今週のおすすめ本 |
ブック名 | 冬の鷹 | 著者 |
吉村昭 |
発行元 | 新潮文庫 | 価格 | 579円 |
チャプタ | チャプタ17 | キーワード | 学問を志す時期、功を表に出さない人,学問と名声と出世,死生観 |
本の帯 | わずかな手掛りをもとに、苦心惨澹、殆んど独力で訳出した「解体新書」だが、訳者前野良沢の名は記されなかった。・・・・ |
気になるワード ・フレーズ |
・死生は,あらかじめ定めがたきものです。先に業をおこす者は人を制し,おくれて業をおこす者は人に制せられると申します。 ・良沢は幸左衛門の序文に白々しいものを感じていた。多くの序文と同じように実のない儀礼に堕したものに感じられて不快だった。そして,その序文を涙をながし喜んでいる玄白を滑稽にも思った。 ・私の学は,名を得るためのものではない。世には,自分の学び得たものをすぐに出版したがる傾向がある。その根底には名声を得たいという欲望がひそんでいることが多い。それが私には意に染まぬから,あえて名をしるすことを固辞したのだ。 ・彼の胸には,良沢の死を悲しむ感情は湧いてこなかった。むしろ負い目をいだきつづけてきた良沢がこの世を去ったことに安堵の気持ちが強かった。 ・玄白が元節という門人を寄越した理由は理解できたが,利用価値がある時のみに行動をおこす玄白が不快だった。が同時に玄白が・・・自らの無学を恥じることなくさらけ出し,門人を育てることを第一義的に考えているとも解釈できる。 ・ひたすら蘭書の訳述につとめ,しかも訳書の出版に応じない。そうした態度が,富にも名声からも突き放されるようになったのだ。 ・良沢は肩幅も広く大きな体をしていた。眼光は鋭く鼻梁の高い顔にはおかしがたい厳しい表情が浮かんでいる。その表情には,人との交じりも排して蘭学一途に日を過ごしてきた学者としての苦しい生活がにじみ出ていた。正式な席にふさわしい衣服を身につけてはいたが,色はさめ,繊維はすりきれていた。 ・それに比べて玄白は,脇息にゆったりもたれているので小柄な体が一層小さくみえた。その顔にはおだかな笑みが漂っていて,いかにも江戸屈指の流行医らしい風格が感じられた。 |
かってに感想 |
「冬の鷹」題名からは描かれている人物は何も想像できない。カバーに書かれている解説を読んで初めて時代や人物がわかる。 吉村昭作品は,いつものようにあまり歴史の表舞台で活躍した人ではなく,縁の下の力持ちの人物にスポットをあて描いていく。 そういった筆者の意図からすれば,この作品は,少し様相が違う。名声を博した杉田玄白と解体新書の実質的な訳者前野良沢を対比させ,さらに平賀源内や高山彦九郎を登場させ,あなたはどの人生を生きますかと問いかけているようである。 筆者はやはり縁の下の力持ち,前野良沢という人物をメインにしているのだろうか。 生まれた時代が早すぎた高山彦九郎,お上と結びつきすぎていろいろなものを追いすぎた平賀源内,いずれも非業の最期をとげる。筆者は,前野良沢の口から言わせているように平賀源内の生き方には間違いなく賛成していないようである。 ただ,人の生き方はさまざまである,「人の死は,その人間がどのように生きたかをしめす結果だ。どのように死をむかえたかをみれば,その人間の生き方もわかる」 これがまさしく筆者の死生観なのだろう。 物語の前半の主人公は,前野良沢がどういうきっかけでオランダ書の翻訳に取り組むことになったのか,外国語を学ぼうにも先生も,本も,資金もない良沢がいかに情熱を持ち続けたか,なぜ最初の翻訳本が人体解剖図のあるターヘル・アナトミアとなったのか,なぜ杉田玄白と一緒にやることになったのか。 そして,翻訳メンバーがそろい,まったく意味不明の文書,困難であった翻訳作業が,着実に進んでいき,内容が明らかになっていく様子と,そのたびに素直に感動していくメンバーに,単純なのか読み手の私も思わず「よくやった」と拍手を送っていたのである。 一応の翻訳作業終了後から主人公は,杉田玄白へと移り,「解体新書」として世に出すまで,そして塾を開き優秀な人材を集めていく話が展開されていく。 物語の途中でお互いのいやな部分を告白するような内面の言葉は,事実は闇の中だが,これこそ筆者が想像力をたくましくして描いてこそ物語を面白くさせる手法であり,対比された二人の人生が見事に描かれているように思う。 また,外見の姿の対比は,玄白60才・良沢70才,玄白70才・良沢80才のタイミングで,二人並んだ宴席で,実に見事に描かれている。私からすれば,良沢は応じなくてもと思うのだが・・・ 後半は,学究肌でひたすら翻訳だけの人生を生き,妻と息子に先立たれ養子にも恵まれず,さびしい最期「通夜にも葬儀にも焼香客はほとんどなかった」をむかえた前野良沢。 一方,病弱で41才で結婚,長男は体も弱く11歳で他界,「解体新書」の発刊と漢方医から厳しい批判に耐えながら,45才を過ぎて弟子にも恵まれ,養子にも恵まれ,江戸屈指の漢方医として隆盛を極めていく杉田玄白,その最期は「多くの門下生がつめかけていて,その死が処々方々につたえられ,漢方医家らが続々集まってきた」 死んでしまえば,どんな葬式になっているかは本人は確認できない。ただ二人ともこうなるだろうという前提でそれぞれの人生を生きてきたのである。あなたなら,どちらを選択できればと思うだろうか。たぶん玄白だろう。 この小説から学んだことが4つある。自分が生きてきた人生,こうなるだろうと思った結果がその人の死でわかるということ,ただ本人はわからない。勉学は情熱さえあればいくつからでもスタートできる。また,やり遂げたいと思う仲間には年齢は関係ない。人生それぞれに幸不幸が交互にやってきて,最期がどうなるかは自分がやってきた通りになる。葬式を盛大にしてもらおうと思えば,後輩を育成することである。 終わりに,この本は是非娘に読ませたい本であり,今回の感想はいままでの中で一番長くなってしまった。 |