今週のおすすめ本 |
ブック名 |
優柔不断術 ((副題)優柔不断はすばらしい! |
著者 |
赤瀬川原平 |
発行元 | 毎日新聞社 | 価格 | 1470円 |
チャプタ |
T@いま,本当にウニでいいのか Aとりあえず,ビールネ2本ぐらい B決断衛星ゲンコツ号 Cいずれそのうち D坐ればいいのに E粗国日本 Fチャウンチャウ G日本の中の世界 H貧乏性世界地図 I決断疲れの現代人 U.ぼくの優柔不断は天然だった |
キーワード | 決断力,あいまい,農耕民族と狩猟民族,貧乏性,神様とお天道様 |
本の帯 | YES NOのあいだに真実が息づいている |
気になるワード ・フレーズ |
・原爆という武器のもたらしたものにはさまざまなことがあるが,一つの大きな意味は,それが地球を原寸で測るモノサシになってしまったことである。 ・その昔の神代の時代に,決断力の半分をお召し上げで天上に打ち上げされたとされる決断衛星は,いまや日本一国の使用だけでなく,広く世界基準での使用とならなくてはいけないはずである。しかし,そのことにまだ世界は気づいていない。 ・人間は何にしても見栄を張りたいもので,見栄というのは相当ムダを必要とする。見栄の必要経費というのは計上してみれば大変なものだ。生活のムダを省くには,まず行政改革よりも見栄改革だといわれている。 ・決断は演技である。決断力は決断を演じることで決断力だと思われている。 ・理屈はともかく,そのころ盛んに疑惑の便所が夢の中に出てきたのである。見かけはとくに怪しいものではない。学校の便所や,よその家の便所や,駅の便所やいろいろだった。 ・「とりあえず」ビール2本「ぐらい」というふうに,判断を天に委ねるというやり方を,日本人はいつから「術」として身につけたのだろうか。 ・もっと世界に目を向けて,グローバルスタンダードで,というようなことがよくいわれる。でも世界に目を向けることは,日本に目を向けることなのだ。何故かといって,いまや世界は島国である。かつては世界に羽ばたくといえば,無限の広がりの中に出ていくことであった。でもいま世界に羽ばたくといえば,島国に羽ばたくことである。(原爆) ・すべてに恵まれた人は,むしろ大変である。何も強化する必要がないままに育ち,そのこと自体をハンディとして自覚することがあるとすれば,そのときはもう人生の晩年になっているはずだ。 ・人間の本体はあいまいである。世の中は本当は優柔不断に満ちている。たまに何か小さな一つが切り出されて,たまに何か小さな決断があるにしても,それはほんの氷山の一角であり,本体はじっと優柔不断に沈んでいる。その水面下で優柔不断は唸りを上げて,フルパワーで回転している。 |
かってに感想 |
ベストセラー本の「老人力」は読んでいない。この本は,同一の作者の作品
である,読み始めると止まらない,止めることの決断が優柔不断になってしま
う。 「ぼくは,自分でいうのも何だが,優柔不断の能力には恵まれている方だと 思う」という書き出しで始まる。この書き出しに,走りながら決断する時代を 生きぬいている現代人,点滅信号で思わず走ってわたる現代人,ドアーが閉ま ろうとしているエレベーター・バス・電車に駆け込み乗車する現代人,スピー ドと効率を優先する時代の現代人にとって「何悠長なことをいってんだろうか」 という声が聞こえてきそうである。 でも実に平易で読みやすい文章,発想の違いからか,思わず失笑してしまう。 たいていの本には読めない,あるいは意味が解せない漢字があるものだが, 一語もなかった。ただ,文意はぐるり頭の中をめぐって???でかえってくる ところもある。そのあたりは気になるフレーズで紹介するとして,本当に肩の 凝らない面白い本である。 決まりそうで決まらない,決められそうで決められない,そしてじゃあまた あとで,じゃあとではいつになるのか「あとはおてんうとさまにまかせて・・」 ということになる。神さまに結論をあずけてしまうのが日本人なのであるとか。 また,その神様の存在もだいぶ違う。キリスト教の世界では「神は私生活を 見ている」というように神は,すぐそばに裁判官的な存在としている。 一方で,日本の場合「おてんとうさまはお見通し」,実にほんわかとして, あいまいで,いるのかいないのかという存在なのであるとか。 そういえば,このお天道様・・・というフレーズは子どものころよく使った 覚えがある。昭和30年代はみんな貧乏ではあったが,こころはゆったりとし ていたのである。 圧巻は千円札裁判の話,芸術か,模造か,偽造か,まじめに考えれば考える ほど極めて灰色に近い黒なのだろう。 神聖な裁判所を演技場に変えてしまう,傍聴人参加の洗濯ばさみによる芸術 作品創りのパフォーマンス。写真は勿論ないが,あっけにとられた裁判官の表 情が浮かんできて,これまた失笑してしまう。 ほほえましいところもある,それは少年時代のオネショの話,童話の世界に 入っているような表現,夢の中に出てくる各種便所の情景になるほどとうなづ いてしまう。 ものの豊かさが飽和状態になっても,際限のない物欲が突出し,こころをど こかに置き忘れ,となりのひとにも関心が薄れ,我先にという利己主義が横行 するいまという時代に,ほのぼのとした明るく温かい灯りをともしてくれそう な本である。 |