今週のおすすめ本 |
ブック名 |
こころと人生 |
著者 |
河合隼雄 |
発行元 | 創元社 | 価格 | 1470円 |
チャプタ |
@子どもは素晴らしい A青年期の悩み B中年の危機 C老いを知る |
キーワード | 子どもの視点,時代ごとのの青年像,下がっていく人生,死生観 |
本の帯 | 山あり谷あり生きていくのはたいへんだ。それでもやっぱり人生はおもしろい。 |
気になるワード ・フレーズ |
・私は,何か問題が起ってくるということことは,そこの家の何かが悪いというじゃなくて,何かしなくてはならない,問題を与えられている,課題を与えられている。 ・自分の子どもさんが病気になったことを考えてみられますと,案外わかることがあるんじゃないでしょうか。いちばん困ったときに病気になったような気がするけれども,あとから考えてみると,そのためにいろいろとこっちも考えさせられたり,夫婦仲がよくなったり,いろいろなことが出てきたということがあるように思いませんか.子どもが病気になるということはなかなか不思議な意味があるように思います。 ・人生の前半というのは「いかに生きるか」ということがすごい問題なんだけれど,人生の後半はむしろ「いかに死ぬか」ということのほうが大事なんだ。(ユング) ・昔の人たちにくらべると,今,われわれはいろいろと満足することが増えてきました。ところが物があったり,家がちゃんとできて整ってくると,人間というのはふっと心のほうに気持ちがいくんです。そうすると「私は,いったい何のために生きているんだろう」とか「人間はどうして死ぬんだろう」とか普通そんなことを考えている暇のないようなことが,心に浮かんでくるんですね。 ・「何をつくるか」じゃなくて「どう死ぬか」という話ですから。またそういう意味でこそ,本当の創造だというふうに思います。つまり人に任しておけないわけです。私は現代という時代は,一人ひとりがある程度この「創造の病」ということを体験しなくてはならない時代ではないかと思っています。 ・やっぱり忘れるというのも大事なことなんですよね。これが,年をとっても忘れないで何もかも覚えていたら,ずいぶんみんな迷惑すると思いますよ。 ・中年になって「どうしてこんないやなことが起るんだろう」「どうしてこういうときに限って,俺は転勤させられたんだろう」「どうしてこんなときにあの親類が出てきたんだろう」「なんでこういうときに事故にあったんだろう」。というふうに思うんじゃなくて,それは「中年というものをどう考えるのか」あるいは「上がっていく人生じゃなくて下がっていく人生・死に向かっていく人生というものをどう考えるか」ということのために,その手がかりを与えにきてくれているんだ。 ・「私は誰にも取られない自分のものをもっています」というふうな世界を本当に作れるのは,中年から老年にかけてではないか,ということをユングは言っているんです。 ・やっぱり今のわれわれの世界は,「何かする」ことにちょっと取りつかれすぎているんじゃないでしょうか。すぐに「あんた何ができる」と言いすぎる。 ・カウンセリングや心理療法という仕事をしていると,多くの人の相談を受ける。すべて何らかの「困ったこと」や「苦しいこと」があるためである。その人たちはそれを何とか早く除去したい。そこから逃れたいと思い,来談される。しかし,むしろそのような苦悩を通じてこそ,自分の人生の意味について新しい発見をされたりすることになる。悩みが成長のステップとなる。それが人生の面白いところである。 |
かってに感想 |
筆者は長年カウンセリングという仕事を通じて,多くの人の人生を,第三者
の立場でみつめ,適切なアドバイスをしてきた人である。 この本は,平成元年・平成4〜6年にかけて,人生相談所の主催で行われた 夏季大学およびカウンセリング講座での話が載せられている。 講演の話し言葉で書かれているため,実に平易な文章になってわかりやすい。 人は,子ども時代,青年時代,中年時代,老年時代,だれしもがそれぞれ時代 に悩みをかかえ,それなりに克服し,生き抜いていることがよくわかる。 悩んでいるときは,なぜ私だけがこんなに悩まなければいけないのか,とい うのが本音の部分だろう。 私の場合はどうだろうか。知らぬ間に中年を過ぎ,老年時代に入ろうとして いる。過去の自分,人の親になり,子どもが青年期をむかえ,妻と二人,中年 と老いをむかえ,この本に書かれているそれぞれの時代の悩みを,過去のもの, 現在のものとしてかみしめている。 もっと早く読めばよかった,いやいま読んでちょうどよかったというこころ の動きがある。なぜだろう,自分の子供に対して接したきた態度への反省と, あの時なんでわが子が反発したのか妻が病気になったのか,自分の子と妻への 接し方への反省の気持ちがいま読んでよかったという,これからやってくる老 年へのアドバイスが素直に受け止められるということからだろうか。 筆者はユング派の分析家の資格を取得している。ユング時代,この臨床心理 学では,子どもとか青年期の分析に対するカウンセリングは,ケース分析とし て方向が見えていたが,生活の満たされた人たちの「自分たちは何のために生 きているのか。」については,ユング自信も一緒に考えるより仕方がなかった のであるという。 そういう意味からすれば,ものが豊かになり,生活が豊かになった今の時代 は,ユング自身でもすぐに適切なアドバイスができるものではなく,聞きなが ら一緒に考え,方向性を見出すということなのだろう。 21世紀は心の豊かさを求めると言われるが,子どもから大人まで悩みを抱 える時代に,物欲に凝り固まった20世紀の末期を向かえ,本当にこころの豊 かさなんて期待できるのだろうかと思う。 それぞれのチャプタにある人間の一生の段階ごとにつけられた言葉−素晴ら しい,悩み,危機,考える−人生のそれぞれの時代を適切に表した言葉に,年 を重ねるごと,死が近づくに従い,考える時代に入ったのかという感慨深いも のがある。 筆者は,子ども時代を心を開き本音を言う小学校一年生の詩,「ふたりのロ ッテ」という小説で,青年期をその時代の青年像を写す小説−「限りなく透明 に近いブルー」「なんとなくクリスタル」−でそして,中年期を山田太一著「 異人たちとの夏」の小説で,そして老年期は筆者自身の体験,カウンセリング 事例やユング自身の言葉から話を展開している。 特に老年期の話の中で,自分なりの世界,大切なのは心の持ち方,好きなこ と「よい年をして」を逆手に,へたでいい,誰か悪者,まわりが自分を支える, と話を展開していくところは,会社人間の多い団塊世代にとってとても適切な アドバイスといえる。ただ出世のため,仕事・成果一筋で生きてきた人たちが 本当にこんな考え方ができるかどうか。 リストラとか,赤字の健康保険・年金支給時期の繰延とか老後に不安を抱え る世代であることからも,常に人間を競争相手としてしか意識しなかった人た ちにとって,人にこだわらない生き方が本当にできるのか,素直な気持ちで受 け入れられるのかどうか・・・・・ また,定年後粗大ゴミ扱いされている亭主たちにとって,本当の夫婦の関係 のはじまり,夫婦の問題を子どもがかぶる,いやなことが起こるとき,ひっく り返してものを見る,存在の意味,といった話の展開についていけるのか,ひ たすら家庭に帰ればただお茶,新聞,めしと対話のない夫婦となればむつかし い問題なのだろう。団塊世代の方には,是非一読してもらいたい本である。 |