人間たちにとって経済成長が望めない社会,高齢化社会の中で何が大切なことなのかを示唆してくれる書とも言えるのではないだろうか。
・筆者自らの「なぜこの島に住む老人たちは,こんなにも明るく過ごしていけるのだろうか。なぜこの島に住む人たちはみんないい顔をしているのだろうか。
そしてこの島は老人ばかりなのになぜ淋しい感じがしないのだろうか。」これらの問いは90歳の老婆,80代の島ただ一人の医者,釣り鉤(はり)職人そして,泊清寺住職等への取材により明らかにされていく。
・このうち泊清寺新山住職の言葉「この島の人たちは,学歴があるわけでもなければ,社会的地位が高いわけでもない。にもかかわらず死生観については,坊主の私の方が教えられる。・・・死を考えればだれでも寂しいものです。
・この島の老人はだから考える前に,お経を唱えるというんです。お経を唱えていると,仏さんの懐に抱かれたようで気持が安らぐというんです。」になぜの答えがある。
・無神教,信仰心をもちあわせていないわが日本現代人,苦しいときの神頼みだけしてきた,特に仕事仕事に追われ定年を前に過去を振返った時,心のぽかんとあいた空白が埋められない団塊世代へ送られるべき書ではないだろうか。


  • 菅直人作:大臣
・戦後,将来なりたい人はとか,出世頭として言うとき,「いずれは博士か大臣か」になりたいとか,なった人を言ってきた。
・本来,人間は生まれてきた以上,なんらかの形で社会に関わっている。結果としてどの地位についたとか,どんな職に就いたとかで差別されてはいけないのが,民主主義,自由主義の考え方である。
・ところが政治家というものやはり何度か当選すれば大臣になりたいし,ましてや総与党化された現在の政治屋には名誉としてなりたいポストであるらしい。ご多分に漏れず政治の世界も学歴主義,世襲制が根強い。そんな中にあってこの人の考え方には政治家は「国民の代表」でなければならないという確固たる信念がある。当選してしまえば頭を深く下げていた人間も尊大な恰好をしてしまっている。
・かねてから大臣がよくかわるものだとは思っていたが,大臣の就任期間が平均でも1年未満という。転勤の多いサラリーマンの管理職でさえ最低でも1年,長くて3年は同一のポストにいる。1年未満で彼らが何をしてきたというより何ができたのか。できるはずがない。右肩上がりの時代には,仕事の中身が分からなくてもボトムアップであれば,だれが大臣になってもほとんど影響はないのである。
・しかし,21世紀高齢少子化社会とその前に長期低迷の景気をどう切り抜けようかと考えている日本。明治維新以来の日本の針路をどうすべきか,日本人自身がどういった生き方をすべきかを問われているのである。明治維新のようにヨーロッパやアメリカに学べばなんとかなった時代は終わったのである。特に政治の世界で新しい人材が必要とされ,いままでのように官僚によって敷かれたレールの上を行く式のボトムアップではどうにもならない状況にある。
・やっと省庁再編1府12省庁(案)が動き始めた。考えるのはまだたやすいが,実行するとなるとそれ以上のパワーが必要であることは明らかである。この人は今の政治制度のどこに問題があり,どう直せばいいのか,よく見えている。


  • 渡部昇一作:南洲翁遺訓を読む
・南洲翁遺訓をわかりやすく現代文に直して解説し,当時対立していた岩倉,大久保らの考え方との比較,西郷の人物・思想の分析,私学校党を引き連れ挙兵した理由,現代特に江戸城開場までの過程,征韓論の敗北の裏側,私学校党を引き連れ挙兵した理由 等について好意的に評論する,した本が多い中にあって,いいにくい西郷のウィークポイントや思想の矛盾点を指摘している点はなかなか面白い。
・西郷の素晴らしいところとウィークポイントをあげながら,西南の役の敗北の中に大西郷にしても驕りがあったのではないか。
・「俺が動いたら新政府をつくり直せるんじゃないか」という自信があったのだと思います。西郷のような内省的な偉人にしても−偉大であればこそ−驕矜の気が知らないうちに生じたのか,と痛嘆せざるをえません。」といった一文にそのするどい指摘がある。
・また,筆者が選択した43講の遺訓の解説の中に人生訓としてなるほどと思うものが多くあり,これからの自分自身の生き方にも是非参考としたいものである。


  • ひろさちや作:すべて「空」だ
・すべては「空」だ,考えれば考えるほどそれが分からない。50年近く経っても分かっていない。生まれてものごころついて,学校へ行き始めて,卒業して就職して結婚して子供ができて,その子供が一人前になって,衣食住が足りても何かしら満たされないものを感じている。
・会社生活,地域生活,家庭生活,学校生活それぞれのエリアで,人それぞれが選択に迷ったり,何かにこだわったり,差別したりされたり,ちょつとしたことで悩んでいたりする。そんな事例をあげちょっと生き方を考えてみませんかという本である。
・特に苦とは「思うがままにならないことを思うがままにしようとすること」確かに四苦の生老病死についてはその通りである。だから老いていくことや死について考えてもどうにもならないことではある。ただ,最近のニュースで自殺者が交通事故死の2倍を上回り,中でも40代の働き盛りのウェイトが増えている,というのがあった。たんに現世がいやで死後の世界に安息を求める,死後の世界があることはだれも知らない。知らないということよりあるものと思っている人がいる。現世の生をまっとうしないまま死後の世界へ逃避する。現世よりいい世界があるように多くの人が思っている。
・私を含めた多くの人間たちは,現世の生がふっきれないのである。
・多くの人が絶対的に信頼できるものが見つからないため,新興宗教にのめり込んだり,健康のためならいくらでも金をつぎ込んだり,物欲の限りをつくしたり,金の亡者になったり。
・筆者の本を読んでいるとき,わかりやすい言葉で道理を説明してくれる。読んだときはすーっと頭の中にはいってくる。読み終わったときには充足感のようなものがあるが,現実の生活に戻ったときまた迷うのである。無宗教,信仰心がないせいだろうか。
・たとえば死後の世界について仏教の基本の態度にそのような問題は「考えるな!」といわれるのであるが,迷える子豚は知りたいのである。だから悩むのである。


  • 岸田秀作:「日本人の不安」を精神分析する
・人間は本能が壊れておりいろいろな幻想を糧にして生きないと生きられない。前回のおすすめ本「すべては空だ」(ひろさちや著)にあった「空」という仏教用語とこの本のキーワード「幻想」。多くの人間たちは目に見えないものに振り回されながら結局何もつかめないまま一生を終えてしまうのではないだろうか。
・筆者は最近の事件・風俗「酒鬼薔薇事件」「オウム真理教」「援助交際」「官僚汚職」「ペルー人質事件」等にかかわった人間の心理を分析し,唯幻論を展開していく。
・また,「今の親が駄目で昔の親がよかったなどというのは幻想である」「子供が純情であるという幻想」「売春はかっての必需品から幻想商品を売る商法になっている」「日本の官僚が優秀で清潔であるという幻想」等いろいろな幻想を指摘しながら現代人は,たんに人間の本質に対する認識が不足しているだけであって事件として驚くべきことはないし,今昔大差があるものではないという。
・ただ,すべてが「空」だ!「幻想」だといわれても生身の人間としては実に侘びしいものを感じてしまう。だから,その侘びしさを充足するため,人それぞれが物欲,金欲,出世欲,名誉欲,性欲にのめり込むのではないだろうか。
・一方で幻想を抱かせてくれる信じるに足りるものが見えてこないのが,この世紀末であり,この混乱から抜け出すにはどんな幻想がきっかけになるのか注視していきたい。


  • 佐橋慶女作:四十代から楽しむ五つの貯え
・知識・知恵,趣味,友人・仲間,健康,お金の5つの貯えについて,筆者が積み重ねてきた経験,ノウハウをすべて公開しているのである。やれるものはどんどんやる。そして学べるものもどんどん学んで自分なりのやり方を作ってしまう。限りなきチャレンジャーという気がする。
・「本当に日本のビジネスマン,サラリーマンは家庭を顧みずに,ただひたすら会社人間として働いてきて,あっという間に定年を迎えてしまうものだ。」という一文に自分の人生を見たような気がする。この同じチャプタの中には筆者の友達ネットワークの情報がふんだんにある。その中の一つにこんな事例があった男性が定年を迎え5千万円の退職金が入ってくる。妻から「一度現金で見てみたいわ。」の言葉に夫は現金で準備してもらい妻に見せる。翌日妻は現金とともに消えていなくなった。呆然とする夫にいいしれぬわびしさと笑うに笑えぬものを感じてしまった。
・44歳から年に3項目ずつ新しいことにチャレンジしている。現在も続いているものが結構ある。著書の中には筆者の頭の回転の速さとアイデア即実行という行動力,ネットワーク作りのうまさ,ポジティブな思考でどんどん画像が動いている。筆者の頭の中はアイデアが浮かべばインターネットのようなネットワークがくもの巣のように翌日にはできあがってくるみたいである。
・私も数え年50歳,こんな一文が「とくに50歳は石川達三の『48歳の抵抗』ではないが,男にとってあらゆる面で変わり目の年齢・節目にあたると私は思う」特に印象に残る。忙しさにかまけて家族を省みず42・3歳頃まで仕事,仕事で休暇もほとんどとらず何かしら会社への忠誠心と思って働いてきたが,会社という見えない組織が自分の健康を保証してくれるものでもない。50歳を節目と考え,家族との時間を大切にしながら,自立する自分をめざしたいものである。
・また「世間体を考えたら世間がなんとかしてくれるというわけでもない」の世間体の部分を企業に置き換えればよく分かるが,第二の人生選択にあたって企業がなんとかしてくれるものでもないのである。これだけは肝に銘じたい。


  • ジョン・ネズビッツ作:メガチャレンジ
・「メガトレンド」の作者がミレニアムの幕開けに,起業を志す人達へ熱きメッセージを送っている。いままさに,「2大潮流:地球経済の活動の重点が変わろうとしていること,先見の明のある起業家にとっては,多くのチャンスが新たに開かれる世界であるということだ。」と。
・未来論は大好きなジャンルのひとつである。ただ、未来論には楽観論と悲観論の2つがあり,私の場合、楽観論の前向きなものに興味がいく。過去呼んだもののなかで特に面白かったのはアルビン・トフラーの「第三の波」であった。現実に筆者のいう情報通信革命は着実に進んでいる。
・この情報通信革命にJ・ネスビッツは目を向けながら,「国境がなくなるいわゆるボーダレス社会、国という概念も形骸化しつつあり,東西の思想の壁もなくなり、社会主義経済が完全に敗退した今、市場主義経済が勝利を得たかのように見える」という。産業革命以前は土地建物、自然資源が唯一絶対価値であった。産業革命時では工業製品、しかし「モノに価値などあるはずがない。工場の製品にどうしてそんな価値があるのだ」だった。そして、情報通信革命では情報、しかし「情報にいったい何の価値があるのか」である。「知識、情報、創造性といった無形の財産を正確に計量化できる経済モデルは依然として存在していない。今必要なのは「労働価値理論」に匹敵するような「知識価値理論」である。」というようにこの理論を考え出せばノーベル賞であるともいう。
・日本人は情報はただという発想からぬけきれないため、機密情報をたれながしたり、逆に情報公開しないために新しい発想が生まれてこないのではないかと私は思う。その結果,「情報音痴」からくる情報通信革命への取り組みがアメリカに大きく引き離されてきた。
・この革命は、ネットワークの活用により、大きなものから小さなものへと移行しつつあり、大企業にいれば安心という時代ではけっしてなくなった。筆者は「迅速な意思決定と革新的で意欲のある従業員を擁する小さくてクリエイティブな会社が有利となる。」という。アメリカでは1960年代6万社ぐらいの企業設立であったが、現在は100万社であり、さらに小さな企業のウェイトが増えているという。
・日本は現時点では起業家が企業設立をしやすい環境にあるとはいえない。大企業を優遇し,貸し渋りをする金融機関ではとても駄目であろう。しかしながら,遅まきながら我が社でもいま検討している状況であり,21世紀には小さな起業化はごくあたりまえに行われるようになるのではないだろうか。。
・筆者は一節ごとに何々についてこうなる。では日本はどうすべきか。どう行動すべきか。日本へのアドバイスがふんだんに織り込まれている。グローバル経済化の中,日本も自主的に行動せよということであろうか。
・「メガトレンド」の作者がミレニアムの幕開けに,起業を志す人達へ熱きメッセージを送っている。いままさに,「2大潮流:地球経済の活動の重点が変わろうとしていること,先見の明のある起業家にとっては,多くのチャンスが新たに開かれる世界であるということだ。」と。
・未来論は大好きなジャンルのひとつである。ただ、未来論には楽観論と悲観論の2つがあり,私の場合、楽観論の前向きなものに興味がいく。過去呼んだもののなかで特に面白かったのはアルビン・トフラーの「第三の波」であった。現実に筆者のいう情報通信革命は着実に進んでいる。
・この情報通信革命にJ・ネスビッツは目を向けながら,「国境がなくなるいわゆるボーダレス社会、国という概念も形骸化しつつあり,東西の思想の壁もなくなり、社会主義経済が完全に敗退した今、市場主義経済が勝利を得たかのように見える」という。産業革命以前は土地建物、自然資源が唯一絶対価値であった。産業革命時では工業製品、しかし「モノに価値などあるはずがない。工場の製品にどうしてそんな価値があるのだ」だった。そして、情報通信革命では情報、しかし「情報にいったい何の価値があるのか」である。「知識、情報、創造性といった無形の財産を正確に計量化できる経済モデルは依然として存在していない。今必要なのは「労働価値理論」に匹敵するような「知識価値理論」である。」というようにこの理論を考え出せばノーベル賞であるともいう。
・日本人は情報はただという発想からぬけきれないため、機密情報をたれながしたり、逆に情報公開しないために新しい発想が生まれてこないのではないかと私は思う。その結果,「情報音痴」からくる情報通信革命への取り組みがアメリカに大きく引き離されてきた。
・この革命は、ネットワークの活用により、大きなものから小さなものへと移行しつつあり、大企業にいれば安心という時代ではけっしてなくなった。筆者は「迅速な意思決定と革新的で意欲のある従業員を擁する小さくてクリエイティブな会社が有利となる。」という。アメリカでは1960年代6万社ぐらいの企業設立であったが、現在は100万社であり、さらに小さな企業のウェイトが増えているという。
・日本は現時点では起業家が企業設立をしやすい環境にあるとはいえない。大企業を優遇し,貸し渋りをする金融機関ではとても駄目であろう。しかしながら,遅まきながら我が社でもいま検討している状況であり,21世紀には小さな起業化はごくあたりまえに行われるようになるのではないだろうか。。
・筆者は一節ごとに何々についてこうなる。では日本はどうすべきか。どう行動すべきか。日本へのアドバイスがふんだんに織り込まれている。グローバル経済化の中,日本も自主的に行動せよということであろうか。


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