<<日本画家:田渕俊夫さんのメッセージ2016.7月2日午後11時ETV放送発信>>

どんなこと


<<1.生い立ちなど>>
@日本画家:田渕俊夫
A1941年8月生まれ(74歳)
B日本の自然を数多く描いてきた。
C本格的な仏画を描いたことはない
D学校を出た田渕さんはアフリカやヨーロッパで絵の修行を重ねた。そこは強い色の世界だった。

E一人でアフリカからイタリアに行って、最初はすごいなあと・・・。段々なんか自分の求めているものと 違うなあって言うような気になって。日本へ帰って日本画を描きたいなあと。
F日本画の命は線にある。
G平山郁夫弟子

<<2.作品群>>
@昭和57年「流転」
A智積院講堂襖絵全60面:「春」(枝垂れ桜)など
B1968年「ヨルバの花」
C1970年「秋詩」(半分しか色は塗られていなかった。未完成の絵だと批評する人もいた)
D1984年「あさがお」(上半分の茎と花に色がついていない)

<<3.題名と薬師寺からの注文>>
@題名:阿弥陀三尊浄土図
A 薬師寺巨大仏画誕生〜日本画家田渕俊夫〜3年間の記録
6メートル四方(8枚を組み合わせたもの)の木枠パネルに和紙を張って描く。
B注文はただひとつ、これまでなかったような今の時代の仏様を描いてください。

<<4.本人のメッセージなど>>
@自分自身に厳しい課題を突き付けられたようなもの
A天平の文化に負けないような仏様を描こうといろんな知識を入れれば入れるほど、形を取りにくくなる。やはり現代を生きてる 人間の解釈でもあるし、過去のものをマネするだけではなくて、そういうところからも加えた精神性の高いものを描きたい。
Bお顔というものはねえ、仏様にそれぞれ個性があるものですから、何とも言えない慈悲深い顔を描く以外にない。 不思議なもので、精巧にできている。きれいに美しくやればやるほど精神性が欠けることがありますので。お顔をどういうふうにしていいかわからない。 いろんな顔をスケッチ。

C人間の技術的な感覚的なものは進歩したんだろうか。かなり様式的でありながら写実的
D仏様でもお顔は人間の形ですから、ただそれで象徴的に何かを持つと違う次元へ持って行く努力をそれぞれの仏様の顔を見ていると 感じる。ああこういうところなのか、目もどこを見ているかわからないような一点を見ていたら、例えば助けようとしても一人の人しか 助けられないような、そうじゃなくて、目ひとつでもすべてを見つめてのかなあと・・・どういう顔を作りあげていく中でやはり 皆を救うような特に今回は阿弥陀さんなもんですから、救いを求める人たちにどういう顔で接するかということを考えた時に、 そういう表現というのはどういうふうになっているか、随分考えながら描いていました。
E死者を導いて極楽へ行く。その極楽がわれわれが行きたいという場所そこには鳳凰がいる仏様がいる。皆ここはすごいところで、いいところ だよという。鳳凰にしても飛天にしても、皆喜んで飛び回っているというそういう世界が表現できたらいい。

F最初は立体の仏像にかなうものが描けるのか心配しましたが、極楽浄土の世界を描きながら、絵にしかできないことがあると 考えるようになってきました。仏像というのはどこから見ても立体で見られる部分と、絵は平面で、だけど周りに情景を描写することができる。 極楽浄土を表現するとしたら、絵の方が可能性があるような気がする。
G描きすぎて失敗する。自然界には線はないそれを線でかけるのは人間のすごさ。 線はすべての物より強い。現実には線はない。 色より線の方が強い。線は究極のもの。

H絵のこと以外を考えると、線がちょっと動いちゃってこれは雑念が入ったなあと、だから真剣に絵のことを考えて描かないと。 あまりきれいな線を入れるとヌメッとして面白くない。模様なんかも直線なんかを定規で引けば、線はきれいに引けるが、あえて フリーハンドでやってみる。そうすると確かに実在感がでる。絵でただ形を写しているだけではなくて、そこに例えば仏様がいるって いう仏様を描いているという。そういうのが出て欲しい。実在感。

Iいままでは時間があるからいいやと・・・そうじゃないんですよ。急いでやらないと間に合わないという。無限にあったと勘違い していただけ、でも、やっぱり人生ですから有限なのです。その間にやらなければならないことを、特に病気になって、 これは来年回しにしようとか、そんなあとではなく、やる時はやらないといけない。
J「にかわ」を抜いているかもしれない。「にかわ」が随分薄いと発色がいい。重ね塗りをする時には「にかわ」を強くする。
K国宝画に負けない絵を描かないといけない。

L色っていうのはひとつの概念を固定してしまうことがある。例えば葉は緑、空は青とか・・・。色を塗らないでもっと沢山の色を 感じる方が、可能性がある。
M雑草というあの形は何百年、何千年どころではない、すごい長い年月を通ってああいう形になっている。
N宗教という、そういう中で育ってきて、本当に究極の姿のような気がする。だから、雑草も宗教も同じように本物の世界のような気がする。

<<5.作品作りまでの記録ナレーション>>
@各地の仏像を訪ねることから始めました。大原三千院往生極楽院:国宝阿弥陀三尊像(平安後期)。 阿弥陀如来を中心とした浄土図を描く。人が死んだ後、西方極楽浄土へ導く顔が最もむつかしい。
A仏像の写真を集め何枚も何枚もスケッチしました。1カ月を過ぎても延々とスケッチを続けました。
B絵を描き始めて3カ月が過ぎた頃、奈良へ向かいました。

C巨大な仏画の下絵として小さな絵を描き始めました。人間であって人間を超える様式的でありながら、写実的、その上で、 過去のマネではなく、現代の仏像を描かねばならない、通常ならば顔から描くのですが、なかなか顔を描きこめずにいました。
D下図に取り掛かって3カ月。今の時代に生きる人々の不安や苦しみを包み込む慈愛の眼差し、そのお顔は微かに微笑んでいるようにも見えました。

E周りの極楽浄土を描いていきます。まず、阿弥陀様の両脇に立つ菩薩を描きこみます。阿弥陀如来の頭上には日傘にげんりん(?) を持つ華やかな天蓋。飛天は薬師寺の象徴的な存在です。ただ一つ創建当時からある塔の先端に彫られているもので、笛を奏でながら宙を舞っています。三尊の周りに 鳳凰やたなびく雲などを描きこみ西方極楽浄土世界を表現。
F下図が完成・・・1年の時が流れていました。

G2013年(平成25年)の暮れ、木枠の板に和紙が付けられた大きなパネルを組み立て(8枚を組み合わせ)、6メートル四方を 作る。上下を半分に分けて描く。下図をプロジェクターで投影。その映像をガイドにしながら描き始める。高い所は工事用足場を運ぶ。 バランスの悪い所や形の悪いところがどんどん露わになる。繰り返し描いては消し、描き直す。
H万物は常に姿形を変えていく。その中からとらえた線こそが物の本質を表す。田渕さんが日本画を50年以上やってきて捉えた境地。

I鉛筆で線描きを始めて4カ月が過ぎたころ、下書きが完成した。この日から下書きの線に筆で墨を入れていく。・・・墨入れ終わり。
J色を入れる前に、魂をを入れる法要が予定されました(開眼法要)。その前日、作者は体調が急変し、救急病院へ。ウィルス感染し 気道が塞がり呼吸ができにくくなる。危機一髪。管を通してやっと息ができるようになる。・・・入院から2か月後回復。
K画家としての人生を再スタートする前に「傳宗庵」(日本画の故前田青邨画伯のアトリエ宅)を訪問。(田渕さん73歳)(青邨は92歳で逝去) 青邨が使用した絵の具皿に絵の具がそのまま残っていた。

L2014年(平成26年)9月11日改めて筆入れ法要(魂入れ)
M鉱石を砕いて使う岩絵の具を使用(色数が少ない)仏様の顔から色付けを始めた。装身具などは金を溶いたものを塗っていく。 絵の下の部分にとりかかった。下に行くほど薄く柔らかい色を付けていく。そしてほとんど色を付けなくしていく。そこは、線描きの まま残すつもりだと言う。色を塗らないのは、色に対する田渕さんの独特の考え方があったからだ。
N浄土図に色を塗らない部分を作ろうと考えていた。絵の下の方は色がなくなり、線だけになっている。この部分にさらに手を加え、 胡粉(貝を潰して粉にしたもの)を溶いてスポンジに浸みこませ、叩き込むと、墨線の上に溜まっていき、白いムラができている。

O色付けの最後に阿弥陀如来の上の太陽を赤く染める。「朱」を塗る。これは水銀からとる。赤く塗った上から金粉を吹き付けて、 やわらくする。
P色のない部分は見る人それぞれに色を感じて欲しい。下の方の色のない世界から上に行くにしたがって、色鮮やかな浄土の世界が 広がっていきます。
Q雑草の中に命の移ろいを見つめてきた真実が表現されていた。

R<<阿弥陀三尊浄土図>>組み上げ:平成27年(2015年)3月1日
上記の完成を祝う式典:薬師寺食堂(じきどう)起工式同年3月21日