今週のおすすめ本 |
ブック名 |
江戸の性風俗 |
著者 |
氏家幹久 |
発行元 | 講談社 | 価格 | 693円 |
チャプタ |
プロローグ:良寛の歌の裏解釈の失敗 @川路家の猥談 A京都慕情・・雅びとエロス B春画の効用 C薬としての男と女 D男色の変容 E肌を許すということ F恋のゆくえ エピローグ:日本性愛史における江戸の可能性 |
キーワード | ・家族,人間関係,愛と死,言葉の変遷 |
本の帯 | 意外なエピソード満載,猥談・春画・少年愛,色と恋で読み直す江戸の精神史 |
気になるワード ・フレーズ |
・川路家の用人を務める高村俊蔵の娘お栄の大人たちを抱腹絶倒させたオシャマなお喋りから,・・・・母親と一緒にお風呂に入った時に洩らした言葉 「しかし可笑(おかしさ)は,男になりたかりて,湯を遣ふとき前をみて大に悦び,われにも不遠(とおからず)ちんこの生ずるなるべし,いささか芽をふきたりとてははにみするなどは,四歳の小児のこころなるべし」 ・さすがに天下の将軍の閨房の詳細を語ることは憚られ,処罰もされたでしょうが,京都の貴種については話は別。総じて性的話題は自由かつ公然と語られ,タブーや自粛を求める感覚は乏しかったようなのです。 ・雅びなエロスであれ過剰な好色であれ,江戸時代の人々は京都の貴種の世界の性的なエネルギーに憧れ,同時にその神秘的な呪力を信仰していたと要約できるのでしょう。 ・“勉学の友”としての春画。インテリたちの疲れた頭をリフレッシュしてくれる春画。すでに江戸の昔から春画にこんな効用もあったのです。 ・腎水は命の源。だからどんなに気をつけていてもセックス過多で腎水を浪費していたら為す術はありません。 ・真陰精汁はたとへば灯盞の油のごとし。一度もらさざれば灯火の油を増がごとし ・自慰に耽ったことを深刻に悔やんだ徳冨蘆花 ・「また手淫。小さな快楽。だが大きな罪,罪悪感。罪なる罪なる我なる哉」(哲学者:出隆) ・学生に近眼の原因を問われ「気恥しい訳だが,性欲の自己満足を余り行り過ぎたもんでね・・・」(新渡戸稲造) ・1夢接2手銃3肛門4陰戸 ・近代の愛と結婚の理想からすれば,旧弊そのもののはずの江戸時代の武士の結婚生活の中に,意外にも私たちは,現代でも容易に到達できない,男と女の知的でさりげない成熟した愛のかたちを見ることができるのです。 ・肌を合わせ許し合うセックスは,たんに欲望を満足させ生殖の目的を遂げるばかりでなく,人間同士の最も親密な関係を生む行為と見なされていたのです。人と人との絆づくり。おのずとそれは彼女や彼が属する社会全体の重大な関心事であり,性の悩み,恋の患いすら,周囲の人々に個人の秘め事として放っておいてはくれませんでした。性の話題は皆で考えあるいは楽しまなければならないというわけです。 |
かってに感想 |
・性という文字にはなぜかためらいがある,さらに風俗ときたら,なおさらためらいがある。本屋で人の目を気にしながら,せいぜい立ち読みで終わってしまう。ところが,この本には触手が動き,買ってしまった。それは副題に「笑い」という言葉と本屋の推薦文が気に入ったからである。 ・いまの世の中,フリーセックス,援助交際,不倫が大はやり,さらに離婚も増加傾向,と性がみだれ気味で,さらに人間関係も希薄と言われているが,昔はどうだったのかいつも気にはなっていた。江戸時代は性に関し,とてもオープンで,離婚の正確な統計はないが, 1890年に来日したドイツ人宣教師C.ムンチンガーは,日本の離婚率の高さ(4割強)に驚嘆したという。 ・この本のベースには,川路家の明るい性談義がある。そして,切り口は,良寛の歌の中にある「世の中にまじらぬことはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」の裏解釈の失敗話で始まり,江戸末期ロシアとの外交交渉で活躍した勘定奉行の日記「川路家の猥談」話,京都宮家の雅びとエロス,春画の効用,性の回数と健康療法,風俗にも時代のブーム,言葉の意味の変遷,情死の美化,そして自慰に悩んだ先人の話で結ばれている。川路家の猥談については,さわり程度をフレーズで紹介したい。 ・性風俗と聞いただけで,興味本位に下半身の話ばかりと思いがちであるが,事実そうなのであるが,多くの有名人の著書やその日記をひもとき,当時の性に関するものをきわめて学術的に分析している。 ・特に勘定奉行川路の日記の話は,吉村昭著「落日の宴」で主人公となっていたことから,彼の仕事ぶりとか,健康管理とか部下育成で感心し,一部あった「睾丸を塩で揉む」「58歳にして側女に子を生ませた」という下半身の話の延長線上のような先入観をもって読み進めたが,いささか内容が違った。 ・川路は,江戸の母親に,奈良で起きた日々の出来事や面白い話題を伝えるため「寧府(ねいふ)紀事」という手紙のような日記を書いていたのである。当時はごく普通に「家庭内で性的な話題がためらいなく交わされ,のみならず男女の区別なく皆でそれを楽しんでいた」という。勤勉実直ぶりの外交官の姿からとても想像できないが,その猥談の内容を読んでも実に健康的な話である。しかもその猥談が一家団らんの食事の時に行われていたというのだから,そのオープンなところになおさら驚く。 ・いまの時代,性に関する物は,社会悪として多く氾濫しているが,家庭内では話題にしにくいし,職場でしようものならセクハラで訴えられかねない。変れば変るものである。 ・この本はたった200ページ程の物であるが,有名人やその日記,性に関する言葉が実に豊富である。少し列挙してみよう。まず人の名,菱川師宣,貝原益軒,谷崎潤一郎,松浦静山,植木枝盛,三田村鳶魚,大田南畝,松平定信,荻生徂徠,徳冨蘆花等,次に書物,「全盛七婦玖腎」「宴遊日記」「ひとりね」「辛丑日録」「延寿撮要」「千金方」「視聴草」「女閨訓」「坐婆必研」「稚児草子」等そして一番多い私の知らない言葉,笑い絵,枕絵,おそくずの絵,痴(おこ)絵,わ印,肉屏風,房中補益の術,アンコ,等々さらに興味のある方は是非読まれてみたらいい。 ・また,男の性に関し悩んでいる人,いた人,そして私も一時期悩んでいた。それは,偉人でも同じ経験をしていたのだと改めて思えるフレーズに出合い,なにか男の郷愁のような物を感じている。 ・この本を読んで一番共感したのは,第6章の性風俗の言葉の意味の変遷から,筆者が江戸時代の人間関係の温かさを感じさせるというところに言及している部分である。不倫は,人妻の恋や妻帯者の浮気を言うのではなく,単に「相応しくない」「不適切」「不合理」を意味するとか,痴漢は「性格劣悪」「愚かな奴」を意味するとか ・そして,「これらの言葉が私たちに示唆しているのは,人と人との関係が現代のように疎遠になる以前の社会では,性愛の営みは,人間相互の深い親しみや信頼関係と不可分のものだったという事実にほかなりません」「性の悩み,恋の患いすら,周囲の人々は個人の秘め事として放っておいてはくれませんでした。性の話題は皆で考え,あるいは楽しまなければならないというわけです。だからこそ,茶の間でもさりげなく猥談が飛び交い,老いも若きも哄笑したのでしょう。一人で悩む性より共に笑う性」この二つのフレーズにまったくと頷きながら,スピードと効率化社会に生きる自分の家族との接し方について,いま私自身が反省の材料としている。 |