今週のおすすめ本


ブック名 老いてこそ人生
著者 石原慎太郎
発行元 幻冬舎文庫 価格 559円
チャプタ

@人はなぜ走るのか
A肉体への郷愁
B色即是空
C自殺するヒーロー
D耳鳴りのショック
E脳幹のつくる人生の幅
F脳幹の大きな意味
G病気という克服するか
H古今、二人の名医
I肉体の神秘
J人生でのあきらめ
K怪我の効用
L健康への責任
Mああ、我が痛みの腰よ
N酒の味
O子供たちとの仲
P離れていく子供たち
Q大物たちの晩年
R立っていく友
S2度とかなわぬ夢
21.死は忌まわしく、恐ろしい。されども

キーワード 死生観、老い、子供、友、病、身体
本の帯(またはカバー裏)
老いは迎え討て

気になるワード
・フレーズ

・懸命に生きるという姿勢は一種の執着かもしれないが、生への見苦しいまでの執着は、 懸命に生きることとは違って、その人間の弱さを感じてしまいます。
・迷いや悩みを断ち切り、乗り切るために何が必要かといえば、何よりもまず変化という こと受け入れることなのです。
・老いるということに対しても、いかにうまく慣れるかという手立てしかありはしない。 それこそが肉体の凋落、肉体の衰退を超えてさらに確たる将来の人生を築くための 秘訣といえるかも知れません。

・大切なことは老いてなおその人間がどのような意思を持ち、何に対してどんな姿勢で臨んで いるかということです。
・「幼い頃に肉体的苦痛を味わったことのない人間は大人になって必ず不幸なことになる」 (コンラッド・ローレンツ動物学者)
・人間が他人との関わりの中で自分をしっかり捉えながら生きていく、自分を失わずに 生きていくために必要なことは、耐える、耐えられるということに違いない。

・老いに関しても同じことです。それに耐えることでそれに慣れていく、ということで 人間は老年なりの余裕も出来、生活の情感も豊かなものになっていくのです。 人間は何に限らず厄介なものごとにまず耐えて、そうして慣れていくというのが 人生のコツだと思います。
・「老年の悲劇は、彼が老いているというところにはなく、まだ若いと 思っているところにある」(オスカー・ワイルド)
・『周りから「お若く見えますね」といわれるようになったら、あなたはもう若くは ないのだ』(ワシントン・アービング)

・「人間は死にますとね、1人で暗あい道をいつまでもどこまでも歩いていくんですな。 その内に残された家族は私のことを忘れてしまう。第一彼等も忘れなけりゃやっていけませんよね。 しかしその内に当の自分も自分のことを忘れてしまうんですよ。それでね、いかなる 意識においても雲が消えるみたいに消滅してしまうんです。 だから死ぬというのは、ま、つまらないことなんですね」(賀屋興宣政治家)
・過ぎていった者たちへの懐旧こそ、老いた日々の充実のための糧でもある。 それは決して過去への執着だけではなしに、将来への新しい期待を育んでくれるはずです。
・確かにこの世には、お釈迦さまが「色即是空、空即是色」といった通り、絶対不変なる ものなど、決して在りはしないのだ。ということを。折々、いろいろな何かで覚ることで、 人間は初めて、安じて老いていくことが出来るのかも知れませんが。
・「死だと、死などありはしない。ただこの俺だけが死んでいくのだ」(アンドレ・マルロー作 『王道』)

かってに感想
実は、この本、単行本で出版されたとき、買いたかったのだ。
でも、ベストセラーになるだろうから、文庫本になるまでと、ほっておいた。
ちょうど1年で文庫本化されたわけである。

早速、「老いこそ」がなぜ人生なのか、貪るように読んだ。
最終章の「死は忌まわしく、恐ろしい。されども」に至るまで、どの章にも老いの先に来る こんなフレーズがこれでもかと出てくるのだ。
「人間誰しも必ず年をとるのだし、その先にやがては死なぬ人間などいる訳がないのだから」

「老い」やがてかならずくる「死」。
しかし、誰もがわかっていながら、自分が死ぬとは信じていない。
そんな人のために、何度も繰り返して、死を意識せよ、意識して 経験と培ってきた冷静さで老いを迎え討てと説くのである。

各チャプタは、筆者自身が自分の人生を回想しながら、 どんな時に「老い」を感じたかが書かれている。
それは、突然の耳鳴りであり、航海での肋骨骨折であり、子供の成長であり、弟裕次郎のアル中であり、 サッカーで腰を痛め、持病となった腰痛であり、友の死なのだ。

筆者は、読む限り、人の数倍に当る貴重な体験と師と言われる人との出会いがあるようだ。
その出会いには、肝臓病治療での漢方医・矢数道明・圭道父子。
腰痛治療での鍼灸師・岡田明祐、その他にも整体師・野口晴哉、そして気功師・熊井滋、 あるいは政治家として尊敬してきた賀屋興宣。
病気といったものに無縁な私には、いくら名医だと言われてもわからないが、 やはり、腰痛という持病を持ちながらも、今もかくしゃくとして第一線で活躍する 筆者の健康維持方法が分かり過ぎるほど分かるのである。

さて、何度も「死を意識せよ」と説く筆者、ではその結果どうなると言ってるのか。
それは、「死というものを恐れの対象として意識しだしたことで、 人間の感覚、官能は鋭敏になってきてすべて味覚が鋭いものになってくる。 性愛の味わいも食べ物の味覚もすべてが今まで以上に、甘美なものになってきます」 この一文でわかるのだ。
すなわち、生きてることの喜びを知ることができるのである。

では、老いに対する秘策、死の迎え方はあるのか。
そんなものはありはしない。
要は、「死の受け取り方、死の迎え方は当人の自由による、いい換えれば当人の心得、 覚悟次第だということです。そしてそれを作り与えるのは、それぞれの老いをいかに 受け取り、過ごすかということでしょう」ということなのである。

セカンドライフを前に、少し死を意識し始め、ひしひしと老いを感じ、もんもんとしている団塊世代には、 必読の1冊ではないかと思われる。


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