ブック名 | 遺言状を書いてみる |
著者 | 木村晋介 |
発行元 | ちくま新書 | 価格 | 714円 |
チャプタ |
序章:遺言状・・・なんのために @この日人たちの遺言状 Aいろいろな遺言状 B遺言状のキキメ ちょっと短い終章:自分にどう書かせるか |
キーワード | 死に方、死生観、残された人へ |
本の帯 | あとはヨロシク、たいした遺産じゃないのに大揉め・・・ なんことになる前に。ご存知の木村弁護士が、あなたの相談に答えます。 |
気になるワード ・フレーズ | ・要するに人間というもの、自分のうけた恩恵は自覚しづらく、他人のうけた(うけたかもしれない)恩恵には過敏になり、他人の労には鈍感になる。というわけだ。普段は、そうでない人も、いざ遺産の分配にからむとなると、そのへんが変わってくるのである。ここが人間の面白いところだ。 ・わが家には仏壇も、位牌もない。末っ子のうえまったく無信心ということからで、同じような状態になっている人も多いと思う。 ・夫には自分が喪主となり妻の葬儀をとりおこなう、というシーンがなかなかイメージできない。そのシーンをイメージしようとしても、いつの間にか自分の葬儀を妻が出しているシーンがうかんできてしまう、ところがある。 ・確かに遺言とは、いい遺すことであって何かものを遺すことではない。そうはいっても、多くの人は、自分の遺したものをどう引き継ぐかに心をくだく。 ・いまの世の中、親の財産を作るために協力した子どもなんてめったにいやしないのだ。学費だ、クルマだ、結婚費用だ、と親の財産を減らすことばかりに貢献しているのが今の子どもである。なぜその子どもに相続で報いる必要があろうか。 ・いまの子どもの相続の根拠は何か、と問われれば、それは親の子を思う心のあらわれ、愛のしるし、老後をみてもらった者へのお礼、とでもいうほかはないだろう。 ・尊厳死というのはちょっと前まではかなり新しい考え方だったが、今や医師たちにとっても常識に属することになり、本人が尊厳死を望んで、宣言書を登録していたことがわかれば、ほとんどの場合本人の希望がかなえられるようになってきている。 ・うんやっぱり自分も遺言状を書いていた方が良さそうだな、とご納得願えたことと思う。あとはやる気の問題である。 ・「センセー、いやー、わかりやすいお話で、遺言の書き方はホントによくわかりました。ただ、うちの親父にどうやって書かせたらいいかそこんところを教えてくれませんか」 |
かってに感想 |
50歳を過ぎて思うことは、おやじやじいさんはこの世代になったときにどんなことを考えていただろうかということだ。 生きた時代が違うから、当然世の中の状況も違う。戦争時代と平和な時代では死に対する考え方も全く違ったのだろう。 その年が自分にもやってきたということだ。死に対してもっとも意識のうすい世代ではなかろうか。 生への執着心が、死に方とか死んだ後のことにまで心配をしないといけない部分におっくうさを感じてしまう。 戦争時代であれば死が隣り合わせだったから、いつ死んでもいいという心の準備・死に支度がごく普通にできていたのだろうが。 本の題名にあるように「遺言状を書いてみる」とあるように、軽い気持ちで試作品をということなのだ。 当然筆者は弁護士だから、遺言状としての要件等法律的なアドバイスもするが、序章にあるように「僕が遺言状を書いたのは・・・書き終わったときにムチャクチャ爽快な気分となった。 肚がスワッたというんだろうか。不安がふっと軽くなり、なんだか勇気がわいてきたんである」これである。 この本がいいのは、筆者の友人に試作品を投稿してもらい、その遺言状を解説してくれているところである。 たいていの人は、書くほどの財産はない、自分が死んだら関係ないというところだろうが。もちろん私もその部類である。 「キムラ式遺言状」(自分史、我が家の歴史、私はこのような人物、自分史年表、自分の死、相続、メッセージ)にあるように自分の一生を整理してみるのが大切なことのように思える。 そして、私の場合、お世話になった妻に感謝の気持ちを表し、子供たちにメッセージを送ることだ。 ではその(書く)気にさせるには終章にあるように、「自ら締め切りをつくる」ということらしい。 早速は、私の締め切り日は55歳の誕生日とし、「自筆証書遺言」を書いてみることとした。 なんかそう書いただけで、気持ちが半分楽になったような気がする?実に単純な自分がいた。 |