今週のおすすめ本


ブック名 リビング・ウイルと尊厳死
著者 福本博文
発行元 集英社新書 価格 693円
チャプタ
①最期の自己決定権
②安楽死事件の衝撃
③欧米の慈悲殺と死ぬ権利
④日本の安楽死運動
⑤終末期医療と尊厳死

キーワード 植物状態、延命治療、優生遺伝、宗教、肉体的苦痛、精神的苦痛、死生観
本の帯
知ることが、心を安らかにする

気になるワード
・フレーズ

・私がこの取材をして驚いたのは、リビング・ウイルを登録した者の中に医師が目立ったことである。 治療者である彼らが、延命治療を拒否する道を選ぶ。このことは、終末期医療の現実に対する無言の アンチテーゼだと言えるのではないだろうか。
・患者側の心構えとしては、元気なうちに自らの意思を医療関係者に伝えるべきだろう。 死が目前に迫ってからでは遅いこともある。できれば文書に残しておくことが望ましい。
・ダーウィンの進化論、自然淘汰という考え方は、あくまでも動植物の世界を指していたが、 やがて人間界にも応用される。

・安楽死の反対勢力は、こうした障害者運動や文化人ばかりではなかった。欧米では、カトリック 教会が異議を唱えてきたように、日本の仏教界も基本的に安楽死を認めていない。
・医師の立場になれば、生命尊重の原則から延命主義つらぬくしかないが、生命尊重という正論 の裏には、営利主義が見え隠れすることがあった。
・尊厳死運動は、この二十数年間で会員数を増やしてきたが、いまだにリビング・ウイル法 を立法化するまでには至っていない。議論が盛り上がらないのは、死を論じる機会が 滅多にないことに関係しているからではないか。

・日本人は、死の意味について考える教育を受けてこなかった。とくに核家族化が進んだ現在、 子どもたちは人の死に接する機会が少なく死をイメージすることが困難になっている。
・ナースが自分の病棟で死にたくない理由の1つは、やりすぎの医療のために、患者が安らかに 死を迎えることができないことを見ているからである。
・日本人のように個人の自立した権利意識の乏しい国民性では、横並び意識から尊厳死を 望む恐れもある。日本では、まず、告知やインフォームド・コンセントを徹底し、患者の 権利を確立することが求められるだろう。


かってに感想
えらい難しい本を読んだものである。 いつごろから、こんなことを考えるようになったのだろうかと振り返ってみる。
筆者の場合、あとがきにはこうある。
「40歳をすぎた頃から、死を身近に感じるようになった。大病を患ったり、世をはかなんで 死の誘惑に取り憑かれるようになったからではない。ある時期に連続して、身近な人間を 喪ってしまったからである」

では、私の場合どうだろうか。私も大病を患ったり、世をはかなんで 死の誘惑に取り憑かれたような経験はない。
40歳を遥かすぎて、仕事に少し余裕ができた頃からだと思う。
それ以前はどうだったか、祖父が中学生の頃、脳卒中でしばらく寝たきりになった後、 自宅でなくなった。父は22歳の時に病院でなくなった。

それから以降は「人の死」を目の当たりにすることはなかった、この間全く死について 考えることはなかったのだ。
仕事に余裕ができた頃は、ちょうど母が介護状態になった頃に一致する。
老いて母のような状態になったら自分はどうするのか、 というところから 入っていったように思う。

だから、その頃読んだ本には「生と死の接点」「臆病な医者」「楽老抄」
「定年前後の自分革命」「老残のたしなみ」「俺たちの老いじたく」「恍惚の人」
「あと千回の晩飯」「楽しみながら年を重ねる簡単な工夫」「海も暮れきる」

「我が老後」「あなたは老後,誰と,どこで暮らしますか」「老年の愉しみ」
「定年ゴジラ」「こんなふうに死にたい」「死ぬための生き方」「断崖の年」
「男と女の老い方講座」「中陰の花」「医者の目に涙ふたたび」

「老後の大盲点」「定年の身じたく」「散骨代とお駄賃を残しておきます」
「定年で男は終わりなのか」「『殺人』と「尊厳死」の間で」「定年後」
「死の向こうへ」「定年百景」「最期は思いのままに」「やさしさ病棟」

「江戸老いの文化」「人は成熟するにつれて若くなる」「いつのまにか私も『婆あ』」
「完本戒老録」「幸せなご臨終」「黄落」「ご隠居のすすめ」「寝たきり婆あ猛語録」
「生き上手、死に上手」

定年とか老いとか介護という本が中心で、明確な死生観ができあがってきたわけではないし、 いまだにうろうろしている。
ただ、死に床で妻や子供たちをあまり煩わせたくないという感じだろうか。
昨年母が生涯を全うしたのを期に、何かこころの中にある不安というか、もやもや 解消のためにもう少し死生観について考えてみる本として「遺言状を書いてみる」 「死ぬことが人生の終わりではないインディアンの生きかた」等を読み、 今回この本に至ったのである。

まずは「延命治療」と「尊厳死」、自分の死についてどこまで決定権が・・・に始まり、 日本で起きた安楽死事件を追いながら、死に対するいろいろな国と日本の考え方の推移へと移る。
そして最終章では、告知、インフォームドコンセント、痛みモルヒネ投与、ホスピス等の 終末期医療とリビング・ウイルについて書かれている。

しかしながら、リビング・ウイルについて、日本では法的なものはないが、 それなりに延命処置に対する意志表示宣言は社会的に認められている。
すでに現段階では、世界でも日本でも、積極的な安楽死をどうするかというところに移っているのだ。
具体的に言うならば、重度の痴呆、精神的苦痛を訴える人の場合である。

とはいえ、日本では、「死をタブー視する傾向があり、家庭内で死について話し合う機会は ほとんどなかった。一人の死が家族におよぼす影響の大きさを考えると、自分だけで終末期 の迎え方を決めることはできない。死は自分だけの問題ではないからである」ということになるらしい。

いずれにしても、突然の死は別として、死に際しての準備というか、自分の考えを 常日頃から妻と話すか、それなりに残しておく年頃であることだけは間違いない。



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