今週のおすすめ本


ブック名 極楽の観光案内
著者 西村公朝
発行元 新潮文庫 価格 420円
チャプタ 序章「極楽はる!」
@極楽浄土の情景
A極楽はどうして築いたのか
B西方とはどこか
C往生,魂はどこへ
D宗派別,あの世はどう迎えてくれる
キーワード 極楽
本の帯 極楽って本当にあるの?あるとすればどんな所なの?どうすればそこに行けるの?仏典に描かれた すべてを愛宕念仏寺住職がイラスト満載で分かりやすく解説
気になるワード
・フレーズ
・清水寺大西良慶管長「極楽はあると思いますか」と問われて「お経の本に,ある,あるというているのだから,あると信じないとしょうがないやないか」
・この世は常ではない,つまり無常です。常でないということはすべてがどんどん変わっていくのですから気持ちも変わってくる。同じものが続いたら耐えられなくなって,変わったものを求めるようになってくる。
・「観想」たとえば,仏さんの姿を想像できたとしたら,その仏さんの形が見えたというのではなしに,そこから考えていくのです。そして,もういっぺん,自分のこれまでのあり方がどうであったかということを思い出す。思い返していって,こんどは次に自分がどうであるべきかを想像していくということです。
・死後の問題については,どのようになっているかまったくわかりません。・・・死者がいわば阿弥陀の世界に行っているとしてもその結果についての報告もないので誰にもわかりません。不明です。こういう問題が,いつの時代にも未解決のまま過ぎてきました。
・お釈迦さんも,このように死後の問題について解決を求められているのですが,まったく答えてはいません。それよりも,いまが大事なんだ,いまの連続なんだよ,といういい方をしていたようです。私たちはいまの一瞬一瞬の連続である,だからいまが大事なのだという考え方です。
・無神論的な人からすれば,本人は満足してこの世から消えていくことができるのだと思います。しかし残された家族にとっては,何か物足りないものがあるのではないでしょうか。
・焼いた骨はなくなってしまいます。そしてやがては地下水となり,川になりそれが海に入って流され,西方の彼岸に行く,ということになります。・・・別に慌てて行く必要もないのではないかと思います。
かってに感想 題名が「極楽観光案内」とかなり入りやすいものとなっている。
といっても,この観光の意味は,仏像さんを見て考えなさいということらしい
とかくこの手の本はむつかしい話になってしまうきらいがあり,仏教の経本を読んでも漢字ばかりである。やはり現代人にはむつかしい。
小さいころから,諳んじていたから,60代以上の人は,盆とか法要の時には,お勤めに来た住職に合わせて教を読んでいる。
では,その意味とか,なぜ読むのか,は全くと言っていいほど知らない。有名な般若心経でさえそうである。
世代も変わり,家が属する宗教はあっても,兄弟の多い団塊世代で,家を継がないものは家から離れほとんどが特定の宗教を持っていないのだ。
いまその世代がなんとなく死を意識し始め,死んだ後をどうするか(献体・臓器提供)?尊厳死?戒名は必要なのか?お墓がないお墓はどうするのか?散骨は?都会で葬式するには?葬式代が高い?
この中でも特に気にしている人が多いのは,死んでまで迷惑をかけたくないということなのだ。
現存の仏教による供養は,その名のもとに,葬式代,戒名,その後の法要(盆・彼岸・年末,周期法要)と,とにかく金ばかりいるのである。
といったように,この本のテーマである極楽があるという前提で「極楽へ行くには」というのとは若干違った悩みを持つようになっている。
読みながら,仏教全盛のころならば売れたであろう書物に属するのではなかろうかと思った。
特に「宗派別にあの世はどう迎えてくれる」というチャプタは,仏教全盛のころの現世の宗教家が宗派独特のアイデアを出したにすぎないものとしか思いようがない。
筆者は,死者の処置を簡単にしようとすることは,「わびしいとか淋しい」という言葉で表現している。これはあくまでも現世に残されているものの心境にすぎない。 いずれにしても私は宗教というのは心の持ち方だと思っている。
この本を読むには,まず極楽とか地獄ががあると思っている人とか,あるいは人間は死後どうなるのかを考えている人であることが必要のようだ。
私を含めそんな人にとっては,極楽行きの切符,現世にいながら極楽を,曼陀羅,三途の川,賽の河原,草葉の陰とか言葉を知っていても意味を知らない言葉がわかりやくす解説されている。
ただ,極楽へいくのも「観音量寿経」によれば,十三の観想(イメージ)段階を踏んで,現世の行いにより十四〜十六で極楽の入り口が分かれる「十六観想」により順次段階を踏んでいく方法でないとだめなのだ。
だから浄土真宗でいうただ念仏「南無阿弥陀仏」を唱えることにより極楽へ行けるというのはなかなかのアイデアだと思うのだが。
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