・「自立,自前のライフスタイル」からかけ離れたサラリーマン,パソコンに挫折した人,マニュアル嫌いの中高年にとって,インターネットを自由に操りながら,ネット上でサーフィンできるまでに上達するには,本当にのめり込まないとできるものではない。 ・子供からお父さんは広島から帰るとパソコンばっかりしているとよく言われるが,残念ながらネットサーフィンではない。ホームページ作りに追われているのである。時々これでいいのかと思ったりする。 ・筆者が一日3〜5hネットサーフィンするというのには敬服するし,おそらく50代でネット上で頑張っている希少価値の存在であろう。21世紀の少子高齢化社会においては,社会的に自立することそのヒントがインターネットにある。 ・「百読は一触に如かず」「トラブルこそ上達の母」筆者作りの諺が至る所にちりばめられている。情報というものに価値観を持っている人,失敗を苦にしない人にとってはこの1冊があれば,脳が刺激を受けること間違いなしである。 ・一方で,とはいってもいまの50代,団塊世代は,世代名称のごとく,みんな一緒でないと不安でしょうがない,組織に忠誠なサラリーマン稼業が身にしみついていて常に失敗をおそれているし,いつまでたっても英語はわかっても英会話はできないし,情報なんてタダだと思っているし,なかなか長年の呪縛から逃れられない世代なのです。 |
・いろんな問題が次から次へと発生しながらもなんとか切り抜けるストレスを溜めながらも、どんどんはきだしていく。介護疲れの主婦・女性達にとっては胸のすくところがあるのではないだろうか。といっても現実に介護する女性達が介護から解放されるわけではない。 ・この本の中で介護についていい方向性を指摘している。「ケアは他人の専門家が行うべきであり、その仕組みを作るのが政治と行政である。」「共同生活介護システムを作り、”自助努力”を家族や個人に帰するのではなく、市町村コミュニティに帰し、コミュニティの家族がケアプランや運営に参加・・・」いまの日本という国の中ではこういった介護システムが必要だと思う。 ・一方で高齢者社会においては、性と生の関係は切り離せないことでもある。この2千年、男社会ですべてのものごとが動いてきた。男の性はひたすらペニスをヴァギナにインサートし女性のよがり声に満足することだけを考える。しかし女性の目からは、「性器を愛するのではなく相手の人格を愛するのだから」「ひとりのセックスにしろふたりのそれにしても、オーガズムで血行を活発化させ、ホルモンの分泌を豊かにすることこそ健康の基本に違いない。」といった見方が出てくるのである。 ・いずれにしても高齢化社会は年よりといっても仕事をもち「誰のためにでなく自分のために、性と生を豊かに生きることこそ”老いの自立”といえると思う。」の一文の通り一人一人が自立することこそが、これからの時代を生き抜くキーワードではないだろうか。 |
・ 征韓論に敗北し,郷里にしりぞいた西郷,明治維新の大功労者は,なぜ私学校党を引き連れ十分な物資,資金がないままに挙兵し,西南の役を起したのか。挙兵後,熊本城下で,熊本鎮台に対して,包囲持久作戦をあえて選んだのか。一気に北上して福岡,博多,小倉を攻略し海峡を渡って馬関の港を確保しようとしなかったのか。 ・ この本の中には西郷の取り巻きたちがそれぞれ理由で薩軍に参加し,それぞれの思い入れを戦法に表しながら,最期を迎えている。明治という激動の時代にその基礎づくりにこれから参画が期待される新進気鋭の人材も多い。彼らがなぜ西郷とともに挙兵したのか。西郷への忠誠心,忠義,長短のこれまでの人生,明治政府とのかかわり方,西郷とのかかわり方等から「西郷思想」の分析を試みている。 ・ 西郷はやはり旧体制における士族の不平不満等を吸収し爆発させることによって,明治の基盤づくりの地ならし的役割を果たしたのではなかろうか。そして,自らは戦の上での死を選び取ったのではなかろうか。 |
・ マンモス宗教集団を作った蓮如は「王法は額にあてよ。仏法は内心に深く蓄えよ。」というように政教分離を明確に打ち出している。しかし、蓮如が思うように門徒はじっとしていなかった。一向一揆の首謀者と見なされてもいたしかたないところなのか。 ・ もうすぐ半生を終えようとしている死に頃の私にとって昔で言えば死を覚悟していた年であろう。世の中が平和すぎて死について考える機会が少なくなったからかもしれないが、死はすぐ自分の隣にあるにもかかわらず、いやなこととしてできるだけ遠ざけようとしている自分が見える。90歳過ぎて大往生した宇野千代著「私死なないみたい」という本があったが、やはりご本人はまちがいなくおなくなりになってこの世にはもういない。 ・ 筆者は自分の育ってきた環境と蓮如の育った環境とを交錯させながら、偉大な僧侶の生き方の分析を試みている。(幼少時に生母との別れ、継母との確執、極度の貧窮、妻や子たちとの死別、既成仏教による迫害) ・ 現代において教団創設者は常に神懸かり的なことを前面に出したり、ある日突然神様からの啓示とか御告げがあり、新しい宗教を興したという話が多い中、親鸞にしても一休にしても蓮如にしても奇跡とか迷信をはっきりと否定している。というところに意外性を見つけることができた。 ・ また、蓮如が編み出した「御文」による布教活動や村の有力者3人を真宗の門徒にする考え方には戦略家としての一面をうかがわせる。5人の妻と27人の子供、この人はこの世界へ生まれるべくして生まれ、多くの分身を育て上げ、何百年にも渡ってその子孫に彼の生き方が受け継がれているのである。徳川家康でさえ250年、時の権力者は多くの分身をもうけ子々孫々の繁栄を続けたがそれ以上に蓮如はすごいのである。 ・ 今の世界は心を大切にと全員が合唱していながら、いざ自分のこととなると仏教的な心、慈悲の心を忘れてしまっている。蓮如生誕5百年を迎え真宗徒の一人として蓮如についてこれをきっかけにその心についてじっくり勉強してみたい。 |
・やはりそれは死というものを身近に体験できなくなった時代のせいではないだろうか。と筆者は言う。また,人生はプラス思考だけでは生きられない。「人は泣きながら生まれてくる。」「生老病死」をありのままの姿でみる立場こそ史上最大のマイナス思考であるとも述べている。そして,マイナス思考のどん底のなかからしか本当のプラス思考はつかめないと。 ・「生老病死」ひとつひとつの言葉を人間として受け止め,そして「喜怒哀楽」喜んだり,怒ったり,哀しんだり,楽しんだりを思い切り表現することが,人間の生命力を活性化し免疫力を高めることになる。要は人間がより人間らしく生きることが大切なのではないだろうかと思う。今の世の中,特にサラリーマン社会は管理社会と言われるように,人間が人間を管理する時代だと言われている。多くの人が常にストレスを感じながら,自分を押さえ込み,金太郎アメのごとく振る舞っている。そんなことは打ち破って,もっと人間らしく生きようよ!とよびかけているような気がする。 ・一人一人の人生についての考え方「人間たちに成功した人生,ほどほどの一生,あるいは失敗した駄目な生涯,というふうに区分けすることに疑問を持つようになりました。生きている。この世に生まれてとにかく生きつづけ,今日まで生きている,そのことに人間の値打ちというものがある。<生きる>ということは<あれかこれか>という二者択一ではなく<あれもこれも>という包括的な生きかたをするほうがいいのではないか。」は,曽野綾子著「完本戒老録」の中に「一生の間に,とにかくも雨露を凌ぐ家に住め,毎日食べるものがあったという生活ができたなら,その人の人生は基本的に成功だったのである。別にどうということはない。人間の成功と失敗の差は意外なほど小さいと私は思う。」に, ・癌に対する考え方「ゆっくりと自分の結末を迎えることができる癌などという病気は大変恐ろしいものではありますが,ある意味では幸運な病気だという気もしないでもないのです。そのあいだに人間にふり返って自分の人生をたしかめたりあるいは反省したりすることもできる。」は,中村仁一著「幸せなご臨終」の中に「なぜガンで死にたいか,比較的最後まで動くことができて,意識清明を保て意思表示が可能,死ぬとはどういうことかを,わが身をもって肉親に学ばせようと考えるから」に重なるものがある。 ・筆者は外地での敗戦と引き揚げという大きな体験をし,戦後復興,高度成長時代,バブル崩壊の時代を生き抜き,そして阪神淡路大震災,地下鉄サリン事件,中学生による小学生殺人事件等,どうにもならなくなった現在の世の中を見るにつけこの本を書く気になったといういきさつからも,心動かされるものが多くある。 |
・1項目,1項目の処世訓は,本題に「戒老」とあるように「年老いればすべてが許されると思う人がいる。一種の甘えである。」等の年を重ねても決して人に甘えていいことではないと,非常に自分自身に厳しくありたいというものがほとんどである。 ・筆者が老人を何才からとらまえているのかは知らないが,いずれは迎える死について,またそれまでの生き方についていわゆる死生観も多く挿入されている。 ・特に「生と死は老いの一時期に急に濃密になってくる。それをいかように受けとめるかは個人のたった一人の事業だ。それはうまくやったほうがいいと思うが,うまくやれなかったとて別にどうということはない。 ・人間の成功と失敗の差は意外なほど小さいと私は思う。」の部分は,人生一人一人がいろいろな生き方をするように,いろいろな死に方がある。どんな死に方をしようがどんな生き方をしようが大差のある物ではないという,達観した考え方に敬服する。 ・はっきり言えば死んでしまえば何も残らないし,(偉くなると自分の碑や銅像をどうしても残したい人がいるが)残そうとする必要もないと思えば,肩の力がすっと抜けて軽くなってくる感じがする。 |
・この本のテーマの「男の性解放」からすれば,何をいまさら男の性なのか,十分に解放されているではないかと思ってしまうが,筆者は性において過去の歴史を振り返りながら,男と女の性・社会での役割,両面から見た分析をこころみながら,現代社会,管理社会,男社会の行き詰まりを指摘している。 ・筆者の10年間のタクシー運転手としての経験からくるサラリーマン各階層のあわれな夜の生態が生々しく語られている部分は,つい仕事が趣味ですと言ってしまうサラリーマンたちの,私を含めてなにかもの悲しさを感じてしまう。 ・また,男の性,年老いていく性,自分の性を考えたとき,果たして男として自分にエゴはなかったのか。いつまで勃起力は継続できるのかとか,自分の性に対する考え方はどうなのか。人間の欲の中心である性欲について,もう一度考え直すきっかけになったように思う。 ・そして特に管理社会のゆきづまりを衝いた部分「管理社会はまた真実を多い隠すシステムである。一種の思考停止状態であり,自分がいま行なっている行為が何を意味しているかを自己判断する能力を奪われ,ひたすら没個性的な人間になることを要求される。」,物質優先の現代社会の行き詰まりをついた部分「あらゆる価値に<もの>が介在することで人間的な価値が<もの>に吸収され人間関係が途切れていく。」男社会の行き詰まりをついた部分「現代社会は男だけでは手に負えなくなっている。いわば男が蒔いてきた悪しき種が積もり積もって身動きがとれない状態に陥っている。」「人間の命を軽視する男社会の論理は,当然のことながら環境汚染や自然破壊を増長していく。」にうなづけるものが多くあった。 ・21世紀は「女に蓄積されている闘争心,あるいは忍耐力や意思力は,今後男を凌駕していくにちがいない。」にあるようにますます女性の「性」が台頭していくことには間違いない。 それは家庭の中の息子と娘,社会における女性の活躍ぶり,先進国での女性の活躍ぶりをみれば流れは確実にその方向にある。 |
・この本では老人とは75歳以上の人をいうが,今の日本社会では60歳を過ぎれは,一括老人という定義で同じような医療が施されて,本当の意味での老年医療が確立されていないというものである。 ・自分の祖父,父母の寿命を考えれば見当はつくが,実際のところ自分自身がどの程度まで生かされるのかはわからない。したがって,この本で言う老人の域に達しない現在,自分のこととしてとらまえることはむつかしいが,寝たきりになった母を見ると,この本の中には,老人についていままで間違って理解していたことや新しい知識として得られるものがあった。 ・まず大学病院に老人科と言われるものがあり,名ばかりで老人の研究がされていない。メディアではきんさんぎんさんのように元気な長寿は歓迎され,なぜ長生きをしているのか,食事か環境かといったことが敬老の日の前の頃になると話題になる。 ・痴呆について誤解していたことがある。それは老人が突然わけのわからないことをしゃべったり行動したりした時,一括痴呆としてかたづけてしまうことはまちがいだということ。初めて聞く病名だがほとんどの場合,せん妄やうつ病が発展したものに該当するらしい。さらに痴呆は早期発見より遅ければ遅いほどよいというものなどである。 |
・50歳を前にして昔なら寿命のつきる時期,自分の人生を振り返り整理する時期にとてもいい本に出会った気がする。いかに終末期を迎えるか,多くの示唆を与えてくれる言葉があった。 ・一方で医療現場に直接携わる医師・看護婦には耳の痛い,現代医療のあり方論,患者の側に立った考え方なども多く出てくる。少し抜粋してみると,がんは原則として告知すべき,抗がん剤は使用しない,老人のがんは手術すべきかどうかを10円玉の裏表で決める, ソリブジン(抗ガン剤)薬害事件の医師としての責任,医師は「頼るな,任すな,利用せよ」,「医師におまかせ」の時代は終わっている等である。 ・自分ががんになったなら告知してもらうか,告知してもらってたえられるのか,はなはだ疑問である。 ・現代のように30歳すぎればみんな人間ドックに入り健康に気遣う時代,昔に比べ食と生活習慣が大きく変わり,すべてにおいて贅沢・怠け者になり,成人病という慢性疾患・治らない病気が主流になっている時代だだからこそ,病気に対し患者としてどうすべきかは,筆者が言うように自己決定権限を大いに発揮し自ら治療法を選択すべきではないかと思う。 |
・この本は今の世の中の矛盾,病気,死生感等について,自分の考え方を強く打ち出したい,しかし,時期がは早すぎると思っている部分が,・・・・かという疑問符で終わる文章の数に表れているような気がする。 ・死生観から自分の人生を省みたとき,いかにつまらないか,たいしたことがないという感想を筆者は持っている。一方で,落ちこぼれている読み手側を勇気づける文が多い。 ・しかし,どのチャプタをとっても長年の多くの数奇な体験からくる人生の達人だからこそいえるものだと思う。人生の達人でも肉体的な差別(扁平足だから体が弱い)を受けたり,それなりの病気もちであったりする。このあたりを読むと私たちのようなごく平凡な人間からすると,大作家も過去いじめにあったり,持病に苦しんでいたりするのだなあと妙に安心したりしてしまう。 ・こころと体の不思議なかかわりかたをいまの世の中の人間は忘れているのではないかと私も思っている。筆者が言うように心の持ち方しだいで,病気がなおったりする自然治癒力を人間は持っている。 ・また,「物理の世界のエントロピーの法則(あらゆる秩序は時間の経過とともに次第に崩れてゆき,老いてゆき乱雑になってゆく。そして,一時的な回復はあったとしても決して最初にもどることはない。)と医学の世界のホメオスタシス(常に平和な安定的した状態に私たちの存在を保とうとする恒常的な力です。)のいずれかを人間は選択し,それぞれの人生を歩んでいる。生きていることはいいなと感謝したり,しょせん人間なんてとか人生ってなんてひどいものだろうの繰り返しである。」といった部分に十分納得できるものがある。いずれにしてもどん底を知りながら,前向きに生きなさいという気持で人間生きたいものである。 |