今週のおすすめ本


ブック名 峠(下)
著者 司馬遼太郎
発行元 新潮文庫 価格 619円
チャプタ

@越後へ
A故郷
B戦雲
C西軍
D小千谷談判
E決起
F越の山風
G今町口
H八町沖

キーワード 談判、中立主義、戦備作り、資金作り、決戦態勢作り、死生観
本の帯(またはカバー裏)
維新史上もっとも壮烈な北越戦争に散った
最後の武士!
気になるワード
・フレーズ

・「人は長ずるところをもってすべての物事を解釈しきってしまってはいけないかならず事を誤る」
・新政府はいっさい自分のほうから長岡藩に対し、外交の手をさしのべようとはしなかった。
・新政府につくか、会津藩につくか、というどちらかしかないというのがこの時勢であり、時勢 の切迫であったが、しかし継之助はあくまでも中立が存在しうると信じていた。

・継之助はおもう。いまこの大変動期にあたり、人間なる者がことごとく薩長の勝利者におもねり、 打算に走り、あらそって新時代の側につき、旧恩をわすれ、男子の道をわすれ、言うべきことを 言わなかったならば、後世はどうなるであろう。
・師の山田方谷にさえ「あの男には長岡藩は小さすぎると評された男であり、大藩の家老か、いっそ 日本国の宰相にでもなって、ようやく柄が適うか」といわれた男であった。
・人はどう行動すれば美しいか、ということを考えるのが江戸の武士道倫理であろう人はどう 思考し、行動すれば公益のためになるかということを考えるのが江戸期の儒教である。

・明治後のカッコワルイ日本人が、ときに自分のカッコワルサに自己嫌悪をもつとき、かつての 同じ日本人がサムライというものをうみだしたことを思いなおして、かろうじて自信を回復 しようとするのもそれであろう。私はこの「峠」において、侍とはなにかということを考えて みたかった。

・降伏すれば藩が保たれ、それによってかれの政治的理想を遂げることができたかもしれない。 が、継之助はそれを選ばなかった。ためらいもなく正義を選んだ。つまり「いかに藩をよくするか」 という、そのことの理想と方法の追求についやしたかれの江戸期儒教徒としての半生の道はここで 一挙に揚棄されて「いかに美しく生きるか」という武士道倫理的なものに転換し、それによって死んだ。 挫折ではなく彼にあっても江戸期のサムライにあっても、これは疑うべからず完成である。

かってに感想
下巻−このストーリーの幕引きに向って。
この巻のシナリオは、江戸落ちと資金作り、長岡での戦闘体制作り、直談判、戦、 主人公の死に様がキーワードになっている。
「勝つことはないが、負けることもない」と中立主義を 貫き続けた主人公に、やがて悲劇的な最後が訪れる。

中巻でどのように江戸から退去するのか、含みを残しながら、この巻では、 その策が明らかにされていくところから始まる。
北陸までの移動は、陸路ではなく継之助が用立てていたエドワルド・スネルの持ち船だった。
すでに、この船には、会津・桑名藩も乗船し、 さらに、資金作りのための米と2万両分の銅貨も積んでいたのである。

米は米のとれぬ函館で高く売る、銅貨は銭相場の高い新潟で売る。
この日のために、着々と準備していたのである。
継之助のこういった商才にも目を見張るものがある。

やがて、船で帰着した故郷。
大挙して攻めてくるであろう西軍に備え、継之助は何をしたか。
まず、留守中の官軍からの要求情報を聞き、藩内統一を図る事から始めた。

それには、佐幕派と勤王派との対立に際して、「こうと思い、そのこうのためには 死の覚悟をされよ」と大殿自ら決意する事を助言するのだった。
次に、継之助の政治に大いに反発していた親戚関係にある小林虎之助− 小泉首相が話しに出した米百俵の人物−との中を正常化することであった。
火事に見舞われた小林のために生活用品を準備して訪れたのである。

継之助は、貧乏しても屈せず「これはお礼である」といって、 赤心を面にあらわしつつ鋭く継之助の欠陥をつく 虎三郎に刺激を受け、そのえらさに感動する。
さらに、恭順派の洋式縦隊指揮官を何日もかけて説得するが、持説を曲げぬこの部下に 廃人という手厳しい処分を下した。
日増しに近付く西軍に、総督を拝命した継之助は、全藩士の前で殿様に代わり訓示。 いよいよ決戦態勢確立を宣言したのだ。

そして、継之助は、小千谷を占領した官軍の軍監岩村へ直談判へと出かける。
再々に渡る直談判は、会津藩の画策とこの軍監の若さから、全く話にもならず、「嘆願書」 さえ受け取ってもらえず、戦いの火蓋は切って落されてしまう。
一進一退の壮絶な戦いは、維新史上に残る戦いとして今も語り継がれているのだ。

この戦いの途中で手傷を負い、そのために戦場で死を向える継之助。
この武家社会には珍しい死生観を持っていた。
これは「あとがき」にあるのだが、「継之助は、死にあたって自分の下僕に棺をつくらせ 庭に火を焚かせ、病床から顔をよじって終夜それを見つめつづけていたという」のだ。
それを受けて小説では「わしが死ねば死骸は埋めるな。時をうつさず火にせよ」という 台詞になって描写されている。

死を覚悟してからの、河井継之助の行動はまさに帯にある「最後の武士」に相応しいものだった。

河井継之助に大いに学ぶべきものは、現場主義であり、行動力ではなかろうか。

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