今週のおすすめ本


ブック名 毒舌仏教入門
著者 今東光
発行元 集英社文庫 価格 490円
チャプタ @毒舌こそ、わが仏心
Aけっして絶望するなかれ
B苦楽は一つなり
C一隅を照らす
Dとらわれない心
キーワード 自利自他,一乗相即
本の帯 寄席で漫才か講談を聞いているように面白くて、誰ひとり眠る者などなく、爺さんも婆さんも顔の皺を伸ばし、歯の欠けた口を大きく開けて、あは、あは笑い崩れていた。
気になるワード
・フレーズ
・カーネギーが死んだとき,遺言によってお墓の石にこういう言葉が刻まれた−「すぐれた人々の力によって小さからぬことを成した,凡庸なる男ここに眠る」
・わたしはどんなときでも,失望しないで努力することだけは怠らないできた。慈覚大師でも,10人のうちもし9人が全部秀才だったら,一番びりで10蕃目だったかもしれない。幸か不幸かわかりませんが,9人脱落してくれたら慈覚大師が生まれた。
・わたしもずいぶんややこしいことを小説に書いていますが,あれは読ませるために,おもしろおかしくお色気を入れている。本当は,あれをあぶりだしてみると,天台の思想が入ってまんねんで,それをわからんと,おもしろいところだけを見て,今東光もエロ小説を書きよるなんて言う。
・地蔵さんをぜひぜひ拝んでいただきたい。というのは,ただ一人のわが子ばかりではなく大勢の子どもたちのために,自分を犠牲にするのをいとわないのが地蔵だからです。愛することはだれでもできます。しかし,自分を犠牲にしてまで愛することはなかなかできません。
・この年になっても,若い女の子のかわい子ちゃんに嫌われるくらい辛いこともない。それが何のためやというと,男前のせいやない,一言多いためや。あんたはだいたい一言多いと言われる。一言明神という神様がいますが,あいつもきっと一言多かったんやな。
・死ぬときにしても,痛いとか苦しいとかいうことはない。そのときはな,うまいぐあいに脳内麻薬が出てくれて,えらい気持ちがええもんなんや。それで曼陀羅が見えてきますのや,人間にとって”最後の瞬間”ちゅうもんは,”最後の悦楽”でもある。そやから癌でも死でも,ちいとも怖いことはないんやで・・・。
かってに感想 20年以上前,男性週刊誌として名をはせていたのが,「平凡パンチ」と「プレイボーイ」であった。
独身時代には結構お世話になった雑誌である。この文庫本は,そのプレイボーイで「極道辻説法」を書いていた毒舌大僧正「今東光」氏が,東南寺で5日間にわたって行った戸津説法とその当時のプレイボーイ編集員による大僧正・遊戯三昧事件簿を載せた本である。
その年ごろに読んでいたら,漫談みたいな戸津説法と八方破れな大僧正の行動を描いた遊戯三昧で大笑いをしただけで,おもろいエロジジイで終わっていただろう。
私自身東南寺での戸津説法とかを全く知らない。天台宗の僧が,ステップを上がっていくため,一般大衆を相手に日本仏教の原点である天台宗の教えを説く場であるらしい。
天台宗と言えば,空海と並ぶ有名な僧「最澄」さんであるが,最近では瀬戸内寂聴ということになる。
仏教が大いに布教されたのは,桓武天皇の時代まで遡ることになる。仏教には,顕教と密教があり,当時は神秘的なセレモニーが魅力的である密教が流行し,顕教である天台学は学問的にもむつかしく一歩出遅れたとある。
出遅れた天台の教えには,自利自他,自分を高め他を救う考えや,一乗相即,善悪はひとつ・苦楽もひとつ・幸不幸もひとつ,美醜もひとつという考えがある。
そういった考えを実例を交えながら,面白可笑しく説法する大僧正の話は,浅いように見えて実に深く知らぬ間に天台の教えを言ってのけているのである。
表面の面白さだけでもよいが,あとからなんであんなことを言っているのかを考えたとき,その含蓄の深さに驚いてしまう。
助平な私にいちばんわかりやすかったのは,「銀座に行くと,君は美人ばっかり気ィ取られているみたいやな。まだまだ子どもや。
オレぐらいになると老若美醜にこだわることはない。そうならんと本物の曼陀羅は見えてきまへんのやで,今度,女と寝るとき,ちゃんと目を開いて観察してみい,美人はな,あの瞬間,顔がゆがんで般若面になる。けど醜女は反対にあのときに一瞬,観音様みたいに美しゅうなるもんや。」である。
人間だれしも何かにこだわって生きている。そのこだわったものが,あるときはきれいに見えていても,あるときは醜く見えたり,他の人からは全く違ったものに見えるものである。だからこだわる必要はないのである。「色即是空,空即是色」と同じなのである。
とはいうものの,だれしもそのこだわりを捨てる勇気が,またいくつになっても捨てられないのが,凡人なのだと思うがいかがだろうか。

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