<パート1> ・山岡荘八の作品には時代小説でしかも長編ものが多い。読み始めて最後まで読むぞという気力もさることながら,あたかもその時代に自分が存在するかのごとくのめり込まないと最終巻にたどり着くまでに挫折してしまう。 ・30代のころ「徳川家康」「豊臣秀吉」「小説太平洋戦争」等片っ端から読破した。ちょうどそのころ「今どんな本を読んでいますか。」の質問が好きな方から,くだんの質問を受け「山岡荘八の………」と答えたところ,その方は「右がかかっていますね」とおっしゃったのを覚えている。この「徳川慶喜」を読もうと思ったきっかけは,明治維新の体制側リーダーの生き方,当時と酷似する今の時代,そして来年のNHK大河ドラマの主人公ということからである。 ・第一巻は若き西郷と藤田東湖との出会い,西郷が敬愛する薩摩藩主斉彬が14代将軍に推挙する一橋慶喜の人物を見定めるため,江戸に出向く。時は,250年間鎖国を続けてきた日本国に門戸開放を促す黒船の来航(1853年)と条約改正という国情の危機的難問題が発生していた。 ・政治を預る幕府の将軍13代家定に統治・政治能力は全くなく,外交政策等政治のすべては老中の手腕にかかっていた。このような時代の大きなうねりの中で,新しい時代のビジョンを持ち水戸藩にこの人ありと言われた藤田東湖が安政の大地震によりあっけなく世を去る。後半部分には,慶喜を将軍にと頑張る側近平岡円四郎,守役井上甚三郎,世話役の侍女一色須賀とのやり取りの中に慶喜の聡明さと鋭敏な頭脳を垣間見ることができる <パート2> ・徳川13代から14代への将軍継嗣問題と日米通商条約草案の勅許をどのように受けるかに揺れる幕府、その渦中にある老中堀田正睦は悩み多き日々であった。正睦は朝廷へ勅許を求めに赴くが、「もう一度衆議を重ねよ」の勅答であったことから正睦の悩みはさらに広がっていく。そうした中で老中松平忠固の画策により、急遽彦根藩井伊直弼が将軍の命により大老に就任し、14代将軍は急転直下紀伊徳川慶福(よしとみ)に決定する。 ・そして条約締結も勅許のないまま調印(老中の署名の中には井伊直弼のものはない)を完了してしまう。これと同時に井伊直弼は無断調印等を理由に老中の交代人事を行い、松平忠固、堀田正睦を罷免(直弼の策略)してしまう。勅許がないいままの条約調印に対し、一橋慶喜、水戸斉昭らが直弼のもとに直談判のため、押しかけ登城をする。これに対し幕府は押しかけ登城を理由に前代未聞のご三家等の処分を決定し、慶喜は謹慎の扱いとなる。 ・これら一連の処理が幕府と水戸との溝を深め、歴史に残る大老暗殺へ起因するシナリオがスタートしていくのである。 ・一方、薩摩藩主島津斉彬は、朝廷を守るべく兵を派遣する用意があることを、西郷に託し、京に向かわせるが、その途中で西郷は突然斉彬の訃報を聞くことになる。敬愛する人物であり、自分の心の支えでもある斉彬を失い、さまよう西郷に京の月照上人が自害をとどめるべく説得にあたるところで第2巻は終わる。 <パート3> ・公武合体を進めようとする幕府。開国か攘夷か。直弼は日本国安泰・挙国一致のため、悪謀の徒を一掃するよりほかにないと信じて、志士の弾圧(安政の大獄)を続け、水戸藩との溝は増々深まる。 ・水戸の志士たちは家郷をすて、薩摩の同志とともに井伊暗殺という志に殉じて、桜田門外の変が勃発するのである。 ・斉昭の逝去とともに、謹慎中の慶喜にも表舞台への登場の薄日がさしてくる。家茂将軍の後見役として慶喜を推挙する声は禁裏、水戸外様等の間では日増しに高まるが、依然として幕閣の中に老中はじめ反対派が多い。 ・そのような中、和宮(孝明天皇の妹)ご降家にあわせて、慶喜の将軍後見役等の3項目要求をもって大原勅使と薩摩藩島津久光が大久保一蔵らと軍勢を引き連れ、江戸の閣老たちとの交渉に入る。押しつ戻りつの交渉は、最終的に幕府が薩摩の武力の後押しがある公家に威圧され、勅使による要求を受諾する。動乱の時代の中、やっと14代将軍家茂の後見役として、慶喜登場の機は熟した。 <パート4> ・尊王攘夷、開国、公武合体、討幕運動、動乱の時代に武力を持たない日本が進むべき道を冷静に見つめていた慶喜。謹慎期間中は彼をさらに成長させるものになっていたことはあきらかである。 ・薩摩を後だてに幕府への大原勅使の要求はさらに続く。しかし、慶喜はあっさりと11カ条の要求をさばいてしまう。 ・将軍の後見役として慶喜は京へ上ることになるが、その土産として、政治改革(@参勤交替の廃止A諸大名からの献上物に贈物の虚礼を廃止)の実施を提案するが、現在政治と同様既得権を主張する幕閣から猛反対をうける。主な老中を説得しやっと実施することになる。 ・慶喜の考え方には「国が滅んだのでは幕府でなければ雄藩もない。いわんや禁裏の尊厳も国柄も無くなる。」すでに大政奉還の覚悟があった。 ・京では過激な志士による暗殺が繰り返され、無政府に近い状態になりつつあった。薩摩と長州が朝廷における地位を確保しようとやっ気になり、さらに幕府との三つ巴の天皇争奪戦となりつつあった。討幕論で出過ぎた長州に勅使が下り「長州派公家七卿の都落ち」「天誅組の討伐」「長州藩士の堺町御門の守衛停止」の政変が起こる。 ・一方で慶喜は腹蔵なくしゃべる勝麟太郎との出会いで、これから自分が何を成すべきかの方向に自信をもちつつあった。 <パート5> ・開国か攘夷か,池田屋騒動,蛤御門の変,長州征伐,天狗党の決起,龍馬の和解周旋による薩長連合成立,横浜・兵庫港開港等の外交上の問題と内政問題に目まぐるしく政治は動くが,将軍家茂にも幕府にもそれを処理する力はない。政権を奪取すべく主上に画策する薩・長,公家は勅許を得るべく奔走する。このような情勢の中で家茂が急死,慶喜はやむなく徳川宗家を継ぎ,長州との和平のため勝海舟を派遣する。歴史上1866年8月6日から12月4日の間,将軍職は空白となっていた。 ・孝明帝は今後のことを決するため,各藩に召集をかけるがほとんど応じなかった。そして,慶喜への将軍宣下と孝明帝の急死,大喪の礼を済ませた後,慶喜は将軍としてまず外交問題をかたずけることが先決と考え,仏国公使ロッシュと会見し,外交の方向性を見極める。列強との謁見,会見,晩餐会の慶喜の西洋式マナー等の対応に各国公使たちは一応に驚きを隠しきれなかった。 ・慶喜はあくまでも日本国全体のことを意識してことにあたるが,慶喜が思うように内政は動かない。醜い権力闘争が続き,世の中の流れは倒幕の方向へ加速されつつあった。 <パート6> ・世界の中の日本という位置づけで,物事を見ようとする慶喜は,前進性のゆえに理解されず先駆者としての孤独をあじわう。その間,岩倉卿,薩長による倒幕密勅の働きかけは着実に進んでいった。日本国内を二分し列強も二分した国内戦争だけは避けたい慶喜は,大政奉還を決断し,将軍職を辞職する。しかしながら,兵庫開港問題等を理由に鳥羽・伏見の戦いを境に賊軍の汚名をきせられ,傷心のうちに江戸へ戻る。 ・西郷隆盛,勝海舟,山岡鉄舟,高橋泥舟,益満休之助の努力により江戸城無血開城が行われ,慶喜は後見役就任前の謹慎生活以上に,厳しく朝廷に恭順する隠遁生活入ったのである。 ・物語に登場する明治維新の功労者は,ほとんどのものが非業の死を向かえ,短い一生を終えているが,31才で隠遁生活にはいり趣味人となった慶喜は,政治の世界とは全く無縁に76才という当時としては長いその一生を終えている。 ・明治政府の基盤の安定とともに慶喜は功績が認められ,多くの勲章を授かっている。慶喜は一生の間,二人の夫人の間に十男十一女を設け,何人かは夭折したが,成人したものはそれぞれ明治時代の中にあってことごとく高い地位についている。これは慶喜に一生使えた一色須賀女によるところが大きい。 ・慶喜が後見役としてあるいは将軍として処理した条約締結の後処理,開港問題処理,西洋式軍備への転換,大政奉還等すべてが明治維新の方向付けに貢献をしている。しかしながら,歴史の教科書ではもっぱら徳川幕府の最後の15代将軍,滅びゆくものの象徴としてのイメージが強く,勝てば官軍の表舞台に登場した大久保利通,西郷隆盛,岩倉智視,伊藤博文,木戸孝允,三条実美等に目を奪われがちであるが,将軍職辞職後,私心もなくひたすら隠遁生活に徹した慶喜には,昨今の政治家のように少しでも人より前に出たい,生き残りたいという我欲は全くない。明治維新の真の功労者は徳川慶喜ではなかったろうか,小説を読み終えてそんな気持ちになった。 ・厳しい謹慎生活をしていた慶喜自身の自伝はないが,渋沢栄一が「徳川慶喜公伝」を著している,是非一読してみたい。 |
・私事であるが、結婚生活20年を迎え、筆者の言う結婚相手に愛が生まれ深まる過程@忍耐A理解B尊敬C愛でいうと、筆者が結婚生活35年でやっと愛の過程に入ったと言われていることからすれば、私たちはやっと理解から尊敬の過程に入ろうとするところか。 結婚はお互いに育った環境が違う他人が同じ住居で生活するのであるから、最初の過程の忍耐というのはあたっているし、自分の経験から考えても納得がいく。 ・この本は筆者が体験で得た人生訓というものがちりばめられているが、とても読みやすく理解しやすい、講演を重ねる中で聴く立場で考えられネタが練られ、話し言葉的に書かれているからなのかもしれない。ちょっと人生につまずいたとき開いてもう一度読めば心の中が洗われるのではないだろうか。特に筆者は日常の「ちょっとした思いやり」が大切であると説くが、ゆとりのなくなった現代人が一番忘れている言葉なのではないだろうか。今日から早速「ささやかな思いやり」を実行していきたいと思う。そんなことを考える機会を与えてくれたこの本に感謝したい。 |
・企業は栄枯盛衰であり、いま現在伸び盛りであるといっても、5年後・10年後はどうなるかわからない。将来の針路が見えない時代であるからこそ、船長である経営者の舵取り・リーダーシップが重要であり、その手腕に会社の命運がかかっていることには間違いないと言える。 ・第一勧銀、野村証券をはじめとする五大証券、大和銀行、TBS、ミドリ十字、三菱電機等の大企業による不祥事のどれを取っても、刃傷ざたでないこと、自分の金を使うわけではないからか、経営層に罪の意識はなく実に腹立たしい限りである。また、それ以上に逮捕される経営層をかばう会社側のスタッフに、会社人間のわびしさを感じる。 ・筆者がかねてから、中間管理職不要論に対して主張しているミドル重要論には共感を覚えるが、筆者のいうゼネラリストにはなかなかなれないようである。スペシャリストとは、社内外に通用する人材であるとか、情報とはふたつ以上の違った見方や意見である(岡崎久彦)とかといった定義は面白いが、良き上司像とか御本人の左遷の話には新鮮味は全くない。流行小説家でも賞を取ったときの作品は面白いが、ネタがだんだん疲弊してくるのと同様に、ビジネス書も評論家が最初に出す自分の考え方には迫力があるが、それから以降の作品は二番煎じ三番煎じで渋味というより苦みが出てきて、買った後で他のものにすればよかったと思うことがよくある。 ・堺屋太一氏のいう「次世代は偏差値エリートではもう通用しない。」という考え方と筆者の考え方は全く同様である。いわれることはよく分かるのでありますが、そう簡単に世の中変わるものではないし、変われるものでもないのでないだろうか。できれば汚れたくない、できれば苦しみたくないそれがいまの日本人、私たちサラリーマンであり、さらりーまん経営層ではないだろうか。本当の危機・オオカミが来ないと気付かない、気付きたくないサラリーマンが大半ではないだろうか。 |
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