今週のおすすめ本


ブック名 生きるかなしみ
編者 山田太一
発行元 ちくま文庫 価格 525円
チャプタ
@断念すること(山田太一)
A或る朝の(吉野弘)
B覚悟を決める/最後の修業(佐藤愛子)
Cめがねの悲しみ(円地文子)
D私のアンドレ(時実新子)
E兄のトランク(宮澤清六)
F二度と人間に生まれたくない(宇野信夫)
G太宰治−贖罪の完成(五味康祐)
H山の人生(柳田國男)
I「秘められた日記」から(アンドレ・ジッド)
J「断腸亭日乗」から(永井荷風)
Kふたつの悲しみ(杉山龍丸)
L望郷と海(石原吉郎)
M大目に見られて(ラングストン・ヒューズ)
N失われた私の朝鮮を求めて(高史明)
O親子の絆についての断想(水上勉)

キーワード 断念、覚悟、老いと死、戦争、人種差別、絆
本の帯(またはカバー裏)
朝日新聞「天声人語」の03年4月5日付で紹介

この本を、今日、読んでほしいのです。
気になるワード
・フレーズ

・時代の気分はおおむね「生きるかなしみ」に背を向けている。そのような言葉は見たくもない。 気の滅入るようなことを、わざわざ本を買って確認する人間が何処にいるだろう?生きるかなしさ ぐらい承知しているが、暗いことにはなるべく目を向けたくない。いずれ悲しい目にも遭う だろう。そうなれば嫌でも体験することである。それまでは楽天的でいたいのだ。
・可能性をとことん追い求めない生き方を手に入れるには「生きるかなしさ」を知る 他ないのではないだろうか?
・自分がこれまで生きて来られていまなお生きているは、なにものかの恩寵とはいわないまでも、 無数の細かな偶然に支えられているのであり、決して自分の力ではないという認識があるべき− とはいわないが、あった方が幸福だろうという思いはある。

・私たちは少し、この世界にも他人にも自分にも期待しすぎてはいないだろうか? 本当は人間の出来ることなどたかが知れているのであり、衆知を集めてもたいしたことはなく、 ましてや1個人の出来ることなど、なにほどのことがあるだろう。相当のことをなし遂げた つもりでも、そのはかなさに気づくのに、それほどの歳月は要さない。そのように人間は、 かなしい存在であり、せめてそのことを忘れずにいたいと思う。
・絶えず自他の不満をかかえ、追い立てられるように生を終るのもみじめである。 心して「生きるかなしみ」に思いをいたしたい。ひとにではなく、自分にそういい聞かせている。
・今は欲望の充足が幸福だという思い決めが横溢している時代である。欲望は人間に活力を与えるもと であるから、欲望を盛んにするのがよいと多くの人が思っている。・・・・ 快楽は幸福であるという思い込みが価値観の混乱を招き、諦念や我慢は恰も悪徳ですらあ るかのようだ。

・老人の人生経験は今は後輩たちに何の役にも立たない時代だ。人生の先輩として教えるものは 何もなく、従って老人に払われた敬意はカケラもない。あるのはただ、形式的な同情ばかりだ。 そんな時代に老後を迎える私がこれから心がけねばならぬことは、いかに老後に耐えるかの 修業である。
・人間はすべて、生まれた時から、単独旅行者だという思いを言いたかったからにほか ならぬ。
・この国のいわゆる「中流」といわれる家庭から、親と子の絆について、しきりに 問いが投げられているときけば、この上何がほしいのかと不思議に思うのである。 ・・・ひょっとしたら、人々は、貧困という恵みから遠ざかったため、 大事な心をとりこぼしての不安かと思う。

かってに感想
平和過ぎて快楽思考の強い日本・日本人に「何より目を向けるべきは 人間の『生きるかなしみ』である」という編者山田太一。
その編者が選んだ「生きる」ということがこんなに辛い、悲しい、哀しいものなのか。
それを考えさせてくれる作品が12編収められた文庫本なのだ。

その最初に編者が「断念するということ」の中で、いかに断念するかを説く。
他人より少しでもいい暮らし・地位を求めようとする現代人、昨日より今日、 さらに刺激的なことを求めようとする現代人、老いを認めずいつまでも若くありたいと 願う現代人。そんな現代人の生き方に、警告を発し、こんなフレーズを送る。
「大切なのは可能性に次々と挑戦することではなく、心の持ちようなのでは あるまいか?可能性があってもあるところで断念して心の平安を手にすることなのでは ないだろうか?」いかがだろう。

私は、極めて楽天的である。と言って「老い」とか「死」を意識してないわけではない。
でも、しっかりとした「死生観」があるわけでもない。
毎年、3万人以上の自殺者を出す日本という国、多くの人が頑張り過ぎて「うつ」等の 精神的な病に苦しんでいる、そんな人たちに、「そんなに頑張らなくていいんだよ」 、それは自分だけではなくもちろん家族にも過度の 期待をするものではないんだよと教えてくれているのだ。

どの作品が、より「生きるかなしみ」を教えてくれるというものでもない。
それは、読んだ人それぞれが感じればいいこと。
ただ、気が重くなることがはなから嫌いな人は直ぐに投げ出してしまうかもしれない。

こんなことは、自分には到底起こりえないこととして、身近な問題かどうかで捉えてしまう。
そんな作品には、貧乏の余り子どもにせがまれ殺してしまう親子を描いた「山の人生}。
あるいは、シベリア抑留生活が描かれた「望郷と海」。
復員の事務に携わる人が、父の戦死確認に来た幼い子に涙するのを描いた「ふたつの悲しみ」。
自国の姓を奪われ、母国語も憶えることなく生きてきた在日朝鮮人が書いた 「失われた私の朝鮮を求めて」。

「重い」・・・よく考えて欲しい。
そこには、生きるということの本当のかなしみが見える。
私は、「ふたつの悲しみ」に涙を流さずにはいられなかった。

おわりに、楽天的な私が一番素直に読めた作品は、佐藤愛子著「覚悟を決める・最後の修業」である。
その中のこんなフレーズ−これからの老人は老いの孤独に耐え、肉体の衰えや病の苦痛に耐え、 死にたくてもなかなか死なせてくれない現代医学にも耐え、 人に迷惑をかけていることの情けなさ、申しわけなさにも耐え、そのすべてを恨まず悲しまず 受け入れる心構えを作っておかなければならないのである−が、これから高齢化社会を生きる 私に大いに肝に銘じなければいけないことだと思ったのだ。

そして最後に、忘れてはいけない編者のこのフレーズ「目をそむければ暗いことは消えてなくなる だろうと願っている人を楽天的とはいえない。本来の意味での楽天性とは、人間の暗部 にも目が行き届き、その上で尚、肯定的に人生を生きることをいうだろう」を取り上げておきたい。


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