ブック名 アメリカ彦蔵
著者 吉村昭
発行元 新潮文庫 価格 859円
チャプタ 27のチャプタからなる
キーワード アメリカ人、日本人、人の役割、漂流者、人間万事塞翁が馬
本の帯
米大統領に初めて会った日本人

気になるワード
・フレーズ

・運命のままアメリカに来たが、ここには頼るべき親も親類もない。仲間を遠い清国に残してきた自分は、その時から一人生きぬく定めにあったのだ。
・アメリカのような広大な国の支配者なのに威厳はなく、警備の者も従者もいない。生活も簡素でつつましい。
・漂流をきっかけに、自分の生きる世界は大きく転回したのだ。
・彦蔵は、アメリカで発行されていた新聞が定められた金額で人々に渡り、購読されているのを知っていた。が、新聞誌を求めてやってくる者は、 時にはわずかな品物等を持ってくる場合もあったが、ただ礼を述べるだけで帰ってゆく。かれらには、新聞誌が、金銭の対象になるという意識はなく、彦蔵の好意としか考えていないようだった。
・商社を押しつけられる形になるが、彦蔵はことさら不快な感じはなかった。かれには、どのような地に行きどのような仕事についても、なんとかなるという気持ちがある。
・かれの気持はすぐに冷えた。村になじめず、むしろいまわしい心地にすら思える。法幢浄辨信士という戒名の文字に、自分がすでにこの世にはない身であるのを知り、突然のように姿を現した自分は、 村人には亡霊同様に思えるだろう。村はふるさとではなく、むしろアメリカこそふるさとではないのか。
・かれは本庄村にもどったことを思い出すたびに、うつろな気分になった。思い描いていたふる里はなく、喜んで迎え入れてくれると思っていた村人たちも、自分を珍奇な生き物でも見るような眼を向けていた。

かってに感想

私の大好きな長編歴史小説である。
吉村昭の作品は、歴史上ほとんど表に登場しない人物の過去を追い、年表テーブルを設定して、小説の始まりを決定するのだ。
この作品は、1850年主人公の彦太郎13歳(後あらため彦蔵)が、母の死を経て炊(かしき)として「永力丸」に乗船するところから始まる。
この小説を読んで、ひとことゆうならば「波瀾万丈の人生」であり、「人間悪いことばかり続くこともないし、といっていいことばかりも続かない」この二つである。

漂流体験をした主人公の人生は大きく変わった、だがこの作品を読むかぎり、この人は国と国と緩衝材としての役割、漂流民たちを救うために用意された人生であったような気がする。
それは読み手の私が思うだけで、この人生を送った彦蔵がどう思っていたのかは定かではないが、筆者がその心境を内なる言葉としてところどころにちりばめているようだ。
13歳という若さとなんでも受け入れる柔軟で明晰な頭脳を持っていたからこそ、次々と起こる変化や激動する時代にも関わらず生きてこられたのだろうと思わざるを得ない。

若き時代の反動から40歳で結婚してからの主人公が61歳で死ぬまでの20年間は小説のネタに乏しいものだったのか、最後のチャプタで一気に書きあげられている。
人はだれしも大なり小なりの変化を経験する、場合によってはその波に押しつぶされるものもいるかもしれないが、人それぞれそれなりに均等にあるものだ。
ただ、小説やドラマになるほどの人生はなかなかないだろうことも推測されるようである。

その他、この小説を読んで感じたことを書くならば、戦争のような切羽つまったときの時代には人は心の余裕をなくすこと。
アメリカ人は恵まれない境遇の人への援助は惜しまないこと、この時代から日本人は情報は「ただ」だと思っていたフシがある。
珍しい体験を多くしている三代のアメリカ大統領とのご対面、日本で初めての新聞紙の発行、文明の利器−電話・蒸気船・蒸気車−との驚きの出会い、アメリカ国籍の取得などがあること。
アメリカ人は定職に就くというより、常に向上心を持って新しい仕事にチャレンジすることが当たり前であるということ。
世が世なら主人公は外交官として八面六臂の活躍をしていたのではなかろうか、いまの日本外務省に欲しい逸材である。

たくさん筆者の作品を読んでいるが、今回の作品で特にすごいなと思うのは、主人公に起こった歴史上のでぎごとをどのようにつなげたかということだった。
それは、いままで読んだ作品と違い、多くの日本の船名だけでなく外国船名や都市名、香港、澳門、上海、サンフランシスコ、ニューヨーク、ワシントン、ボルチモア、ハワイの数々の地名との多くの漂流者の名も出てくることだ。
そして、漂流者がどうやって救助されて、どうやって日本国まで帰ったか、さらに一生はどうだったかなのだ。
「あとがき」その苦労話の一面を覗くことができる。


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