今週のおすすめ本 |
ブック名 | こぼれ種
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著者 |
青木玉 |
発行元 | 新潮文庫 | 価格 | 579円 |
チャプタ | @目の前の椋 A花を思う B芽吹きのとき C柳絮舞う D縁あるもの Eくさきの色 F道ばたの木 G塔の名残り H紅葉を待つ Iお正月を育てる J極楽に遊ぶ K岩の上の松 L室咲きの桃 M竹の花 N春のよい日 O藤あれこれ P布になる木 Q夏の水辺 R杉の梢 S秋のよい日 21.どんぐりの木 22.鉢のなか 23.長い道草 |
キーワード | 植物、木、草、母、祖父、童心, 腰が軽い |
本の帯(またはカバー裏) | 樹がささやき 草がつぶやく 春夏秋冬植物訪ねる小さな道草 |
気になるワード ・フレーズ | ・四季折々、春の桜の誘いがあちこちから聞かれる。淡墨桜や滝桜、そんな老木より若木だけれども 今が盛り、是非とすすめて下さる方がある。又、京都に行くことがあるのなら立派な竹林がある。 ほかにない風情が楽しめます。果ては青竹にお酒を入れてそのまま火のそばで熱くして飲むと、 これは百薬の長どころか仙人になった気分を味わうことが出来るとか、楽しい話は尽きることが 無い。 ・大島桜は染井吉野と同時か少し遅れて咲く。この居廻りに早咲きの大島桜はないかと、 あっちこっちへ問い合わせてみたがどこもまだだと云う。「いっそ大島へ行ったらどうですか、 あそこは東京ですよ。大島から早咲きもあるでしょう。一っ飛び四十分です」 ・一年仕度をして折角咲いた桜は、花持ちはよくて長く楽しめたが、冷たい雨に打たれて 可哀相だった。花の咲くときは芽吹きの時、それを見ようと思うと落ちついて居られず、 雨靴、レインコートに身を固めて、お天気の悪い日ばかり選って歩くようになってしまった。 ・今年は季節が早まっていると思うと、無性にあの景色が懐かしく、また雨の中を飛び出して行った。 ・暗い蔭に立って見ていると、大小の白い塊りが風に乗ってこちらに目掛けて飛んでくる。 手を伸ばしてつかまえようとすると、ふっと逃げる。それを追っても捉えられず、視力の届かない 先へと消えてゆく、しばらくの間、子供のように柳絮を追って走っては止り走っては止り、また 次の塊りを追う。遊んでいるのか遊ばれているのか、しきりに手に取りたい思いにかられる。 ・縁のあるなしは人ばかりではない。樹木にもそれがあるように思う。木はこちらから縁を 持とうとしなければ、向うから近付くことはないが、時には思いもかけぬ縁が生じることがある。 ・屋久島の縄文杉は、生命力においても立派さにおいても、国内で最高のものであろう。それを見る 福を得られるのなら人の助力を仰いでもと願った。条件が整えられて、母はそれこそ勇躍して 杉の前に立った。何人もの人を煩わせ、最後は皆に負われて自分の体重さえ人に傾けるほどの 思いで見た木は、杉の木の持つ概念をすべて打ち砕く力を持って周囲を威圧していた。 ・何かの切っかけで木を見に行こうと思ったときから、心は既に親しみを持って動き始め、 あれこれ思いめぐらしてその木の前に立ち、1つずつ木の持つ性格、条件を確かめて喜びもし、 憂いもする。縄文杉は何もかもがあまりに桁はずれのものを持っていたのだ。 ショックだったと母は云っていた。 ・何か気が重い感じを持つ。幹のしっかりした、葉が密に茂る木は定めて頼り甲斐があるだろう。 しかし、それは、頼られる木にとっては命取りになる事である。木は何のために伸びるかといえば、 自分の命の源になる新しい葉に充分に光を受けるために、年々枝を伸ばし、幹を高くする。 |
かってに感想 | 本の裏側の帯に本文から抜き出されたこんなフレーズがある。 「ごく身近にある木を草を、改めて足を止め、心を寄せて見れば、まだ見ぬ方の 花に誘われて、大そうな道草を続けてきた気がする。ふり返れば今までにない 楽しい仕合せな時を恵まれた」 道草、今までにない楽しい仕合せ・・・これに引かれたのである。 筆者「青木玉」は、幸田露伴を祖父に、幸田文を母に持つ。 それぞれのチャプタの中には、植物好きだった祖父・母の想い出を訪ねながら、 改めて樹木の長い生に思いを馳せる。 若い頃はさほど感心のなかった四季折々のいろいろな植物の出会いを 祖父・母の思い出を織り交ぜながらエッセイで描いたものなのだ。 各エッセイごとに訪ねた木々・植物の写真も添えられ、 さらに巻末には、娘から「ハンカチの春を待って」の一文も寄せられている。 本を求めた私自身、3年ほど前から始めた散歩で、鳥観察に楽しみを見出した。 そして、鳥だけでは飽き足らず野花・小さな生き物等々、自然の移り変わりに 目を凝らし、耳を傾け、鼻を効かす散歩道になったのだ。 そんなところから、この本をヒントにもっと自然・四季折々を楽しめるものはないかと、 目を輝かせながら読み進めたのであるが・・・。 おのれの知識のなさから、言葉の壁に当ってしまったのである。 少しその言葉を書き出してみると。 風倒木、実生、花序、照葉、板根、萼、苞・・・・・ さらに、写真があってもすべて同じように見え、 木々の名前も見分け方もさっぱりわからないから、大困り、筆者もかなり苦戦している部分も あるにはあるのだが。 これは今でこそわかるようになったが、鳥の見分け方よりさらに厳しいような!! と言っても、読んでて時間がゆっくり動いてると感じられたり、家族の暖かさを感じて 和むものが大いにあり、各チャプタが実に印象深い。 ということで、薄学の我がもらった楽しい話しを2・3紹介しよう。 まずは、初めの「目の前の椋」、母の家の前にある4メートルもある「榎」に間違われた 「椋」の写真が載せられている。 祖父から「榎」と教えられていたこの木、木に精しい人たちは目の前のこの木に関心を持ち、 「榎」だ、「椋」だ、とまちまちなのである。 そんな疑問から、母娘の勉強が始まり、行き着いたのは「椋」だったという話なのだ。 「露伴」も思わぬ波紋に笑っているのではなかろうか。 次のお話は「柳絮舞う」であるが、まずこの字が読めない。 そして、柳にも二種類(柳「シダレヤナギ」・楊「タチヤナギ」)あること初めて知り、知らなかった楊について、筆者がヘルシンキの公園で 体験した楽しい話。 梅雨の頃、訪ねたその公園に、白いふわふわと浮遊していたものが、「柳絮」(りゅうじょ)なのだ。 13年振りにその「柳絮」(りゅうじょ)を求めて、都立水元公園での童心にかえる体験話。 読んでて思った大切なことがひとつある。 自然の中で「樹のささやきや草のつぶやき」を聞けるようになるには、 童心のような気持ちになれるかということなのだ。 童心にかえって、自然を見てみると、いままで動いていたけど見えなかった木々・植物たちの 「生」の声が聞こえるのである。 だから、生活に忙しく、自然に耳を傾け、目を凝らす、そんな余裕のない、 興味もない人には何の楽しみも見つけられないのである。そこのお父さん少し一休みしてみては・・・。 |