• 門野 晴子作:寝たきり婆あ猛語録
・猛語を発するクソババーの言葉をキーにその言葉がどんな状況で発せられたのか。その状況をかえりみながら、介護のあり方、誰が介護するのか、国の福祉政策へのコメントをおりまぜながらストーリーがすすんでいく。特に母・娘・孫の会話は介護の暗さを吹き飛ばしながらユーモアとペーソス溢れるものである。
・老いた親、寝たきり老人を誰が面倒を見るのか、我が家も筆者と同じように娘(姉)がみる結果になった。一般の家庭では筆者のように納得して話しあいして(?)も決まらない。ずるずるべったりで知らぬまに息子の嫁が面倒を見ている例が多いのではなかろうか。実の母娘ゆえに会話のやりとりは、いい意味で言えば素直で、単刀直入である。他人が聞けば泥沼で本当にクソババーという感じがする。これが、嫁と姑であればいまごろの娘は元気がいいから「離婚します」ということになるのかもしれない。
・筆者は夫から自立し、介護者を抱えながら特養老人ホームサービス、ホームヘルパー等の実体験を踏まえ、国・市町村の福祉政策・体制の貧困についてフレーズのところどころに、チクリチクリと、時には大声でちりばめている。最後に孫が海外留学することになり、母娘の本当の共同生活が始まる。………どのような展開になるのか。筆者の言葉を借りれば「なるようにしかならない。」



  • 富家 恵海子:院内感染
・「枯葉色のメッセージ」という筆者のお礼の手紙から始まる。1987年食道静脈瘤の手術は成功したが、院内感染により最愛の夫を突然に失った筆者、その苦痛に耐えるため、「悲哀の仕事」として失った対象と自分との関わり整理するという課題を選び、「院内感染」という言葉を世に知らしめるとともに多くの医療者に関心を持たせ、感染防止活動に積極的に取り組んでもらうことを意図している。
・「悲哀の仕事」をすませ、ふっきれるまでに多くの月日を費やした筆者には「院内感染ふたたび」「院内感染のゆくえ」等人生のテーマを見つけ、人間として力強い一歩一歩を踏みしめ、多くの人間に感動を与えているのではないだろうか。
・MRSA(耐性の黄色ぶどう球菌)、笠岡に在住のとき、市内の病院でこの院内感染があったという記事が出ていたこと、母がその保菌者であることから、この本を読む気になった。作品から、死は生の隣り合わせにあり、突然に思いがけなくやってくる。br> ・生ある間に死に対する心構え、「チベットの死書」にある「死を学ばざるして死を学べ」を実践していきたいと思う。現代人、特に平和ぼけしている日本人は、生に満足し、この世に生かされている自分に感謝しない。そんな日本人にとって、死は遠いかなたの自分には全く関係ない、よそ事の世界なのかもれない。



  • 中村 忠之作:乱世の縄文
・21世紀を目前に、日本の古い制度がことごとく壁にあたり立ちゆかなくなっている。この本は今の時代に必要な人材・気質が何であるかを指し示したものとして、私にとってはとても有意義な本といえる。特に歴史に学ぶことは大切なことだと思う。理論の展開が面白く最後まで一気に読めた。
・歴史を振り返るといっても、ご先祖様まで遡る。日本人は過去「縄文文化×弥生文化」「飛鳥の世に代表される新渡来人との吸収合体」「明治維新における西欧文化との出会い吸収」、この大きなパラダイムを縄文人の自由人的、弥生人の規制人的二つの気質を使い分け、新しい波に立ち向って、他国に侵略されることもなく生きぬいてきた。
・1万年の長きに亘ってほとんど争いのない生活を送っていた縄文人、そこへチャイナ方面から「コメによる農業革命」を伝授した弥生人の上陸、蕃殖理論を展開しながら、新しい日本人の誕生が文字・文化とともに、平和裡に行われた。
・外国人からみた日本人の資質(二面性、二極性、矛盾性)を換骨奪胎、和魂洋才、「ケ」と「ハレ」、「わびとさび」と「みやび」、一瀉千里、縮み思考・拡大思考の言葉で表現しながら、いまこそ規制の中を改善能力で生き抜けた弥生気質の時代ではなく、創造的能力・創造的破壊気質、縄文気質が必要な時代となったというものである。
・おわりに、江戸時代の大儒・佐藤一斎(言誌四録)「ひとたび変革期の時になると天も人も同じように変わるのである。変革期には大賢(天才)が世に出るし、大奸(極悪人)も現れる。……」を引用し、筆者は天才待望論で結んでいる。私が感じるところでは、さしずめ今は大奸の出現や天災が発生し、人間たちよ、今の世の中このままでいいのか、このままのライフスタイルでいいのかと問いかけているような気がしてならない
・天才出現待ちというのはいささか神頼みのような気がする。一人一人が自ずから変わらなければどうにもならないところへ来ているのではないだろうか。
・「受信文化」から決別し、「日本の文化発信」をという点、日本人の気質分析を縄文人・弥生人まで遡っている考え方は実に面白い。最近の世の中の小さなうねりをみると、新々日本人が誕生しているのは確かであるが、どうも一瀉千里とはいかない。しかしながら、筆者の分析からすれば勢いがつけばとまらなくなる。その勢いをつけるのはだれか(神様か天才か)と言うことになるのだろう。
・ところであなたは縄文人何%で弥生人何%ですか。
(縄文型資質)………自由人、革新、スペシャリスト、ソフトウェア、独創、本音、感性、創始、右脳、好奇心、ロマン等
(弥生型資質)………規制人、保守、ジェネラリスト、ハードウェア、模倣、建前、理性、継続、左脳、慎重、現実等


  • 鶴田 静作:緑の暮らしに癒されて
・チャプタごとのフレーズに筆者の女性としての素晴らしい感性が表現され、暖かみが伝わってくる。読み終わると体の中をスーッと透明のようなものが抜けていく感じがする。とてもさわやかでフレーズにあくがない。こんな感想でいいのだろうか。書いている人に失礼でないかしら。こんな表現になる。
・所々自然に対する人間の所業についてチクリチクリとやっているのが印象的である。自然における季節の変化を、花、鳥、野菜、虫の動きや成長過程を自らの感性で素直にとらえ表現している。ベジタリアンの彼女の料理レシピには創意工夫がいくつもちりばめられている。三食何を食べようか。単身赴任男にとって食事のレパートリーも少なく、肉食が余り食べられなくなったお年頃の私には、ただ一言素晴らしいと申し上げたい。
・「サザンカの花舞い降りて歩み止め われに告ぐるや急ぐなかれと」文中の短歌であるが、時を急ぐ現代人、気短の自分にぴったりとした忠告でもあるような気がする。 ・各チャプタの初めに筆者が自然の中で生きる姿が写真で掲載されている、ただ素朴であり、自然に自然の中へ溶け込んでいる筆者が素直に写真から読み取れてくるから不思議である。


  • 佐江 衆一作:老い方の探求
・日本人は死についてあまり語ることことをしない。筆者は「黄落」の中ですさまじい人間の本能・本性、年老いた両親を誰が見るのかさしせまった緊迫感から、介護現場の臨場感が生々しく伝わってくる作品を書いているが、この作品には母がなくなり、「父の死」を看取る筆者には、大きな山を越した安堵感があり、余裕さえ感じる。
・筆者自身の死の迎え方、高齢世代に向って自分はどうしたいか。一休と盲目の美女森女、良寛と貞心尼の話は年老いても異性に興味を持つ坊さんを紹介しているが、父の年老いての恋を見て、自分も内心そうありたいと思っているのではないだろうか。
・一休禅師言葉:ふたたび 「よの中はくふて糞してねて起きてさてその後は死ぬるばかりよ。生まれ来てその前生を知らざれば死にゆく先はなほ知らぬなり、生は仮の宿であり、死も空、死後は知らぬという。」


  • 柳田 邦男作:人間の事実
・筆者の作品「フェイズスリーの眼」「人間の時代への眼差し」「活力の構造」「事実の読み方」…………。多くの作品を読んできた。世の中に起こる事象について、その事実の見方に寸分のすきもなく、するどく何が真実なのかを、一つ一つベールをはがすがごとく明らかにしていく。時間に追われるテレビ・新聞とは全く違う。事実の重みを常に教えられてきた。筆者の頭脳にはなぜ、なぜという疑問が納得がいくまで複眼的思考で続くのではないだろうか。
・筆者はノンフィクション作品を一万冊以上読破、1970年代からのノンフィクション作品を年代別、テーマ別、視点別、時代時代のキーワードに分類整理、一冊一冊の感動した部分や作品のエキス・主張を見事に抽出し、ノンフィクション作品の総まとめと氏自身の人生の集大成でもある。
・ノンフィクション作品は時代時代の新しい流れ、キーワードを生んできた。とにかく本の気になるフレーズの抜粋版トもいえるのではないだろうか。
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