ブック名 狐狸庵閑話
著者 遠藤周作
発行元 新潮社 価格 700円
チャプタ

@狐狸庵閑話
A古今百馬鹿
B現代の快人物

キーワード グータラ、好奇心、クリスチャン、死生観、探求心、風流、世捨て人、ユーモア、物好き
本の帯
ひたすらグータラここまで物好き、こんな爺さんちょっといる!!
世のため人のために何一つなさず、人里離れた庵に隠れ住む謎の老人「狐狸庵山人」。
風流な世捨て人を自称しつつ、実態はひたすらグータラに徹する毎日。・・・

気になるワード
・フレーズ

・私は誰かが死んだ日に空が平然として晴れ、街には人々が平然として歩きまわり、自動車やバスが平然として動いている様子を見ると、何か奇妙なめまいに似た感じをもつ。自分でもふしぎだと思うがこの感じだけはおさえることはできぬ。
・私は時々窓下の家々をひそかに観察し、洗濯物や煙突の煙のながれなどから、その家の住む人の性格や生活をあれこれ空想するのが大好きである。
・「お前も俺ももし文士という仕事がなければ飢え死にしとったなあ」
・君の死ぬ時、チクタクという音は狭い病室中にきこえ、壁は突然、むきだしになり、そしてご臨終である。
・そして、君の家族はそらぞらしい偽善的な声で泣くよ。私はそれがイヤだ。あの瞬間は全く不愉快きわまるものであることを長い入院生活のあいだに私は知っておるんだ。
・私はまた、友人知己の中でどこか一点ヌケている人が好きである。あるいは友人の中に、一本ヌケている点を見つけると、その相手にかえって親しみを感じる癖がある。
・なにごともする気はなくて寝正月
・あんたさん。東京にはまだまだ、奇妙きてれつなことが色々ころがってますな。・・・退屈した人はこういう奇妙きてれつな人を一人一人、さがして歩くとよい。

かってに感想
確かに、筆者は中学五年生から二浪して慶応文科に入るまでの間、グータラの人生だったようである。
いつ変わったのだろうか、親父に文科に入って三浪(医科へ)しないなら家を出て行けと言われ。
家を出て一人暮らし、そこから文士生活が始まる。
大きな変化は、四十を前に死ぬかもしれない病気に遭遇した影響からだろうか。
二十歳前頃から、隠居さんというか、暖かい陽射しの当たる縁側で鼻毛を抜きながら何もしないで、ボーッとして毎日を過ごす。
そんな風流人生にあこがれていた筆者。
とはいうものの、筆者の作品には、キリスト教(キリシタン)弾圧をテーマにした、かなりシリアスなもの−「沈黙」「深い河」−といったものも結構あるのだ。
残念ながら、私はいまだ読んでいない。
このエッセイの中にも、クリスチャンが踏み絵や拷問に耐えられず信仰を捨ててしまう、キリシタン狩の江戸時代、島原等での話が出てくる。
数多くのエッセイを読みながら、日本人の不得手なユーモアといつでもどこでも何にでもあらわれてくる筆者の探求心、好奇心の賜物から書かれたものばかりである。
だから、大笑いということではなく、私が好きなクスッと笑える話と人間の本質の探求と筆者の死生観を見せてくれている。
思わず読み込んでしまうとても興味深い本なのである。
ただあらかじめお断りしておくが、ユーモアを解しない人、いつも苦虫を潰したような顔をした人、ヌケがないまじめな人は読むのは、はなからやめたほうがよい。
ちょっと暇なとき、いや暇を見つけて小話をしたいとき、この本には馬鹿話のネタには事欠かないのだ。
特に「古今百馬鹿」のチャプタは、実に物好きな事を真摯にかつくそまじめに考え、まじめに文章にしているからどのエッセイを読んでも笑える。
こんな面白いエッセイを書く人が、キリシタン弾圧をテーマにした小説や死生観についてまじめに論ずるなんて、とても信じ難い。
そのギャップがあるから、ユーモアが際立つのかもしれない。
瀬戸内寂聴から仕入れたネタを自分で確かめに行った話−女占い師が口から真珠を出す−「奇妙な女」、 「寝小便に泣く男」の中に出てくる鳥取藩近習役の奇癖のある先祖、寝小便の治るレコード、 筆者が入院時に寝小便をしたそのシーツを別室のベッドのシーツとこっそり替えた話、 「女優」では狐狸庵の厠をO女優が使用した旨の張り紙をしている話。
このエッセイは、いちいちヌケた私が中味を紹介するよりは、とにかく一読することをお薦めしたい。
ただし、何度も言うがユーモアを解さない人にはお薦めできない。

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