今週のおすすめ本


ブック名 夜明けの雷鳴
(医師高松凌雲)
著者 吉村昭
発行元 文春文庫 価格 539円
チャプタ
19のチャプタからなる。

キーワード 博愛、貧民救済、医術、義、勝者と敗者
本の帯(またはカバー裏)
箱館戦争に身を投じ、博愛と義を貫いた人物の波瀾の生涯!

気になるワード
・フレーズ

・凌雲は、この医学校兼病院の名が神の館と名づけられている理由を、その貧民病院を眼にして、 あらためて知った。かれは、感嘆し、医学にたずさわる者は、このような高潔な精神を持って いかなければならないのだと強く感じた。
・蓮沼は、敵方の負傷者であることに戸惑いの色を見せていたが、凌雲は、ただちに病人 寄宿舎に運び込ませた。その直後、寄宿舎は騒然となった。
・「日本は開国し、世界の一国となった。日本の良きところは守るとともに、西洋の良き しきたりも積極的に採り入れ、世界に誇るべき国としなければならない。私が、敵方の傷ついた 者を入院させ加療しているのは、西洋の好ましいしきたりに従ったまでだ。このことを よく理解して欲しい」

・勝者と敗者。官軍の中には、病院の負傷者全員の身を守ってくれた薩州隊の山下喜次郎や、 軍監の村橋直樹や池田次郎兵衛のような人物もいるが、多くは勝者としての驕慢さを露骨に 表出する。勝敗は単に戦の結果で、それは個人とは一切関係がない。
・かれは、官から禄を手にする気はなく市井の一医師として自由に生きることをかたく心に きめていた。
・社員を救療社員、慈恵社員に分けたことで、救療社員は貧しい患者の診療にあたる医師、 慈恵社員は同愛社に寄付する篤志家であった。

・東京の史談会から、箱館戦争での体験談を話して欲しい、という要請状を受けた。
・戦というものは、いったいなんなのだろう。勝者も不運にさらされ、逆に敗者が恵まれた 道を歩くこともあるのか。
・村橋は、世のはかなさを思ってさすらいの旅に出て客死したのだろうが、 たしかにこの世は水に上にうかぶ泡沫のようなものなのだろう。

かってに感想
またまた読んでしまった吉村作品。
読み終えた吉村作品には、医師を主人公にしたものが結構ある。
冬の鷹、白い航跡(上)(下)、 ふぉん・しいほると娘(上)(下)。

冬の鷹では名声を博した杉田玄白と解体新書の実質的な訳者前野良沢を対比させ、 白い航跡では,脚気の原因説で主人公高木兼寛の「白米食説」と 森林太郎(鴎外)の「細菌説」を対比させ,ふぉん・しいほるとの娘では、 数奇な生まれのオランダお稲が日本で初めての女医にになるまでの苦闘の人生を描いている。
いつもながら、読み手を小説の中に引き込む手法はかわらない。

この小説は、明治維新前、徳川慶喜の弟、昭武にフランスで開催される万国博覧会出席の命が下る。
その随行員として、主人公の一橋家奥詰医師高松凌雲(31歳)が任じられたところから始まるのだ。
2カ月を要する船旅、フランスに到着後、いろいろな難題に遭遇しながらも、博覧会を終え、 ヨーロッパ各国巡歴も終えた昭武一行は、フランスに帰り、それぞれの勉学に勤しむことになる。

ようやく西洋医学を学ぶこととなった凌雲だが、日本を離れて1年が経ち、 年明けに届いた書状で、前年の大政奉還の報を知ることになる。
その後,3カ月余りの医学校を兼ねた市民病院オテル・デュウ(神の館)での講義と 実際の外科手術を体験、そして、この病院の 設立の趣旨が彼の病院・医者のあり方、方向性を決めたのだ。
それは、一切の経費が寄付によってまかなわれ、国の援助をこばんだ民間人の病院だった。

彼の医者としての方向性・目標は決っても、時代はまだ彼に大きな試練をあたえるのである。
それは、徳川幕府の崩壊と共に帰国命令が下り、帰国後は賊軍榎本艦隊の医師として蝦夷へ渡り、 箱館病院の頭取として傷病兵の治療にあたる。
この小説のメインでもある、蝦夷での医師としての 苦闘に9つのチャプタがさかれていることからもわかる。
ここで施した外科治療が、彼のその後の人生を大きく左右する。彼の考えは傷病兵に 敵も味方もないという一点だけなのだ。

この試練を乗り越え、水戸藩に籍を置き自由の身となった凌雲。
ここからは、順境の中で、養母・兄嫁とその妹を東京に呼寄せ、彼の医者として進むべき道を 市井に身を置いて、突き進んで行く。
そして、貧民のために救療社員と慈恵社員からなる同愛社を設立するのである。

読み進めながら、この人物の人生の岐路はフランス留学に選考されたことからである。
その選考決定は、優秀であったことはもちろんだが、 坊主頭(当時医者は坊主にしていた)でなかったことにもあったようだ。
芥川の「遺伝」「環境」「運命」を思い出してしまった。

この時、自分を選んでくれた慶喜に生涯恩義を感じ、新政府に仕官することもなく 市井の人を貫いて、社会に貢献するこの頑固なまでの芯の強さは、やはり 箱館病院での敵味方なく1300人以上の傷病兵を加療し、官軍が病院に攻めこんだ時も、 一歩も引かず抗弁したことからもわかるのだ。
そして、この時の抗弁を受け止めた官軍のリ−ダーとの再開と喜寿の激励会を 主催する凌雲の姿勢に、まさしく「義」の人を感じざるを得ない。
ここら当たりにくると、吉村マジックの完全な虜になってしまう。

早くまた次の作品を読みたくなるのである。

余談であるが、この時代に生きた人たちに学ぶべきものが多くあることを気付かされるのだ。
それは、主人公の凌雲自身の「博愛」と「義」。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という格言があるように、 史談会なるものが存在し、箱館戦争を凌雲に語ってもらうべく要請を出す世の中の人の謙虚さ。
そして、箱館病院で凌雲の 「日本の良きところは守るとともに、西洋の良きしきたりも積極的に採り入れ」というフレーズ、 大切なものは守るという揺るぎ無い姿勢。
戦争後の勝者敗者の関係のむなしさ。

これらのフレーズを読みながら、平和にだらけ、自由化にかこつけてすべてを 取り入れてしまう今の政治姿勢に、日本人としての「芯」はみあたらないように思われるのだが、 いかがだろう。


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