<14粘土のわが体験記>

どんな焼きもの
体 験 ば な し
ぐい呑み

<成形>
4月9日

<仕上げ>
4月23日

2002年4月9日(火)おじさんのチャレンジが始まった。
18時30分が講座開始時間だから、 たぶん少しは仕事上がりの中高年男性がいるものと思っていた。
おおはずれである。
先生によれば、
過去入校された男性は数人いたが、知らぬ間にやめていったとか。

「紅一点」ならぬ「黒一点」だったのだ。
しかも、今回の頭ピカピカの新入生は、私一人だった。
オリエンテーションでもあるものと思っていたのだが・・・。
先生の第一声は、「じゃ早速作ってみましょう」である。

最初に作り始めたのがこのぐい呑み。
先生が作り方の見本をさっさとやってしまい。
「は〜い粘土を切ってきて」・・・

おじさんは、わけもわからず土をひねり始めた。
周りを見ると、仲間がいる人は、ワイワイ言いながら、そうでない人はもくもくと、 思い思いに?それぞれ違う形のものを作っている。
見れば見るほど「達人」に見えてくる。

ピカピカのおじさんは、
2時間で2つのぐい呑みを作ったのだ。
楽しさは、まあ半分なりというところでありました。

コーヒーカップ

<成形>
5月14日

<仕上げ>
5月28日

陶芸・焼きものを始めた人ならだれしも、
まずは作ってみたいものではなかろうか。

それも「MY焼きもの」で「MYカップ」となれば言うことはない。
まあ、人前に出すか出さないかは別としての話だが・・・
こっそりと「MYカップ」で飲むのもいいかもしれない。

「真ん中をへこまして底の部分を1cm程度に、
内側に手を入れ、下から上に押し上げるように形を整えていく。
均等に、それでいて薄くならないように周りを整え、
底の部分を手ぬぐいで滑らかにする」

なんて言いながら、魔術師のような先生の手は、
カップの形を作っていく。
「そして、ここでこの道具を使って、カットする」

コーヒーカップは、大きさも手頃なせいか、
傾いていても厚さが均等でなくても、それなりに・・・
目を離してみると、老近眼のせいか、さらにそれなりに
いい感じに見えてくる。

柄を付けるとさらに、それなりに見るポイントが増えるから、
「ほほうなんて」言葉が出てくるのだ。

湯 呑 み

<成形>
6月11日

<仕上げ>
6月25日

日常、湯呑みはあまり使わなくなってしまった。
単身寮でも、耐熱性のガラスコツプが主体となってしまい、
会社でもコーヒーカップを使用して、さらに疎遠となっている。

おやじが食後やあいまあいまの空いた時間に、
「MY湯呑み」で飲むなんてのはなかなか様になるのだが・・・。
私にゃその様、似合わない。

先生は「八角形の湯呑みを作り、
カッターナイフで大胆に削る」なんておっしゃる。
さらに、先生が、
「下から上へ真っ直ぐあげて形を整える」なんておっしゃる。

私にゃ、その真っ直ぐ上げていくのがなかなかできない、
末広がりではないが、上へ上へと広がるのだ。
形を整えようと思えば思うほど、土は反対の動きをする。
面白いものだ。(笑ってられないから、面白がっている)

なんだかんだと、
自分の心のうごきと土のバランスの悪さを楽しみながら・・・。
底が抜けないように作る高台も、
ツールを使っての円描きが、なかなかできない。
消しては描き、消しては描き。

未熟さと老いによる体の固さと硬直した頭と老眼と、
このマイナス要素が形になるのだ。

なんて思いながら、
八角形湯呑みを、仕上げのカッターナイフで削ったのは、実に面白かった。
削りながら、とても気持がいいのだ。
なんだろうこれって・・・これまたそれなりにできあがっていた。

小 皿

<成形>
7月9日

<仕上げ>
7月23日

小皿ねえ、
どうやって作るのだろう。
平たい形を想像すると、固い頭の私にゃわからない。

案の条、成形前の形から違う。
ホイきた、先生が、あれよあれよと小皿を作ってしまうのだ。
ポイントは、周辺の持ち上げ方と、厚さのようである。

作品の良し悪しは別にして、意外に早く出来上がり、
うろうろと、周辺の仲間の仕上げにちょっかいを出し、
先生にもいろいろと質問をして・・・・・、
なんていう時間も初めてできたのである。
決して、はやいからいいものができたというわけではない。

今週は、新しい仲間が二人増えた、若い女性である。
もちろん、ぐい呑みから始めるのだ。
ちょっとだけ先輩の私ゃ、なんとなくにんまりとしながら、
形が出来上がっていくのを、横目で見ておりました。

二週間後、削りに入る。
皿を乾かし削るのだが、ろくろの上でそのまま削るのかなあ!?
シッタなるけずり台を作るのでした。
削りしろが、多いので、これはなかなか力が入りましたよ。

徳 利

<成形>
8月27日

<仕上げ>
9月10日

『徳利』、酒飲み(最近は、もっぱらビールに焼酎)だから興味はある。
とにかく形の種類の豊富さに驚く。
飲み屋では「銚子一本」追加とは言うが、「徳利一本」なんて言わないのだが・・・。

インターネットで検索すると、お雛様の三人官女の一人が持ってるものが「銚子」だそうで、明らかに 徳利とは別物だそうだ。
まあ焼きもの作りには関係ないので、ここらあたりで体験談へといこう。

細長さからも、粘土量もいままでで一番たくさん使う。
胴と首の間を細くするところがポイントのようだ。
ある程度の高さになってから、ひも状にして何度も積み上げていくのだが、手が乾くので 水をつけたら、先生から「あまり水をつけると表面が光るだけでよくない」とご指摘をうける。。

「胴」の部分ができ、首のところへと一気に作り上げた時、「なかなかいいじゃん」と もう一人の自分がほくそえんだ。
胴の部分に丸みを出すため、新しいツールを使用してやるのだが、なかなかね。
均等な厚みにするのがむつかしいのだ。これは手の感触と慣れに頼るしかないようだ。

やはり先生の「魔法の手」にはかなわない。
飯 碗

<成形>
9月24日

<仕上げ>
10月8日

飯碗と茶漬け碗とは違うみたい。
先生は、「奥様のためにも、いい飯碗を.....」とおっしゃる。
さらに、「夫婦茶碗ならぬ、夫婦飯碗をお作りください」とおっしゃるのだ。

湯呑みや、徳利なんかと同じように、円筒状のものから始めて、縄状のものを足していく。
何がむつかしかったか?
それは広がりの角度でした。

あまり広がりすぎると、訳の分からない形になり、
狭すぎると、湯呑みなんかに近づいていただけない。
適度な傾き・広がりの胴部分、

加えて、直線の広がりか曲線の広がりか、これは作り手の自由となる。
それがねえ、いい形の胴にならんのです。
そして、内側はへらや布で滑らかに、外側は削れるのでそんなに細かくする必要はないようで...。

抹 茶 椀

<成形>
10月22日

<仕上げ>
11月12日

<再仕上げ>
11月26日

*****成形***************

まずは、「昼の部」で作られていた方とその作品を目の前に、その器の数ある名称などに について、ご説明を受けたのであります。
さらに、茶の湯の会の開催のむつかしさ、茶の湯の道具はいいものばかり 出してもいけないし、かといって並みの物ばかりでもいけない。 「ここがむつしいわけ...」なんて先生のたまう。

並みの道具の中に、一品いいものをさりげなく入れておくことだそうです。
このいいものは、代々引き継がれているとか...。
もちろん我が家にそのような抹茶椀などはございません。
それに、我が家の場合、抹茶を入れる機会はないようでございます。

抹茶椀、その各部の名称の多いこと。
これも茶の道として、三つ指をつきながら、じっくりと先生の書かれた見取り図を写しました。
とはいえ、ボケの域に入りつつあるおじさんですからして、書いた先から忘れておりますよ。
この椀、何がむつかしかったか?
内側の茶たまり。
ただ、この部分、底が薄いとルミ先生にご指摘を受け、余った粘土で補正しましたです。

内側の底の部分をすぐ広げるのではなく、茶筅ずりのあたりから徐々に広げること。
そして、広がりを保ちつつ、まっすぐ外側を上げていくこと。
さらに特にむつかしかったところは、胴の部分を若干へこますことでしたね。
自分のお腹をへこますようにはいきません。

成形もかなり慣れたせいか、削る必要がない厚さに出来上がるようになりました。
でも、これが、いけないようでして、削りで仕上げをするということを忘れてはいけないようです。
いわゆる「遊び」のようなものでしょうか、これで形を整えていくことになるようです。
それに口縁を飲み口として何個所か削るようでございます。
ということで、余った粘土で、口縁部分とそれに近い部分を肉付けしていきましたんですわ。

さてさて、うまく仕上げの削りができるでしょうか。

*****仕上げ*************

まずは、高台作り。二通りあるらしい。
兜巾(ときん)高台、巴(ともえ)高台。
先生特製のツールで、試行をしながら削るのだが、何回しても結局いい形にはならなかった。
胴部分や腰部分を削るのだが、どうも形がいまいちなのだ。

そしてよくよく見ると、高台の位置が中心からずれて、ひねくれておりました。
まあ、私の本日の「こころ」の表現なのでしょう。
最初から器の中心をよく見ておけばよかったのですがね。

さらに、「口縁」の削り方を先生がのたまうのだが、
その数式(留意事項3に)が、ボケた頭では理解不能でした。
先生が一生懸命言われれば言われるほどに、迷路へ。
先生は、まだ「茶の道」なるものについてものたまいし。

蛇の道はヘビなんて言いますが、茶の道はなんでっしゃろか。
(先生ボケ老人ですみませんでした。)
「口縁」は削る時間もなく2時間は過ぎたのだった。
初めてのお持ち帰りでした。

寮で、こころを落ち着け再度挑戦しております。
まあそれなりに、できましたのでご覧あれ。

*****再仕上げ*************

持ち帰りの作品を持参。
余分な粘土で、何度もルミ先生の特製ツールをお借りして、兜巾(ときん)高台を 作りの練習をしてみるのだが、うまくいかない。

さらに、先生から、全体が「重い」と指摘されて、削ることになる。
先生は、たびたびわれの削り方をみるのだが、 どうも私の柔い削り方がお気にめさないようで。
ついに特製のツールを持ち寄って削り始めたのです。
あれよあれよと、実に大胆な削り方でありました。

さてさて、問題は兜巾高台。
ソフトクリームの最後の部分がちょっと跳ねたようなそんな感じにするのですが、 なかなかできない。

技術力というよりセンスの問題のようである。
先生に言わせれば「抹茶椀は裏が大切、もちろんこの兜巾の形と 高台自体が滑らかであること」なのだそうだ。

ビヤーカップ

<成形>
12月10日

<仕上げ>
12月24日


*****成形***************

陶器で飲むとビールがおいしいと言われて、備前焼をもらったのはもう7年ぐらい前になる。
今はもうそんなことも気にしないで、缶のまま飲んでる自分がいる。
なんて前ぶれ話は忘れて、作るのだ。

久しぶりの成形、指が思い出すのに時間がかかる。
薄く上へ押し上げるのだが、かなり上の方へ行くと、粘土が足らなくなり、穴が空く。
補修しながら、形を整える。
下の部分が分厚いので、また押し上げていく。

かなり背が高くなるので、適当なところで、底を平らに丁寧に仕上げるのだが、うまく できない。
先生が、ツールを利用してやってみせてくれる。なるほど...。
また先生が、「陶器の全体を見ながら、いい形になってるか...」とおっしゃるのだが。
我「心が乱れていると、形もいい具合になりません」ともっともらしいことを言う。

特にポイントは、口縁の少し手前当たりを外側にそらすところのようだ。

作る前、先生から、粘土は「赤土」がいい感じのものができるという説明があったのだが。
結局、粘土は「白土」でやりました。

*****仕上げ***************

高台作りの前に底の大きさを整える。
整える目安は、底の内側の円周より、高台の内側の円周を小さくする。
その円をまず高台に描いた。
この円を見ながら、底の部分をどんどん削ったのだが..。

高台の内側の線は、垂直になるようにする。
いつも削りでは、壊れたらいけないという意識が働き、大胆に削れないのだ。
(先生に言わせれば、壊してまた作る、そうするとさらに上手になるんだそうです)

今回の削りは、自分なりにかなり削ったと思っていても、
先生が正面に来て「まだ削れる」と言いながら、我のへぼ作品を削るのである。

さらに「まだ底が重い」と言われ、どんどん削りました。
(底がどうしても重くなるので、ここを大胆に削ることがポイントのようです)
自分では削りすぎたと思ってちょうどいいぐらいの重さみたいなのだ。

側面を削る時は、内側に手を添えて、
厚さを指感覚で計りながら、削りましたよ。

煎茶の急須

<成形>
1月14日

<仕上げ>
1月28日


*****成形***************

今年の初物である。
先生が言う、「何を作りたいですか」
いい質問。私は飛びついた。

「爺の煎茶の急須」と言ったら、
「どのくらいの大きさ」なんて、すぐボールが返ってきた。
「だいたいこの程度」と身振りでしか返せない。

先生は、その身振りを見ながら、<陶尺(とうしゃく)>を出してくる。
焼成後の寸法から、成形の寸法を割り出すのである。
口径、高さ、天地などから粘土量を決める。

早速、作りにかかる。
寮で適当な寸法で作るのとは少し違う面白さがあるのだ。
反省としては、実物をもっとよく観察しとけばよかったということだ。

まだ、難問があった。
注ぎ口、茶殻が出ないようにするところ、蓋の形と大きさ、蓋を乗せるところ。
そんなことを考えながら、出来上がりがどうなるのかワクワクしてくる。

*****仕上げ***************

急須の注ぎ口
3通りの方法を教えてもらった。

@麺棒を利用して粘土を薄く平たくし、急須口を平面で見た形に切る。
Aろくろで徳利のようなもの作り、斜めにカットする。
B麺棒を利用して粘土を薄く平たくし、棒に巻き付け形を整える。
結局我は、@を選択して作った。

次に「急須の穴」を開け、急須の注ぎ口を急須の胴に取り付けるが、どうもバランスが悪い。
先生から「作る時は、つい近くばかり見てしまう。常に全体を見ながらが大切です」なんて 口を酸っぱく言われる。

自分のものになるまではまだまだである。
急須の高台作りの時も、また同じように言われたのであります。
底の削りは、さほど薄さにこだわらず、仕上げた。今度は、家の急須にチャレンジします。
「まあまあいいんでは」と自己満足でした。

角鉢

<成形>
3月25日

<お持ち帰り仕上げ>
4月1日


*****成形***************

粘土を板状にして、組み立てる。
ということは、仕上げ工程がないということか?
麺棒とタタラ板を使う。

その前に、粘土を手の平で叩きながら平らにしていくのだ。
適当な厚さになってから、麺棒とタタラ板で平面を整えていく。
手で厚さを整えていくのと違い、形の面白さはあまりない。

仲間の作品をうろうろと撮影していたら、時間がたらなくなった。
立て板、4枚の寸法に誤差ができて時間切れとなりました。
焼き上がりのお持ち帰りがあり、次週持って帰ることにしたのでした。

陶芸にチャレンジして、挫折することもなくあっというまに1年がすんだ。
創る、作る、造る、のがこんなに楽しいとは。
15年度も、引き続きこのペースで、楽しんでいきたい。
来年の今ごろはどんな感想をもらすかなあ、さてさて・・・。

*****仕上げ***************

角鉢持ち帰り、組み立てをしました。
でもねえ、乾燥していて、立て板が曲がったり縮んでいてかなり苦戦しました。
やはりこういうのは一気に仕上げないと駄目のようですね。

これだけだと淋しいので、鉢の下に4つの小さな台をつけてみました。
植木鉢ご所望の家人用に、真ん中に穴をあけるかどうか。
これは、聞いてからにしようと思います。

ドンブリ

<成形>
2月25日

<仕上げ>
3月11日

<文字透かし彫り>
3月18日


*****成形***************

わが単身寮には、「丼」がひとつある。
全能丼である。
もう7年も使用しているから、作ってみようかとあいなり。

寸法を測る、これは焼き上がりだから、それを1.15倍する。
粘土も沢山いるのだ。1.5kgなり。
いままでで一番でかい作品である。

本日は、隔週講座のもう一方の受講者が沢山来ている。
20名近い若い女性に囲まれ(いつもは我も含めて12名)、 禿げおやじ女性のコロンの匂いにいささか圧倒されて、 「丼」の形がなかなか整わないのでした。
先生も、我の相手もなかなかしてくれない、大忙しの一日でした。

とはいえ、思い出したようにやってきてはくれましたがね...。
先生、ご苦労さまでした。

*****仕上げ***************

きょうも別組みの若い女性が多い。
どうなってるんかねえ。
どんぶりは厚さが難しい。

少し厚めというところだろうか。
削り終えて、先生から好きな言葉を入れてみませんか?
なんて言われたが、言葉が浮かばない。

次回再仕上げということにした。
やはり持ち上げるから、重いといただけないのだ。

*****文字透かし彫り***************

お持ち帰りして、文字を彫り込む。
「とう芸創楽」なんて字にした。
丼にかってにデザイン化した字を書いて、彫刻刀で彫ってみた。

自画自賛の字が彫りあがった。
先生から、「字の周辺を浅く彫り、近くを深く彫るとよかった」
なぜか「釉薬がけの時、薬が字の近くに溜まり、字が浮いたように見える」んだそうです。

植木鉢

<成形>
4月8日

<仕上げ>
4月22日


*****成形***************

新しい年度が始まった。
古いメンバーで、そのまま去った人もいる。
新しいメンバーが2人と、第一週グループから変ってきた人もいる。

横目に、新メンバーの「ぐい呑み」作りを見ながら、懐かしく見ていた。
おじさんが一人増えてちょっと心強いかな。

新年度を迎え、ルミ先生が言う「一通りの作り方は終わりました」と・・・。
ということで、作品作りはお任せということらしい。
家人から注文があった「植木鉢」を作ることにした。
寸法も測ってないので、適当に粘土量を決めてやることにした。

500g測るつもりが、600gになってしまった。
最初から胴も・底も薄く、作ってみたら意外に小さな物になってしまった。
1kgぐらいがいいようだ。

斜めに胴を上げていく、ルミ先生「それで終わり、口縁をフリルのように 波打たせては」
やってみました、ついでに細いひも状のものを作り飾りとしてつけましたよ。
仕上げもあまりかからない、底に排水用の穴を開けるだけである。

終わった頃、隣を見ると、「ぐい呑み」が二つできあがっておりました。
そういえば、えらく重たいのができあがり、
薄く削りきれなかった自分を思い出しておりました。

*****仕上げ***************

2週間経って、ビニール保管箱から出してみる。
良い形になってると、自分で思いながら、
ほとんど削ることなく仕上げということにした。
今週もう焼きあがってきた。
なかなか良い感じである。