今週のおすすめ本 |
ブック名 |
世界と人間 (副題)思うままにT |
著者 |
梅原猛 |
発行元 | 文春文庫 | 価格 | 459円 |
チャプタ | 61のエッセイのうち主なもの @双六 A親鸞 B近代文明の反省 Cロス暴動と近代主義 D中上健次の死 E聖徳太子と平等主義 F隠岐の流人伝説 G闇を見る目 H懐疑と孤独 |
キーワード | 自然,歴史,人間 |
本の帯 |
古代×現代=未来 古代に迂回して現代を読みとくと未来が見える |
気になるワード ・フレーズ |
・「善人なおもて往生をとぐ,いわんや悪人をや」(親鸞:悪人正機説)。
彼は善良な人,賢明な人は自分の善や賢さを頼む心があるので,ひたすら阿弥陀仏を信じることができず,かえって悪い人間や愚かな人間が厚い信仰の心をもっていることを言葉で表わした。 ・愚人は人類の将来に対してほとんど絶望以外のものを持っていないと思う。そのような絶望は時代の予測として賢人の楽観よりはるかに正しいのではないか。賢人の欠陥は,愚人が痛感している人類の危機を身をもって感じることができないことであると思う。 ・死はある意味では生の完成であると思わざるを得ない。 ・日本社会を平等化したものは古代においては仏教であった。平等主義は室町時代の下剋上によって極限に達したが,再び人工的に形成された江戸時代の差別社会をはね返したのは西洋のデモクラシー思想であった。この点で私は現代を第二の 室町時代と考えるものである。 ・宗教の教祖になれば組織が必要である。組織は必ず建物を必要とする。建物を建てるためには金集めをしなければならない。そして,組織を守るためには信仰よりも金集めそのものが目的になるのである。むしろ信仰はそこで金集めの大義名分にならざるを得ない。 ・それゆえ親鸞にしても道元にしても,彼の教えを聞く数十人の弟子に囲まれたのみであった。あの弟子の多い法然すら教団を作ろうとする意図をもたなかった。私は,真の宗教家にはそのような教団作りにエネルギーを費やす暇はないのではないかと思う。 ・ましてや思想家は,どんなに多くの自分の意見に共感する人をもったとしても,やはり最後まで 孤独であるべきだと私は思うのである。 |
かってに感想 |
テーマには「世界と人間」とある。副題には思うままにとある。帯には古代×現代=未来とある。 61の話のテーマはそれぞれ違うが,地球環境・自然と人間,歴史と人間等が筆者の大きなライフワークのようである。 現代文明を過去から遡り,その根源をときあかす。自然の中での人間とは何か,宗教・神仏と日本人等その生き方について考えていく。 物事をつきつめながら,そして新しい仮説をたてて,古い仮説に敢然と挑んでいく勇ましい思想家としての筆者の姿がある。 社会主義の崩壊とおかしくなってきた自由主義・資本主義,日本経済のバブル,ブッシュの湾岸戦争と選挙の敗北,アメリカ経済の低迷の話は,7・8年前のエッセイだから,少し様相が変わっている。 筆者は現代を第二の室町時代と考えている。この意味は次の時代に動乱期がくることを予想し,ライフスタイルを変える必要性も説いている。 多くのエッセイの中で,筆者の考え方のエキスが出ているのは「近代文明の反省」「ロス暴動と近代主義」にある。 特に次のフレーズに明確に述べられている。 「近代思想は基本的に間違っていると思う。それは自由を絶対化し,人間の自然に対する支配を善と考え,その支配によって限りなく人間の欲望を満足させようとする文明なのである」 「そのような文明は決して人間を永続きさせるものではなく,ひとときの富の時代の代償として人類を破滅に導くものである」 といった話は,私にとってはどうも大きすぎる。ただ,賢人たちはこんなことを考えているのかと思うだけで,残念ながら,理解の域には達しない。 むしろ私がこの本を読んで面白いと思ったのは,「隠岐の流人伝説」の中で柿本人麿の話が出てくることである。筆者はいろいろな書物をひもとき,推理を巡らせて新しい仮説を立てていく。 もうひとつは,いま現在は過去の積み重ね,人間も遺伝子の積み重ねである。だから,歴史をひもとけば未来がみえてくるということのようだ。 とかく凡人は目先のことしか見えない,特に時間に追われる現代人,たまには地球とは人間とはという大きな視点で物事を考えてみなさい。ということらしい。 |