今週のおすすめ本 |
ブック名 | 峠(中) |
著者 |
司馬遼太郎 |
発行元 | 新潮文庫 | 価格 | 780円 |
チャプタ | @信濃川 A風雲 B卯の年 C藩旗 D鳥羽伏見 E江戸 F横浜往来 |
キーワード | 独立主義、人の立場、非戦主義、中正、信念、覚悟 |
本の帯(またはカバー裏) | 幕府にも官軍にも与せず小藩の中正独立を守ろうとした 男の信念! |
気になるワード ・フレーズ | ・長岡藩支藩との訣別で「おのおの、今後、官軍にご所属あったほうがおよろしいかろうと存ずる」 ・寄せ場は、博徒、無頼漢の収容所で、これを懲罰するためでなく、隔離して教育するためであった。 ・「おれの日々の目的は、日々いつでも犬死にできる人間たろうとしている。死を飾り、死を意義あら しめようとする人間は単に虚栄の徒であり、いざとなれば死ねぬ」 ・越後長岡藩と藩領をして天下第一の富強地帯にすることであり、横浜のファブルブランドの 故国であるスイスのように教育と経済と軍制を確立したい、というところにある。 ・「あたらしい世をひらく者は、あたらしい倫理道徳を創めねばならぬ」 ・風雲の現場に入り、現場をみて考えてみよう。 ・「・・・生は事を行うための道具にすぎない」 ・「事をおこなうとき、なによりも知るというが大事だ」 ・福沢の場合、思想と人間がべつべつなのではなく、思想が人間のかたちをとって呼吸し、 行動している。 ・「私は幕屋ではりませんからね。越後長岡藩の家老です。天下のことをどうするこうすると 考えたところで仕方がない。 ・「ひとを貴賎の身分で区別する国家社会は繁栄しない」 ・「覚悟というのはつねに孤りぼっちなもので本来、他の人間に強制できないものだ。 まして一つの藩が他の藩に強制することはできない」 |
かってに感想 | 話の展開が気になり、「峠(中)(下)」を早速買った。 「峠(中)」の帯にはこんな文字が大きく書かれている。 中正独立を守ろうとした、男の信念! 主人公継之助のこの信念は、藩主から重責に抜擢されてからの藩政改革、 京都への出兵、御所へ激越な文章による「建白書」の上呈、 国もとからの遠征隊派遣阻止に対する自らの機敏な行動、 大阪城での老中筆頭板倉勝静に拝謁時の対応、江戸での会津藩主催の 会合での行動。 いずれも「中正独立」という小藩が生きるべき道に向けて貫かれいるのだ。 特に、江戸城で出会った福沢諭吉とのシーンでは、継之助の考え方が明確に見えてくる。 藩というものにとらわれない福沢諭吉とあくまでも長岡藩の家老という立場に拘る継之助の 対比が面白い。 この編は、年月にして、3年ほどである。 その間、継之助は、外様吟味に始まり、郡奉行、町奉行兼務、年寄役、そして家老と スピード出世していく。 歴史の大きなうねりが起こり、封建社会が大きく崩れようとしている時代。 日本という国が、倒幕派と佐幕派に分かれ、開国により西洋文明を受け入れようとしていたのだ。 このような大きなうねりの時代には、それに相応しい人材が必要とされるのである。 小藩ではあるが、家老まで上り詰めた継之助は、 藩政改革により、藩内を引き締め、金を作り出す。 さらに、江戸に出て、藩邸の宝物を売り払い、最新兵器を得て、内密裏に軍事近代化を図る。 さらに、兵も近代化するため、「洋式調練」まで行うのだ。 これらの行動は、すべて「長岡藩の自主独立の態勢をととのえ発言権を保持するためだ」という 一点、長岡藩の家老という立場主義にある。 それは、会津藩招集による江戸の大槌屋での会合でも明らかである。 「箱根の嶮で官軍をふせぐことだ」「最後にうけたまわりたい。官軍に対して抗するのかどうか」 と発言する。 満座に、声がなかった。 「さればわが藩はひきあげる。このうえはわが藩は独りその封境をまもるのみだ」 これこそ『男の信念』なのだ。 この編での継之助との人のネットワークは、親友小山良運、スイス人ファブルブランド、 国籍不明のエドワルド・スネル、福地源一郎、老中板倉勝静、福沢諭吉、会沢藩士秋月悌二郎。 この当たり、新しい時代を作る人たちと継之助との出会いがあれば、 まだ歴史は変わっていたかもしれない。 (中)巻の終わりは、継之助が江戸藩邸を退去するため、支藩の4藩を招集して別れの盃を交す。 このセレモニーを終え、「吉原」へ出かけるシーン。 昔懐かしい妓の名「稲本楼の小稲だが」をつげるが、 「あの太夫は1年前から病気で・・・」と聞き、多額の金子を 置いて「もう来ることはあるまい」と去って行く。 いよいよ決戦の舞台へ。 この(中)巻で面白いのは、前半にある師と仰いだ山田方谷「改革はせっかちにやるな」の言葉を胸に 収めながら着実に藩政改革を進める部分である。 ここで話しのネタになっているのは、新しい村民と庄屋とのもめごと、 ばくち禁制と寄せ場づくり、妾退治、遊郭の廃止。 事実はどうだったかは知らないが、実行する前に、まずは環境整備ということで、 「おふれ」を出す前に、噂を流す。 広まったところで、「おふれ」を出す。 それでも、破るものは、 遠山の金さんのように問題が起こっている市井に町人姿で 入り込んでお触れを破った事実を掴んだ上で裁くのである。 痛快といえば痛快だが、取り締まられた方はグーのねも出ないのだ。 裁きは、大岡裁きのようでもある。 |