今週のおすすめ本 |
ブック名 |
半身棺桶 |
著者 | 山田風太郎 |
発行元 | 徳間書店 | 価格 | 1365円 |
チャプタ | 七部構成の中から主なチャプタ T@風々院日録 A 死に顔を見せない法 B女が長生きするわけ C人間臨終愚感 D臨終徒然草 VE奇々怪々の酒 WFいびきの神 G小諸なる古城のほとりから H奇妙な旅 XIこわさしらずに YJ零の感覚 |
キーワード | ????? |
本の帯 | この命なにをあくせく,「人間の死に方」「旅行」「想い出」等・・・戦後四十年にわたる折々の記を収録。人間味あふれる待望の随筆集 |
気になるワード ・フレーズ |
・若いころから,別にやりたいことはないけれど,何とか気楽に暮したいというのが,最大の望みでしかもふりかえってみると,どうやらこうやらそんな人生を過して来たかもしれない。と思われるふしもある。 ・結局最もききめのある妙案は,死ぬとき,そばに近づいて来る関係者に,いちばんイヤミな身の毛もよだつような,通夜や葬式をやるのもイヤになるようなことを,いい放題にいってやって死ぬことだ,という結論に達した。 ・女のバランスのよさ,かつ復元力の強さは,むろん神様が出産,月経などという女性特有の生理的負担を補強するために,はじめから与えられた能力である。 ・人間の大半は,自分ではどうしようもない遺伝と偶然によって死ぬのだが−あるいは「生」もその通りかもしれない。無駄な抵抗はやめなさい。 ・ラ・ロシュフコー「たいていの人間は,死なないわけにはゆかないので死ぬだけのことである」ああ何たる無意味の集積。 ・多くの人は,排泄物の世話をかけることに,最後まで抵抗しようとする。それは世話をしてくれる人への申しわけなさと,それ以上に,自分の最後のプライドにかかわることだからだ。 ・安楽死を望む人は,他人にそれを強制するわけではない。ただ自分を安楽死させてくれと願うばかりである。しかるに反対する人は,自分が拒否するのはご自由として,安楽死を望んでいる他人にも「生きよ生きよ」と強制する。世にはこういうせっかいなヒューマニストが,かえって他を苦しめている例が少なくない。 ・そもそも大半の人間にとっては,死の形態云々の前に,死の到来そのものが大意外らしい。人間は他人の死なら,どんな人の死にも驚かないが,自分の死だけには驚く虫のいい動物である。死ぬことはわかっているが,「いま」死にたくないのだ,と,みんないう,そのいまは永遠のいまである。 ・私はいま,脳死の問題や老人医療の問題やボケの問題を見聞するたびに,どうも甚だ申しわけないけれど−それとは別にいったい人間そう長生きさせることに何の意味があるのか,人間はそれほど価値のある存在なのか,という思いに沈むことがある。 ・人間たちはこの地上に生れて来て,泣き,笑い,愛し,憎み,歓喜し,修羅の争いをくりひろげる。がほとんどそのすべてが忘れられてゆく,忘れられるのは,それら愛憎の世界が他人から見れば無意味だからである。 |
かってに感想 |
「あと千回の晩飯」という筆者の作品を読み,もう少し他の作品も読んでみたいといろいろな書店で探索していた。 この本は,新しくできた近所の書店で見つけたものである。 初版の発刊も1990年とかなり古く,収められている作品も一番古いもので40年前,新しいもので10年前に発表された随筆の集大成である。 「あと千回の晩飯」と重複する作品もある。まあ収録された随筆だから好きなところから,読み出して面白くないと思えば飛ばせばいい。 この書店には,「人間臨終図鑑」全3巻というのもあったが,まだ少し早いかと買うのをためらった。まあ身体半分ぐらいならいいかと,「半身棺桶」という題名のこの本にしたのである。 特に面白かったのは,結局「女が長生きするわけ」「人間臨終愚感」「臨終徒然草」で,やはり臨終に関するものであった。 筆者は,「死の意味の考察や死への心構えなど,とうてい私の力の及ぶところではないのだ」といい,伝記的あるいは医学的な興味から,有名人千人足らずを選んで,死亡年代別に分類して,図鑑を作ったらしい。 もし,自分の死に方が見つかるならという気持ちもあったが,結局,自分自身が死んでみなけりゃわからないということらしいのだが・・・。 人間だれしも死に方が気になるが,臨終図鑑には死の直前まで金と排泄物のことが気になって死んでいく有名人が結構多いのだ。そういえば,交通事故など突然死んでも恥ずかしくないようにパンツをはいいおいてと妻が言うが・・・関係ないか。 人間ボケてオムツもはずして,糞をほうりなげたり,壁に塗りつけたりするのは,あれは長年の糞に対する恨みからだろうか。 |